弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2018年3月 1日
ルポ 不法移民
アメリカ
(霧山昴)
著者 田中研之輔 、 出版 岩波新書
この本は社会学を研究する日本人学者がカリフォルニア大学バークレー校で学ぶかたわら、2年間にわたって路上で中南米諸国からの出稼ぎ労働者とともに働いた経験をもとにしていますので、大変なリアリティーがあり、説得力があります。著者の勇気と行動力に敬意を表します。
立ん坊をした道路は、危険地帯ではありません。ハースト通りは、白人の中流階級の人々が穏やかに暮らす住宅街にある。雇い主の生活水準が高いので賃金トラブルが少なく、また暴力に巻き込まれることも少ない。
路上で立って仕事を得るにはコツがある。色の暗い作業服よりも黄色や赤、白色と言った目立つ服を着て、身ぎれいにしておく。そして、いち早く自動車の運転手とアイコンタクトをとる。英語を流暢に話せることも有利。
彼らは仕事をくださいとこびることはしない。プライドがある。時給15ドルを呈示する。
路上で立って仕事を求めているのは正規滞在資格のない不法移民たち。職種は、引っ越しの手伝い、個人宅の庭掃除や屋根掃除、家具の配置換え、建設現場の補助、コンクリート粉砕作業、剪定作業、外壁の塗装、配管清掃など、誰でも問題なく作業できるもの。日雇い労働者の平均月収は3万円ほどでしかない。
雇い主には一切の文句を言えない。雇い主を怒らせたら、すぐに警察に通報して、たとえば、民家の軒先をこわしていると通報する。すると、それがすべて事実となり、不法移民の声が取り上げられることはない。警察が駆けつけたら、刑務所行きはまちがいない。
黒人の二人組は要注意。仕事をさせてもお金を払わない。また、ストレス発散の対象として殴る蹴るの暴行を受けることがある。しかし、それにも耐える。警察の助けは呼ばない、呼べない。
メキシコからの不法移民は多い。1993年以降、国境で3800人が亡くなっている。そのうち1000人は身元確認できず、墓標のない墓に埋葬されている。
メキシコで麻薬を売ってコヨーテ(密入国を手助けする案内人)に3500ドル(40万円)をつくり、アメリカに入ってきた。メキシコの最低賃金は1日430円、アメリカでは時給15ドル(1680円)というように決定的な経済格差がある。
何をしたって、何があっても生きないと意味がない。
これは、メキシコで麻薬を密売していた不法移民のコトバ。ギャング同士の抗争で命を落としたくなかったので、アメリカにやってきた。
グアテマラの刑務所。ここではなかで働けるし、毎週土曜日には売春婦をよんで刑務所内でセックスができる。毎月第2週の土曜日には刑務所内でダンスパーティーが開かれる。
不法移民の半数はメキシコ出身で585万人。エルサルバドル70万人、グアテマラ53万人、ホンジュラス35万人。このほか、インド50万人、中国33万人も正規滞在資格をもたず(ビザの有効期限をこえて)アメリカで暮らしている。
不法移民は、地元住民から罵られ、そこにたたずむことも許されず、警察に通報される。
出稼ぎに来た労働者の9割が何らかの罪で現行犯逮捕され、刑務所に入った経験がある。職歴は増えず、犯罪歴だけが増えていく。
カリフォルニア州には270万人の不法移民が居住している。男性53%、女性47%。不法移民の66%が10年以上、アメリカで暮らしている。
アメリカは「移民の国」だ。滞在資格をもつ正規移民と、滞在資格をもたない非正規移民の二つからなる移民国家だ。どちらの移民もアメリカを支えている。
アメリカでは200万人もの刑務所人口がある。世界第一の経済大国アメリカで第三の巨大産業として懲罰産業が拡大成長を続けている。カリフォルニア州では、5年間に9つの監獄が新設された。監獄建設の急増は、監獄が不況の影響を受けにくく、公害も出さない新たな産業だから。
懲罰産業複合体とは、監獄関係者、多国籍企業、巨大メディア、看守組合、議会・裁判所が相互に共生関係にある複合体だ。アメリカの厳罰化はこのような懲罰産業の拡大に役立っているというわけです。
アメリカの底辺の生々しい実態をつぶさに実験した思いをさせてくれる貴重なレポートです。ぜひ、ご一読ください。
(2017年11月刊。820円+税)
2018年3月 2日
社会の中の新たな弁護士・弁護士会の在り方
司法
(霧山昴)
著者 司法改革研究会 、 出版 商事法務
司法改革について、失敗だったと単純に決めつける声が強くなっているようですが、それに関わった当事者の一人として、何事にもプラスとマイナスの面があるのですから、「政治改革」と称する最悪の改革に比べたら、司法改革はよほどましだと私は考えています。
「政治改革」って、結局のところ小選挙区制にしただけではありませんか。そして、この小選挙区制こそ、「アベ一強」という、まったく民意を反映しない、適正手続無視の狂暴政治をもたらした根源です。
その次の「郵政改革」だって、ひどいものでした。郵便局を民営化して、アメリカの資本が日本に入ってきて、身近な郵便局がなくなり、働く人はへとへとになるまで酷使されている現実があります。なんでも民営化すればいいっていうものではありません。国鉄民営化だって、もうけ本位でローカル線の切り捨てが進むばかりです。新幹線のホームに駅員が不在だなんて、恐ろしいばかりです。これでテロ対策を声高に言いつのるのですから、矛盾を感じます。
本題に戻ります。弁護士とは何か・・・。独立性、有用性、学識の3つが属性。他人のための奉仕を目ざし、金銭的報酬の多寡がその成功を測定する尺度とならない職業である。
弁護士の前身が代言人であることは周知のことですが、それは、江戸時代の公事師(くじし)の流れを引き継いでいること、江戸時代も明治初期も、今からすると想像を絶するほど裁判が多く、庶民にとって裁判は身近なものであり、公事師も代言人も、そのニーズにこたえていたこと、明治の代言人は自由民権運動において大活躍していたこと(この点は6頁で少し触れられていますが...)も紹介してほしかったと私は思いました。
弁護士法1条の制定をめぐって、三ヶ月章が根拠なき非難をしている(9頁)ことを知り、残念に思いました(23頁)。私は司法試験を受験するとき、民事訴訟法の基本書は三ヶ月章としていたからです(講義を受けたのは新堂幸司)。
弁護士の特質として在野精神というものがあげられます(33頁)が、では任期付公務員になったとき、また企業内弁護士にとっては、同じように通用するものでしょうか・・・。任期付公務員は、まだ200人ほどの弁護士しかいないようですが、私は、もっと多く10倍以上になってほしいと思います。少し前に国税不服審判所の担当官として弁護士が出てきて話が早くすすんで助かったことがありました。また、企業内弁護士のほうは既に1700人を突破しています。これまた、この2倍、3倍になっていいと思います。ただし、弁護士としての経験をせずにはいるのと、法廷にたったり、依頼者との打合せ・面談の苦労をせずに企業に入るのとでは、質が違うのではないかな・・・と心配はしています。その点、企業内弁護士がジレンマを抱えながら毎日仕事をしている(360頁)というのは、よく分かります。
中尾正信論文のなかに、戦前の弁護士のなかに「不良弁護士」「不正弁護士」「背任弁護士」として叩かれていたとありましたが、これは初めて知りました。弁護士が急増して弁護士の経済状況が一気に悪化し、事件屋と提携する弁護士が増えていたことまでは知っていましたが・・・。戦前には、警察官から弁護士なんかやめて正業につけと説諭されていたという涙の出るような話もありました。
私は明賀英樹論文にまったく同感です。つまり、中小企業の激減という社会構造の変化です。個人商店が立ちゆかず、商店街がシャッター通りになってしまい、小売・製造業が半減してしまったという現実は、中小企業に依拠してきた多くの弁護士の経済状態を悪化させてしまったのです。私の住む町にも、町の中心部と郊外に二つの大きなショッピングモールがあり、あとはコンビニ、ドラッグストアー、そしてコインランドリーだけになりつつあります。そうなると、家庭内の問題をめぐって法テラスを活用し、交通事故は物損をふくめてLAC(弁護士保険)を利用していくことになります。
現在、私のLAC案件は20件です。係争額は20万円からスタートします。過失割合が7対3か95対5かということで裁判にもち込むことが不思議ではありません。
法律事務所の大規模化は私も避けられない現象だと考えています。2009年に51人以上の法律事務所にいた弁護士が290人だったのが2015年には601人となり、101人以上だと1709人が2603人になったのは自然の成り行きだと思います。ただ、これが4万人になる弁護士総数に占める比率にかかわらず、弁護士会の役員に占める比重が多過ぎると、弁護士会の運営がギクシャクしてくるようになるのではないかと心配します。
各論のなかで取りあげてほしかったのは、弁護士報酬の問題です。タイムチャージをふくめて、独禁法違反と指摘されて弁護士会の報酬規準が撤廃されたあと、どのように運用されているのか、そこで何が問題になっているのか、大量のテレビ宣伝・チラシ広告の是非とあわせて究明すべき問題点があると思います。
いずれにせよ、400頁で研究成果をぎっしり詰め込んだ濃密な書物となっています。惜しむらくは、定価7000円とは、あまりに高額なので、手にとって読む弁護士はほとんどいないと思われるところです。その点だけが残念でした。
(2018年1月刊。7000円+税)
2018年3月 3日
裁判官、当職そこが知りたかったのです
司法
(霧山昴)
著者 岡口基一、中村真 、 出版 学陽書房
弁護士のつっこみに裁判官がボケることなく、まともに応答していますので、なるほど、そうなのか...と、つい思うところが多々ありました。若手にかぎらず、ベテラン弁護士が読んでも面白く、役に立つ内容になっています。少なくとも買って読んで損をすることはありません。
裁判官は忙しいので、訴状を読んでとりあえずの心証をとってしまう。裁判官は訴状の第一印象に、少なくともしばらくは拘束される。
たいした内容でもないのに、準備書面がやたら長いと、もうそれだけでダメ・・・。
証拠説明書は重要。裁判官は、まず証拠説明書を読んでから証拠を見る。
当事者の陳述書は証拠価値はない。それは単なる尋問のためのツールでしかない。
証人尋問の前の練習しすぎもよくない、これは言わされているなと裁判官が思ってしまう。
代理人に信頼されていない裁判官は、和解もなかなかできない。代理人とケンカしたら和解は無理。判決は書くのが大変なので、裁判官はできたら判決を書きたくない。和解のほうがいいのは裁判官の共通認識。
昔は(15年前までは)裁判所内に飲みニケーション文化があり、ほとんど毎日のように飲み会があっていた。いまは、裁判官は孤独になっている。
上でひっくり返されないように意識するというのは裁判官全員の共通認識。
岡口判事は大分出身で行橋支部長もしていました。父親は牧師です。その「要件事実マニュアル」を私が利用するようになったのは、この数年のことです。それまでは若手弁護士が身近にいましたので、利用しなくてすみましたが、今はいませんので、必携です。そしてFB仲間として、その情報発信の恩恵を受けています。
(2018年1月刊。2600円+税)
2018年3月 4日
蒙古襲来と神風
日本史(鎌倉時代)
(霧山昴)
著者 服部 英雄 、 出版 中公新書
文永の役(1274年)のときには台風は吹いていない。弘安の役のときには台風が来て、蒙古軍は手痛い打撃を受けた。しかし、それは全軍ではなく、江南軍(旧南宋軍)だけだった。
台風が通過したあと、蒙古軍は日本軍と2度の海戦を展開したが、ともに日本が勝利した。その結果、戦争継続は困難だと判断した蒙古軍は退却を決めた。
中国や高麗に戻った将兵は、戦略ミスではなく、嵐のために帰国したといって敗戦の責任を逃れようとした。つまり、大風雨による被害を強調し、誇張して、自分たちを免責しようとしたのだった。
有名な竹崎季長(すえなが)が注文して絵師に描かせた絵巻『蒙古襲来絵詞(えことば)』には台風(神風)のシーンは、まったく描かれていない。
