弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年7月22日

日本史のツボ

日本史(古代史)


(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版  文春新書

天皇家は、地域の王から出発して、中国大陸から押し寄せてくる外来文化を積極的にとり入れながら、その文化に独自の改変を加えることで、大陸文化とは異なる「日本文化」をつくり上げることに寄与した。
ヤマト朝廷が支配していたのは、畿内を中心として、東は新潟県、西は九州北部まで。関東や東北、そして九州南部は「化外(けがい)の地」として、支配対象ではなかった。そして、ヤマト朝廷にとって死活的に重要なのは、中国大陸と朝鮮半島の情勢だった。
ヤマト朝廷って、意外に国際情勢に敏感だったのですね・・・。
戦国時代のあとは、天皇は権力を失っていて、天皇の位は権力闘争の対象にはならなくなっている。
鎌倉時代に起きた承久の乱のあと、次の天皇を誰にするかは、朝廷の一存では決められず、鎌倉幕府の承認が必要だった。
室町時代、足利政権は、思うがままに天皇をつくり出すことが出来た。
江戸時代、将軍の代替わりには必ず改元が行われているのに対し、天皇の代替わりでは改元されていない。
天皇は御所から出ることを禁じられ、外出するにも幕府の許可が必要だった。
江戸時代の一般の人々にとって、天皇は視野に入ってなかった。江戸後期になって、庶民が力をつけてくると、天皇を「再発見」した。
天皇家では、新道より仏教が重視されてきた。江戸時代まで、天皇家の葬儀は、神式ではなく、仏式で行なわれていた。神式にしたのは、明治以降のこと。
北条政子がいて、日野富子がいて、日本史のなかで女性が力を発揮した時代があったことは事実。ただし、彼女ら個人に限定された権力だった。女性は、政治というシステムの外側に置かれていた。
戦国時代の墓は夫婦墓が多い。つまり、夫婦で二つ墓が並んでいた。夫婦別性を反映している。江戸時代の元禄期になって以降、家族墓がふえてきた。夫婦同姓になっていった。
江戸時代になって女性の地位が低下したが、これは、世の中が平和な時代になったから。
日本史の現実を考えるときのヒント満載の本でした。いろいろ勉強になります。学者って本当にたいしたものです。
(2018年3月刊。840円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー