弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年3月26日

英語教育の危機

社会


(霧山昴)
著者 鳥飼 玖美子 、 出版  ちくま新書

英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができたらいいというものではない。いまの学校は、文法訳読ではなく、会話重視なので、読み書きの力が衰えて、英語力が下がっている。
これまで、まとはずれの英語教育改革が繰り返されてきた。
いま、教える人材の確保が不十分なまま、見切り発車する小学校の英語教育・・・。小学生が可哀想。何も分からない子どもたちが、あまり自信のない先生から、中学レベルの英語を習うことになる。中学校にすすむころには、英語嫌いになっている子どもが今より増えている恐れは強い。
日本の英語教育は、1990年代から基本的に方針が変わった。昔の英語教育とちがって、今は「英語の授業は英語で行うことが基本」とされている。しかし、日本語で説明したって分からない生徒に対して、英語だけで、どうやって教えたらいいのか・・・、現場の英語教師は困惑している。
英語だけの授業では内容が浅薄になりがちで、生徒の知的関心を喚起しない。それは、ことばの不思議さや奥深さに気づかせることが難しくなる。むしろ、英語を英語で教えるというには、時代遅れなのである。
「学習指導要領」の定める小学校「英語」と中学校「英語」の目標は、違いがすぐには分からないくらいに似ている。
一昔前は、大学を受験する高校3年生は、英検「2級」というのが常識だった。しかし、今は、高校生の半数以上が「準2級」という目標にも達していない。これは、大学1年生の英語力が落ちていることに反映している。大学では、中学レベルの英文法基礎の補習授業を余儀なくされている。
大学のほとんどでは、10年後に専任教員を増やす見込みがない。そのなかで、外国籍教員の割合を増やしたら、日本人教員の数を減らすことになる。
文法はコミュニケーションを支えるもの。
英語教育とは、英語という外国語を通して、学習者を未知の世界に誘い、心を豊かにし、人間を育(はぐく)むものである。私もフランス語を毎日勉強していますが、フランスの歴史や地理、文化を学ぶことによって、世界を知り、日本を知るという楽しみを日々実感しています。単に店先でペラペラ会話して買物ができるという以上のものを学校英語には期待したいものです。

(2018年1月刊。780円+税)

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