日本は、当時、中国で産出しない木材(ヒノキとスギ)、そして硫黄を輸出していた。中国大陸には火山がほとんどなかったので、硫黄を得ることは難しかった。硫黄は火薬の材料として欠かせない。
神風史観の骨格をなす、文永の役における嵐によって一夜で殲滅(せんめつ)なるものは、幻想・虚像にすぎない。
弘安の役は4ヶ月にも及んだ。蒙古軍は志賀島に上陸して水と草(馬の食料)を確保した。日本軍は、圧倒的に強力な敵を倒すために、ゲリラ戦や夜襲を多用した。蒙古軍が志賀島を占拠したので、日本側は壱岐を攻撃目標とした。志賀島に兵員や武器・食料を送り続ける兵站(へいたん)基地を襲い、対馬・壱岐からの補給ルートを断ち志賀島を孤立させる作戦だった。
当時の日本人には、武士をふくめて「神風」が吹くと考えたことはなかった。
著者の本は、いつも極めて明快で説得的です。
(2017年11月刊。860円+税)
2018年3月 5日
世界は変形菌でいっぱいだ
生物
著者 増井 真那 、 出版 朝日出版社
いやはや驚嘆しました。すごい少年がいます。藤井6段は15歳、中学生ですが、こちらも16歳です。変形菌と10年間いっしょに暮らしながら研究を続けています。
この研究は学会にも参加しているほど、本格的なものです。10年間の蓄積があり、写真でも紹介されていますが、見事なものです。ぜひ、あなたも、この本を買うか図書館で借りるかして、写真をじっくり眺めてみて下さい。変形菌の、たとえないようもない美しさに魅入られてしまうことでしょう。
著者は、変形菌の存在をにおいでも察知することができます。
土と水のにおいを足したような・・・。土から腐った感じを抜いて、キノコから酸っぱい感じを抜いて、混ぜたようなにおい・・・。とにかく、さわやかで、やさしいにおい。これって、本当にどんなにおいなんでしょうか、知りたいです。
著者の書斎の写真がありますが、まさに研究室です。理解ある両親の下で、研究一筋ということがよく分かります。なにしろ、この10年のあいだ、毎日欠かさず変形菌を育て、観察しているのです。
1日に2回チェックする。飼育するときの餌は、オートミール。添加物の一切入っていないもの。
変形体はキレイ好きなので、汚れたキッチンペーパーを取り替えてやる。キッチンペーパーは年間30ロールも使う。
変形体は温度に敏感で、急激な温度変化にさらさないようにする。
変形体とは、変形菌の一生のなかで、ネバネバのアメーバとして動き回る形態(段階)のこと。変形体は子実体(しじつたい)に変身する。もう餌は食べないし、自分から動くこともない。子実体の役割は、胞子を外の世界に飛ばして子孫を増やすこと。子実体一つひとつの中には無数の胞子が詰まっている。たくさんの子実体が並んでいる様子は見事です。
変形菌は世界で800種みつかっていて、そのうち半分の400種が日本でみつかっている。四季が豊かで、気候や風土のバリエーションが多く、そこに季節や台風が世界の胞子を運んでくるからだとみられている。
2018年3月 6日
これからの日本、これからの教育
社会
著者 前川 喜平・寺脇 研 出版 ちくま新書
文部省の河野学校の門下生の二人が教育行政のあり方と日本の行方を議論している、味わい深い対話からなっています。
河野学校とは、惜しくも20年前に文部省の課長だった当時、47歳の若さで亡くなった河野愛さんの主宰していたサロンを名づけたものです。前川氏は6年先輩になる愛さんについて、筋の曲がったことが大嫌いで、誠意や理想を捨てない人だった、そのような河野さんの生き方が加計学園問題のときの発言にどこかで影響していたように思うと語っています。もう一人の寺脇氏も河野門下として、深い影響を受けているとし、前川氏とは兄弟子と弟弟子みたいな関係になるとのことです。
加計学園問題については、江戸時代に、将軍の威を借りた近臣が跋扈(ばっこ)したような側用人(そばようにん)政治に堕(だ)しているのが問題。それが、本当に国民のためになっているのか根本から考え直す必要があると激しく批判しています。
前川氏の考える、教育行政官として必要な心構えを三つの標語にしたら、こうなる。
一つ、教育行政とは、人間の、人間による、人間のための行政である。
二つ、教育行政は、助け、励まし、支える行政である。
三つ、教育行政とは、現場から出発して、現場に帰着する行政である。
いやあ実に素晴らしい標語ですね。さすがは、教育基本法(改正前)の前文を全部暗誦できるというだけあります。
変化が激しく、将来を見通すのが難しい現代社会では、生涯を通じて学びつづけることが必要だし、そのなかで学校教育は、知識を単に詰め込むのではなく、生涯にわたって学び続ける力をつけられるよう、その役割を大きく転換したはずだった・・・。
ところが、「教育の自由化」が叫ばれ、市場原理をそこに導入するという。株式会社が小中学校を営利事業として運営して何が悪い、こんな考え方が強くなってきた。
前川氏は、農業高校は残すべき、高校の必修科目から数学を外すべきだという考えです。数学が必修になっているせいで、ドロップアウトする子が少なくないからです。
寺脇氏は、四大反対勢力とたたかった。業者テスト廃止に反対。農業高校なんて、どうでもいい。家庭科の男女必修に反対。総合学科設置にも反対。
寺脇氏がすすめていた「ゆとり教育」については、私も誤解していました。本当の「ゆとり教育」は、個人の尊厳と個性の尊重、自由、自律という個性重視の原則にある。そうであるなら、賛成します。
学校っていうのは、勉強のできない人間のためにあるんだよ。
これは文部省のトップ事務次官をつとめた人の言葉だそうです。まさに卓見ですね。こんな人が上に立つと、下に働く人たちも仕事にやり甲斐を感じられますよね。
官僚のなかに、佐川国税庁長官のようにアベ政治をひたすら支える人ばかりではなく、気骨ある人たちがいることを知って、勇気が湧いてくる新書でした。ぜひあなたもご一読ください。
(2017年11月刊。860円+税)
2018年3月 7日
東大セツルメント法相の機関紙「歩む」 第7号
社会
川島武宜教授が巻頭言を書いています。戦前の東大ではセツルメントは白眼視されていた。医学部ではセツルメントに参加する医局生を「不逞(ふてい)のやから」視する風があった。これは戦後も同じで、法学部にも程度の差こそあれ存在していた。有力な人、権力者の側につくことはやさしいが、有力でない人、下積みの人、権力に支配される人の側につくには勇気がいる。しかし、まさにそれゆえに、セツルメントへの参加は、若い学生諸君にとって、良心をテストし良心をきたえる数少ない機会の一つとなるように思われる。
アイちゃんが所属していたのは古市場ハウスのセツル法相です。ここではセツルメント診療所を中心として保健部、栄養部、児童部そして青年部が連絡協議会をつくって、総合的なセツルメント活動をすすめていました。参加するセツラーは全体30人を超え、法相も16人と史上最高のメンバーでした。アイちゃんは2年生7人のうちの1人です。火曜日の定例相談日のほかに金曜日を生活相談日と設定して、家庭訪問を中心とする活動をすすめていったのです。
アイちゃんはセツル法相の文書に「ケース・ワークへの取り組み」という一文を載せています。セツルメント診療所で神経科特診日をもうけたところ、18人もの人がやってきた。その人たちがなぜ精神病になったのか、その背景、原因をアイちゃんは考えます。小さい頃から貧しかった。女工として重労働に耐えきれずに体をこわした。クビになってヤケ酒をあおるうちに神経が侵された。この現実を見ると、精神病が先天的なものであり、手のほどこしようのない、仕方のないものだという考えは捨てざるをえない。誰もがいつ精神病だと認定されるのかもしれないのだ。
これらの人たち一人ひとりを法相セツルのセツラーたちは受けもち、その背景をさぐり、何が彼らをこうしてしまったのかを突きとめようと考え行動をはじめました。この活動は、ハウスにやって来る人たちに法律的な手助けをしようという従来の法相の活動とは異なるものだ。
アイちゃんたちは、一軒一軒の家庭を訪れ、図々しくあがりこんで話を聞き出し、その生活環境や生い立ちを洗いざらい引き出し、その人を精神病に追いやった背景を探っていく。アイちゃんはこのような活動について、これは社会の現実の姿を掘り下げる第一歩であるが、法相という表看板が何ら用をなさない場合が多いとする。
「法律で精神病はなおせない」「法律は資本家のためにある。労働者の味方にはなってくれない」「法律でご飯を食べられるか」「オレたちがこうすりゃ法にひっかかる。ああすりゃポリに捕まる。結局、何もできねえ」...。
こんな声を聞くと、法とは何なのか、法を学び、法をつかって我々は何をしようとしているのか考え直さざるをえない、アイちゃんはこのように考えました。
法相が、「法律」を表看板にするのではなく、もう一度壁をつき破り、地域の諸問題と取り組むなかで、法律を有力な武器として使っていく、そのような方向を追及することが今後の法相の姿ではないか、こうアイちゃんは提起します。
ぼくらは、このころ川崎市の労働者居住地域である古市場でそれまでの児童部、青年部だけでなく、栄養部、保健部といった学生の専門を生かしながら相互に連携して地域の人々の多面的な要求にこたえられる綜合的セツルメント構想をすすめていました。アイちゃんは法相セツラーとして、この構想の具体化を考え実践していたのです。新しい法相が市民部的役割を生せるようになったら、素晴らしいことだと展望を語っています。
アイちゃんがこれを書いたのは、文中に「2月9日」とあるので、ぼくらが駒場にまだいた1969年(昭和44年)3月だと思います。東大闘争で、1月に安田講堂「攻防戦」があり、確認書が取りかわされ、学内が正常化しつあった時期です。まだ正規の授業はほとんどなかったので、ヒマをもてあました学生たちは古市場という地域に気軽に通うことができました。そろそろ法律を専門的に勉強しよう、でも、何のために法律を勉強しようというのか、アイちゃんは法学部に進学する前、真剣に考えて、模索していたことになります。
(昭和44年4月。非売品)
2018年3月 8日
最後の「天朝」(下)
中国
(霧山昴)
著者 沈 志華 、 出版 岩波書店
北朝鮮で金日成が党内で静粛を強めて絶対的独裁体制をうちたてることができたのは、毛沢東が金日成への懐柔政策をとったことにも起因している。なるほど、そういうことだったんですね。
北朝鮮内の中国派は毛沢東のうしろだてをあてに出来なくなった。かつて延安で中国共産党と肩を並べて戦い、その後、逆境のなかで中国に亡命した数多くの朝鮮人幹部は、中韓関係改善の犠牲になった。これを背景として、中国義勇軍は朝鮮から撤収していった。
1953年7月に朝鮮戦争が休戦したとき、中国義勇軍は北朝鮮内に120万人いた。1957年末でも30万人いた。1958年に中国義勇軍が完全撤収したが、その最大の恩恵を受けたのは金日成だった。金日成は党内のライバルの一掃に成功し、10万人の「敵対・反動分子」を追放した。そして、金日成に対する個人崇拝が復活した。
中国で毛沢東が大躍進をうたったとき、金日成は朝鮮で「千里馬」運動を打ち出した。1958年のこと。毛沢東は、「大躍進」を金日成から絶賛され、全力で追随されたことから、他の諸国からの反響が乏しかったこともあって、金日成を完全に見直した。それで、北朝鮮の「千里馬」を支援した。
「大躍進」の実体はひどいものだったので、彭徳壊が批判したところ、毛沢東は激怒した。
中国とソ連が対立するなかで金日成をどちらが取り込むか、また、金日成はどちらにつくかという問題が起きた。フルシチョフは、毛沢東が金日成を批判した会談記録を金日成に見せた。その結果、金日成は、もう二度と中国人を信用せず、再び中国に行くことはないと断言した。北朝鮮を一段と抱き込むため、フルシチョフは金日成からの経済要求の大半を受け入れた。1960年6月、中ソ論争がピークに達したとき、フルシチョフは、中国共産党を孤立させるため、金日成をモスクワに招いた。
中国にとって、1960年から62年はもっとも苦しい時期だった。ベトナムへのアメリカの侵略がエスカレートしていて、ソ連との関係は悪化し、国内の経済生活はどん底の状態にあった。そのなかでも北朝鮮には援助を与えていた。
