弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2018年7月26日
雪ぐ人
司法
(霧山昴)
著者 佐々木 健一 、 出版 NHK出版
「雪ぐ」とは、冤罪をそそぐ(晴らす)という意味です。なかなか読めませんよね。
NHK特集番組「ブレイブ-勇敢なる者」(えん罪弁護士)が本になりました。東京の今村核弁護士が主人公です。なにしろ既に無罪判決を14件も獲得しているというのですから、すごいです。そして、それに至る努力がまさしく超人的で、ちょっと真似できそうもありません。
この本を読むと、それにしても裁判官はひどいとつくづく思います。頭から被告人は有罪と決めつけていて、弁護人が合理的疑いを提起したくらいでは、その「確信」はびくともしないのです。
そして、若いころには青法協会員だったり謙虚だった裁判官が、いつのまにか権力にすり寄ってしまっているという実例が示され、悲しくなってしまいます。
この本では、NHKテレビで放映されなかった父親との葛藤、東大でのセツルメント活動などにも触れられていて、等身大の今村弁護士がその悩みとともに紹介されています。そうか、そうなのか、決してスーパーマンのような、悩みのない弁護士ではないんだと知ることができて、少しばかり安心もします。
えん罪弁護士は、たとえ人権派弁護士であっても軽々しくは手が出せない領域だ。
本気で有罪率99.9%と対峙し続けると、その先には破滅しかない。
では、なぜ今村弁護士はえん罪弁護士を続けるのか。
それは、生きている理由、そのものだから・・・。
ちなみに私は、弁護士生活45年で無罪判決をとったのは2件だけです。1件は公選法違反事件でした。演説会の案内ビラを商店街で声をかけながら配布したのが戸別訪問禁止にあたるというのです。一審の福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官)は、そんなことを処罰する公選法のほうが憲法違反なのだから罪とならないとしました。画期的な違憲無罪判決です。当然の常識的判断だと今でも私は考えていますが、残念なことに福岡高裁で逆転有罪となり、最高裁も上告棄却でした。もう一件は恐喝罪でした。「被害者」の証言があまりにも変転して(少なくとも3回の公判で「被害者」を延々と尋問した記憶です)、裁判所は「被害者」の証言は信用できないとして無罪判決を出しました。検事は控訴せずに(とても控訴できなかったと思います)確定しました。
いやはや、無罪判決を裁判官にまかせるというのは本当に大変なことなのです。それを14件もとったというのは、信じられない偉業です。
犯行していない無実の人が「犯行を自白する」。なぜ、そんな一見すると馬鹿げた、信じられないことが起きるのか・・・。
社会との交通を遮断された密室で孤独なまま長い時間、尋問を受ける。そのなかで、自白しないで貫き通すのは非常に難しい。とにかく、その場の圧力から逃げたい。なんでもいいから、ここから自由になりたいという心理が強くなる。取調にあたった警察官のほうは、やっていない人を無理矢理に自白させているという自覚はない。「やっている」と思っている。根拠はないけれど、犯人だと思い込んでいる。警察は、全部、容疑者に言わせようとする。そうやって、正解を全部、暗記させたいわけ。
「放火」事件では、消防研究所で火災実験までします。当然、費用がかかります。200万円ほどかかったようです。普通なら二の足を踏むところを、日本国民救援会の力も借りて、カンパを募るのです。すごい力です。
そして、今村弁護士は鑑定人獲得に力を発揮します。迫力というか、人徳というか、並みの力ではありません。
ところで、えん罪事件で無罪を勝ちとった元「被告人」が幸せになれたのか・・・。
テレビ番組で紹介された「放火」事件も「痴漢」事件も、元「被告人」には取材できなかったとのことです。「放火」事件では、夫の無実を晴らすためにがんばった妻だったけれど、結局、離婚したといいます。
この番組ではありませんが、関西で起きたコンビニ強盗事件で無罪を勝ち取った若者(ミュージシャン)は顔を出して警察の捜査でひどさを訴えていましたが、そのほうが例外的なのですよね・・・。
この本は、自由法曹団の元団長だった故・上田誠吉弁護士に少しだけ触れています。私が弁護士になったころの団長で、まさしく「ミスター自由法曹団」でした。上田弁護士は今村弁護士に対して、「被告人にとっては、疑わしきは被告人の利益に、という言葉はない」と言った。弁護側が積極的に無罪を立証していく。これしかないというのが自由法曹団の弁護士だ。
ホント、私もそう思います。これは、もちろん法の建て前とは違います。でも、これが司法の現実なんです。したがって、弁護人は被告人と一緒になって死物狂いで積極的に無罪を立証していくしかありません。
私には今村弁護士とは大学時代にセツルメント活動に打ち込んだという一点で共通項があります。
テレビで特集番組をみた人も、みてない人も、この本をぜひ手にとって刑事司法の現実の厳しさをじっくり体感してほしいと思います。
(2018年6月刊。1500円+税)