弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年7月24日

新たな弁護士自治の研究

司法


(霧山昴)
著者 弁護士自治研究会 、 出版  商事法務

日本の弁護士は弁護士会に強制加入させられます。弁護士会の会員でなければ弁護士としての仕事は出来ないシステムなのです。
弁護士自治にとって、強制加入は不可欠とまではいえないかもしれないが、必要な要素である。また、他の資格保持者や一般人が同一の法律業務をすることができるのであれば、規制と負担を引き受けてまで自治に参加しないことが常であると思われる。したがって、「業務独占」も自治を支える制度である。
この本では、「日弁連30年」(1981年)に「残念ながら、弁護士自治は弁護士の手で自らたたかいとったものとは言えない」としているのは、「その歴史認識において大きな誤りがある」としています。この点は、私も同感です。「日弁連30年」は、三ヶ月章教授の「弁護士」論文に引きずられてしまったのです。三ヶ月章は、弁護士出身の議員たちがGHQに日参してお願いして(とりいって)成立したにすぎないと非難したのでした。しかし、そのような事実はありませんでした。
弁護士会は、内閣提出法案とするのはあきらめ、議員立法の方式で行くことに方向転換した。裁判所と司法官僚は弁護士自治に消極的だったが、弁護士会は衆議院法制局とともに、各方面を獲得してまわり、ついに、1949年5月、弁護士法改正が成立した。参議院で修正案が可決されたものの、再度、衆議院で原案を可決して法改正は実現した。このように、新しい弁護士法は、大変な難度の末に生まれた。GHQのお恵みで成立したのではなかった。
裁判官は弁護士出身に限るという法曹一元については、戦前から弁護士に対して優越感、差別的意識を抱き続けてきた判事・検事たちは、ホンネとして法曹一元論に賛成ではなかった。
この点は、恐らく今も変わりはなく、同じだと思います。
「客観的に拝見して、最近までの日弁連や各弁護士会の活動については、いささかいかがなものかと、思わせられることが多く、所属会員の総意というものが反映されていないのではないか、一部の偏った考え方が主として反映されるような体質が最近あるのではないかということを率直に言って感じざるをえない」
この言葉は、今の日弁連や弁護士会に対する批判ではありません。なんと今から40年も前の国会での伊藤栄樹刑事局長(のちの検事総長)の答弁です。いやはや、昔も今も、日弁連批判というのは、まったく同じことを言うんですね。
アメリカは強制加入の弁護士会なんてないものとばかり思っていましたが、なんと、強制加入型の弁護士会のほうが任意型弁護士会よりも多いとのことです(2017年7月現在)。アメリカでも3分の2の州は強制加入型弁護士会となっている。
フランスの弁護士は、弁護士会を大切に思っていて、帰属意識は高い。弁護士会なくして弁護士という職業はありえない。弁護士会は、自らの職業アイデンティティである。フランスでは「弁護士の独立」がまず中心的に論じられ、それを担保するものとして「弁護士会の自律」がある。
フランス革命のときに活躍したダントン、ロベスピエール、カミーユ・デムーランは、いずれも弁護士。フランス革命の時代には、弁護士会は解散され、弁護士は弁護権限の独占を失った。ナポレオンは1810年に弁護士を統制するため弁護士会を復興した。ルイ16世にもマリーアントワネットにも弁護士がついた。ただし、ルイ16世の3人の弁護士のうちの1人は、国王に肩を入れすぎたとして反革命の罪で断頭台の露として消えた。
フランスでは弁護士会は強制加入であり、6万5000人の弁護士のうち4割がパリ弁護士会の会員。弁護士の独立が強調されるため、企業内弁護士は認められていない。
弁護士会はファミリーで、会長はお父さんというイメージ。
弁護士が扱う事件の送金は、すべて弁護士会の管理するカルパを通す。これによって個々の弁護士の不正を防止しているし、パリ弁護士会だけでも年間3000万ユーロもの運用益をもたらしている。
ところで、日本で事件のお金を銀行から送金するときに、判決や和解調書の提供を求められることがあると書かれています(176頁)が、わたしはそんな体験はありません。果たして東京だけのことなのでしょうか・・。ぜひ、各地の実情を教えてください。
弁護士自治がこれからも十分に機能し、守られることを改めて強く望みます。
わずか200頁あまりの本ですので、いくら内容が良くても5500円というのは高すぎます。それだけが残念でした。
(2018年5月刊。5500円+税)

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