弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年1月 1日

いわさきちひろ、子どもへの愛に生きて

人間


(霧山昴)
著者 松本 猛 、 出版  講談社

この本を読まない人は、人生で損をすると思います。まして、いわさきちひろの絵をまだ見たことがないという人がいたら、お気の毒としか言いようがありません。世の中に、こんなに素敵な子どもの絵があるなんて、信じられないほどの傑作ぞろいです。
それにしても、いわさきちひろ生誕100年というのには驚いてしまいました。ええつ、そんな前に亡くなっていたんですね・・・。55歳で亡くなっていますが、とても可愛いらしい笑顔の写真を私も見慣れていましたし、童女たちの絵を見るにつけ、いわさきちひろは今もまだ身近な存在だったので、生誕100年というのは驚きでしかありませんでした。
一人息子である著者による伝記です。戦争との関わりが、とても詳しく描かれています。
ちひろたちが満州に渡って大変な目にあったことを初めて知りました。ちひろの母親が満州に娘たちを送り出す組織の事務方をしていたのです。満州は日本での前宣伝とはまるで違った悲惨な現実に直面するのでした。そして、日本に戻ってからは空襲にあって焼け出されてしまいます。戦後、ちひろは戦争中の悲惨な現実を見て、戦争反対でがんばった共産党に魅かれていくのです。
いわさきちひろの絵は天性のものかと思っていましたが、もちろんそれもありますが、画家や書道家を師匠としてきちんと指導を受けているのですね。さらに、絵本をつくる過程では編集者の厳しい注文も受けとめていることを知りました。天才だから初めからうまい絵が描けたのではなくて、天分に努力を加えて、いまの私たちが感動する絵が生まれたのです。
著者は1951年生まれですから、団塊世代のすぐ下の世代です。私も身に覚えがありますが、中学生のころには親とほとんど話をしたことがありませんでした。今から思えばもったいないとは思いますが、それは誰でも親から自立する過程で必要なことですので仕方ありません。
東京のちひろ美術館には行ったことがありますが。長野はまだです。この本を読んで、ますます行きたいと思いました。よく調べてあります。いい本をありがとうございました。
                          (2017年10月刊。1800円+税)

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2018年1月 2日

兵農分離はあったのか

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 平井 上総 、 出版  平凡社

戦国時代、そして江戸時代、兵農分離した軍隊は、本当に強かったのか・・・。
江戸時代、儒学者の熊沢蕃山(ばんざん)は、兵農分離が兵の弱体化を招いたと考えていた。
武家奉公人の上層部分は、戦場での働きを期待される戦闘要員だった。この武家奉公人とは、武士に仕える従者であるが、二種類あって、長年主人に仕える譜代(ふだい)奉公人と、一年任期の年季(ねんき)奉公人がいた。
武田勝頼は、武田家の行く末を決める重要な戦争だからこそ、百姓を動員すると言った。これを逆に言えば、百姓の動員は恒常的にできていたのではなく、大名家の一大事に限っていたことを意味する。
戦国大名は、もともと百姓を戦闘員と見なしてはいなかった。武士と奉公人は給地をもらい、軍役を賦課されて戦闘員として働き、百姓は年貢を納めて非戦闘として陣夫役をつとめるという身分別の役割分担があった。
私はこの本を読むまで、士農工商というのは日本の江戸時代で身分の上下関係をあらわすコトバだと思っていました。ところが、実は、この士農工商というコトバは、紀元前の中国で人々のつく職業の総称として使われていて、身分の序列を表したものではなかった。うひゃあー・・・ちっとも知りませんでしたよ。
現在の日本史の教科書(山川出版社の『詳読日本史B』)でも、士農工商を江戸幕府がつくったコトバとは紹介していない。そして、江戸時代では、農工商は序列化されていなかった。
豊臣秀吉は身分法令を発したが、これは朝鮮半島へ侵略するにあたって武家奉公人の逃亡という現実的課題を早急に解決しなければならないと考えたからのこと。同じく、朝鮮への侵略のとき、加藤清正は、戦争のために奉公人を多く集めようとする一方で、逃亡や質の低下に悩まされていた。
中世後期の村では、外敵と戦うために百姓が武装することは普通だった。
江戸時代の村には、武士のもつ鉄砲より村にある鉄砲のほうが多かった。たとえば、信濃国上田藩では、村の鉄砲327挺に対して城付鉄砲は100挺だった。刀狩り政策によって民衆が武器を根こそぎ奪われたというのは間違いである。刀狩りは、すべての武器を根こそぎ奪うものではなく、戦闘できる身分としての武士・奉公人とそれ以外を区別する、帯刀権の設定をもたらす身分政策だった。
結論として、兵農分離状態の実現を目指した政策はほとんどなかったと言える。結果的には、兵農分離という状態は、近世のかなりの地域で生じたものではあったが・・・。
士農工商の実際、そして兵農分離の現実を深く掘り下げている本です。大変勉強になりました。
(2017年9月刊。1700円+税)

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2018年1月 3日

戦国の軍隊

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 西股総生 、 出版  角川ソフィア文庫

 戦国時代の戦闘の実際を詳細に紹介していて、大変勉強になりました。
 当時、早朝から戦闘を開始するには合理的な理由があった。夜間に移動・展開をすませたほうが、自軍の行動や布陣状況を秘匿しやすいし、戦闘のために昼間の時間をできるだけ長く使うことができるから。
 戦国時代の軍事力構造を考えるうえでは、火力(鉄砲)の組織的運用と、個人のスタンドプレーという二つの要素が重要なカギとなる。
 江戸時代には、大小二本の刀を腰に差すのは武士に限られていたが、刀や脇差だけなら、庶民も普通に携行していた。中世にさかのぼると、一般庶民は刀だけでなく弓や槍(やり)も普通にもっていた。
武器を所有・使用する者が武士ということではない。武士とは、「武」を生業(なりわい)とする者のこと、ひらたく言えば、戦いや人殺しを生業とする家の者、戦いや人殺しのプロ、つまり職能戦士ということ。
 中世の戦場では、武士たちは、常に顔見知りの者たちと声をかけあって、互いに相手の戦功を証言できるようにしていた。
 戦国時代の日本では、軍隊が等間隔で整然と隊列を組んで行動する習慣はなかった。そうした行動をとる必要性がなかったからだ。
 足軽は、基本的に武士でない者、つまり主従性の原理が適用されない集団だった。彼らは金品で雇用され、軽装で戦場を疾駆し、放火や略奪に任じた。非武士身分によって構成される非正規部隊、これが傭兵的性格の強い集団としての足軽の本質だった。
 足軽大将のような指揮官クラスの者は、もともとが侍身分の出身か、もしくは侍身分として扱われ、騎乗して参戦していたのだろう。
 戦場での侍たちの主要な武器が持鑓(やり)になり、徒歩戦闘の頻度が高まった結果、侍たちは次第に馬上で抜刀する技術を失っていった。
 中世の軍隊は、兵糧(ひょうろう)自弁が原則だった。自分の領地から送金を受け、出入りの商人たちから、めいめい食糧や日用品等を購入して、陣内での生活を維持していた。
戦国時代の合戦の実相をめぐる論争に一石を投じた本だと思いますが、いかがでしょうか・・・。

(2017年6月刊。960円+税)

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2018年1月 4日

目立ちたがり屋の鳥たち


(霧山昴)
著者  江口 和洋 、 出版  東海大学出版部

 タイトルから想像される内容とは異なり、鳥について、多角的なアプローチがなされている本です。
 これまで鳥類は嗅覚が鋭敏ではないとされてきたが、ミズナギドリ類などの海鳥などでは、においが信号として重要な役目を果たしていることが最近わかった。ミズナギドリ類は、個体ごとに独特のにおいをもち、このにおいをもとに、視覚のきかない夜間でも、つがい相手のいる自分の巣穴の位置をつきとめることができる。
 地中海沿岸にいるクロサバクヒタキはスズメより小さい鳥。オスは巣の近くに多くの小石を運ぶ。多くの小石を運んだオスとつがいになったメスは早く産卵を開始し、産卵数が多い傾向があり、小石を運ぶ量の少ないオスのつがいより多くのヒナが巣立つ。つまり、メスはオスが運ぶ小石の量でオスの質を評価し、早く繁殖を始めて、より多くの卵を産むことで、つがい形成後の繁殖投資を高めている。また、小石を多く運ぶオスは、ヒナの誕生したあと、ヒナへの給餌回数が多い、良い父親でもある。
 ホシムクドリでは、長い歌をさえずるオスほど早くメスを獲得し、また、より多くのメスを獲得する。
 オオガラは、長い歌をさえずるオスは、つがい外交尾(浮気のこと)に成功することが多く、自身のつがいメスが、つがい外交尾をすることが少ない傾向にある。
 カラスはダチョウの卵の殻を割ることができない。そこで、殻を割っているハゲワシにつきまとい、殻が割れた瞬間に集団で攻撃し強奪する。いやはや、すごい知能犯集団です。
 ヨーロッパのカササギは、日本と同じく小枝をつかって大きな巣をつくる。少し異なるのは、日本のカササギは例外なく立派な屋根つきのドーム状の巣をつくるけれど、ヨーロッパのカササギは、屋根のない巣をつくるものもいる。屋根があると、捕食者のカラスが入りにくく、卵やヒナが捕食される危険を小さくできる。
 カササギは巣をつくるのに費やす時間が短く、早く巣をつくるオスのつがい相手のメスは多くの卵を産んだ。カササギのメスは、巣や造巣行動を手がかりに、オスの造巣能力、ひいてはオスの資質を評価して、能力の高いオスとつがった場合は、産卵数がふえる。
 闘争能力の高い個体は、冬期の餌の確保や繁殖期のなわばり占有を通じて適応度を高めている。これに対して闘争能力に劣る個体は、頭をつかって別の道を探る方向に進んでいる。
 鳥にもいろんな鳥がいて、それぞれ適応・発達していることがよく分かる本です。
(2017年4月刊。2800円+税)