毛沢東は北朝鮮に対して領土面でも譲歩した。北朝鮮では、金日成の息子である金正日は白頭山の密営で生まれたとされてきた。真実はソ連領内で出生したのだが、あくまで白頭山神話が必要だった。このとき、毛沢東は、金日成に大きく譲歩した。毛沢東は、当時の中国が経済的な苦境にあったことから、世界の社会主義陣営のなかで孤立しないよう朝鮮の支持を取りつけたからである。
中国で毛沢東が文化大革命を発動すると、金日成も、それをまねて、金日成に対する大規模な個人崇拝運動をすすめた。ところが、金日成は、文化大革命そのものには抵抗し、批判するようになった。
1971年7月、ニクソン大統領の特使としてキッシンジャーが極秘に中国を訪問した。米中接近は北朝鮮にとって大変なショックだった。金日成は、ニクソンの訪中は勝利者の前進ではなく、敗北者の細道だと評した。アメリカ帝国主義が泥沼にはまって、哀れだというのである。
毛沢東と金日成という二人の独裁者の駆け引きの過程が生き生きと分析されている本格的な研究書です。
(2016年12月刊。5800円+税)
2018年3月 9日
憲法的刑事弁護
司法
(霧山昴)
著者 木谷 明 、 出版 日本評論社
今や日本の刑事弁護人の最高峰の一人として名高い高野隆弁護士の実践が語られ、刑事弁護人とはいかなる存在でなければならないかが明らかにされている本です。
この本が高野弁護士の還暦を記念するものであることに少々驚かせられました。というのも、古稀を迎えようとしている私より10歳も年下になることを知って愕然としたのでした。
編集代表の木谷明弁護士は浦和地裁で裁判長として刑事法廷で高野弁護人と何回となく対峙した経緯を有しています。
高野弁護人の法延における弁論は、いずれも事件の本質を突くもので、容易に排斥することができない。主張・立証の仕方も実に巧みであった。そして、高野弁護人は裁判員裁判において、天馬空を行くがごとく、次々に無罪判決を獲得していった。
いったい高野弁護士は、他の一般の弁護士と、どこが違うのでしょうか、、、。
「一貫して本当のことを言えば、真実は必ず解明される」
これは弁護人、検察官そして裁判官に共有されている観念です。しかし、この本はそんなものは、まったくの神話にすぎず、偽計だとします。高野弁護士は見事に喝破したのです。
この本に、木下昌彦准教授が接見禁止が例外的な制度ではないとする小論を載せています。それによると、1994年までは接見禁止のついた裁判は2万件程度で、増えていなかった。ところが、1995年から増加に転じて、2003年には5万件を突破した。その後、2010年に3万6千件に減少したものの、2015年には再び4万件をこえている。
そして、接見禁止率は1995年に25,7%だったのが、2015年には37,8%となっている。接見禁止は例外的な制度ではないと言わざるをえない。かつてのような暴力団事件や公安事件だけではない。そして、第1回公判期日まで、というのも公判前整理手続に長期間かかると、接見禁止期間も長くなる傾向にある。
この本では、座談会がとりわけ読んで面白い内容になっています。高野弁護士は弁護士になって4年目にアメリカに留学し、2年間、憲法、証拠法、刑事手続法を猛勉強した。そして、アメリカで弁護士の仕事は、憲法価値によって依頼者の人間性を守る最後の砦となることだと学んだ。
わが国の刑事被告人は、裁判官による裁判を本当に受けているのか、という問いが投げかけられる世の中に、高野弁護士は日本で弁護士として再スタートした。そして、弁護士には絶望する権利はない。なぜなら依頼者にとっては弁護士しかいないからだと高野弁護士は喝破する。
「赤ん坊殺し」とされた被告人の供述調書に、出産経緯のない警察官が勝手な想像で、現実にはありえない現状を刻明に記述しているというものがあったとき、やはり出産経緯のある女性弁護士の追及は力になります。男にはまったく分からない世界ですね、、、。まあしかし、現実には、それなりにつじつまのあう供述調書を裁判官はそのまま鵜のみにすることが残念ながらほとんどです。
裁判官が公正な第三者としての立証を捨てて、検察官の後見人になってしまっている。そんな法廷を、この40年以上のあいだ、私も何度も体験しました。
高野弁護士は、法廷で次のように弁論する。
「裁判長。刑事裁判というのは、イメージや推測で行われてはなりません。刑事裁判は、証拠にもとづいて行われなければなりません。証拠を検証し、常識にしたがって判断して、被告人が訴因について有罪であることは間違いない、そういう確証がなければ、被告人は無罪でなければなりません。証拠を検証し、常識にしたがって判断して、被告人が有罪であることに一つでも疑問があったら、無罪の判断をしなければなりません。これは刑事裁判の鉄則であり、絶対に守られなければならないルールです。このルールが守られることによって、我々の自由な社会が維持されているのです」
法廷で、この真理をゆっくりした口調で、しかも明快に目の前で説かれたら、聞いている人は皆、金しばりにあったようになること間違いありません。それだけ、高野弁護士の言葉には重みというか力があります。
375貢と大部で、4200円もする本ですが、弁護士にとって一読の価値は大いにある本です。
(2017年7月刊。4200円+税)
2018年3月10日
「反戦主義者なること通告申し上げます」
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 森永 玲 、 出版 花伝社
長崎県島原半島に生まれた末永敏事(びんじ)は、結核を研究する医学者であり、アメリカに留学して研究し、日本に帰国しても結核研究にいそしんでいた。
末永敏事は、1938年(昭和13年)、茨城県知事に対して、次のように書面で申告した。
「ここに私が反戦主義者なることを、および軍務を拒絶する旨通告申し上げます」
51歳の末永敏事は、この申告の直後、特高警察に逮捕された。
末永敏事は、1887年(明治20年)に島原半島の北有馬村今福で生まれた。実家は代々の医家だった。末永敏事は、長崎医専(長崎大学医学部)を卒業したあと、台湾に渡った。その後、アメリカ・シカゴ大学で学んだ。内村鑑三と交流があった。そして、日本に帰国してからは、古里に戻って「村医者」となった。ところが、キリスト者として反戦主義者である末永敏事のいるところではなくなり、茨城県へ転居した。
末永敏事の申告について、当局は不敬罪の適用を敬遠した。不敬は日本国民にあってはならないこと。当局は、不敬罪容疑の摘発にこそ取り組んだが、その送検・起訴には消極的だった。なぜなら、訴追したら、その状況が目立ってしまうから。まるで天皇制へ不信感が日本国民に広まっているように自ら認めることになりかねない。それは当局にとって不都合だった。
そこで末永敏事は、造言飛語罪で起訴されたが、本人は法廷をふくめて無言を貫いた。その結果、禁固3ヶ月となった。そして、末永敏事は1945年8月25日に東京の清瀬村で死亡したことになっているが、その死亡状況は判然としない。
医者として結核をアメリカに渡ってまで専門的に研究して成果をあげていた真面目な医学者が戦前の戦争推進体制の下で有罪となり、その死亡状況すら不明というのです。戦争体制による悲劇の一つだと思いました。
長崎新聞に2016年10月から連載されていたものが一冊の本となりました。価値ある歴史掘り起しの一冊です。もっと新事実が出てくることを期待しています。
(2017年7月刊。1500円+税)
2018年3月11日
牛天神(うしてんじん)
日本史(江戸)
著者 山本 一力 、 出版 文芸春秋
団塊世代で、私と同年生まれの著者の本は、いつ読んでも素晴らしく、江戸情緒あふれる一力(いちりき)ワールドにぐいぐいと引きずり込まれ、その心地よさがたまりません。必ず人情味ある人物が登場してきて、ほっと救われるのです。
殺人事件が起きるのではありません。商売上のいざこざをうまく解決していくのです。
時代は老中田沼意次(おきつぐ)の時代のあと。松平定信の安政の改革で棄捐令が発布され、江戸の景気が一気に冷え込んでいくなかで、商売人同士が蹴落としあうのではなく、なんとかお金がまわるように工夫し、しのいでいく様子が描かれています。
神田川、柳橋そして深川という地名が舞台です。質屋、損料屋、料亭など、たっぷり江戸の人情話を堪能できました。
この本の最後に、「オール読書」に2012年5月号から2017年8月号まで足かけ5年の連載とあるのを見て、小説家の息の長さに驚嘆しました。
(2018年1月刊。1700円+税)
2018年3月12日
決断
司法
著者 大胡田 誠 ・大石 亜矢子 出版 中央公倫社
全盲のふたりが、家族をつくるとき。全盲の弁護士と同じく全盲のピアニストが出会い結ばれて二人の子どもをもうけ、家庭を築きあげていく過程が語られています。
実際には毎日、大変な苦労があったことと思いますが、読み手の心を重くするどころか、ああ、人生って、こんなに素敵な出会いがあるんだねと、何かしら明るい希望をもたせてくれる爽やかなワールドへ誘ってくれます。
ちょうど花粉症の症状が出はじめていた私は、電車のなかで読みながら、目と鼻から涙なのか汁なのか分からず水様性のものがポタポタ垂れてきて、周囲に変なオジさんと思われないようにするのに必至でした。
妻は、出生したとき1200グラムの未熟児度。そのため、保育器に入れられ高濃度の酸素を与えられて網膜が損傷して失明した。光を認知できないので昼と夜が逆転してしまうことがある。昼も夜もない世界に住んでいるので、深夜を昼間と勘違いして深夜の3時ころ、靴音の違いを知ろうと遊んでいたころがある。
夫は、新生児の3万人に1人にあらわれる遺伝性の先天性緑内障のため小学6年生に完全に失明した。父親は、失明する前も失明したあとも、子どもたちを山のぼりに連れでいった。弟も同じ病気で失明している。FMラジオの音を頼りに、前へ、前へと進むうちに、見えないにもかかわらず、つまずいたり、転んだりしながら、前にある障害物や危険な穴などを察知する能力を体得すること、これを父親は求めた。すごい父親ですね、すばらしいです。勇気もありますね。
夫は中学生とき、学校の図書館で、竹下義樹弁護士(京都)の『ぶつかって、ぶつかって』という本に出会います。そして、そうだ、ぼくも竹下さんのような弁護士になろうと思ったのです。竹下さんの本はこのコーナーでも紹介したと思いますが、あらゆる苦難を乗りこえる力強い呼びかけに満ちています。そして、その呼びかけに中学生がこたえたのです。夫は、5回目の司法試験で合格しました。全盲の受験生は、4日間で36時間30分の試験時間ですから、朝から夜まで試験を受けている感じ。一般の受験生は22時間30分ですから14時間も余計に長いのです。これは大変ですね・・・。29歳で合格し、今は弁護士として立派に活動中です。前の本『全盲の僕が弁護士になった理由』はテレビドラマ化させたそうですね。
耳が慣れているので、パソコンでの読み上げ速度は普通の2倍に設定している。おかげで目で文字を追うのと遜色ない早さで文章を耳で読むとことができる。たいしたものです。
読むとモリモリと元気の湧いてくる本です。負けてはおれないなと気にさせてくれます。人間の能力のすごさ、無限の可能性を実感させてくれる本でもあります。決してあきらめてはいけないということです。
これからも、お二人には無限なくがんばっていただくことを心より願います。
(2017年11月刊。1500円+税)
2018年3月13日
異色の教育長、社会力を構想する
社会
(霧山昴)
著者 門脇 厚司 、 出版 七つ森書館
学校教育のあり方を教育長経験者が鋭く告発する本であると同時に、あるべき姿も呈している頼もしい本です。
ながく教育研究者であった著者が、ひょんなことから(交通事故で瀕死の重傷を負い、一命をとりとめたのです)、居住する村の教育長を引き受けた6年あまりの活動をふり返った本です。ですから、学校現場のことがよく分かっていて、教育長ががんばれば、それなりのことが出来ることを証明しました。
私が感嘆したのは、「選書会」です。中学校に300万円、小学校には100万円を振り分けて、生徒全員に1人3冊まで選ぶ権利を与えます。合計600万円の予算で、業者に2000冊の本(マンガ本ははいっていません)をもってきてもらって、授業時間1コマを丸ごとつかって本を子どもたちに自由に選ばせ、図書館に置いて貸し出すのです。これでは子どもたちは図書館に通うようになりますよね。本好きは、新たな世界へ飛び出すのを助けます。この試みを幼稚園にまで広げた(ただし50万円)というのですから、たいしたものです。
