弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年11月 7日

刀の明治維新

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  吉川弘文館

刀というと武士の特権として、武士だけが腰に差していたというイメージがあります。
しかし、江戸時代は、百姓も町人も刀を腰に差していたのです。ええっ、そんなバカな・・・。
でも、旅する男たちを描いた絵には、たしかに腰に刀を差しています。百姓も町人も、旅には脇差という短い刀を帯びた。なあんだ、百姓・町人が差していたのは短い刀(脇差)だけだったんじゃないか・・・。そう思うのは早トチリなんです。
たとえば、伊勢神宮への参拝を案内する御師(おんし)は、身分は百姓なのに、腰には大小の二本の刀を差していた。また、旅籠(はたご)を営む百姓が腰に大小二本の刀をさしている絵もあります。
刀を差している(帯刀)者が武士とは限らないのです。江戸時代には、「帯刀」した姿で歩く、武士以外の人間がかなり存在していたのでした。
当時の絵が紹介されていますから、これは疑うわけにはいきません。
江戸時代、刀と脇差の組み合わせを「大小」と呼び、この二本を腰に帯びることを「帯刀」と呼んだ。そして、この「帯刀」の歴史は、実は、それほど古くなかった。それは、戦国時代の末期以降の風俗であった。
中世の合戦は、馬に乗り、弓矢を主体としていた。太刀と腰刀を2本セットとみて特別視し、それを武士の代名詞とする文化は、中世には存在しなかった。
刀と脇差を一緒の帯に差し込む風俗は、戦国時代に、雑兵や下級の武士たちから発生したものと考えられる。
江戸幕府は、刀を差すことはもちろん、刀剣の所持も禁じず、刀・脇差の没収もしなかった。江戸という都市部において、刀は、武士と町人とを外見で決めて区別するための身分標識ともなっていた。
江戸時代の後期になると、幕府は長脇差をよばれるものだけは、強い態度で禁止した。
百姓・町人は、脇差を帯びていた。当初は常に差していたが、やがて吉凶と旅行などの際に限るようになった。したがって、江戸時代の民衆が「丸腰」だったというのは、近現代につくられた「まったくの虚像」である。
神職は帯刀していた。江戸時代は神事の際は帯刀することになっていた。
19世紀になると、御用町人への帯刀許可の増加によって、大小を帯びた町人が、再び江戸を闊歩(かっぽ)する状況が生じた。
刀と武士、そして町人と百姓との関わりが深く分析されています。大変楽しく読み通しました。知らないことって、本当に多いですよね。
(2018年8月刊。1800円+税)

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