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2018年1月 5日

にっぽんスズメ散歩

生物(鳥)


(霧山昴)
著者 ポンプラボ、 出版  カンゼン

 身近なスズメたちが写真に生き生きとうつっています。
 驚くのは、そのスズメを固体識別として、名前までつけて観察していることです。
 よほどじっくり、そして長期間見ていないと、とても出来ませんよね。
 毎日観察していると、スズメの個性も見えてくる。
 オデキちゃんは、くちばしの上にオデキがある。性格は穏やかでなぜか高いところが好き。ケンカは苦手で、仲間たちの周りをいつも走り回っている。
 ゲンちゃんは元気一杯に生きている。右足の先に障害があり、いつもべたんと座っている。
 シロマユ君。左目の上に眉毛のように白い筋がある。いつも仲間を一緒で絶えず動き回っていて、カメラを向けていると、割り込んでまで写ろうとする。
 ボサくん。ボサボサの毛をしていた。臆病で仲間に食べ物をとられることが多い。
スズメを写真にとるとき、人の気配があると近くに来てくれないので、窓ガラスにマジックミラーフィルムを貼って、ことらの気配をさとられないようにする。
 スズメは聖書にも登場している。身近な鳥の代表選手だった。
 大きな公園のスズメは人間が来てもあまり怖がらず、むしろ人間を見ると近寄ってくるのもいる。なので、スズメをよく観察したいのなら公園に行くのは一番の近道。
 スズメのドアップで鮮明な写真がたっぷりみられる、楽しい写真集です。
 
(2017年7刊。1400円+税)

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2018年1月 6日

アリ!なんであんたはそうなのか

生物(アリ)

著者 尾崎 まみこ 、 出版  化学同人

子どものころから、地上を歩むアリをじっと観察していて、今ではアリと会話までしている著者による面白いアリの本です。
迷子にならず自分の巣に帰るアリ。クロシジミの幼虫にせっせと餌を運ぶアリ。体臭の違いによって敵か味方かを識別しているアリ。働かないアリは、何が違うのか、、、。
アリがどれだけの重さを背負って運べるのか、実験してみた。アリの背中(胸部背面)は、ヒトコブラクダのように盛り上がっていて、平坦ではない。そのうえ、その大きさと形は一定ではなく、きわめて個性的。そこで、ハンダを溶かして、一頭一頭のアリの背中の起伏にあわせた形の荷物をつくった。10ミリグラム、20ミリグラム、40ミリグラムと過重を増やしていく。体重と同程度になってもアリは「平気で」歩いた。しかし、力自慢のアリであっても重たいものは重たいと感じ、歩き方を変えていることが分かった。
クロオオアリの結婚飛行。初夏の5月6月、少し湿度の高い、風のない穏やかな日に一斉に穴から空中へ飛び立つ。早すぎても遅すぎても台なしなのだが、どうやってその同期性を確保しているのか、、、、。何か通信手段をもっているのか、謎のままである。
一斉にオスとメス(女王)のアリが飛び立ち、空中で交尾する。そして、交尾した女王アリは天からおりてきて地面にもぐり、たったひとりで営巣をはじめる。オスのアリは、一人で生きていくことは出来ずに死んでいく。
アリの社会は巣が基本単位。働きアリどうしの仲間づきあいのルールは、巣が同じなら、みんなが共通にもっている体臭による。
働かない働きアリは、すべてにものぐさなので、わざと体表の炭化水素パターンの異なる敵を連れて行き出会わせても、攻撃しようともしない。働かない働きアリの脳の中では、働く働きアリに比べてオクトパミンという神経伝達物質が増えていることが最近判明した。脳内にオクトパミンが多いとやる気がなくなるということはザリガニを調べて実証できた。
アリの小さな脳から脳内物質を取り出して研究するなんて、本当に学者は大変ですよね。
(2017年5月刊。3000円+税)

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2018年1月 7日

果てなき旅(下)

日本史(明治)


(霧山昴)
著者  日向 康 、 出版  福音館書店

 足尾銅山公害事件に取り組んだ田中正造の伝記の下巻です。軽く読み飛ばすつもりだったのですが、その扱ったテーマの重大さに押されて、そうは問屋がおろしませんでした。下巻だけでも読了するまで1ヶ月間ほどかかってしまいました(毎週日曜日のランチタイムに読んでいたのです・・・)。
 明治34年10月23日、田中正造は衆議院議員の職を辞した。翌月、銅山王・古河市兵衛の妻が神田川で水死体として発見された。同年12月、61歳の田中正造は天皇の馬車に対して直訴状を手にもって近づいた。「お願いの儀がございます」。この直訴状は、社会主義者の幸徳秋水が執筆した。
 幸徳秋水は、社会主義者として、事態の解決を天皇の手に頼ろうとする点に抵抗があり、また、いかにも大時代的な直訴状(じきそじょう)なるものを起草するのは、いかがかとためらった。しかし、長年にわたる苦闘に疲れている田中正造の姿を見て、断りきれなかった。
 田中正造は、自分は死んでもよいと考えていた。そして、鉱毒事件の解決のために社会主義者を巻き込もうと考えていた。
 ところが、田中正造は「狂人」として、何ら罰されることがなかった。田中正造を裁判にかけたら、足尾銅山による公害被害民を支援する世論が湧きたつ危険があった。それを政府は計算した。実際、田中正造の直訴をきっかけとして、鉱毒事件に対する世論が大きく湧きたった。新聞は、こぞって支援したし、内村鑑三や安倍磯雄、そして木下尚江などが被害者救済の演説会を開いた。さらに、明治34年の暮れ、東京在住の大学生たちが大挙して被害地を視察した。そして、鉱毒地救済婦人会も大活躍した。
 この大学生たちについて、結局、何の役にも立たないと田中正造は落胆しています。本当に残念です。学生の大部分は、わが身安全を第一と願う人間となって社会に出てしまう・・・。そうなんですよね・・・。実に痛い指摘です。東大闘争を経験した多くの東大生は権力の醜さを実感したと思うのですが、その多くがいつのまにか体制に順応していきました。
 田中正造に対して、「予戒令」(よかいれい)という措置が講じられたというのは初めて知りました。県知事や警視総監が発する制限命令です。
田中正造は73歳で亡くなりました。死んだとき残っていたのは菅(すげ)の小笠と1本の杖。信玄袋に入っていたのは、聖書と帝国憲法、そして日記帳、そのほか・・・。
 偉大なる、というか不屈の闘士である田中正造の生きざまを垣間見る思いのした本です。37年も前の古い本ですが、ネットで注文して読みました。大変読みごたえのある本です。
(1980年2月刊。1300円+税)

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2018年1月 8日

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

生物(人間)

著者 フランス・ドゥ・ヴァール 出版  紀伊國屋書店

ハイイロホシガラスは、秋に、何百平方キロメートルもの範囲の何百という場所に、マツの実を2万個以上も蓄えておき、冬と春の間に、その大半を見つける。
ゾウが物をつかむ鼻は、霊長類の手とは違って嗅覚器官でもある。ゾウは、道具を使える。
かつては動物に名前をつけるのは人間が過ぎると考えられていたため、西洋の教授は学生に日本の学派には近づかないように警告していた。サルはみなそっくりなので、伊谷が100万頭以上のサルを見分けると言ったとき、ホラ吹きにちがいないと思われてしまった。今日では、多数のサルを見分けるのは可能だし、現に見分けている。そうなんですよね。外国人からみると、日本人って、みな同じ顔をしていて見分けがつかないとよく言われますよね、、、。
チンパンジーのメスが年齢(とし)をとって果実の生(な)る木に登れなくなったとき、木の下で辛抱強く待っていると、娘が果実をかかえて下りてきて、二頭いっしょに満足そうにむしゃむしゃ食べはじめました。親子で協力しているのですね。
チンパンジーが蜂蜜を採集するときには、5つの道具からなるセットを用意する。巣の入口を壊して広げる頑丈な棒、穴をあける棒、穴を拡大させるもの、蜂蜜をなめとる棒、スプーン代わりにする樹皮片。
チンパンジーは、他のすべての類人猿と同じで、考えてから行動する。オウムのアレックスは、話せるし、計算することだってできた。
オオカミは、犬ほど人間の顔を見ないし、自己依存の度合いが強い。犬は自分では解決できない問題に取り組んでいると、飼い主を振り払って、励ましや手助けを得ようとする。オオカミは決して、そういうことはしない。 自分で試み続ける。
犬は人間としきりに目を合せる。飼い主も犬の目をのぞき込むと、オキシトシンが急速に増える。
著者の観察と研究によってチンパンジーが政治をしていることが判明した。二頭のライバル間だけで対決に決着がつくことはほとんどなく、他のチンパンジーたちがどちらを応援するのかが関係する。事前に「世論」に影響を与えておいたほうが有利になる。
旗色が悪くなったチンパンジーは、手を広げて仲間のほうに差し出し、助けを求める。支援を得て形勢を逆転させようとしているのだ。そして、敵の仲間に対しては、懐柔しようと懸命になり、腕を回して顔や肩にキスをした。助けを乞うのではなくて、中立の立場をとってもらうのが狙いだった。
著者が私と同年生まれだというのを巻末の著者紹介で知っておどろきました。人間が一番だなんて、とてもとても威張ってなんかおれませんよね。
(2017年9月刊。2200円+税)

