弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2017年12月 1日
反核・平和を貫いた弁護士・池田眞規
司法
(霧山昴)
著者 池田 眞規 著作集刊行委員会 、 出版 日本評論社
昨年(2016)11月に88歳で亡くなった池田眞規弁護士を追悼する著作集です。その一生涯を反核・平和のために過ごしたと言ってよい池田弁護士は世界中に知己をつくっていたようです。
問題を多方面から見ながら生まれる豊かな発想、ときに周囲をはらはらさせる天衣無縫、自由な行動、そしてそれを進める強い意思と頑固さ。
池田弁護士は、ものすごいバイタリティーで世界中を駆け巡りました。
この本の圧巻は、反核・平和のための世界法廷での池田弁護士の活躍ぶりを紹介した部分です。このとき、日本の外務省は核兵器廃絶に反対する立場から、陰に陽に足をひっぱったようです。本当に残念なことです。たとえば、広島・長崎の市長は世界法廷に出廷するとき、証人として意見は言えないと外務省はタガをはめようとしました。とんでもないことです。しかも、両市長の発言内容への干渉もしたのです。
外務省は両市長に対して事前に発言原稿を見せろと求め、それに応じた長崎市長は12回も訂正を求められた。他方、広島市長は、「原稿ができていない」と言って逃げた。また、事前に公表するのは、裁判所に対して失礼にあたると言って逃げきり、当日は、核兵器の使用等は違法だし、国際法にも反すると陳述した。日本の外務省は政府の方針を忠実に実践しているだけとは言え、あまりにも情ない限りです。アメリカの核兵器によって日本の平和が守られているなんて神話に取り込まれすぎです。
池田弁護士は百里(ひゃくり)基地の訴訟にも関与しています。一審で敗訴したとき、原告団が弁護士たちを次のように言って励ました。
「裁判だから、勝つこともあらあな・・・。敗けることもあらぁな、へへへ・・・」
自衛隊が憲法違反かどうか調べるため、防衛庁(当時)の統幕部長や空幕長(源田実)を証人として呼んで法廷で質問しています。合計9人です。そして、二審でも12人もの学者などを証人として調べています。すごいことです。
いま、全国で安保法制が憲法違反だということを明確にさせる裁判が係属中です。ぜひ裁判所に明確な違憲判決を出してほしいものです。
故池田弁護士の遺思を受け継ぎ、次世代に反核・平和の動きの橋をつないでいくうえで、大いに役に立つ追悼集だと思いました。
(山形・T氏)
2017年12月 2日
スカートをはかなきゃダメですか?
人間
(霧山昴)
著者 名取 寛人 、 出版 理論社
形は女性だけど、心は男性。元トロカデロのバレエ団ダンサーになった人が女性から男性に変わる人生をたどっています。
小学生のときから女の子であることを断固として拒否して大きくなってきたというのですから、すごいですね。スカートの代わりにジャージ姿で通しています。着物姿なんて、とんでもありません。でも、生理があるようになるのでした・・・。
「世界的に有名な男性だけのバレエ団で活躍した唯一の日本人。名取寛人が語る、女として生まれて、男になるまで、そして夢のかなえかた・・・」
小学生のころ。「男の子らしいね」と言われることがしたかったかというと、そういうわけではない。ぼくは、ただぼくなだけで、「女の子だから」という言葉には違和感しかなかった。
それでも、著者は恵まれていたようです。母親(父親は離婚して、いません)は、いつでも、どんなときでも著者の味方になって、著者を安心させてくれました。偉いですね、この母親は・・・。そして、友人も教師も著者も変な扱いはしなかったようです。
高校では器械体操でがんばります。見かけは女性でも心は男性ですから、当然、女性を好きになります。でも、恋の告白はうまくいきません。
そして、男装した女性が接客するバーで働くようになります。1ヶ月たつと、ナンバーワンになったのでした。そして次はショーパブの世界へ。ここでもすごい人気。プレゼントしようという人が行列をつくって、30分も並んでいたといいます。ところが、4年たって、このままでいいのかと疑問を感じて、29歳のときアメリカはニューヨークへ行くのです。その前に胸を除去する手術を受けています。
