弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年8月22日

不知火の海にいのちを紡いで

社会(司法)


(霧山昴)
著者 矢吹 紀人 、 出版  大月書点

いま、ノーモア・ミナマタ国家賠償請求訴訟が進行中です。
ええっ、水俣病って裁判で決着がついたんじゃなかったの・・・。そんなギモンに本書は答えてくれます。
水俣病が公式に確認されたのは1956年(昭和31年)5月1日のこと。1995年(平成7年)には、政府が解決策を示して、1万人が補償を受けた。しかし、行政認定基準が狭く、多くの被害者が隠れたまま取り残されていた。
2010年(平成22年)、鳩山由紀夫首相のとき、水俣病裁判史上はじめて国も加わった和解が成立して、5年来に及ぶ裁判はすべて終了した。
ところが、国は2012年7月末、被害者団体の強い反対を押し切って特措法申請の受付を締め切った。対象地域外の申請者に検診すら受けさせないことも起きた。
そこで、2013年(平成25年)6月、ノーモア・ミナマタ第2次国賠訴訟が起こされた。現在の原告は1311人となっている。
先日亡くなられた大石利夫さん(不知火患者会の会長)は、味覚がマヒしていて、味が分からない。どんなに美味しい刺身を食べても、ただ生の魚を食べているという感じ。味が分からないので何を食べたいとか、どんな料理を食べたいとか、そんな気が起きない。だから、毎日、料理をつくってくれる妻に対して、「美味しかったよ。ごちそうさま」と言葉をかけることができない。
大石さんは、痛みも熱さも感じない。学校で子どもたちの前で、名札の安全ピンをとってピンの針を自分の左腕に突き刺してみせた。
孫と一緒に風呂に入ると、孫が激しく泣き出した。熱湯だったからだ。大石さんは平気だった。シャワーの温度を50度にして膝から下にかけても、足首から先が真っ赤になっているのに、熱いとは感じなかった。
全国のノーモア・ミナマタ第2次国賠訴訟は、「対象地域外」に居住している原告が一定の割合を占めている。汚染された魚をたくさん食べて、メチル水銀に暴露したのだ。それを立証するため、一斉検診が取り組まれた。
水俣病第一次訴訟は、急性劇症患者を中心とする行政認定患者がチッソの法的責任を明らかにする目的でたたかれた。
水俣病第二次訴訟は、未認定患者を中心としてチッソを被告とする損害賠償請求したもの。
水俣病第三次訴訟は、未認定患者がチッソ・国・熊本県を被告として損害賠償を求めたもの。国の水俣病患者大量切り捨て政策を転換させるのが最大の目的だった。
そして、ノーモア・ミナマタ第一次国賠訴訟は、未認定・未救済の患者がまだ多く放置されているので、その恒久的救済を求めたもの。これは特別措置法の制定につながった。
水俣病の被害とは、水俣病に罹患したことによる神経症状、それによる日常生活の支障、精神的苦痛の総体と言える。見た目にすぐ分かる被害ではない。
チッソ水俣工場は、戦前の昭和7年(1932年)からアセトアルデヒドの合成をはじめた。触媒として使用されてきた大量の水銀が40年間にわたって水俣病湾内に放出されていた。水俣湾に堆積した水銀量は70~150トンだ。
水俣病をめぐる裁判で何が問題だったのか、明らかにしていく過程がよく分かります。今なお、たくさんの水俣病被害者が救済されず放置されている現実に怒りを覚えました。なんとか裁判で国・県とチッソの責任をただしてほしいものです。。
(2018年5月刊。1600円+税)

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