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2018年1月 9日

ぼくは13歳、任務は自爆テロ

アフリカ

著者 永井 陽右、 出版  合同出版

今どきの若者は、、、たいしたものです。心から応援したくなります。
大学生のころから、アフリカに渡ってテロのない世界を目ざして活動してきたというのです。信じられないほどすごいです。若い男女学生たちがアフリカ現地に出かけてがんばっているのを知ると、日本の若者もまだまだ捨てたものじゃないなと安心してしまいます。
若者に安定志向が強く、自民党の支持率が40%というのを知って、がっかりした矢先にこの本を読んで、大いに救われた気がしました。やはり、何かのきっかけがあれば、若者も必ず立ち上がるのです。私たち団塊世代(今ではみんな70歳前後です)も、学生のころ(20歳前後でした)には、いろんなきっかけから目覚めて、世の中を大いに動かしたのです。これは全共闘の暴力的な街頭行動を意味していませんので、誤解ないようにお願いします。
著者はソマリアに赴きます。ソマリアでは、この20数年間に180万人をこえる難民が生まれ、国民の半数以上が緊急人道援助の必要があるとされている。2012年にソマリアにも正式な政府が誕生したが、内戦は今でも形を変えて続いている。「国境なき医師団」もソマリアは危険すぎるという理由で撤退してしまった。
政府による公共サービスは皆無に近く、政府内では汚職がはびこり、年間700億円にのぼる国連その他からの援助は、必要な人々の手に渡らずにどこかに消えてしまっている。
ソマリアで活動しているアル・シャバブはよく訓練されていて、アフリカではもっともしたたかなテロ組織とされている。このアル・シャバブは、アルカイダに忠誠を誓っている。
著者はソマリアの隣国ケニアの首都ナイロビにあるソマリア人の大勢すむ地区で、ギャング国に入った若者の救援活動もしています。
ソマリアの激しい内戦のため故郷から離れざるをえず、移住してきたケニアの地でも暮らしがきびしく、差別や孤独にさいなまれ、警察の取り締まりを恐れながら生きている。彼らはどうにか生きるためにはギャングになるしかないと考えた。いったんギャングに入ると抜け出すのは大変困難、組織からの復讐もあるし、世間は元ギャングを受け入れようとしない。孤独から逃れるためにギャングになったのに、ギャングになったらさらに孤立してしまう。ギャングを捕まえて刑務所に入れても、刑務所の中で犯罪者がさらに過激化していくことが少なくない。
しかし、元ギャングを排除するのではなく、受け入れ、寄り添う。その孤独や恐怖、世界への怒りを軽減させることが大切。
アル・シャバーブは、盛んに子どもたちを勧誘し、子ども兵として使役している。とくに10歳くらいの子どもに目をつけて、自爆テロ要員にしている。うひゃあ、恐ろしい、悲しいことですね。
地道な活動を粘り強くすすめている若い人たちに心からの声援を送ります。
(2017年8月刊。1400円+税)

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2018年1月10日

貧困と自己責任の近世日本史

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  木下 光生 、 出版  人文書院

 飽食とも言われる現代日本でも餓死が現に発生しています。それも路上のホームレスではなく、自宅(アパート)での餓死です。これに対して、自己責任だとして冷たく切り捨てようとする風潮があります。年末に日比谷公園で貧困救済で「年越し派遣村」が生まれて全国的にも大きく注目されましたが、あっという間にその熱は冷めてしまいました。
貧困の公的救済に対して異様に冷たく、貧困をもたらす原因として極度に自己責任を重視するというのが社会全体の姿勢になっている。
 日本では他者に対する信頼度(社会的信頼度)が先進諸国のなかで最低になっている。日本社会は、貧困の公的救済に対して世界的にみて突出した冷たさを示している。なぜなのか・・・。
本書は、文化5年(1808年)の江戸時代の奈良県(大和国吉野郡)田原村の全世帯41件についての1年間の収支報告書をこまかく分析した結果にもとづいています。それによると、村人の生活が年々貧しく(厳しく)なっていったこと、それは藩による年貢率の引き上げによるものだという通説は誤っているというのです。
 この本は、「持高」つまりどれだけの石高(お米の生産量)によっては貧富かどうかは一概には決められないこと、税負担率は、世帯間で相当な落差があって、それだけでは決められないし、むしろ一般には実質税率は軽減されていたこと、村人の家計を苦しめていたのは、年貢や借金よりも、主食費や個人支出といった、自らの消費欲に左右される消費支出部分であったこと、などを明らかにしています。
 年貢率は、長期的な上昇傾向をもつ村はほとんどなく、むしろ一定率で固定あるいは下降傾向にあった。平均税率は20%以下の15%未満ということもあった。こまごまとした現金収入の存在が案外、生活者にとっては大きかった。
 江戸時代、苦しい生活実態にある住民の根本的な救済責任は村にあって、藩当局(ましてや江戸幕府)ではない。ということは藩による恒常的な救済活動は望むべくもない。藩による御救(おすくい)は、継続的・恒常的になされるものではないこと、このことが繰り返し明言された。
 江戸時代、つまり近世日本社会における生活保障は、基本的に民間まかせであり、領主によるお救いは、はなから期待されていない。どれほど生活が困窮していたとしても、他人の施しにあずかるようなマネだけはしたくない。こんな強迫感を人々はもっていた。村人から助けてもらうと、まことに厳しい社会的制裁を受けることになった。日笠をさすな、雪踏(せった)を履くな、絹織物を着るな、などなど。
 江戸時代の村社会の現実を当時の村落の住民の収支表をもとに論述されています。貴重な労作だと思いました。
(2017年10月刊。3800円+税)

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2018年1月11日

新・貧乏物語

社会


(霧山昴)
著者  中日新聞社会部 、 出版  明石書店

 アベ首相のもとですすめられたアベノミクスは大企業と大金持ちをますます富み栄させた一方で、貧しい人々は、より一層貧しくなり、しかも絶望感、政治への不信感が増大して、投票所へ足を運ぶ人が5割という状況をもたらしてしまいました。
 この本は、日本全国いたるところで貧困があふれていることを鋭く告発すると同時に、そのことへの異議申立の可能性をも語っています。日本社会の真実を知ることのできる貴重な本だと思いました。
 慶応大学2年の女子学生が派遣型の風俗店で働いていることが紹介されています。週3回、1日7時間働いて月収50万円、うち30万円を実家に仕送りし、残りはアパートの家賃5万5千円と生活費に充てる。学費は4年間で450万円。貸与される奨学金は月6万4千円。卒業までに307万円を借りる。卒業時に一括返済するため、風俗店で働くことを選んだ。
彼女のように風俗店で働く女子大生が増えているという。なんということでしょうか・・・。奨学金は貸与制ではなく、支給性にすべきですし、学費は無料にすべきではありませんか。私が大学生だったころは、月1000円でした。
 アベ内閣はイージス・アショアに出す2000億円はあっても、人材育成にまわすお金はないというのです。まったく間違っています。
 養護老人ホームは、入所困難のため順番待ちしているとばかり思っていると、なんとなんと、定員割れになっているのが実情だというのです。千葉県では、2015年10月時点で、全22ヶ所の養護老人ホームのうち20ヶ所が定員割れで、176人の「空き」がある。なぜか・・・。2005年にホームの運営費が市町村の全額負担とされたことが大きい。
 立命館大学を卒業してファミリーレストランをチェーン展開する企業に入った37歳の男性は、3年たっても給料は手取り14万円で、上がらない。入社時30人いた同期は6年たったら3人しか残っていなかった。
 一日中テレコールをさせられるブラック企業に入ると、1日で500件の電話かけがノルマ。一度切ったら3分間もおかずに次の電話をかけなくてはいけない。タバコ休憩は認められない。職場に監視カメラがあり、すべてを監視される。これは辛いですよね。
2014年の非正規な雇用労働者は1962万人。不本意非正規が18%を占める。社会の中核を占める30代から40代まで非正規が増えている。
人間や労働の価値のすべてを市場原理で測るようなことは、もうやめるべき。この指摘に、私はまったく同感です。国破れて山河あり、ではありません。人々が大切にされてこそ、政治です。力のある者は、政治が放っておいても自分の力だけで生きていけるのです。弱者にもっと光をあてた政治が望まれてなりません。
 中日新聞そして東京新聞は、国民目線のいい記事をたくさん報道しています。ぜひ、これからもがんばって下さい。
(2017年6月刊。1600円+税)