ニューヨークではダンスのレッスンを受けていたのですが、ある日、バレエのレッスンを受けるようになります。そして教師に恵まれてトロカデロのオーディションを受けて合格。
著者は高校まで器械体操をしていましたが、その経験はバレエには生かせないといいます。
器械体操はスポーツで、バレエは芸術。筋肉をつかい、力を入れて、手や脚をまっすぐに伸ばすのはバレエではない。ジャンプするとき、器械体操は筋肉で跳ぶが、バレエは身体のバネをつかって跳ぶ。器械体操とちがって、バレエは身体の力を抜くことが重要なのだ。
この違いって、門外漢の私にはまったくピンと来ませんでした。
著者は、31歳のとき、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団に入団した。日本人として初めてだった。トロカデロにとって、日本はビッグマーケットになっている。著者は8年間、トロカデロで出演し、38歳で日本に帰国した。
その前に性別適合手術を受け、その結果として戸籍を男性に変更し、パスポートの性別も男性にした。
身と心が異なる人がこんなに多いのかと改めて驚き、かつ心配になりました。現代日本人がますますアメリカのように偏狭となって寛容の精神を失っている状況では、LGBTの存在が広く認められるのは容易なことではないように思われます。その意味で、本書が「フツー」の日本人の意識を根本的に変えることにつながることを心願います。ご一読ください。
(2017年8月刊。1300円+税)
2017年12月 3日
争議生活者
社会
(霧山昴)
著者 田島 一 、 出版 新日本出版社
私が弁護士になったころは労働組合がストライキをするのは日常的な光景でした。一日スト、部分スト、そして国電・私鉄が順法闘争に突入すると、電車のダイヤが大きく乱れました。すると、普段は法律にしたがった運行をしていないのだと実感しました。公務員はもちろんストライキをするし、大企業でもストライキに突入するところが珍しくはありませんでした。
1週間ブチ抜きストライキのときには、それでも動いている私鉄を乗り継いで通常の通勤が1時間のところを倍以上かけて出勤した覚えがあります。
そして、パート・アルバイトの雇傭確保のために仮処分をバンバン申立していました。人夫出しを見つけたら、職安法違反で次々に告発しました。みんな40年も前の話しです。今では、どうでしょうか。ストライキやデモなんて、今日の日本では、まるで死語になってしまいました。デモとは言わず、パレードと呼びます。弁護士会でも安保法制法案反対の集会をし、パレードを天神を舞台として何回も敢行しました。
人夫出しは今では合法化され、非正規雇傭がありふれています。でも、それってヒトを人間扱いしていないですよね。
何のために労働法制があり、裁判所があるのか、そう叫んで立ち上がった労働者を現代日本社会がどう扱うのか、扱っているのか、それをこの本は小説として描き出します。読ませます。読んでいると、ついつい悔し涙が出てきます。悲しくて流す涙なんかではありません。あまりに理不尽な仕打ちが連続して立ち上がった労働者に襲いかかるのです。裁判所だって、まったくあてになりません。そんなときいったいどうしたらよいのでしょうか・・・。救いがあるのは、それでも支えてくれる仲間がいるということです。このときには、ほっと一息ついて、安心の涙が流れ落ちます。
小林多喜二は革命のためにすべてを捧げて生きていく「党生活者」を書いた。同じように争議に勝つために全力を注いで日々を過ごす人は現代の「争議生活者」と言うことができる。争議生活者には、仕事を終えるという概念がない。他によりよい働き口を求めて探すという選択肢もない。普通の人のような暮らしを願ってはならず、貧乏物語を地で行くことになる。
ただ、争議生活を捨てていたら、病気もちの人間だと、どこかで野垂れ死にしていたかもしれない。争議生活者には、支えてくれる仲間がいる。争議生活者は、この日本社会のあり方を問うている。つまり格差と貧困の根本にある社会構造の矛盾に正面から挑む存在でもあるのだ。争議生活者として、何度も危機に直面してきた。そのつど、大勢の仲間や支援者に支えられ助けられてきた。