そして、「ノーテレビ、ノーゲーム」運動を推進します。
さらに、「読み合い」です。これは、「読み聞かせ」ではありません。これまで会ったことのない2人が絵本を媒介にして仲良くなるきっかけにすることを主たる狙いとした取り組みです。
また、「おんぶ、だっこ運動」というのも実現させました。体育館のなかで、他の子をおんぶして一周する。また、他の子をだっこして一周する。これで、他の子と体と体を接することになり、相手の重さや体の温かさ、ときには特有の匂いにも気がつく。他者に対する親近感が高まり、クラスのまとまりが良くなり、いじめがなくなっていく。さらには、子どもの背筋力が向上する。
いいですね、いいですよね、こんな工夫って・・・。
そして、著者は学力向上路線からの離脱を宣言します。子どもたちが授業が楽しいと思えるようにするのです。勉強が楽しいと子ども思っていると、結果的に学力は向上します。うん、うん、そうなんですよね・・・。
また、キッズ・カンパニーを設立し、子どもたちがサツマイモをもとに商品として売り出す機会を与えます。もうけたら、村に税金を払ってもらいます。残ったもうけは子どもたちのために使われます。いやあ、楽しいですね・・・。
日本の教員は世界でも珍しいほど忙しい。朝7時から夜10時まで、働かされている。そして、その結果、日本の教員は勉強せず、自分の頭で考えなくなっている。その能力が「ほどほど」で、求められている水準に達していない。従順さはあっても、子どもたちの将来を考えようという視点に欠けている。
「ゆとり教育」は、知識偏重を憂い、人間らしい人間の育成を目ざすという目的だったが、現場の教員たちは何をしていいのか分からず混乱してしまった。
新しく教員になったうちの4分の1しか教員組合に加入しない。今では、教職員組合の存在感は薄い。
著者は、教員はもっと本を読み、勉強し、自分の頭で考えること、上からの指示にひたすら従うだけではいけないと強調しています。まったく同感です。そして、そのためには、もっと教員が学校でゆとりを感じられるようにする必要があります。まったくムダなイージス・アショアに2000億円を投じるなんてことをやめて、教育予算を増やしたらいいのです。そして、日の丸、君が代、そして教育勅語を押しつけるなんてバカなことをやめましょう。学校の教員をのびのびさせたら、子どもたちもハッピーになり、日本の未来も開けてくること間違いありません。
ところで、著者は、今はつくば市教育長です。続編が待たれます。楽しみです。
とても画期的な、いい本でした。あなたもぜひ図書館で借りて読んでみてください。
(2017年12月刊。2800円+税)
2018年3月14日
レーニン、権力と愛(上)
ロシア
(霧山昴)
著者 ヴィクター・セベスチェン 、 出版 白水社
大学生のころ、レーニンの著書は私の愛読書でした。日本語訳の出来が良かったこともあるのでしょうが、社会分析と運動論が鋭くて、いつも驚嘆、感服していました。
レーニンが若くして病気で亡くなっていなければ、スターリンによる暴政(圧政)もなかったと思うのですが・・・。プーチン大統領の祖父がレーニンの料理人だったというのも不思議な縁ですよね・・・。
この本は、レーニンが妻のクルプスカヤ(ナージャ)とは別に愛人(イネッサ・アルマンド)がいたことも重視しています。なるほどレーニンの私生活では大きな比重を占めていたのかもしれません。でも、フランスのミッテラン大統領が、「エ・アロール?」(それで、何か問題なの?)と言ったというセリフを私も言いたくなります。
1917年10月のペトログラードでは、銀行も店も工場も正常どおり操業していて、路面電車も走っていた。劇場には満員の観客がいて、レストランも満席だった。誰も革命が進行していることを知らなかった。200万人の人口の大都市で、蜂起に加わったのは、最大でも1万人だ。
レーニンは母親とほとんど会っていないけれど、定期的に母親へ手紙を書いて送っていた。母親はレーニンが無条件で愛情を示した唯一の人間だった。レーニンの母親にはユダヤ人の血が入っていたが、レーニン自身は、そのことを知らなかった。
レーニンの兄はロシア皇帝の暗殺未遂によって、21歳で絞首刑となった。帝政ロシアの最後の25年間に大臣、県知事、高級官吏、陸軍高級将校など、2万人ほどが革命グループによって暗殺された。
レーニンは弁護士資格をとったが、弁護士として活動した期間は長くない。レーニンは、弁護士を憎んでいた。
「弁護士は強権的に支配し、非常事態下に置き続けなければならない。なぜなら、このインテリのくずは、しばしば汚い手を使うからだ」
ええっ、そこまで言わなくても・・・と、弁護士である私は悲鳴を上げます。
レーニンは、その一生涯に家族や友人などへの手紙を除いて1000万語以上を執筆し、出版した。レーニンの文章は明晰で説得力があり、非常に効果的にアイロニーを使った。レーニンは自分では外国語に堪能だと考えていたけれど、実際には、そうではなかった。ドイツ語、英語、フランス語を勉強していたが、会話は初め、あまりできなかった(あとでは話せた)。
ロシアの秘密警察はレーニンがどこにいて、何を書いているのか、どの集会で演説しているのかを常に把握していた。
レーニンは、あまりにも人を信じやすい人柄だった。レーニンは、マリノフスキーを信用していた。マリノフスキーが秘密警察のスパイだという証拠が出てきて初めて、レーニンは「ろくでなしの正体が見抜けなかった、なんたる豚野郎だ」と自分自身をののしった。陰謀と謀議に明け暮れ、他人に対して容赦がなく、猛烈に秘密好きな人間にしては、レーニンは無邪気にも信じやすい一面があった。
レーニンは、組織運営に関する洞察力をもっていた。レーニンは、鉄のような意思と不屈のエネルギーを体現していた。レーニンは食べ物に興味がなかった。レーニンは猫を愛した。レーニンは整理整頓を旨とした。レーニンは、コミューンから離れたアパートに住むことにこだわった。
レーニンは金持ちだったことはなく、派手な生活をしたこともない。しかし、お金に困ることもなかった。質素に暮らしていた。
初期のレーニンがもっていた最大の手腕は、楽観的な考え方と希望を鼓舞する力である。レーニンは、意気盛んで、快活な人間に囲まれていることを好んだ。ゴーリキーは、レーニンについて、人間としては好きだが、政治家としては嫌いだという立場を崩さなかった。
レーニンは、個人の暗殺や体制の特定メンバーを暗殺の標的にすることに意味があるとは考えなかった。それは無意味な「一騎打ち」だと論じた。
レーニンの最大の特技の一つは、会議をまとめること。レーニンは、相手を取り込み、命令する能力をもっていた。レーニンは、それが自分の主張にあうと考えたら、戦術を180度転換することができた。
レーニンは祖国ロシアの敗戦を望んだ。敗戦が革命の火種(ひだね)になると考えた。
ロシア革命が起きて100年たちました。今では「資本主義、万歳!」と叫んでいるのは1%の人々だけなのではないでしょうか・・・。多くの人々は、共産主義はひどい結果をもたらしたけれど、資本主義だって似たようなものだと今では考えているように思います。マルクスやレーニンの目ざしていた理想を今あらためて考えてみてもいいように思うのです。なんといっても、99%の人々が明るく、食べていける生活を実現すべきだと思うからです。
(2017年12月刊。3800円+税)
2018年3月15日
変動期の日本の弁護士
司法
(霧山昴)
著者 佐藤 岩夫・濱野 亮 、 出版 日本評論社
このタイトルだと、弁護士生活も40年をとっくに過ぎた私は手にとって読まなければなりません。なぜなら、私はいったい日本の弁護士として、どんな位置にあるのか知りたいからです。もちろん、場所的には片田舎の弁護士でしかなく、大企業の顧問など無縁ですし、国際取引などしたことも、しようとしたこともありません。そして、労働者の側に立ちたいと思って弁護士になりましたが、実際に労働者側代理人として事件にあたったことは数えるくらいしかありません。もちろん、企業側に立って労働事件をしたことは、もっと少ない(業務上横領事件で解雇する側につきました。今でも、受任したのはやむをえなかったと考えています)のです。
この本は、2010年の日弁連による弁護士経済基盤調査のデータをもとにして議論されています。この調査は、私も一会員として回答したように思います。
弁護士人口は急増中。1980年に1万1千人だったのが、1990年に1万3千人をこえ、2000年に1万7千人をこえた。ところが、2000年代に入ると増加のスピードが加速し、2010年に2万9千人近くになり、2014年には3万5千人を突破した。これは2000年からの10年で日本の弁護士が一挙に2倍に増えたということ。
この弁護士急増については、弁護士会のなかには司法改革失敗だったと批判する人が少なくありませんが、この本は別の視野で問題提起をしていて、私はなるほどそういう面はあるよね、そう思いました。
弁護士人口の拡大は、中長期的に見れば、弁護士が果たしうる役割の対する日本の社会・経済の期待が従来よりも多様かつ広範囲に拡大していることに理由がある。
そうなんです。弁護士の知恵と力は、もっと社会の隅々にまで浸透する必要があると思います。それは過疎地だけでなく、過労死するまで働かされている大企業の職場にまで、弁護士の影響力が及ぶべきだということです。企業内弁護士は増えていますが、それは企業側の立場でしかありません。それとは別の視点からの弁護士活動があってもいいように私は思います。
かつて(1980年代)の弁護士の仕事は、債権回収と不動産を扱う訴訟事件が中心だった。しかし、今や、それが大きく変わりつつある。なるほど、私の扱う事件も大きく変わりました。今では家庭内のさまざまな争いに関与することが圧倒的に多くなりました。強烈な感情がからむことの多い事件ですから、関与する私たち弁護士の側も相当に疲れます。
弁護士の勤務形態としては、単独弁護士が減って、大量の「勤務弁護士」が増えている。私の法律事務所も最高で6人、今は4人の事務所です。
私は「単独」でやっていく自信はまったくありません。というのは、ネット検索をする意思も能力もないからです。今どき珍しいと笑われるかもしれませんが、スマホではなくガラケーですし、いつもはカバンの中に入れていて、ケータイを使うことはほとんどありません。
メーリングリスト(ML)は見てはいます。私の個人ブログもありますが、入力はしませんし、できません。するつもりもありません。こんな私もワープロの時代までは自分で入力していました。
この本によると、大規模事務所ではタイムチャージ方式で経営が成り立っているとのことです。訴額が小さく、弁護士報酬がそのままでは低額になりそうな事件では、たしかにタイムチャージが良さそうです。でも、私の40年以上の経歴のなかでタイムチャージはやったことがありませんし、パソコンそのものが苦手なので、挑戦しようと考えてもいません。
集中審理方式について、私は一般論としては賛成しますが、自分について言えば、やってほしくない審理方式です。大量の訴訟・交渉案件をかかえている「田舎の弁護士」としては、回転率を上げることが必要不可欠なのです。
弁護士の所得が一般的に低下したことは間違いないと私は考えています。しかし、東京の大企業を顧問先としている弁護士たちはアベノミクスの意思を受けて相変わらず超高景気のようです。地方の弁護士は、昔ほどはもうかってはいないというレベルではないのでしょうか・・・。一定年齢以上の弁護士は、そこそこの収入を確保していると考えています。
そして、国民一般の弁護士に対するイメージの低さには驚かされます。「大企業の味方」、「金持ちの味方」、「国・行政の味方」とあります。
弁護士自身は、私も含めて、弁護士イメージは、社会的弱者や少数者の味方であるとしています。このギャップは埋める必要があるように思います。
学術書なので、仕方のないことなのでしょうが、これで5000円は高いと思いました。
(2015年2月刊。5000円+税)
2018年3月16日
ハッパのミクス
アメリカ
(霧山昴)
著者 トム・ウェインライト 、 出版 みすず書房