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2018年1月12日

「主権なき平和国家」

社会


(霧山昴)
著者 伊勢崎賢治・布施祐仁   出版  集英社

東チモールやアフガニスタンで国連代表として武装解除の仕事をしてきた伊勢崎氏は日本が真の主権国家であるなら、憲法を改定するかどうかの議論の前に日米地位協定を改定すべきだと主張しています。
これには私もまったく同感です。沖縄でアメリカがどんなにひどいことをしても、日本政府(アベ政権)は文句の一つも言わず、ただただ大金を差し出して臣下のように尽くすばかりです。これで「愛国心」教育を言いたてるのですから、あまりに情けなくて涙が出てきます。
現在の日本は、形式的には「独立国」でも、日米地位協定によって主権が大きく損なわれている。主権とは、国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利のこと。それは当然に、アメリカ人が日本国内で犯罪をおかしたら、直ちに逮捕して裁判にかけることができるはずです。
しかし、現実には、アメリカ軍の関係者はほとんど逮捕されず、訴追されることもなく、アメリカ本土へまんまと逃げ帰っています。これって、悔しくないですか・・・。まるで、日本は植民地、治外法権じゃありませんか。
強姦容疑で摘発されたアメリカ兵35人のうち、8割の30人は逮捕されていない。殺人などの凶悪犯として摘発されたアメリカ兵118人のうち半数の58人は拘束されないまま終わっている。
8年間で、アメリカ軍関係者の起訴率は17.5%でしかない。これは、日本全体の起訴率48・6%の半分以下。
しかも日本はドイツなどと違って、アメリカ軍に雇傭されているわけではない、単にアメリカ軍が契約しているだけの民間業者とその従業員(コントラクター)についてまで特別扱いをしている。
アメリカ軍は、日本全国どこにでも好きなところに基地を設定することができる(全土基地方式)。これは、アメリカが実力支配してきたアフガニスタンにもないもの。
日本が負担しているアメリカ軍の関係経費は2016年度に7642億円。このうち、いわゆる思いやり予算は、1920億円。1978年度に62億円でスタートしたものが、15年間で30倍にもふくれあがった。
たとえば、アメリカ軍の家族住宅の建設費は2900万円。これに対して自衛隊の家族用官舎は1000万円でしかない。日本が負担する在日アメリカ軍(軍人・軍属あわせて4万人)の光熱水費は247億円。これに対して、自衛隊(自衛官だけで5倍以上の22万5千人)の光熱水費は329億円。アメリカ軍はまさしく王侯貴族のように湯水のごとく使っていて、私たち日本人は税金で負担しているわけです。
そもそも、アメリカ軍は日本を防衛するために日本に駐留しているのではありません。あくまでアメリカの防衛戦略の一環として日本全国に基地を置いているだけなのに、あたかも支配者のように好き勝手に行動しているのです。
私は何もアメリカと国交断絶しろ、なんて叫ぶつもりはありません。そうではなくて、この本の著者たちが主張しているように、アメリカと対等の立場で交渉すべきだと言いたいのです。
(2017年11月刊。1500円+税)

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2018年1月13日

重力波で見える宇宙のはじまり

宇宙


(霧山昴)
著者  ピエール・ヒネトリュイ 、 出版  講談社ブルーバックス新書

 フランスの理論物理学者による解説書です。よく分からないなりに、宇宙のなりたちを知りたくて読んでみました。手にとって軽い新書だからといって、内容まで軽いとは限りません。
これまで人類が宇宙を観測してきたのは、まずは可視光のおかげであり、次にはあらゆる波長帯の電磁波のおかげだ。
重力波は、質量の大きな物体が、すばやく動くときに発生する。重力波は、観測可能な宇宙の大きさほどの脅威的な長距離を伝わる。重力波は非常に弱い力のため、重力波が途中にある物質に乱されることはほとんどなく、宇宙全体に届く。そのため、重力波は重力を起因する現象(ブラックホール)や重力波によって支配されている宇宙全体を観測する非常に有効な手段となる。
この重力波を検出するのは難しく、重力波を直接検出するまでに100年もの年月がかかった。重力波も光速で移動する。
合体した二つのブラックホールの質量を調べてみると、太陽の29個分と、36個分だったのが、合体したのだから、65個分のはずだったけれど、実際には62個分しかない。
重力波は、基本的な力のなかでも、最も弱いものだったが、今ではシンデレラのように主役におどり出ている。
重力波という、つかまえどころのないテーマを分かりやすく(実際には難しすぎたと反省しています)解説してくれる著者に感謝します。
たまには俗世間の憂さを忘れて星空でもながめないと毎日やっていけませんよね。
(2017年10月刊。1200円+税)

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2018年1月14日

いくさの底

ヨーロッパ(ポーランド)


(霧山昴)
著者 古処 誠二 、 出版  角川書店

 福岡県に生まれ、自衛隊にもいた若手の作家です。前に『中尉』という本を書いていて、私はその描写の迫力に圧倒されました。それなりに戦記物を読んでいる私ですが、存在感あふれる細やかな描写のなかに、忍び寄ってくる不気味さに心が震えてしまったのでした。
 『中尉』の紹介文は、こう書かれています。「敗戦間近のビルマ戦線にペスト囲い込みのため派遣された軍医・伊与田中尉。護衛の任に就いたわたしは、風采のあからぬ怠惰な軍医に苛立ちを隠せずにいた。しかし、駐屯する部落では若者の脱走と中尉の誘拐事件が起こるに及んで事情は一変する。誰かスパイと通じていたのか。あの男は、いったい何者だったのか・・・」
 今度の部隊も、ビルマルートを東へ外れた山の中。中国・重慶軍の侵入が見られる一帯というのですから、日本軍は中共軍ではなく、国民党軍と戦っていたわけです。そして、山の中の小さな村に駐屯します。村長が出てきて、それなりに愛想よく応対しますが、村人は冷淡です。そして、日本軍の隊長がある晩に殺されます。現地の人が使う刀によって、音もなく死んだのでした。犯人は分かりません。日本兵かもしれません。
 そして、次の殺人事件の被害者は、なんと村長。同じ手口です。
 戦場ミステリーとしても、本当によく出来ていると感嘆しながら一気に読みあげました。だって、結末を知らないでは、安心して眠ることなんか出来ませんからね・・・。
(2017年11月刊。1600円+税)

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2018年1月15日

明るい失敗

司法


(霧山昴)
著者 原 和良 、 出版  クロスメディア・パブリッシング

 いい本です。読んでいるときから、気持ちが軽くなっていき、読み終わったときには、さっぱりした気持ちになって、さあ、あすはどんなあしたが待っているかなと期待できるようになります。軽い本です。200頁の本に明日から明るく生きていくヒントが満載です。そうか、そういうことだったのか、自分を振り返ることができます。
 忙しいとは、心をなくすと書く。充実した人生を送ろうとすると、人生は本当に時間がない。人は、世の中で大切にされていない、と感じたとき、やり甲斐や充実感を失い、同時に自分の生きている時間を奪われていると感じ、忙しいという感情をもってしまう。
忙しい人に仕事が集中する。なぜか・・・。本当に忙しい人は、短時間で質の良い仕事を仕上げる努力をする。
 忙しい人が忙しいなかで、長期にわたって効率的に仕事を続けるには必要条件がある。それは心身の健康状態を常に最高レベルに保つこと。
 忙しいと思うときこそ、適当なリフレッシュや休息が必要。
 ビジネスで一番大事なのは、貯金ではなく、他者からの信頼の貯金である。
 大なり小なり、人生には思いがけない災難がふりかかってくる。どんな災難がふってかかろうとも、前進するためには、いったんその災難を受け入れ、そこから前に進むしかない。
 他人(ひと)に助けを求めることが必要なときもある。しかし、自分自身に乗り越える覚悟がなければ、他人は助けようがない。
 弁護士である著者は、離婚事件を見ていて、何が幸福かを決めるのは、社会や他人ではなく、その当事者本人であることをつくづく感じると言います。私も、それは同感です。
 そしてまた、著者は弁護士として、たくさんの逆境を見てきた。弁護士の仕事は逆境を引き受け業とも言える、と言います。
逆境は永遠に続くものではない。どんな嵐も時間の経過とともに過ぎ去っていき、乗り越えることができる。
 まったく私も同感です。私は、付け加えると、辛い思いをした依頼者には、しばらく旅に出たらどうですかと進めています。時と場所を変えてみると、なあんだ・・・、なんで、あんなに苦しんでいたのだろう・・・と、自分を客観的にとらえ直すきっかけをつくってくれることがあるのです。
 失敗したときこそ笑いましょう。著者のこの呼び替えに私は大賛成です。人生には笑いが必要です。辛さや悔しさを乗り越えるためには、笑い飛ばす力が欠かせません。
 佐賀県出身で、東京で大活躍している弁護士の本です。映画『それでもボクはやっていない』のモデル事件となった痴漢冤罪事件の弁護人でもありました。一読を強くおすすめします。

(2017年10月刊。1380円+税)

