弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年4月17日

ナチスの「手口」と緊急事態条項

ドイツ

(霧山昴)
著者 長谷部 恭男、 石田 勇治 、 出版  集英社新書

自民党の憲法改正案のなかに緊急事態条項が入っています。災害等の非常事態のときには、国民の基本的人権の保護を停止して、国家権力が好き勝手に国民を統制できるようにしようというものです。
これは、ナチス・ヒットラーが国民を統制する手法でした。麻生大臣がヒトラーの手口の学べといったのには根拠があるのです。では、この緊急事態条項を導入すると、どんな危険が国民にふりかかってくるのか、それをドイツの例をひいて説明しています。
まずもって、コトバの魔術(マジック)に惑わされてはいけません。「基本的人権に関する憲法上の規定は、最大限に尊重されなければならない」と書いてあると、それは、「場合によっては、基本的人権が制限されることになる」ということなのです。つまり、「最大限に」というのは、「できる限り」、つまり「できないときもある」ということです。
ヒトラーのナチス政権は、スタートしたときの議席は国会の3分の1でしかなかった。連立与党をあわせても4割を少しこえた程度だった。1930年9月の選挙で、ナチ党は18.3%、共産党は13.1%の票を獲得した。そして、1932年7月の選挙で、ナチ党は37.3%と倍増した。ただし、共産党も14.3%へと伸ばした。ところが、1932年11月の選挙では、ナチ党は33.1%へと後退した。これに対して、共産党は16.8%へ躍進した。
ヒトラーが首相に任命されたのは、1933年1月30日。首相になったヒトラーには3つの道具があった。ひとつは大統領緊急令。ふたつ目は突撃隊と親衛隊。三つ目は大衆宣伝組織。
2月にヒトラー政府は、大統領緊急令をつかって言論統制をはじめる。2月末の国会会議事業炎上事件をきっかけとして、大統領緊急令を出した。これによって、共産党の国会議員をはじめとする急進左翼運動の指導者たちが一網打尽にされた。このときの放火はヒトラーの下にある突撃隊の一派がひきおこしたものだということが明らかになっている。
ヒトラーは、授権法を制定した。これは、憲法の変更をふくむ立法権を政府に与えるというもの。とんでもない法律です。これで国会はなくなったわけです。ヒトラーが首相になって授権法が制定されるまでの、わずか50日間、ナチ党以外一切の政党を禁じてナチ党独裁ができるまで半年。ヒトラーが「総統」になるまで1年半。あっというまに独裁体制ができ上がった。
内外の不安をあおって、強いリーダーに権限を集中させ、政府の権限を驚異的なまでに拡大させたのが、まさにナチ・ドイツだ。
アベ首相のような人物が独裁的権限を思う存分ふるえるようになったら、まさに日本は一挙に戦前のような暗黒社会に転落してしまうでしょう。
そうならないためにも、憲法「改正」論議の行方をしっかり見守っていきたいものです。

(2017年8月刊。760円+税)

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