弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年6月 8日

私はガス室の「特殊任務」をしていた

ドイツ


(霧山昴)
著者 シュロモ・ヴェネツィア 、 出版  河出文庫

アウシュヴィッツ収容所でゾンダー・コマンド(特殊任務部隊)としてユダヤ人の大量虐殺・遺体焼却の仕事をしていたギリシャ生まれのイタリア系ユダヤ人青年(当時21歳)の回想記です。
あまりにも生々しくて、正視に耐えませんが、事実から目を逸らしてはいけないと、必死の思いで読み通しました。
チクロンBが投入されるガス室。その場には命令するドイツ人もいるけれど、実際の作業をするのはゾンダー・コマンドとなったユダヤ人です。
そして、あるとき、著者に対してガス室から生きて出た人はいないのかという質問が寄せられます。そんな人なんているはずがない、という答えを予想していると、実は著者は一人だけ目撃したのでした。それは、母親の乳首をくわえていた赤ん坊でした。その赤ん坊はどうなったか・・・。発見したドイツ人がすぐさま射殺してしまいました。赤ん坊は息をとめて乳首をくわえていたため、毒ガスをあまり吸っていなかったというのです。
ああ、無惨です。なんということでしょうか、人間を殺すことに快感を覚える人間(ドイツ人たち)がいたのです。
ゾンダー・コマンドは3ヶ月ごとに総入れ替えで殺されていった。
では、ゾンダー・コマンドの反乱は起きなかったのか・・・。実は、反乱は起きたのです。勇気ある指揮者(リーダー)がいて、武器や火薬を所持して立ち上がったのですが、密告者(裏切り者)が出て、うまくはいきませんでした。でも、焼却炉の一つを爆破することには成功しています。
なぜ、ユダヤ人の集団がみんなおとなしくガス室で殺されていったのか・・・。
到着した集団は、希望を失い、もぬけのからになってガス室に入っていった。みんながみんな、力尽きていた。
著者はゾンダー・コマンドにいるあいだ、考えることはしなかった。日々、何も考えずに前へ行くしかなかった。どんなに恐ろしい生活でも続けるしかなかった。
ゾンダー・コマンドで自殺したものはいない。何がなんでも生きると言っていた。
あまりにも死の近くにいたが、それでも一日一日、前へ進んでいった。
恐怖に震えあがっていた。
ロボットになっていた。何も考えないようにして、命令にしたがい、数時間でも生きのびようとしていた。
ドイツ軍は収容所で家族を一緒にしていた。もしひとりなら、脱走する考えに取りつかれたかもしれない。でも、親や子を捨てて、誰が脱走などするだろうか・・・。
著者がアウシュヴィッツの経験、悪夢を語りはじめたのは、実は、なんと、自由になってから47年もたってから(1992年から)のことです。それまでは、話しても周囲から信じてもらえなかったという事情もありました。重い、忘れたい記憶を語ることの難しさを示しています。だからこそ、私たちは、このような記録をきちんと読む必要があると思うのです。
ちなみに、まるでレベルが違う話ではありますが、司法試験の受験体験記を本にまとめようと私が思ったのも45年たってからのことです。私にとって、それほど重い記憶なのでした。
(2018年4月刊。880円+税)

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