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2018年1月16日

粉飾決算VS会計基準

司法


(霧山昴)
著者  細野 祐二 、 出版  日経BP社

 この本を読むと、大企業の経理って、本当にいいかげんなものだと思いました。また、大手の監査法人も大企業の言いなり、その召使でしかない存在だと痛感します。これじゃあ真面目に税務申告して税金を払っているのがバカらしくなってきます。まあ、国税庁の長官が例の佐川ですから、「アベ友」優先の税務行政はひどくなるばかりでしょうね・・・。それにしても、公認会計士って、実に哀れな職業なんですね。みんな何のために苦労して資格をとったんだろうかと信じられない思いがしました。
 360頁もある大作ですし、会計学のことは分かっていませんので、誤解しているところも多々あるかもしれませんが、ともかく最後まで読んでみました。
 公正なる会計慣行は常に二つ以上ありうる。アメリカに上場している日本の大企業は、日本の会計基準ではなく、アメリカの会計基準にしたがった財務諸表を作成して開示している。目的による優劣に差のある複数の公正なる会計慣行のなかで、さらに目的により優劣に差のある複数の会計処理の方法が並存可能であり、それは会計の常識であって、社会はこれを許容している。ところが、日本の裁判所は最高裁も含めて、「公正なる会計慣行は唯一だ」としている。これは、そもそも前提が間違っている。
税法基準とは、税務上損金処理できるものが計上されてさえいれば、あとは何をやってもいいということで、このようなふざけた会計慣行が、当時の大蔵省銀行統一経理基準において、公正なる会計慣行として立派に認められていた。
 粉飾決算とは、事実と異なる重要な財務情報を悪意をもって財務諸表に表示する決算行為をいう。悪意がなければ、たとえ重要な虚偽表示があろうと、それを粉飾決算とは言わない。悪意が経営者にあったかどうかは、経営者の心の中の問題である。外形的かつ客観的にこれを判別することはできない。会計基準の錯誤は、故意を阻却する。
監査報告書の製品差別化ができない監査業界において、監査法人が営業努力により新規の監査契約をとるのは難しい。しかし、監査法人がいったんとった監査契約を解約するのは、それ以上に難しい。上場会社の監査契約は適正意見を暗黙の前提として継続されるというのが社会的通念となっている。監査法人が交代するというのは、世間には言えないのっぴきならない事情があると考えられる。監査法人により不正会計処理が発見されるのは、監査法人が交代したあとの、新しい監査法人による新年度監査のときが圧倒的に多い。
 日本の4大監査法人のうち最大級の2監査法人(あずさと新日本)がこのざまでは、他の監査法人も推し知るべしで、社会は粉飾決算の発見防止機能について、もはや何の選択の余地も残されていない。日本の公認会計士監査制度については、抜本的な検討がおこなわれるべきだ。
ほとんどの日本の監査法人は、監査調書のドキュメンテーションと、有価証券報告書の作成補助に汲々としており、会社の内部統制から独立した会計監査などできもしなければ、事実としてやっていない。日本社会は、この現実を直視すべきである。
東芝は、監査法人にとってまことに良い顧客で、結果として何の意味もなかった例年の監査において、新日本監査法人に10億円、EYに17億円という、美味しい監査報酬を支払っていた。しかも、粉飾への共謀が明らかとなった2016年3月期には、粉飾訂正のためという口実で、新日本監査法人に53億円、EYに26億円、合計79億円の報酬を支払っている。ちなみに金融庁が、東芝の粉飾決算に対する監査について新日本監査法人に課した課徴金は21億円あまり。これでは新日本監査法人は焼け太りで、金融庁の課徴金など、たいた意味をもたない。
 今では公認会計士ではない著書の一連の鋭い指摘について、公認会計士側からの反論があれば、それもぜひ読んでみたいと思いました。
(2017年10月刊。2400円+税)

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2018年1月17日

ビッグデータの支配とプライバシー危機

社会


(霧山昴)
著者  宮下 紘 、 出版  集英社新書

完全なネット社会になった現在、私たちのプライバシーは丸裸も同然という気がしてなりません。
2010年10月、警視庁公安部の日本に居住するイスラム教徒に関するデータが外部に流出しました。ターゲットにされたイスラム教徒は1万2677人。その氏名・生年月日、住所、電話番号、身長、体重、ひげ、メガネ着用の有無、交友関係のデータでした。
2013年5月から12月にかけて大阪府警は令状なしに容疑者の車両19台にGPSを取り付け、3ヶ月で1200回以上も検索した。
丸善ジュンク堂書店では、店舗における万引き対策として、顔認証カメラが導入されている。
ビッグデータは、単なる個人データの集合体としての統計データではなく、その統計から導き出された、パーソナライズされ、カスタマイズされた情報。監視の対象は人ではなく、データであって、特定のターゲットではなく、あらゆるデータをかき集める。そして、事後的な検証ではなく、事前の分析予測によってビッグデータは成り立っている。
ビックデータの典型例は、アマゾンの「おすすめの本」があげられる。
同窓会の名簿買取価格は1冊7000円から3万円。展示会入場者データは1件あたり50円。ベネッセの流出リストは、5万から16万円の値段で800万件の個人情報の売り込みがなされた。
単純な個人情報の漏えい事案における賠償金額は1人5000円から1万円というのが相場。
防犯カメラの設置と犯罪の増減の動向には相関関係はない。
人は忘れる。しかし、インターネットは忘れない。忘れられる権利は、EUが主導している。
この本を読むと、マイナンバー登録なんて、プライバシー丸裸を手助けするものでしかないと痛感させられます。タイムリーな新書です。
(2017年3月刊。760円+税)

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2018年1月18日

沖縄フェイクの見破り方

社会


(霧山昴)
著者 琉球新報社編集局 、 出版  高文研

アメリカのトランプ大統領が平然と嘘を言うことから、どれが本当なのか世間をごまかす言論が目立ちます。
そのターゲットにされている一つが沖縄です。沖縄経済は基地でもっているとか、沖縄にアメリカ軍の海兵隊がいるから日本の平和は守られているといった言説です。沖縄の地元新聞社が総力をあげて、いずれも事実でないことを実証しています。
沖縄からアメリカ軍の基地がなくなったら、それこそ沖縄経済は見違えるように発展すると思います。私も沖縄の新都心のにぎわいぶりを見ていますので、実感できます。
アメリカ軍の基地が返還された跡地は、どこも例外なく市街地として大きく発展している。いずれも雇用は数十倍から数万倍に増え、域内総生産は数十倍になった。
那覇新都心地区では、返還前の雇用者はわずか168人、それが返還後はなんと1万5560人と、93倍になった。経済効果も、返還前は年間52億円だったのが、返還後は年間1634億円になった。31倍だ。
沖縄の経済が基地に依存していた時代は確かにあったが、それは、1950年代、1960年代の話だ。今から50年も前のこと。今では基地関連収入は県民総所得の5%ほどでしかない。
政府の「沖縄振興予算」なるものは、特別の予算でもなんでもない。その総額は日本全体の予算の0.4%にすぎず、沖縄の人口が全国の1%をこえることを考えたら、極端に少ない。
東京MXテレビで沖縄に関して事実に反する番組が放映されたが、これは化粧品会社DHC系列の会社が制作したもの。このDHCという会社は超右翼に偏向していると指摘されていますが、テレビで「嘘」をされ流すなんて許せません。先日、川端和治弁護士を委員長とする放送倫理機構(BPO)が、その偏向をたしなめましたが、東京MXテレビはまったく反省していないようです。
日本にいるアメリカ軍は沖縄をふくめて日本を守るために駐留しているのではない。それは日本の責任だ。アメリカ軍は、韓国、台湾およびト東南アジアの戦略的防衛のために駐留している。沖縄を拠点とするアメリカ軍海兵隊の主力戦闘部隊は、年間の半分以上は沖縄にはいない。太平洋地域を巡回展開している。
やはり、なんといってもマスコミは真実をあくまで報道すべきですよね。その点、沖縄の地元紙は偉いと思います。広く読まれるべき本です。
(2017年10月刊。1500円+税)

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2018年1月19日

人口減少時代の土地問題

社会



著者  吉原 祥子 、 出版  中公新書

 空家等対策特別措置法が2015年に反面施行されてから、2017年3月付で、行政による空き家の強制撤去(代執行)は全国で11件。所得者不明のときの略式代執行は34件。これって、まだまだ少なすぎますよね。
所得者の所在把握の難しい土地は、私有地の2割にのぼり、今後も増加するだろう。鹿児島で2015年に調査したところ、相続登記がきちんとなされていない農地が21%あった。全国的にも、相続未登記の農地が2割ある。
福島第一原発の除染廃棄物を保管するための中間貯蔵施設予定地の地権者2400人のうちの半分1200人分が「所得者不明」の状態にある。
なぜ相続登記がなされないのか。土地売却や住宅ローンを組むためには相続登記する必要がある。しかし、自己資金でマイホームを建てるのなら、相続登記の必要はない。そして、相続登記手続には一定の費用がかかるが、対象土地の資産価値が高くなければ、お金をかけてまでする意味はない。
土地の資産価値は下落する一方にある。人口減少にともない土地需要が減り、地価の下落傾向が続けば、人々にとって土地は資産というより、管理コストのかかる「負の資産」になっていく。もらっても困る田舎の土地をわざわざ手間と費用をかけてまで相続登記を行わないのは、短期的な経済合理性から当然と言える。
 家庭裁判所への相続放棄の中立件数は年々増加する傾向にある。2000年に10万4500件だったのが、2015年には1,8倍の18万9400件になっている。
 地方自治体は、土地の寄付を受けとろうとはしない。受けとるのは「公的利用が見込める場合」だけだ。
国土調査の進捗率は52%。残りの48%については、完了までにあと120年を要する。この国土調査費用について、市町村の実質負担は5%でしかない。しかし、職員の人件費は補助対策とはなっていないので、市町村の負担減は小さくない。そして、国土調査で「筆界未定」がたくさん生まれている。
相続人不存在によって、亡くなった人の資産が国庫に帰属した金額は、2006年度に224億円だったのが、2015年度には420億円へ増加した。
 日本全国で空き家問題、相続登記未完了の土地が大量に存在している問題について、その原因と対策が論じられています。まさしくタイムリーな新書です。
(2017年7月刊。760円+税)

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2018年1月20日

守教(上)

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  帚木蓬生 、 出版  新潮社

この本のオビには、「戦国期から開国まで。無視されてきたキリシタン通史」と書かれています。まだ上巻を読んだだけですから、本当は下巻まで通読したあとに言ったほうがいいと思いますが、筑後平野のド真ん中に隠れキリシタンの集落があったことを私が知ったのは古いことではありません。今から10年ほど前のことです。
2年ほど前、今村天主堂を見学してきました。壮厳としか言いようのない見事な天主堂が見渡す限りの平野にそびえ建っているのは何とも不思議なことだとしか言いようがありません。厳しかったはずのキリシタン禁圧を江戸時代を通じて一村丸ごとはねのけてきたというのですから、信じられません。
離れ小島なんかではありません。どこまでも田圃が続く筑後平野のなかで、ある村落だけがまとまって隠れキリシタンとして親子何代にもわたって続いてきたというのです。今でも今村天主堂の周辺はキリスト教信者が圧倒的に多いとのこと。驚くばかりです。
なぜ、そんなことが可能だったのか・・・。いろんな説があるようですが。私は、藩当局も結局のところ見て見ぬ振りをしていたのではないかという説に賛同します。要するに表向きは仏教徒だということになっていて、真面目に農業を営み、藩政に反抗するわけでもないので、万一、摘発して根絶やししてしまったら、あとの補充が大変だし、藩の失政として江戸幕府より厳しく責任追及されるのを避けたかった・・・。私は、このように考えます。
この本は、戦国時代、カトリックの神父たちが次々に布教目的で来日して、苦労しながら信者を増やしていく努力の過程を丁寧に再現しています。信者を増やすには、領主を信者にするのが早道です。でも、領主も従来の仏教寺院とのつながりがありますし、容易なことでは獲得できません。
上巻では大友宗麟(そうりん)をめぐる状況に重きを置いて話が展開していきます。キリシタン禁圧が始まり、どんどん厳しさを増していきます。信者たち、神父たちの運命やいかに・・・。下巻を早く読むことにしましょう。
(2017年9月刊。1600円+税)