いろいろと大変勉強になりました。刑務所の処遇を非人間的なものにしておくことは、マフィア予備軍を養成しているようなもので、安上がりのつもりが、かえって社会的コストは高くつくことになる。なーるほど、です。
マフィアはフツーの商取引、たとえばゴミ収集・処理にも介入していて、2~5%の手数料をとる(5%のときには、政治家が2%とる)。これは、日本の建設会社と暴力団の関係と同じです。
コカイン(ヘロイン)のアメリカの得意客には、白人の中年女性が大きな比重を占めている。薬物依存症の人々だ。アメリカの医師がオピオイド系鎮痛薬を処方すると、その過剰処方によって薬物依存症の患者が生まれる。アメリカのヘロイン中毒者の3人に2人は、処方鎮痛薬の乱用から依存症にすすんだ。
アメリカでは年間170万人が麻薬がらみで逮捕されていて、25万人が刑務所に収監されている。違法薬物との戦いに年間200億ドルを拠出している。1990年代以降、アメリカのコカイン常習者は150万人から200万人のあいだで推移している。
コカインは世界各国で消費されているが、そのほとんどが南米の3ヶ国、ボリビア、コロンビア、ペルーに発する。コカイン畑の掃討作戦は成功をおさめてきたはずだが、実際には、コカイン市場は変わらず持ち直している。南米におけるコカの作付面積は25%も減少したが、生産効率の向上によって、コカインの量はむしろ3割ほど増加している。アンデス地方で軍が続けているコカ掃討作戦は、どうみてもムダでしかない。
メキシコでは麻薬カルテルの紛争激化で6万人のメキシコ人が死亡した。エルサルバドルでは対立していた2派が手打ちしたため、4000人ものエルサルバドル人が救われた。
ドミニカの刑務所には定員1万5000人のところに2万6000人が押し込まれている。殺人は日常茶飯事で、大量虐殺も珍しくない。
犯罪組織にとって、刑務所は人材の獲得や訓練の重要な拠点となっている。囚人は、犯罪集団に雇われ、訓練を受け、出所後の仕事を約束される。カリブ海諸国の犯罪者たちは、悪臭ただよう刑務所を求人センターとして利用し、人材確保の問題を解決している。
メキシコの刑務所では、囚人たちが、エアコン、冷蔵庫、DVDプレイヤー完備の贅沢な監房をつくっていた。
ラテンアメリカの刑務所の大半は軍や警察が運営している。この状況は悲惨だ。軍や警察の底辺の人々が仕事をしている。しかし、ドミニカ共和国は、従来の3倍の給料で職員を働かせている。そのため職員を買収するのは難しくなる。
劣悪で危険な環境に置かれると、囚人は身の安全や特権を求めて犯罪集団に加わる。刑務所を安全な場とし、職業訓練をほどこせば、出所後に犯罪以外の道に進む選択肢が生まれる。
麻薬密売人は、運び屋の家族の住所と氏名を確認している。裏切ったら家族への報復がある。
小物のギャングと巨大な組織犯罪グループが手を組む一番シンプルな方法はフランチャイズ契約を結ぶこと。ただし、これも、系列組織のたったひとつの大失敗がカルテルの上層部に大打撃を与えるというリスクがある。
違法薬物は、今ではインターネットのオンライン・ショッピングで簡単に入手できるようになっている。そして、その支払いはビットコインでできる。
なるほど、世の中はこうなっているのか、いろいろ考えさせられる本でした。日本でも広く読まれるべき価値のある本だと思います。
(2017年12月刊。2800円+税)
2018年3月17日
写真で読む三くだり半
日本史(江戸)
写真で読む三くだり半
(霧山昴)
著者 高木 侃 、 出版 日本経済評論社
江戸時代、夫は自分勝手な理由で妻と離婚して家から追い出すことが出来た。これがかつての確立した通説でした。しかし、今は著者の長年の研究成果によって、これは間違いだとされています。この点は今では高校の教科書にも反映されています。
江戸時代の女性の地位は、これまで考えられていたほど低いものではなかった。「三下り半」(みくだりはん)は、妻にとっての再婚許可状だった。
「三くだり半」が夫の妻権離婚を示すものというのは、まったくの誤解なのです。むしろ、江戸時代の日本女性は亭主を尻に敷いていたことは、当時の世相をあからさまに明らかにした『世事見聞録』によっても明らかです。
また、明治になってからも、女性は自由に離婚・再婚を繰り返していました。これは、戦前の熊本県で民俗調査をしたアメリカ人学者夫妻が実証しています(『須恵村の女たち』)。
離縁状(離婚のときの「三下り半」)が3行半になっているのは、中国の離縁状の模倣であるというのが著者の見解です。
「勝手につき」とあるのは、妻に責任がないこと、妻の無責性を表明しているだけのこと。妻に落ち度があったとしても、それを言わずに自ら(夫)が悪い、責任があると表明した。これによって、男性は男子の面目を施した。つまり、夫権優位の名目(タテマエ)を保ったのである。
妻から離婚を請求したときは、妻のほうが趣意金(慰謝料)を支払う必要がある。なお、妻の残余の財産は返還された。
朱肉は当時、ほとんど使われていなかった。堺と江戸・京都に朱座が設置され、朱と朱墨を独占的に販売している権利を幕府から認められていた。
妻が前夫から離縁状をもらわず再婚したら刑罰が科せられた。離縁状なく再婚した妻は、髪を剃り親元に帰された。また、夫のほうも離縁状を前妻に渡さずに後妻を迎えると、「所払」(ところばらい)の刑罰が科せられた。
著者の収集した離縁状が100枚もの写真つきで紹介され、詳しい解説があります。ひょっとして江戸時代は今よりも自由に離婚していたのでは・・・。そう今の私は考えています。少なくとも誤解しないようにしたいものです。
(2017年10月刊。3200円+税)
2018年3月18日
ビキナーズ・ドラッグ
社会
著者 喜多 喜久 、 出版 講談社
製薬会社で、新薬をつくり出す過程が面白く展開していきます。珍しい病気の症状とそれに合う新薬の化学式がいかにも詳しく、ありそうに思えます。ですから、こりゃあ取材が大変だったろうなと思って読み終わり、著者の略歴を知ってナットクしました。
著者は、なんと東大の薬学系大学院を終えて、大手製薬会社に研究員として勤めていたようです。なるほど、道理で製薬会社内の動きが真に迫っているわけです。
要するに、製薬会社は絶えず新薬を開発して成績をあげていく必要があるのです。しかし、新薬をつくり出すのは簡単なことではありません。人間とお金を投入しても、必ず成果を上げられるという保証は何もありません。たいていの新薬創生への取り組みは、結局のところ失敗してしまうのです。
営利会社として先行投資にも限度があります。しかし、たまには採算を度外視して冒険に乗り出さないと会社に勢いがなくなり、ついには事業の存在自体が危うくなってしまいます。その前に優秀な社員から、いち早く逃げ出していくのです。
新薬開発という、なじみの薄い分野で、読み手をハラハラドキドキさせながら、ひっぱっていく筆力はたいしたものです。民事裁判の前後と、わずかな待ち時間まで本を開いて読みふけってしまいました。
(2017年12月刊。1500円+税)
2018年3月19日
憲法の無意識
司法
(霧山昴)
著者 柄谷 行人 、 出版 岩波新書
とてもユニークな憲法9条論です。ええっ、こんな観点で考えることもできるのか・・・、と驚きました。
9条は、むしろ「無意識」の問題。保守派の60年以上にわたる努力は徒労に終わった。
9条は 憲派によって守られているのではない。その逆で、護憲派こそ憲法9条によって守られている。
9条は明らかに占領軍の強制のよるもの。しかし、憲法9条が強制されたものだということと、日本人がそれを自主的に受け入れたこととは、矛盾しない。
憲法9条は自発的な意思によって出来たのではない。外部からの押しつけによるもの。しかし、だからこそ、それはその後に、深く定着した。もし、人々の「意識」あるいは「自由意思」によるのであれば、成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていただろう。
マッカーサーの意図は、天皇制を維持することにあった。戦争放棄は、そのことについて国際世論を説得するために必要な手段であった。しかも戦争放棄は、マッカーサーよりも、むしろ日本の幣原首相の「理想」だった。
昭和天皇の関心は、何より皇室の維持にあった。そのためには、忠臣だった東條英機を非難し責任転嫁も辞さなかった。昭和天皇にとって、次に重要だったのは、日本の安全保障。そのため、米軍による防衛をマッカーサーに求めた。
憲法1条と9条とは密接につながっている。9条を守ることが1条を守ることになる。
9条における戦争の放棄は、国階社会に向けられた「贈与」なのだ。贈与によって無力になるわけではない。その逆に、贈与の力というものを得る。日本が憲法9条を文字どおりに実行に移すことは、自衛権の単なる放棄ではなく、「贈与」となる。そして、この純粋贈与には力がある。その力は、どんな軍事力や金の力よりも強い。
新自由主義とは、それまでの自由主義の延長上にあるのではなく、その否を。新自由主義は新帝国主義と呼ぶべきもの。
日本がなすべきであり、かつ、なしうる唯一のことは、憲法9条を文字どおり実行すること。私たちは、憲法9条によってこそ、戦争からまもられる。思想的リアリストは、憲法9条があるために自国をまもることが出来ないというが、そんなことは決してない。
「無意識の力」、「贈与の力」というものに気づかされました。小宮弁護士(飯塚市)から強くすすめられて読みました。なるほど、目新しい視点から9条の意義を改めて考えさせられる本でした。あなたも、ぜひご一読ください。
(2016年7月刊。760円+税)
2018年3月20日
不死身の特攻兵
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 鴻上 尚史 、 出版 講談社現代新書
1944年11月の第1回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。とても信じられない実話です。
しかも、この本の主人公の佐々木友次さんは、戦後の日本で長生きされて、2016年2月に92歳で亡くなられたのです。佐々木さんは北海道出身で、札幌の病院での死亡でした。
佐々木さんは、航空機乗員養成隊の出身ですが、同期の一人に日本航空のパイロットになり、よど号ハイジャック事件のときの石田真二機長がいます。
日本軍の飛行機がアメリカ軍の艦船に体当たりしても、卵をコンクリートにたたきつけるようなもの。卵はこわれるけれど、コンクリートは汚れるだけ。というのも、飛行機は身軽にするために軽金属を使って作られる。これに対して空母の甲板は鋼鉄。アメリカ艦船の装甲甲板を貫くには、800キロの撤甲爆弾を高度3千メートルで投下する必要があった。日本軍の飛行機が急降下したくらいでは、とても貫通するだけの落下速度にはならない。
日本軍のトップは「一機一艦」を目標として体当たりすると豪語した。しかし、現実には、艦船を爆撃で沈めるのは、とても難しいことだった。
陸軍参謀本部は、なにがなんでも1回目の体当たり攻撃を成功させる必要があった。そのために、技術優秀なパイロットたちを選んで特攻隊員に仕立あげた。
参謀本部は、爆弾を飛行機にしばりつけた。もし、操縦者が「卑怯未練」な気持ちになっても、爆弾を落とせず、体当たりするしかないように改装した。 これは操縦者を人間とは思わない冷酷無比であり、作戦にもなっていない作戦である。
司令官は死地に赴く特攻隊員に対して、きみたちだけを体当たりさせて死なせることはない、最後の一機には、この自分が乗って体当たりする決心だと言い切った。ところが実際には、早々に台湾を経由して日本本土へ帰っていった。
佐々木さんは、上官に向かってこう言った。
「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」
生きて帰ってきた佐々木さんに対して、司令官は次のように激しく罵倒した。
「貴様、それほど命が惜しいのか、腰抜けめ!」
佐々木さんが特攻に行ったとき、まさか生きて還ってくるとは思わなかったので、陸軍は戦死扱いした。それで故郷では葬式がおこなわれ、その位牌に供物をささげられた。そこで、佐々木さんは故郷の親に手紙を書くとき、死んでないとは書けないので、生きているとも書けなかったから、マニラに行って春が来たと書いた。
