弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年7月18日

未来を拓く人

司法


(霧山昴)
著者 池永満弁護士追悼集編集委員会 、 出版  木星社

あしたをひらくひと、と読みます。弁護士池永満の遺したもの、というサブタイトルのついた330頁もの大作です。
故池永弁護士の多方面にわたる活動の一端をしのぶことのできる見事な追悼集です。
といっても、池永満弁護士が亡くなって早いもので、もう5年半がたってしまいましたので、池永弁護士って誰?という若手弁護士も少なくないことでしょう。
池永さん、以下いつものように池永さんと呼びます、は2009年(平成21年)4月から1年間、福岡県弁護士会長をつとめました。その1年間に、池永さんは、なんと西日本新聞(朝刊)の一面トップ記事を3回も飾りました。これは、まさしく空前絶後の記録だと思います。
裁判員裁判がスタートした年です。市民モニター制度を発足させ、市民が法廷を傍聴して裁判員裁判をより市民のものにしようとしたのです。
医療ADRを発足させたのも池永さんが会長のときです。医療問題は池永さんの専門分野の一つですが、ADRのなかに医療機関とのトラブル解決を盛り込みました。
そして、韓国の釜山弁護士会との連携・交流に続き、中国の大連律師(弁護士)協会との交流も実現したのです。
池永さんは弁護士会館のすぐ近くのマンションの一室を借りて、記者の皆さんと月1回の交流会をもつなかで、これらの一面記事を書いてもらうことに結びつけたのです。
池永さんの活動分野は医療分野に特化していたのではありません。博多湾の自然を守る運動、千代町再開発に住民の声を生かす町づくり運動、ハンセン病元患者の権利救済活動、中国残留孤児事件、脱原発訴訟、直方駅舎保存運動そして、法曹の後継者育成・・・。まことに多彩です。
池永さんは、いつも夢とロマンを語り、それを他人と共有し、大勢の人を巻き込んで実現してきました。
そして、そのなかで「被害者」となった弁護士たちが、この追悼集のなかで愚痴をこぼしつつ、池永さんへの感謝の言葉を捧げています。安部尚志弁護士は、池永さんのことを「火つけ盗賊」と名づけていたとのこと。池永さんは、思いついたら直ちに組織のシステム、人選、資金繰りを検討し、たちまち組織づくりに着手する。人集めが上手で、この組織はこの人でいくと決めたら最後、その人に猛烈にアタックして落としてしまう。私利私欲がないだけに優秀な弁護士たちがコロッと口説かれてしまう。そして、組織を立ちあげると、はじめうちは先頭に立っているものの、軌道に乗ってきたら、そこの人たちにまかせて、自分はまた新しい組織づくりを始める。人狩りをして市民運動に送り込み、市民運動の火が燃えあがると自分はいなくなる・・・。
なるほど、そういうこともあったよね、と思いました。私は被害にあっていませんが・・・。
池永さんは新人弁護士に「一流のプロって、何だか分かる?」とたずねます。その答えは、「他のプロから信頼されて訴ごとの依頼が来る人だよ」。なるほど、そのとおりです。
新人弁護士へ与えた教訓その一は、凡事(ぼんじ)を徹底すること。小さな事件を誠実に処理できず、些末なルールを守れないような人は、大きく困難な事件をまともに取り扱えるはずがない。
その二は、専門的知識を要する事件にあたるときは、自分が専門分野を勉強するのは当然のこととして、その分野の第一線の専門家と協働すること。
その三は、出産・子育てを経験しても、しなくても何でも仕事の肥やしになるのが法曹のいいところ。
この追悼集を私は二日間かけて完読しましたが、そのあいだじゅうずっと、いつものように池永さんと対話している幸せな気分に浸っていました。
八尋光秀弁護士が池永さんは、人間性のひかりを照らす灯だったと書いていますが、まったくそのとりです。追悼集を読んで、本当に惜しい人を早々に亡くしてしまったと残念に思うと同時に、「あんたも、もう少しがんばりなよ」と励まされている気がして、ほっこりした気分で読み終え、巻末にある元気なころの池永さんの顔写真に見入ったのでした。
(2018年7月刊。3000円+税)

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