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2018年1月21日

信長研究の最前線(2)

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者  渡辺 大門 、 出版  洋泉社歴史新書

 信長は、朝廷の外護者(げごしゃ)たる存在だった。外護者としての織田信長、政治・秩序の保障者としての朝廷。両者は、相互に補完しあって、国家の上部構造に位置づけられていた。
 イエズス会の宣教師たちは、安土築城のころから、信長について中央を治める権力者であると認識するようになっていた。
織田信長がイエズス会を厚遇したのは、彼らが自分に敵対することなく、従順な姿勢をもっていたから。
イエズス会は、信長に黒人を献上していたが、その黒人は本能寺の変で明智方と戦った。そのことから、宣教師は光秀の報復を恐れた。しかし、光秀はイエズス会を敵視することはなく、黒人はイエズス会に返されたので、宣教師たちは安心した。
イエズス会は、本能寺の変のとき、都でも安土でも非常に動揺していることから、本能寺の変を事前に予知していたとは思われない。
 織田信長については、まだまだ研究し尽くされていないところがあると思ったことでした。
(2017年8月刊。980円+税)

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2018年1月22日

ウンベルト・エーコの小説講座

人間


(霧山昴)
著者  ウンベルト・エーコ 、 出版  筑摩書房

 『薔薇の名前』は驚嘆して読みました。中世の教会の馬鹿馬鹿しくも、おどろおどろしい雰囲気があまりにも真に迫っていて、背筋の寒くなるほど不気味な雰囲気のストーリー展開でした。ですから、画期的な名著であり、圧倒されてしまう傑作だと思いますが、もう一度よく読んでみようとは思わない本です。それはともかくとして、そんな偉大な傑作をどうやって書いたのか、そこはぜひ知りたいところです。なぜなら、私もモノカキを自称していますし、小説に挑戦したことがありますし、いまも挑戦中だからです。
 『薔薇の名前』を書く前に、登場する修道士全員の肖像画を作成した。そうなんですよね。私も、登場人物が10人をこえる小説を書いたときには、それぞれのキャラクターを区分けして書いたメモをつくっていました。肖像画を描く才能はありませんので、メモだけでしたが・・・。これは矛盾なく話をころがしていくためには不可欠なのですが、ストーリーが進展するなかで、どんどん人物像がふくらんでいくので、前後そして関連人物との矛盾をきたさないようにするのが大変でした。
 小説とは、何よりもまず、ひとつの「世界」に関するもの。何かを物語るために、作者はまず、世界を生み出す創造神になる必要がある。その世界は、作者が自信をもって、そのなかを動き回れるような、可能なかぎり精密な世界でなくてはならない。
書き手にとって、小説の世界の構造、つまり出来事の舞台や物語の登場人物は重要なもの。しかし、その正確な構造を読者に伝えたほうがよいとは言えない。むしろ、多くの場合、読者に対してはあいまいにすべきものである。矛盾があって、読者に探究心を呼びおこすのがいい。
 作家がひとたび特定の物語世界を構想したら、言葉はあとからついてくる。そのとき出てくる言葉は、その特定の世界が必要としている言葉なのだ。なるほど、たしかにそうなのです。ストーリー展開は、書いているうちに次々にふくらんでくのですが、それは自分の意識していない方向にペンが走っていくこともしばしばなのです。そんなことがあるから、小説の世界に意外性が生まれ、耳目を惹きつけるのかもしれません。
(2017年9月刊。2300円+税)

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2018年1月23日

オクトーバー、物語ロシア革命

ロシア


(霧山昴)
著者  チャイナ・ミエヴィル 、 出版  筑摩書房

 1917年10月に起きたロシア革命が刻明に再現されています。まさしく情勢は混沌としていて、決してレーニン率いるボルシェヴィキが情勢を切り拓き、リードしていったという単純なものではないことがよく分かりました。
 レーニンは始まったときにはロシア国内にいませんでした。始まったあとでドイツを封印列車で通過してロシアに帰還します。でも、それは大歓迎されることを予測してのものではありませんでした。レーニンはペトログラードに4月3日、到着する前、逮捕の危険があるのかと尋ねたほど。しかし、駅には数千人が歓迎に出迎え、花束を手渡し、敬礼した。そして、革命の遂行過程では、フィンランドへ身を隠すしかなかったのです。それほどレーニンの支持勢力は弱小だったということです。ところが、後半になって、情勢が一気に逆転していくのです。はじめて兵士と労働者が急進化して、一気に武力で権力中枢を支配するのでした。ロシア革命は決して一直線で進行していったのではなく、大変な紆余曲折があって進行します。いわば難産だったのです。
 レーニンには、並みはずれた意思力があり、それを誰もが認めた。レーニンには血や骨の髄まで、政治以外には何もない。レーニンに会った人は誰もが魅了される。レーニンが特に傑出しているのは、政治的な時期を見きわめるセンスだ。
当時のロシア皇帝・ニコライ二世を定義するのは、欠如だ。表情の欠如、想像力、知性、洞察、衝動、決断力、覇気の欠如。妻は、夫に輪をかけて人気がない。
皇帝ニコライ二世は、日本人を「猿」と呼び、劣等民族とみなしていた。ところが、楽に勝てるはずの日露戦争で、次々に日本軍に敗退する。
ロシア帝国の当時の人口は1億2600万人。人口の5分の4が土地にしばられた農民、農奴。
3月9日、臨時政府を初めて承認し、祝福したのは、アメリカだった。その次に、イギリス、フランス、イタリアが続いた。
スターリンは、古くからのボリシェヴィキの活動家。才気煥発とは言えずとも、有能な組織者だった。よく言えば、まずまず。インテリ。悪く言えば、面倒な人物、党内の左派でも右派でもない。風見鶏的存在。
7月には、レーニンはスパイだ、ドイツの手先だ、裏切り者だという噂が広まった。ボリシェヴィキは身の安全を求め、上層部の多くは、進んで身を隠した。
10月、軍事革命委員会は銀行を占拠した。そして、レーニンは権力を握ったとする声明書を発表した。そこに書かれた内容は事実ではなく、願望だった。しかし、10月26日午前5時、レーニンの声明書は圧倒的多数で可決された。
レーニンは、1924年1月、病気のため死亡。そのあと、レーニンが危惧していたとおり、スターリンの暴政が始まります。しかし、そのことにレーニンも責任を負うべきではないかという指摘があります。
それはともかくとして、ロシア革命の複雑な過程を400頁あまりの本によって、一見することができました。大晦日(12月31日)に、事務所内に一人こもって読了した本です。2017年に読んだ単行本は580冊になりました。
(2017年10月刊。2700円+税)