特攻兵の置かれた状況、そして日本軍の無謀かつ人命軽視の体質が実感として分かる本でした。
(2017年11月刊。880円+税)
2018年3月21日
江戸の入札事情
日本史(江戸)
著者 戸沢 行夫 、 出版 塙書房
町触(まちぶれ)とは、町奉行から一定範囲の町民に触れ出された法令。現代の条例のようなもの。本書は「江戸町触集成」をもとにして江戸の入札事情を読み解いている。
江戸の元禄・享保期には経済が発展し、経済システムも巨大化、複雑多様化して、武士か町人かにかかわらず金銭の貸借にからむ訴訟、金公事(かねくじ)は増える傾向にあった。これは町触にも反映している。
「相対済(あいたいすま)し令」は享保4年も出され強行されているが、この法令は窮令した旗本や御家人には救済となったが、幕府と町奉行が「相対」を強調することで貸金を踏み倒される町人が続出して混乱した。
江戸では橋の架橋、修繕にからむ工事には巨額の投資が必要であり、大勢の人足や、日用稼(ひようかせぎ)を動員する必要があった。この入札を発注する幕府は応札者とのあいだで「相対」するが、これは談合と表裏の関係にあった。現代日本の大手ゼネコンによる入札がらみの「談合」が相変らず横行しているがこれは、江戸の元禄・享保期にはじまっているとも言える。
江戸時代の木造橋の寿命は、20年ほど、ただ、火災の多い江戸では、焼失による崩落も多く、橋の寿命はもっと短い。さらに、地震や用水害もあって、6年から8年が限度に、毎年の修繕補修も必要だった。かの有名なお江戸・日本橋も、ひんぱんに取り替えられていたというわけです。
それにしても、江戸時代に1日の通行量を調べていたというのに驚きました。しかも、なんと1日5万人も往来していたというのです。
両国橋には、武士を除いて1日3万人の通行者があった。武士を加えると5万人ほどの往来があったことになる。
なぜ通行量調査をしたかというと、両国橋を改架中の仮橋渡銭金額を査定するためです。町奉行配下の2人の道役に交通量調査をさせました。安保2年(1742年)5月12日と5月16日の2日間です。朝6時から夕方6時までの調査でした。
今も、各所でときどき通行量調査をしている人たちを見かけますが、江戸時代も同じようなことをしていたなんて、なんだか信じられません。ちゃんと武士と町人のそれぞれの実数が紹介されています。ほとんど同数だというのにもびっくりです。
隅田川には元禄期に3つの大橋の大規模な架橋修復が行われたが、これは幕府の財政に重い負担だった。18年間で総工事費は1万3115両もかかっている。ほかにも多くの橋があるので、江戸市中の橋工事にはかなり膨大な工費がかさんだと推測できる。なるほど・・・。
江戸時代の生活の断面を知ることができました。
(2009年3月刊。特価700円)
2018年3月22日
北朝鮮人民の生活
朝鮮
(霧山昴)
著者 伊藤 亜人 、 出版 弘文堂
北朝鮮の民衆の実情を知ることのできる貴重な文献です。脱北者の99編の手記を紹介しながら、詳しく生活全般を解明しています。画期的な本だと思いました。
北朝鮮から脱北してきた人々(脱北者)が、自身の経験を丹念に書きつづった手記を著者が分類し、解説していますので多面的で分かりやすい本になっています。生々しく北朝鮮の社会の断面を伝えてくれます。
北朝鮮社会では、1970年代から農業をはじめとして生産停滞が認められ、1980年代に入ると社会主義の基本ともいえる食糧配給が滞りはじめた。1990年代に入ると、ソ連の体制崩壊をきっかけとして経済危機一挙に現実化し、その後半には「苦難の行軍」と呼ばれるはどの状況となり、国民の10%に達する大量の餓死者を出した。
北朝鮮経済は統計的資料が公表されていない。これだけでも東西ドイツの統合前の格差と比べものにならないほど深刻な経済格差があることは明らかである。
ただ、北朝鮮社会は、常に危機と隣りあわせにあり、人々は食糧不足や配給停止という危機的な状況のなかで生活してきた。危機とは北朝鮮社会に織り込まれた常態と言ってよく、国民に厳しい生活を強いて体制を維持するうえでも、危機感を高揚することは欠かせなかった。
脱北者は、すでに韓国内に3万人をこえ、日本に入国した人も200人はいる。脱北者のなかには韓国での生活への適応に苦労している人もいて、それが北朝鮮にも伝わっていて、どうせなら日本に行ったほうが楽だという考えも広まっているようだ。
北朝鮮には、三大階層という分類がある。核心階層は統治階層で全人口の30%を占める。次に動揺階層は50%を占め、三つ目の敵対階層は20%とされている。
大学に進学するにしても、幹部子女には無試験の特別入学が許可される。
金日成が平壌は国の顔だと強調したことから、障害者のいる家族は平壌には住めず、地方へ追放された。
北朝鮮では、人間にも機関(組織)にも、物品にまで等級をつける。
大学教授は、1級から6級まで。労働者は1級から8級まで。
朝鮮労働党の党員は1990年代で300万人以上、人口の15%を占める。
北朝鮮では、人民班長を冷遇しては無難に生活することができないほど、人民班長は人々の生活に密接な存在だ。人民班長に覚えが良くなければならない。そうでないと、多くの不利益を受けることになる。人民班長に難点があっても、何とか良い関係を維持しようと努力する。一挙一動、あることないことまで、報告され制裁されることになるので、人間関係は十分に気をつけ、うまく保っていく必要がある。
北朝鮮で生きようとすれば、他の人を押し倒してでも無条件に幹部にならなければならない。幹部をしてこそ、食べ物も先に食べて、勲章も先にもらう。
支配階級は、温水施設と水洗便所のある単独住宅や高級アパートに住む。ところが、もっとも条件のよい平壌でも、朝・昼・夕に各1~2時間ずつ、1日に3~6時間しか水道の水が出ない。地方では、日に1~2時間しか水が出ないので、食用水や手洗のために水ガメに貯めておく。大部分の家に浴室はないので、手拭いを水に浸して簡単に身体を拭く。
「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半には、市場が急速に膨脹した。このとき、女性は党の指導に耳を貸さず、生活の活路を市場に見いだした。
日本統治下のタノモシが、今も北朝鮮では通用している。韓国の「契」に相当するもので、日本の統治する前から風習としてあった。
北朝鮮では、学校に入ると、盗むことからまず学ぶ。盗みのなかでも、軍隊にするものは、もっとも組織的かつ強引。被害者は泣き寝入りするほかない。兵士だって、食料が優先的に供給されるとはいうものの、飢えているから、食料盗は頻発している。
450頁あまりのすごい本で、圧倒されてしまいました。
(2017年5月刊。5000円+税)
2018年3月23日
史上最悪の英語改革
社会
(霧山昴)
著者 阿部 公彦 、 出版 ひつじ書房
私も自慢じゃありませんが、英語は読めても話せません。その最大の原因は、話す機会がまったくなかったからです。フランス語のほうは毎週土曜日にネイティブのフランス人と会話しているので、たどたどしくても、一応の意思疎通はできています。やはり、勉強の量と実践の場の確保のおかげです。
英語だけで英語を教えるというのは、この本の著者も強調していますが、あまりにムダが多すぎると思います。ルールを知らなくて、耳からだけで英語がまともに話せるようになるとは私にも思えません。店先で買物するくらいなら、これでいいでしょうが、ルール(文法)を知らなかったら、文章(英文)は書けないでしょう。それでは社会の求める能力を身につけることにはなりません。
受験産業だけが喜ぶような英語教育にしてはならないと著者は声を大にして叫んでいます。私も、まったく同感です。大学入試に業者テストを使うとか、スピーキング試験をするとか、とんでもないことです。
4技能とは、英語を読み、書き、話し、聞くという能力のこと。
いま文科省がすすめようとしているのは、本当の目的は一部業者のための経済効果にあるとしか思われない。そして、この政策のために、肝心の英語力は、今よりもっと低下する可能性がきわめて高い。
大学入試に業者試験が導入されようとしている。これは業者にとって間違いなく収入増につながる。そして、これは格差を助長する。というのは、業者試験はきわめてパターン化しているので、受験すればするほど点数があがる。ということは、お金を使えば使うほど、大学入試のために有利な点数がとれる。逆にいうと、家計に余裕がない家庭の受験生は競争から落ちこぼれていくことになる。
日本の英語教育は、1989年からコミュニケーション重視でやってきている。それでも英語が話せない人が多い。なぜか。日本人に欠けているのはスピーキングの能力だけなのか・・・。
TOEIC(トーイック)のテストは、企業が「使える労働者」を確保するための道具。「労働力」確保のためである。そこでは、単純労働で使われる英語が中心で、考えるための英語や、感情の特徴を伝えるための英語は入っていない。そこにはアメリカ流の雇用関係が反映されている。会社にとって従業員は道具であり、戦力であり、「使える」かどうかが肝心。TOEICは、それを測るもの。
フレーズを覚えるとしても、背後にあるルールを知っていたら、はるかに能率があがるし、その後の応用も可能になる。同じ時間をかけても、脳が処理できる量は飛躍的に増える。
私も、文法は大切だと思います。やみくもに単語を暗記するより、ルール(文法)にしたがって覚えていく方が応用もきいて英語力が深く広くなると思います。
文科省が、世間の誤解(錯覚)を利用して、テスト業者や予備校と組んで日本人の英語力を低下させ、英語嫌いを増やそうとしていることに腹立たしく思えてなりません。
158頁の価値あるブックレットです。ほんの少しだけ割高の感はありますが、いま大いに読まれてほしい本です。
(2018年2月刊。1300円+税)
2018年3月24日
東大教授の「忠臣蔵」講義
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 山本 博文 、 出版 角川新書
私が生まれたのは「師走半ばの14日」です。つまり、赤穂浪士の討入りの日です。とはいっても、今のカレンダーでいえば2月になるのでしょうか・・・。
大石内蔵助は、本当に敵をあざむくために京都の祇園で遊蕩したのか・・・。どうやら史実ではないようです。
驚くべきことに、藩の財政の一部を活動資金として、いつ、その収支明細がきちんと記帳されていたのです。さすがは日本人です。こまかい計算が好きな人は昔も今も多いのですね。
吉良家は高家(こうけ)ですが、この「高」というのは足利高氏(たかうじ)の「高」なのですね。つまり室町将軍の血筋を引く家ということ。知りませんでした。
浅野が吉良に切りかかったとき声をかけたのは、それが武士の作法だから。そうしないと卑怯な行動になってしまう。
吉良は逃げただけで、刀に手をかけなかった。もし刀に手をかけていたら両成敗になって吉良も切腹するはめになっていた。
吉良が諸大名から贈り物を受けるのは、当時の慣行からすると、悪いことではなかった。江戸時代の慣行として、人にものを教わったときに、それ相応のお礼をするのは当然のことで、賄賂(ワイロ)ではなかった。
吉良が老中の面前で浅野の面子(メンツ)をつぶしたのは問題があった。当時の武士は、人前で悪口を言われて黙っていたら「臆病」とされ、切腹するか出奔するしか道はなかった。
実際に討入りしたのは47人だったが、盟約に加わった同志は100人ほどいた。それがいろんな事情で減っていき、ついに半分以下になった。
内蔵助は祇園や伏見に踊りを見に行っているが、息子の主税と一緒。なので、遊郭で遊んではいないのではないか。しかし、内蔵助は京都には可留(かる)という妾がいて、子どももいた(幼くして死亡)。
討ち入りの前になると内蔵助の軍資金が尽きかけていた。それで、もう延期はできなくなっていた。
浪士たちは、全員、自分たちは死ぬものだと考えていた。討ち入りが成功しても、幕府の厳しい処分が予想された。再就職のためなんて、とんでもない誤り。死ぬと分かっている討ち入りに進んで加わった。
江戸時代の武士の社会では「武士道」という道徳がなにより優先された。今日の道徳とは、まったく違うもの。
