弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年10月28日

社宅ぐらしのきんこちゃん

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 やまぐち きみこ 、 出版  モイブックス

大牟田市に三池炭鉱があり、人口20万人時代だったころの子どもたちの元気に遊ぶ姿が生き生きと描き出されている本です。
炭鉱社宅は、2階建ての五軒長屋。子どもたちがわんさかいます。テレビもない時代ですから、子どもたちは外で遊ぶしかありません。
社宅内は子どもたちの安全地帯でした。朝から夕方、暗くなるまで、子どもたちが群がって、社宅内のあちこちで遊んでいました。
私は小学1年生まで、小浜の炭鉱社宅のすぐそばで生活していましたので、この光景をしっかり覚えています。メンコ(パチと呼んでいました)を高く積み重ねて、一番上の1枚だけをふわりと飛ばす遊びは、まさしく芸術的でした。カンケリ、陣取り、六文字、書き出すだけでなつかしさが胸のうちにこみあげてきます。
ところが、大牟田は公害の町でもありました。大牟田川は「七色の川」と呼ばれるほど、石炭化学コンビナートの工場から廃液がたれ流されていて、ときに川が燃えるのでした。そして、大気汚染も最悪でした。コークス製造工場からは、昼夜を問わず白い煙、黒い煙が吐き出され、粉じんとともに、周辺住民の肺を侵していきました。著者の弟も、ぜんそくに苦しんだようです。のちに大牟田市は大気汚染指定地域となり、大量の認定患者をかかえました。
社宅の朝はパーフーパーフー、リヤカーをひいた豆腐屋さんのラッパの音で始まる。
「あさりがーい、しじみがいー・・・」
「つけあみー、がねづけ」
モノ売りの声がにぎやかだ。
本当にそうでした。スーパーなんてまだない時代です。商品は各家庭の近くまでまわってくるのです(このころは、地域生協もありませんでした)。
私の通った上官小学校は4組まであり、延命中学校は13組まであって、3学年全部で1000人をこえていたのではないでしょうか・・・。
三池炭鉱が閉山したのは、平成9年(1997年)3月30日のこと。もう21年も昔のことです。その前、1963年(昭和38年)11月9日午後3時12分ころ、三川坑で大規模な炭じん爆発事故が起きました。戦後最大の爆発事故で、死者458人というものすごさです。やはり、安全を手抜きにしたら、大変なシッペ返しをくらうのです。
ぜんそく児をかかえた親としては社宅周辺の大気汚染地帯から郊外へと転地しようと考えるのも当然です。著者たち一家は社宅を脱け出すことになり、泣きました。私も長男がぜんそく発作で苦しむのを見て、すぐさまホタルが住んでいる田園地帯にひっこしました。
郊外には緑豊かな自然がありますが、友だちが乏しいきらいがあります。やっぱり子どもにとっては、たくさん子どものいる世界に浸っていたいのでした。
150頁ほどのコンパクトな、絵本みたいな本です。カットの少女たちも絵も、可愛らしくもあり、純朴そうで、意思堅固な少女が描かれています。
昭和30年代の日本社会の様子、そして子どもたちが走りまわる様子は団塊世代の私たちとまったく変わりません。
なつかしさで胸が一杯になり、涙があふれ出そうになってしまいました。
ぜひ、あなたも手にとって読んでみて下さい。
(2018年9月刊。1300円+税)

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