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2018年1月24日

ヴェトナム戦争・ソンミ村虐殺の悲劇

アメリカ・ベトナム

著者 マイケル・ビルトン、ケヴェン・シム 出版 明石書店

 私の大学生のころ、ベトナム戦争が真最中で、何度も何度も「アメリカのベトナム侵略戦争、反対」を叫びながらデモ行進したものです。
 ベトナム戦争が終わったのは、私が弁護士になった年の5月1日、メーデーの日でした。たくさんのベトナム人が殺されました。そして、ベトナムのジャングルで意味もなくアメリカ兵が死んでいきました。5万5000人もアメリカの青年が死んだのです。でも、ベトナム人の死者はその10倍なんかではありません。数百万人です。
 いったい何のためにアメリカは遠いベトナムに50万人もの大軍を送り込んだのか、まったく壮大な誤りとしか言いようがありません。ベトナム戦争で利益を得たのは軍需産業と一部の軍トップだけです。
 ベトナムでアメリカ軍は残虐な集団殺人を繰り返しました。それは、ベトナムの共産化を防ぐため、ベトナムの国民を共産主義の脅威から救うため、ベトナムに民主主義を定義させるためというのが口実でした。しかし、現実には、アメリカ人はベトナム人を人間とは思っていなかったのです。それは、ナチス・ヒトラーがユダヤ人を人間と思っていなかったのと同じです。
 この本は560貢もの大作です。
ソンミ村の大虐殺事件が起きたのは1968年3月16日。わずか4時間のうちに500人以上の罪なき村民が、子どもをふくめて虐殺された。犯人は第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の45人の隊員。アメリカ全土からベトナムにやってきた20歳前後の典型的なアメリカ青年たち。その出身は中流階級から労働者階級。
大虐殺事件が明るみに出て、小隊長1人だけが刑務所にわずか数ヶ月間だけ入れられ、そのあと「無罪」放免となった。むしろ、アメリカ国民の一部からは「英雄」かのように迎えられた。
このソンミ村大虐殺事件は、次のことを教えている。
戦争では、現場で戦っている軍隊に統率力と道徳的決意の明確な意義がないときには、まともな家庭の善良な若者たちでさえ、事件に巻き込まれ、罪のない無力な人々を故意に残虐に殺害するという恐ろしい悪習に巻き込まれることになる。
第1小隊の隊長カリー中尉は、無防備な老人を井戸に投げ込み射殺した。カリー中尉は、死者で一杯になった用水路から這い出てきた赤ん坊を見て、その足をつかんで穴の中に再び放り込んで射殺した。そして、ソンミ事件で有罪となったのはカリー中尉の一人だけ。1971年に重労働をともなう終身刑を宣告された。ところが、ニクソン大統領は一審判決の30日後にはカリー中尉の釈放を命じた。1974年にカリー中尉が保釈されたが、実はそれまでも基地内で特権的な自由を享有していた。
ソンミ事件で虐殺したアメリカ兵の平均年齢は20歳前後。アメリカル師団第11軽歩兵旅団の部隊であるチャーリー中隊は、ベトナムに駐留してまだ3カ月ほどしかたっていなかった。
1968年3月というと、私も彼らと同じ19歳なのです。まったく私と同じ年齢の「善良」なアメリカの青年たちが、武装していない老人、女性、子どもたちを冷酷に4時間にも及んで殺害し続けたのです。信じられないことです。しかも、強姦、肛門性交、四肢の切断など、、、。想像を絶するあらん限りの虐待を繰り広げました。
今では、アメリカ人のなかにソンミ村の大虐殺は完全に忘れ去られている。せいぜい、ベトナム戦争中に起きた不愉快な事件として、あいまいに記憶されているだけでしかない。
ベトナムでは、そうではない。ソンミ村の現場には、2階建の立派な博物館があり、毎年3月16日には、追悼式典が開かれている。
ベトナム戦争の最盛時、50万人のアメリカ兵がベトナムに滞在し、毎月20億ドルも費やしていた。世界最強の軍隊が50万人いても、侵略者は最終的に勝利することが出来ないことを実証したのが、ベトナム戦争でした。
1968年というのは、1月にテト攻勢があり、サイゴン(現ホーチミン市)にあったアメリカ大使館が解放戦後(べトコン)の兵士によって1日中、占拠されたのでした。この様子がアメリカ全土に実況中継され、アメリカ政府の言っていることは信用ならない、ベトナムから手を引けというベトナム反戦運動を一気に高掲させました。
ソンミ村で虐殺した兵士たちは正常な心理状態を奪われてしまいました。今もなおPTSDに苛まれているアメリカ人が28万人いて、12万人が治療を受けているのです。
しかし、アメリカ社会は全体として、カリー中尉たちを容認し、アメリカ兵が虐殺したことを忘れることに努めているようです。それはアメリカが戦争国家だからです。私は日本がそんな国にならないことを、ひたすら願います。貴重な本です。ぜひ図書館で借りてお読み下さい。                         (2017年6月刊。5800円+税)

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2018年1月25日

興隆の旅

中国


(霧山昴)
著者  中国・山地の人々と交流する会 、 出版  花伝社

 日本軍・三光作戦の被害にあった中国の村を日本人一行が訪れた記録集です。
 中国河北省興隆県は北京市の北東に位置し、三方を長城で囲まれた山深い地域。1933年の日本軍による熱河作戦によって満州国に組み込まれた。それ以降、抗日軍と日本軍の激しい攻防が繰り返された。
 興隆県は1996年まで外国人に対して未開放区だった。そこへ、1997年8月、日本の小中高校の教師集団が訪問したのです。
ここには、人圏があった。人を集中させて、八路軍を人民から隔絶させ餓死させようと考えて日本軍がったこと。人々は、着るものも食べるものもなく、すべて日本軍に奪いとられた。
 日本人訪問団は日本から持っていった算数セットをつかって算数の授業をした。授業が終わると、校庭で教材贈呈式。そのあとは子どもたちとフォークダンス。宿泊は、村内の農家に25人が分宿。ホテルも宿泊施設もない村で、25人もの訪問団を泊めるのは、村にとって一大事件だった。
日本軍の蛮行で被害にあった体験を村人が語りはじめます。本当は、今日、ここに来たくはなかった。日本人を恐れていた。でも、今日来ている日本人は前に来た日本人とは違うと言われてやってきた。
日本軍の憲兵は、中国人を捕まえて投降させ、スパイにて中国人を殺させた。男たちは全部捕えられ、女と子どもしか残らなかったので、ここは「寡婦村」と呼ばれるようになった。無人区で中国人を見つけたら、一人残らず殺す。それが当時の日本軍のやり方だった。
2010年8月まで、11回も続いた日中交流の旅でした。日本人のゆがんだ歴史認識は、その加害の真実を知らない、知らされていないことにもよると思います。私自身もそうでした。しっかり歴史の真実を知ることは、真の日中友好の基礎ではないかと思います。日中友好の旅の貴重な記録集です。
(2017年3月刊。1600円+税)

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2018年1月26日

不当逮捕。築地警察交通取締りの罠

司法(警察)



著者  林 克明 、 出版  同時代社

 築地市場に仕入に来た寿司店の夫婦が交通取り締まりの女性警官に目を付けられ、言い合いになったところ、やってもいない暴行(公務執行妨害)で逮捕され、不起訴にはなったものの、それまで19日間も拘束されてしまった。
 納得できない夫婦は都と国を被告として損害賠償請求訴訟を提起し、事件発生から9年あまりたって240万円の賠償を認める判決を得た。その苦難の日々がドキュメントとして生々しく再現されていく貴重な本です。
事件が発生したのは2007年10月11日の朝8時ころ。逮捕されたときの被疑事実は、巡査(女性)の胸を7~8回突くなどの暴行をし、巡査の右手にドアを強くぶつけるなどして、全治10日間を要する右手関節打撲の傷害を負わせたというもの。しかし、付近にいた目撃者は口をそろえて暴行なんてなかったという。
 「被害」者である女性巡査のいう暴行の態様は、なんと6通りもある。少しずつ変化していっている。
 逮捕された男性の妻によると、女性巡査は、この妻から無視されたことに立腹したらしい。「この一帯を取り締まる権限をもつ自分たちが無視され」て気分を害したようだ。
 ええっ、これってまるでヤクザのセリフみたいなものではありませんか...。
 夫婦は巡査を被告とする損害賠償請求訴訟を代理人弁護士をつけないで提訴し、追行したが、あえなく敗訴(請求棄却)。
 そこで都と国を相手に国家賠償請求訴訟を提起する。このとき国民救援会の紹介で小部正治・今泉義竜の両弁護士に委任した。裁判が始まっても、警察も検察庁も一件記録の所在が不明だとして、提出を拒んだ。しかたなく文書提出命令の申立を6回もした。
 国賠訴訟で勝てた原因として、目撃者を4人も確保できたことは大きい。そして、目撃者を証人として調べないなど、不公平な審議をしていた裁判官を忌避していたことは効果があった。そして、さらに傍聴席を毎回満杯にできたことも大きかった。最後に、原告本人の強い意思、こんな理不尽なことをそのままにしてはいけないという信念の持ち主だったこと。それにしても警察官が事件をデッチ上げるなんて許せませんよね。
 担当した女性検事(五島真希)は現在、東京地裁判事になっているとのことです。そんなことで本当にいいんでしょうかね...。いい本です。とりわけ検察志望の司法修習生にぜひ読んでほしいと思いました。
(2017年12月刊。1800円+税)

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2018年1月27日

トラクターの世界史

社会


(霧山昴)
著者 藤原辰史 、 出版  中公新書

トラクターと戦車は、二つの顔を持った一つの機械である。
トラクターとは何か・・・。トラクターとは、物を牽引する車である。もっと詳しく言うと、トラクターは、車輪が履帯のついた、内燃機関の力で物を牽引したり、別の農作業の動力源になったりする。乗車型、歩行型、または無人型の機械といえる。
アメリカのフォード社は、第一次世界大戦を4度戦ったイギリスの農村での労働者不足を補うべく、トラクターを輸出した。
トラクターの登場は、馬の糞尿を肥料に使う習慣を徐々になくし、化学肥料の増産と多投をもたらした。
ソ連は、国家主導でフォードのトラクターを導入し、フォードの大口の顧客となった。
ソ連の農業集団化政策は、アメリカのトラクターの量産体制の成立のただなかで遂行された。トラクターは共産主義のシンボルでもあった。
ソ連では、トラクター運転手の半分以上が女性だった。
レーニンは、アメリカの農業機械化に強い関心を抱いていたし、農民こそ革命の主体になりうると考えた。
第二次世界大戦が始まると、ほとんどのトラクター企業が戦車開発を担うようになった。
スターリングラードにはトラクター工場があったが、トラクターだけでなく、ソ連軍を代表する中戦車T-34の約半分を生産していた。
アメリカの歌手・エルヴィスプレスリーの趣味の一つは、トラクターに乗ることだった。
日本は、20世紀の前半はトラクター後進国だったが、後半には先進国へと変貌をとげた。農地面積あたりの台数も世界一位となった。
トラクターを取り巻く社会環境の移り変わりを興味深く読みました。
(2017年9月刊。860円+税)

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2018年1月28日

文明に抗した弥生の人びと

日本史(古代史)


