弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年11月21日

コモリくん、ニホン語に出会う

社会

(霧山昴)
著者 小森 陽一 、 出版  角川文庫

著者は、小学校低学年のときに、チェコのプラハに移り住み、プラハにあるソ連大使館付属のロシア語学校で学ぶようになりました。その体験にもとづく日本語の面白い話です。
クラスの生徒たちのあいだには、当然のことながら、学校特有の序列が微細なところまでつけられていた。子どもは、そうと気づかず、冷酷であり、差別的であり、政治的であり、権力的でもある。
著者は、学校の論理に順応しながら、ロシア語の能力を上げていき、集団内の序列を一段一段上にあがっていくことに快感を覚えるようになった。
家の近所ではチェコ語、親とは日本語、学校ではロシア語という生活が1年半ほど続くと、頭の中で考える言語はロシア語となった。やはり、学校教育の中で使われる言語がもっとも強い支配力をもつのだろう。この状態が日本に戻ってきてからもしばらく続いたために、当初は耳から聞いた日本語を、いったんロシア語に翻訳して理解していた。ところが、日本に帰って半年くらいたったある日、朝目が覚めてみると、頭の中が日本語になっていて、なんとも不愉快な気持ちになった。
ソウルに住む私の3歳の孫は、保育園では韓国語、父親とも同じで、母親(つまり私の娘)とは日本語で、私の家に来たときにも、もちろん日本語で話します。その切り換えは見事なものです。
小学6年生のとき日本に戻ってきて、学校に通うようになったとき、著者の話す日本語が友だちから大笑いされるという衝撃を受けます。つまり、著者の話す日本語は、文章語としての日本語だったのです。
話しことばとしての日本語は、文章語としての日本語とは、およそ異質なことばだということに毎日毎日気づかされていった。 日本語は、決して言文一致体ではなかった、教科書に記されたウソに身をもって気づかされたのです。
ところが、小学校のときに話して友だちから笑われた文章語が、高校に入って生徒総会という政治的な立場での発言としては通用する、多くの聴衆に向かってなら文章語で語って許されるのです。ええっ、そ、そうでしたっけ・・・。
自己とは、語る行為と語りの場、そして聴き手とのあいだで、瞬時に編成されていく現象だ。こともたちが英語を習いはじめると、文章というものは、「私は・・・」から始めなければならないものだという幻想を抱くようになる。
なるほど、そうなんですよね。私も、かつてはそうでした。主語のない文章を書いてはいけないというのは当然の至上命題でした。ところが、日本語の特質は、まさに主語を省いて書くところにあります。述語などから主語を推量していく、させるのが日本語なのです。
日本語の苦手な子どもが、今や大学で国語(日本語)の教師として学生を教えているのです。すごいですね。比較するというのは、まさしく物事の本質をつかむことなのだということがよく分かる文庫本でもありました。
(2018年6月刊。720円+税)

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