吉良邸にも100人ほどの家来がいた。しかし、非番の家臣たちは長屋にいて、浪士たちが出口を固め、長屋に閉じ込めてしまった。それで浪士たちと戦った者は40人もいなかった。
浪士たちは「火事だ」と叫んでいるが、こんなだまし討ちも、手段を選ばないのが当たり前なので、非難されることではない。
吉良家側で戦った武士のうち16人が討ち死にし、21人が負傷(重症は4人)。このほか12人が逃げ出した。討ち入りは1時間ほどしかかかっていない。
さすがによく調べてあると感嘆しながら一気に読みあげました。
(2017年12月刊。880円+税)
2018年3月25日
アレクサンドロス大王・東征路の謎を解く
イラン
(霧山昴)
著者 森谷 公俊 、 出版 河出書房新社
アレクサンダー大王(この本では、アレクサンドロス)は、紀元前331年12月下旬にペルシア帝国の都スーサを出発し、前330年1月末にペルセポリスに到着した。
ペルセポリスに到着するまでに、山岳部族のウクシオイ人と戦って制圧し、ペルシア門と呼ばれる隘路(あいろ)でペルシア軍のアリオバルザネスの軍隊を破り、ペルセポリスを占領した。
この本は、アレクサンドロスの部隊が実際にどのコースをたどって進軍していったのか、現地に行って確認したところに大変な意義があります。ある意味では、命がけの実地調査でした。その大変さが旅行記として語られていますので、よく分かります。
ワイン好きの著者が、アルコールだめの国で調査するのですから、辛いところです。
それにしても従来の通説が現地の状況・地勢と合致しないことを現場に立って明らかにするなんて、たいしたものです。執念の勝利でした。
アレクサンドロスの率いるマケドニア軍は、イッソスの合戦でダレイオスⅢ世のペルシア軍を大敗させ、ダレイオスの財宝3000タラントンを得たほか、戦後に取り残されたダレイオスの母・妻・三人の子どもたちを捕虜とした。この戦利品によってアレクサンドロスは財政難を脱することができた。
私は、この本を読んで、アレクサンドロスの軍隊にも大きな矛盾をかかえていたことを知りました。大王は偉大な独裁者ではあっても、部下の将兵の思惑を無視することは出来なかったのです。その部下の思惑とは・・・。
それは兵士の略奪欲。古代の戦争において、略奪は勝利者の権利であり、兵士にとっては致富の手段であった。略奪こそ、一般の兵士が戦争に参加する大きな動機だった。ところが、東方遠征において、ペルセポリス占領まで大王略奪を許してこなかった。遠征の大義名分が、「ペルシア支配からのギリシ都市の解放」である以上、ギリシア諸都市は略奪の対象にはなり得ない。
バビロンでの34日間の滞在中、マケドニア人将兵は歓喜にふけって遠征の疲れを癒した。それでも、兵士のあいだには、略奪への欲求がかつてなく高まっており、それは抑えがたいことろにまで膨らんでいた。
アレクサンドロスと部下の将兵たちとの間には、ときに緊張関係があった。略奪を抑えるという大王の政策が将兵の欲求不満を高め、彼らの欲望に突き動かされる形で大王は次の行軍に乗り出さざるをえない。
アレクサンドロスは、インダスリを渡って東へ進み、ヒュファレス(ペアス)川に達した。この先にはガンジス川と豊かな国土があることを知り、アレクサンドロスの心は、はやり立った。ところが部下の将兵たちは、これ以上の前進を拒否した。大王は怒ったが、帰国を決意せざるをえなかった。アレクサンドロスにとって初めての挫折だった。自己の名誉を回復するための一つの方策が、自分に逆らった兵士たちへの報復としての砂漠の横断だった。
なるほど、そういうこともあるのですね。独裁者であっても、いつでも何でも好き勝手できるものではないのですね・・・。
もう一つ、アレクサンドロスは必死になってダレイオスを生きたまま捕まえようとしました。なぜか・・・・。アレクサンドロスは、ダレイオスを従属させたうえで、ペルシアの王位を保証し、自分はその上に君臨してペルシアとアジア人を支配するつもりだった。つまり、アレクサンドロスは「諸王の王」になろうとしたのだ。そのためにはダレイオスの身柄しておく必要があった。
なるほど、なるほど、これもよく分かりました。
何年もかけての現地調査が成功して、その成果として居ながらにしてアレクサンドロス大王の進路をたどった思いに浸ることができました。ありがとうございました。引き続きのご活躍を期待します。
(2017年11月刊。3500円+税)
2018年3月26日
英語教育の危機
社会
(霧山昴)
著者 鳥飼 玖美子 、 出版 ちくま新書
英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができたらいいというものではない。いまの学校は、文法訳読ではなく、会話重視なので、読み書きの力が衰えて、英語力が下がっている。
これまで、まとはずれの英語教育改革が繰り返されてきた。
いま、教える人材の確保が不十分なまま、見切り発車する小学校の英語教育・・・。小学生が可哀想。何も分からない子どもたちが、あまり自信のない先生から、中学レベルの英語を習うことになる。中学校にすすむころには、英語嫌いになっている子どもが今より増えている恐れは強い。
日本の英語教育は、1990年代から基本的に方針が変わった。昔の英語教育とちがって、今は「英語の授業は英語で行うことが基本」とされている。しかし、日本語で説明したって分からない生徒に対して、英語だけで、どうやって教えたらいいのか・・・、現場の英語教師は困惑している。
英語だけの授業では内容が浅薄になりがちで、生徒の知的関心を喚起しない。それは、ことばの不思議さや奥深さに気づかせることが難しくなる。むしろ、英語を英語で教えるというには、時代遅れなのである。
「学習指導要領」の定める小学校「英語」と中学校「英語」の目標は、違いがすぐには分からないくらいに似ている。
一昔前は、大学を受験する高校3年生は、英検「2級」というのが常識だった。しかし、今は、高校生の半数以上が「準2級」という目標にも達していない。これは、大学1年生の英語力が落ちていることに反映している。大学では、中学レベルの英文法基礎の補習授業を余儀なくされている。
大学のほとんどでは、10年後に専任教員を増やす見込みがない。そのなかで、外国籍教員の割合を増やしたら、日本人教員の数を減らすことになる。
文法はコミュニケーションを支えるもの。
英語教育とは、英語という外国語を通して、学習者を未知の世界に誘い、心を豊かにし、人間を育(はぐく)むものである。私もフランス語を毎日勉強していますが、フランスの歴史や地理、文化を学ぶことによって、世界を知り、日本を知るという楽しみを日々実感しています。単に店先でペラペラ会話して買物ができるという以上のものを学校英語には期待したいものです。
(2018年1月刊。780円+税)
2018年3月27日
弁護士って、おもしろい!
司法
(霧山昴)
著者 石田 武臣・寺町 東子 、 出版 日本評論社
私にとって、弁護士は、まさしく天職です。苦しい受験生活を経て司法試験に合格し弁護士になれて本当に良かったと思います。
私なりに一生懸命に弁護士をしているつもりなのですが、これでも事件の相手方(サラ金業者など)や、かつての依頼者から苦情申立や懲戒請求を受けたことが何回もあります。現役の弁護士である限り、苦情申立や懲戒申立をされるのは避けられないと今では悟(さと)りの心境です。無難にしておけば免れるかもしれませんが、「無難に」とか「大過なく」というコトバは私には無縁なのです。
この本には、老若男女の弁護士が弁護士の仕事の面白さ、やり甲斐を大いに語っています。なかには、本当にうらやましい話もあって、もっと私が若ければ・・・と思ったことも再三でした。
かつての法律事務所は「一見(いちげん)さん、お断り」があたりまえだった。今でも、それを高言するロートル弁護士がいないわけでもありません。要するに、ちゃんとした紹介者のない、見ず知らずの人が飛び込んできても、どこの馬の骨かわからないし、きちんと相応の謝礼を支払ってくれるという保証がないので相手にしない。そんな対応をするのが、普通でした。今でも高級料亭はそうだと聞いていますが、同じように特権的地位に弁護士はあぐらをかいていたわけです。
したがって、弁護士が御用聞きのようなことなんて見苦しいこと、恥ずかしい、もってのほかだという反発がありました。「アウトリーチ」なんて、とんでもないという発想です。福岡でも天神に法律相談センターを開設するにあたっては、似たような反発を受けました。今や隔世の感があります。
坪井節子弁護士が東京で子どもシェルターの活動を紹介していますが、本当に頭の下がる思いです。この13年間で、シェルターを利用した子どもは15歳から19歳まで、のべにして350人にもなります。そのうち、親との関係調整が出来て自宅に戻った子どもは2割にもなりません。多くの子どもは家には帰らない。高校を中退する。驚くべきことに、シェルター利用者の4分の3が女子なのです。親との関係では女の子のほうが難しいということでしょうか・・・。
子どもに寄り添うとは、想像を絶する苦しみを味わってきた子どもたちを前に、おのれの無力を痛感することから始まる。・・・すごい活動です。それでも子どもたちから教えられ、導かれていく喜びを味わうことが出来ると書かれていることが救いです。
弁護士のいない市町村は、まだまだ少なくありません。幸い、裁判所あるのに弁護士が一人もいないというゼロ・ワンの市はなくなっていると思います。ところが、過疎地に弁護士への需要はない、事件なんてない、もし、あったとしても都会にすぐ出てこれるから、なにも過疎地に弁護士が事務所をかまえる必要まではない。弁護士法人をつくって、法人の支店を置いて、週のうち何日間か、弁護士が交代で詰めておくだけで足りる(はず)。こんな考えの弁護士(会)がいます。
私は、乙号支部(今は正式には呼びません)に所属する弁護士として、これらは、とんでもない認識不足だし、誤りだと主張してきました。何らかのトラブルが身近におこるのは世の常ですが、そのときすぐに弁護士に相談しておけば、あとあとの対処がずいぶんと楽だったろうと思ったことは数えきれません。初期対応はとても大切なことです。
それにしても谷口太規(元)弁護士のレポートには驚嘆させられました。ひまわり公設事務所の弁護士として活動したあと、アメリカに留学し、今はミシガン州立の公設弁護人事務所で刑務所に長く服役していた人たちの釈放後の社会復帰を支援するソーシャルワーカーとして働いているのです。すごいことです。
この谷口(元)弁護士が弁護士とはいかなる存在なのか、次のように語っています。
弁護士は法律家だ。しかし、法律問題に直面するとき、その人は人生の曲がり角に立っている。このとき、人は負の出来事や感情と向き合い、自分の大切にしているものを考え、人生の意味を問う。弁護士は法律家であると同時に、そうした人々の、傷つきやすく、存在の根幹を賭した瞬間に立ちあう存在でもある。
そうなんです。人々の人生の重要な局面に、弁護士はそのすぐそばに立って支えることが出来るのです。弁護士って、だから面白いのです。
ぜひ、あなたも弁護士の世界に飛び込んでください。弁護士を将来展望の一つに考えている若い人に向けた、いい本です。ただ残念なのは、値段が少しばかり高すぎることです。
(2017年10月刊。2300円+税)
2018年3月28日
ライブ講義・弁護士実務の最前線
司法
(霧山昴)
著者 東京弁護士会法友全期会 、 出版 LABO
これはすばらしい。もちろん内容もいいし、本当に勉強になりますが、編集がすばらしい。表や写真のつかい方、カコミ記事の工夫など、編集も業と自称している私ですが、これは良く出来ていると驚嘆しました。
内容は4つのテーマですが、私には会社法とシステム開発をめぐる話は無縁ですので、パスしました。
第1講のGPS操作についての亀石倫子弁護士の話は別なところでも読みましたが、その語りが明快なので、実によく分かります。いったいGPS事件で弁護士報酬はいくらもらったのかなという下世話な関心を前からもっていましたが、報酬ゼロで着手金30万円を弁護団6人で分配して1人5万円ほどだということです。ただし、実費100万円は本人に負担してもらえたそうです。こんな事件だったら、私も同期の弁護士に呼びかけられたら手弁当で参加します。だって勉強になるし、同期で刺激しあえるじゃないですか・・・。