(霧山昴)
著者 寺前 直人 、 出版  吉川弘文館

いま、弥生時代研究は百花繚乱のさまを呈しているのだそうです。たとえば、弥生時代のはじめの数百年間は、世界的には新石器時代に属する可能性がきわめて高くなっている。  
縄文時代は、ゆうに1万年をこえる長期間である。これは弥生時代の10倍以上となる。縄文時代の人々が栽培植物を利用していた可能性は高い。しかし、それが主なカロリー源となり、人口増加に大きな影響を与えた可能性は低い。
土偶は、縄文時代草創期の後半期(1万2000年前)に登場する。この土偶の分布は地域的にかたよっていて、縄文時代の前・中期では滋賀県より西では土偶が出土していない。西日本に土偶が出土するのは縄文時代後期になってからのこと。ハート形土偶が出土する。
弥生時代の前期、水田耕作とともに、短剣をつかう社会となった。携帯できる武器、石製短剣が登場した。弥生時代中期の遺跡には磨製石剣が刺さった人骨が発見されている。
弥生時代中期に入って金属器が普及しはじめても、各地で磨製石斧や石包丁などの石器が利用され続けている。鉄斧と併用されていた。石製短剣は、人々の半数ほどが所有できるアイテムだったと考えられる。
石という伝統的な材料で製作された武威の象徴を幅広い構成員が所有することによって、武威が特定個人に集中することを防いだとみられる。これは近畿南部の人々のすがたである。
弥生時代と農耕水田との関わり、エリートへの権力集中と、それに抗する動きと、さまざまな社会構造の可能性が大胆に問題提起されています。
すべてを理解できたわけではありませんが、弥生時代の複雑、多様な社会のあり方に触れることができました。
(2017年10月刊。1800円+税)

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2018年1月29日

哲学の誕生

人間

著者 納富 信留 、 出版 ちくま学芸文庫

 ソクラテスとは何者か、というサブタイトルのついた文庫本です。ソクラテスというのは、自分では何ひとつ書き残していない哲学者なんですね。知りませんでした。
 ソクラテスが哲学者であったのではない。ソクラテスの死後、その生を「哲学者」として誕生させたのは、ソクラテスをめぐる人々だった。
 ソクラテスは、告発されて不敬神の罪で法廷に引き出され、アテネの民衆は有罪、次いで死刑の判決を受けた。
 その罪状は二つ。一はポリスの伴ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊のようなものを導入するという不正を犯している。二は、若者を堕落させるという不正を犯している。
 では、ソクラテスは、これに対して何と弁明したのか、、、。ソクラテスは、自身も石工であった。ええっ、そ、そうなんですか、、、。初めて知りました。
 プラトンは、ソクラテスの死後、ソクラテスを主たる登場人物とする「対話篇」を執筆した。この対話篇では、ソクラテスがいろんな人と対話するが、プラントン自身は登場してこない。
 生涯を通じて人々と言葉をかわし、人々に問いを投げかけたソクラテスは、自身では何ひとつ書き残すことはなかった。ソクラテスは、その死とともにこの世界から立ち去り、ただ人々の魂の記憶においてだけ存在し続けた。
 ソクラテスは学校や学派をつくっていない。常に街角で、さまざまな人々と対話するだけだった。
 プラントンは、愛しの弟子の一人でしかなく、ソクラテスの死のとき28歳の若者であり、ソクラテスの唯一の後継者とはみなされていなかった。
 ソクラテスは貧乏と変行で知られていた。
 ソクラテスという一変人に向けられた裁判は、アテネ社会の影を背負っている。裁判は思いがけず大差の死刑判決で終った。ソクラテスは、自身をもって、自らが「もっとも知恵ある者」と語り、裁判員たちの騒擾と憤激をひき起こした。
 「釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を世界の四聖と呼ぶ」。和辻哲郎の書にある。
ソクラテスは貧乏ではあったが体格は頑丈で、やせたとは言い難い。
出来事のすぐあとでなければ「記憶」が新鮮を失うといった想定は、現実の重みを無視した、あまりに素朴な理屈にすぎない。「記憶」は時の経過を必要とする。言葉にして示すことで人々は出来事を整理し衝撃をやわらげて自分の経験として理解する。そして、それそこ「真実」として一人ひとりの心の中に言葉として結晶していく。
 大いに考えさせられた文庫本でした。
(2017年4月刊。1200円+税)

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2018年1月30日

裸足で逃げる

社会


著者  上間 陽子 、 出版  太田出版

 沖縄の夜の街の少女たち。これが、この本のサブタイトルです。琉球大学の教授である著者が沖縄のキャバクラで働く若い女性たちに話を聞いたルポルタージュなのです。
 子どものころから暴力にさらされて育った女性は、大人になってからも家や地元周辺を離れることはなかった。妊娠して結婚して、子どもが8ヶ月になったころに離婚して、その子どもを奪われた。その後も、兄や恋人からの暴力にさらされ続け、そして、もう一度ひとりで子どもを産んだ。今、24歳。
キャバ嬢の仕事は日本の女子中高生のなりたい職業にランク入りして久しい。若い女性が層として貧困に陥るなか、華やかなドレスを身にまとい、男性客とのトークでお金を得るキャバ嬢が若い女性たちの憧れ職業となっている。
 スーパーやコンビニのレジの800円の時給より、2000円の時給のキャバクラで働くことによって、単身でも子どもを育てられる。つまり、沖縄のキャバ嬢たちは、子どもをひとりで抱えて、時間をやりくりして生活する気若い「母」でもある。
 中学校の教師たちは、非行に走った少女たちを見捨てない。しかし、そう言いつつも殴っていた。自分を大切にしてくれるひとが、一方では自分に暴力をふるうひとにもなる。そのことは、女性が男性とパートナー関係をつくるにあたって、大きな問題を生み出す。
 沖縄の非行少年たちには、先輩を絶対とみなす関係の文化がある。そのため、先輩から金銭を奪われ、ひどい暴行を受けても、後輩の多くは、それを大人に訴えることはしない。そして学年が変わり、自分が先輩になると、今度は自分たちより下の後輩たちに暴力をふるう。暴力が常態化かするなかに育つ子どもたちは、成長をすると、自分の恋人や家族に対しても暴力をふるうことを当然だと思うようになる。殴られるほうもまた、大切にされているから自分は暴力をふるわれていると思い込もうとし、逃げるのが遅れてしまう。
 入籍していないカップルの暴行は保護の対象でないとして警察署は追い返す。
キャバ嬢のなかには、客のなかから結婚相手を探しているシングルマザーたちがいる。深夜から明け方までお酒を飲み続ける仕事は体力的にきつく、長期にわたって働き続けることは難しい。時給2000円といっても、送迎代やメイク代などを差し引くと日給は1万円ほどでしかない。
 沖縄のキャバ嬢たちの置かれている実情がよく分かりました。それにしても暴力の連鎖はどこかで断ち切ってほしいものですね。広く読まれるべき本だと思いました。
(2017年12月刊。1700円+税)

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2018年1月31日

気概

司法


(霧山昴)
著者  小田中 聰樹 、 出版  日本評論社

 著者は司法改革に一貫して反対してきた学者です。当然、ロースクールも反対です。したがって、現在のロースクールの悲惨な状況は当然のこととみています。
 私自身は今回の司法制度改革を間違っていたと一刀両断するのには反対です。何事によらず歴史はジグザグしながらすすんでいくものです。司法改革のすべてをアメリカと財界の要求にもとづき発動したものとみるのは一面的すぎると考えています。
 それはともかくとして、長年にわたって司法制度の民主化のために奮闘してきた学者としてその主張には耳を傾けて、学ぶべき点が大きいと思います。この本は著者を3人の学者がインタビューした成果を基本としていますので、大変読みやすくなっています。
 著者が権力と戦ってきた原点は、小学生のとき中国大陸へ出征中の父に対して特高が治安維持法違反容疑で家宅捜索したのを目撃したことにある。たしかに、大変なショックだったでしょうね・・・。
 著者にとっての一番の教師は両親だった。このように言い切れるというのは、尊敬できる両親と良好な関係を維持していたということですね。うらやましい限りです。
 たくさんの論文を書いて本にしていますが、著者は体系的な教科書を書かなかったことが残念だということです。著者は、無罪判決請求権を中核とした刑訴法の体系をつくりたかったとのこと。いったい、どんな内容の法体系なのでしょうか・・・。
 弁護人と検察官がたたかい、最後には人民の力に依拠して勝訴し、そのことによって真実が明らかになるというのが著者の発想。これに対して松尾浩也教授は、裁判官の賢明さに信頼し、裁判官の権力によって真実が明らかになるとする。これは裁判官司法だ。
平野竜一教授は、裁判官を信頼するという立場で、誤判はめったにありえないと考えた。
東大の学者は、権力にすがって権威をもつという抜き難い考え方がある。権力の権威を笠に着て、その範囲でときどきは批判する。しかし、権力の真正面からぶつかることはしない。これが東大法学部の権威の原点。
 弁護人は被告人の意思に従属する存在ではない。弁護人には独立性があって、被告人とはある意味で対立してでも被告人の権利を守るためにたたかうべき場合がある。弁護士には弁護士固有の権利と義務があって、雇われ弁護士では言い尽くせない、独立性と権限がある。
著者の人物評は面白いです。宮本康昭さんは素晴らしく頭のいい人で、どこか飄々としたところのある心に余裕がある人だ。心に余裕があるから屈しなかった。岩村智文弁護士(川崎)は、ものすごく頭のいい人で、知恵袋、戦略家。寺西和史裁判官は、何があってもめげない、何というか不思議な人。非常に独特な個性の人。
司法改革は、ロースクールにせよ、法曹人口の増加、刑事訴訟法の部分的な改正といい、あらゆる面で失敗だった。やはり権力は狡知に長けている。権力を侮ってはならない。部分的な改正に目がくらんで、全体として見る目を失ってはいけない。
なるほどと思うところは確かに多い本でした。いろいろ問題はありますが、私はそれでも司法制度は前より少しはましになってきているところが多々あると私は考えています。引き続き著者には鋭い指摘を期待します。
(2018年1月刊。1400円+税)

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