アメリカの連邦最高裁が前例のないGPS捜査は憲法違反だという判決を出していたのだそうです。でも、日本でもすぐに同じような判決がもらえるほど世の中は甘くありません。そして、先行事件では、GPS捜査では問題ないという判決が出てしまいました。
亀石弁護士たちは、GPSを実際に車に装備してラブホテルや病院の駐車場に置いて誤差を調べました。そして最高裁の弁護では、紙の文章を読みあげるのではなく、裁判官の目を見て弁論したのです。
実は、私も一般民事事件で最高裁の法廷で2回弁論したことがあります。どちらも逆転敗訴判決になったのですが、せっかくの機会ですので10分近く口頭弁論をしましたし、その場には東京で学生をしていた私の子どもたちを傍聴させ、社会科見学の機会としました。
亀石弁護士は、弁護団の作り方と運用についての工夫も語っていて、とても参考になります。亀石弁護士は、チームリーダーとして、人一倍の仕事をしたそうです。また、毎回の弁護団会議にお菓子持参だったとのこと。先ほどの5万円は、これに消えたのでしょうね・・・。
第2講の竹花元弁護士のメンタルヘルスと労働審判の話は、とても実務的で、ものすごく勉強になりました。ともかく詳しいのです。86頁も使って、様々な角度からアプローチし、実務的な問題点を解明しています。
会社側の代理人として訴訟に応じるときには、判決までいくと事件名として会社の名が公表されるという問題があることを依頼者である会社には知らせておくべきだということも参考になります。
メンタルヘルスの場合には、職場復帰が容易ではありませんし、会社側による休職命令も軽々しくは出せません。
本分250頁で2830円(単価のみ)というのは高いようですが、私などは前記2つの講義を受けただけでも十分にもとをとった気がしました。
(2018年2月刊。2830円+税)
2018年3月29日
子どもの貧困対策と教育支援
社会
(霧山昴)
著者 末 昌 芽 、 出版 明石書房
いい本です。学校教育に関心のある人には、ぜひぜひ読んで欲しいと思いました。
日本の学校現場はいま大変なことになっていると思います。子どもの貧困の多くは親の貧困から来ています。また、親に経済力があっても子どもを大切にしているとは限りません。子どもたちが愛されている、大切にされていると感じられること、家庭に居場所がると実感できること、それが必要ですし、大切です。
では、家庭にそれが欠けていたり、不十分だったとき、学校は何もしなくていいのか・・・。
大阪の高校には昼休みと放課後に開く校内カフェがあるそうです。いいことですよね。21の高校にあります。非行、メンタルやフィジカルな障害、不登校、経済弱者など、困難をかかえる生徒の多い高校のようですが、困難をかかえる生徒の居場所が高校内にあるって、すばらしいことです。家でも学校でもない居場所、サードプレイスがあるのは大切です。ゲームセンターではダメなのです。
ヨーロッパでは、幼稚園や小・中学校にコミュニティ・カフェがあるのも珍しくない。保護者や地域の人々が利用している。
生活保護を受けている家庭の子どもたちの学習支援もいい試みだと思います。しかし、子どもたちは、ここに来てるって言ってないし、言いたくないのです。生活保護をうけていることを恥と考えるような子ども社会があるからです。
簡易宿泊所(ドヤ)がたくさんある地区をかかえる小学校では、子どもたちを労働福祉センターに見学に連れていきました。子どもたちは、困ったときには福祉で支えてもらう場所があることをしっかり学んだようです。今の日本では必要な知識です。
そして、漠然と怖いように思っていた地区が、そこに住む外国人から外国にある怖い町と比べたら、まったく怖くないと聞かされたら、むしろ自分たちのまちを好きになったとのこと。いい経験です。
50年前、私が大学に入ったとき、国立大学の学費(授業料)は月1000円、年1万2000円でした。ちなみに、家賃も同額(もちろん食費は別です)。ところが、今では国立大学は50万円、私立大学は文系100万円、理系150万円、専門学校は70万円です。とんでもないことです。しかも、奨学金が有利子の貸与制です。私も月3000円の奨学金を受けていて、弁護士になって返済しました。月5000円の給付型奨学金は適用を受けられなかったのです。昔の育英会は、今では学生支援機構と名称を変えていますが、利用者は134万人と多いのです。給付型奨学金を大幅に拡充する必要があると思うのですが、世論調査の結果は必ずしも支持していないというのに驚きます。ここでも「自己責任」の論理が幅をきかしているのでしょう。困ったことです。
この本は、日本の学校は、基本的に排除の文化を生成する仕組みを有していると指摘しています。この指摘は重要です。大人社会の反映でもあると思います。
日本の学校には、子どものかかえる問題や困難を見えにくくし、いつのまにか、困難をかかえる子どもたちを排除してしまう文化や仕組みがある。
学校そしてクラス内で、人と人とのかかわりにおける温かさはや安心感、相互支援、居心地の良さが必要。この学級適応感の高まりが学習意欲の向上に結びつく。子どもの学級適応感を高めるのは、被受容感であり、それは教員の受容的、共感的態度によって高められる。
380頁もの密度の濃い論文等をテンコ盛りした労作です。その割には2600円と、少々割高ですが、明るい将来展望を少しだけでも、その光を見出すことができました。学校の先生方、これからも無理なく楽しくやってください。
(2017年11月刊。2600円+税)
2018年3月30日
告白、あるPKO隊員の死
社会
(霧山昴)
著者 旗手 啓介 、 出版 講談社
この本を読むと、日本はつくづく検証というものをしない国なんだと思いました。私のなじみの言葉で言うと総括していないということです。ただ、総括という言葉は、例の連合赤軍事件での大量リンチ殺人事件のときに冒用(誤用)され、今では嫌な響きをもつコトバになってしまいました。とても残念です。
ことが起きたのは1993年5月4日の午後のこと。カンボジア北西部の国道691号線を走っているとき、突然ポル・ポト軍の部隊に襲撃されたのです。日本人警察官1人(高田警部補)が亡くなりました。このとき、日本政府は箝(かん)口令をひいて関係者に沈黙を命じました。ところが、日本以外の国は、ちゃんと事件を検証した結果を報告書としてまとめているというのです。
その場に同じようにいたスウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関しての検証がなされ、報告書がつくられて公表されている。また、ストックホルム国際平和研究所は、カンボジアへの文民警察官派遣は失敗だったという報告書を刊行している。しかし、日本ではすべてが闇の中である。
それをNHKスペシャルの取材班が掘り起こしたのです。日本政府の怠慢というか、秘密主義には、あきれるというより怒りを覚えます。
今のアベ自民党とちがって、まだまともだった宮澤喜一首相、そして官房長官の河野洋平も、日本政府としてカンボジアPKO派遣の実態をしっかり検証することなく、闇の中に置いて、国民の忘却を待ったのでした。
カンボジアPKOに日本の丸腰の警察官を派遣したのはカンボジアにはいちおうの平和があるということが前提でした。しかし、現地ではポル・ポト派の軍隊が健在で、実際には内戦状態は続いていたのです。そこへ丸腰の日本警察官75人がカンボジア全土に散らばったのでした。選挙監視が主たる任務です。自衛隊600人は施設大隊としてまとまっていましたので、安全面では、はるかに恵まれています。ところが、丸腰の日本人警察官は、75人が数人ずつカンボジア全土にばらまかれたのですから、どんなに不安だったことでしょう・・・。
当時は、今と違ってスマホもケータイもありません。電気などのインフラもありませんので、本部との通信が出来ないのです。これではたまりませんよね・・・。
ポル・ポト派の現地幹部だった人の証言もありますが、どうやら襲撃したのはポル・ポト派の一派で、日本人を殺害するのではなくて人質にとろうとしていたようです。ところが、日本人たちの車列にしたオランダ人将校が自動小銃で反撃したことから銃撃戦になり、ついに日本人が1人死んだということのようです。さもありなんと思いました。
総括されていな点では司法界、とりわけ裁判所でも同じことです。戦前の法務官僚が当然のような顔をして最高裁判事になったりしています。ひどい話です。戦前の日本軍が中国をはじめとする東南アジア各地で虐殺していたことを掘り起こすと、そんなのは「自虐史観」だとか言って、事実から目をそらそうとする日本人が少なくありません。これもまったくの間違いだと私は思います。そして、今、戦前の日本軍を美化して、同じように海外へ戦争をしに出かけようとする勢力がうごめいています。結局は、金もうけのためです。やめてほしいです。そんなことは・・・。
(2018年3月刊。1800円+税)
2018年3月31日
だから、居場所が欲しかった
タイ
(霧山昴)
著者 水谷 竹秀 、 出版 集英社
タイのバンコクのコールセンターで働いている日本人を取材した貴重な労作です。
日本企業は、いま経費削減のため、電話による受注業務を海外に移転させている。経費が日本よりも3分の2ほどに圧縮できる。なぜか・・・。タイのコールセンターは、最低賃金が適用されず、賃金が最低ラインよりも低く設定されている。それでも、タイの物価は日本の3分の1から5分の1ほどなので、十分に生活できる。なにしろ、衣服費がかからないし、食べ物は日本人好みのものが安くて美味しい。
コールセンターは、時差の関係で、午前7時に始まり、1時間に平均5件、1件につき10分ほど対応する。8時間勤務だと1日40件に対応する。あるコールセンターでは日本人オペレーターが110人、平均年齢は30代前半、男女比は半々。
コールセンターの仕事は時間ぴったりに終わり、ノルマの残業もない。単価の安いタイでは、月に3万バーツもあれば普通に生活できる。コールセンターは大手2社で計300人。小さいコールセンターをふくめると合計500人ほど。こんなに大勢の日本人が働いているのですね、知りませんでした。
ところが、コールセンターで働いているというのは、日本人社会ではイメージが悪く、一段低く見られてしまう。
タイに進出している日系企業は、4500社(2015社5月現在)。タイには日本人は6万7400人。これは、アメリカの42万人、中国の13万人、オーストラリアの8万9000人、イギリスの6万8000人に次いで多い。シンガポールの3万7000人を大きく引き離し、イギリスを抜く勢いで増えている。
駐在員の給与は年収1000万円ほど。現地採用者(ゲンサイ)は、駐在員の5分の1から半分ほどでしかない。
タイにはフィリピンに次いで困窮邦人(日本人)が多い。2015年の外務省の統計では、フィリピンに130人、タイは29人いる。
そもそも日本で出来ることのなかった人がタイへ渡り、タイで出来る仕事がないのでコールセンターで働く。行くも地獄、帰るも地獄。
タイの観光街に日本人男性が群がっているという話は有名です。それは今もあるようですが、この本では、同じように日本人女性がゴーゴーボーイと呼ばれるタイの若い男性を買っている実情をレポートしています。ゴーゴーボーイの大半は貧困層の出身で、若いイケメンを求める日本人女性との間で利害が一致する。バンコクであれば、それほどの大金を積まなくても、狙った獲物を自分の好き放題にすることができる。ゴーゴーボーイの3割はゲイとされ、訪れる客の多くもゲイ。タイでは、コンビニとかスーパーに行けば、1人くらいはニューハーフがいるので、一般の人は免疫ができている。そこが日本とは違っている。
日本の社会で異端児扱いされることが多かったので、居場所が欲しい人がバンコクへやってくる。自分のことを認めてくれる環境を探し求めていた。他人に好かれ、嫌われないような人間でありたかったという人たちだ・・・。日本社会は生きづらい。しかし、そもそも、こんな日本社会に順応する必要があるのか・・・。
世の中には知らないことがあまりにも多いということを、またまた思い知らされました。
(2018年2月刊。1600円+税)