争議生活者は決して自分だけで存在できるものではない。
いったい私たちは何のために生きるのか、何のために働くのか、家族はそのとき、どんな意味をもっているのかを考えさせてくれる本でもあります。
(2017年9月刊。1900円+税)
2017年12月 4日
漱石先生の手紙が教えてくれたこと
人間
(霧山昴)
著者 小山 慶太 、 出版 岩波ジュニア新書
この本を読んで夏目漱石をすっかり見直してしまいました。
私は手紙をもらうのも手紙を書くのも、昔から大好きなのですが、もちろん手紙は肉筆に限ります。
漱石はおそるべき手紙魔だったのですね。なんと、22歳から亡くなる49歳までのあいだに2500通をこえる手紙を書いています。信じられません。それも、見知らぬ読者からのファンレターやら人生相談にまで、いちいち返事の手紙を書いているのです。律気というか、まめまめしいというか・・・。そして、手紙は長いものがあるうえに、内容が濃いのです。一筆啓上式の短文ではありません。
自宅に電話がやっと引かれた(1912年)ころですから、長電話はありえませんし、ラジオはともかくテレビなんかありませんので、手紙を書く時間はあったのでしょう。
漱石は、人に手紙を書くことと、人から手紙をもらうことが大好きだと書いています。私は書くことより、やはりもらうことのほうがうれしいです。
漱石全集には3巻分が書簡集にあてられていて、そこに2500通の手紙が収録されている。そして、長い手紙が多い。
漱石は木曜会というのをやっていました。自宅に木曜の午後3時からは面会日として、弟子たちが来るのを歓迎していたのです。それ以外は執筆の時間にあてていました。
漱石のかんしゃくもちは有名で、家族に対して向けられていたようです。漱石の妻がかつては悪役専門でしたが、最近は見直されていますよね・・・。
ちなみに、漱石は熊本の五高で教師をしているときに結婚しました。このとき29歳で、妻の鏡子は18歳です。
漱石は若者を惹きつける、人間味にあふれる人物だった。だから、毎週の木曜会は盛会だった。弟子たちをはじめ、若い人々の作品に対して読後すぐに批評文を送り、いいところを大いに褒めた。
漱石は博士号をもらっていません。本人が断乎として断ったのです。博士とは、きわめて偏った知識しかもたない、狭い領域にしか通じない不健全な学問の修め方をした人間がなるものであって、自分はそんな人間ではないと宣言し、実行しました。
漱石も、ずいぶん悪口やら誹謗を受けた。しかし、黙然としていた。気に入らないこと、しゃくにさわること、憤慨すべきことは山のようにたくさんある。それを清めることは、人間の力では出来ない。それと戦うよりも、それを許すことが人間として立派なものなら、できるだけ、そちらのほうの修養をお互いしたいもの・・・。
手紙魔の名に恥じず、漱石が実に心に触れる手紙をこんなにたくさん書いていることに、軽いショックすら受けてしまいました。
岩波ジュニア新書は私の愛読書の一つです。著者に対して、いい本をありがとうございますと、お礼を言おうとして奥付を見ると、著者は私と同じ団塊世代でした。引き続きの健筆を期待します。
(2017年8月刊。880円+税)
2017年12月 5日
投資なんか、おやめなさい
社会
(霧山昴)
著者 荻原博子 、 出版 新潮新書
タイトルに共感して読んでみました。 まったくもって、そのとおりです。銀行や証券会社にあおられてはいけません。
バブルのとき、土地投資に手を出して多くの会社と個人が痛い目にあったことを思いだすべきです。デフレのときには、かえって、預金のままにしておいたほうがいいと著者は強調しています。そうなんです。下手にお金を動かしたら、「手数料」名目でどんどん目減りするだけですし、下手すると元本割れになってしまいます。
ただ、現金を手元に置いておくと、特殊詐欺の被害にあいかねません。金庫では心もとないという不安につけ込まれるのです。
収益の悪化に苦しむ銀行や証券会社が、いま、生き残りをかけて個人をターゲットにして、利ざやの稼げるカードローンや手数料が確実に手に入る投資商品の販売額を増やしている。とくに狙われているのが、たっぷり退職金をもちながら投資に縁がなかった、人が良くて騙されやすい高齢者。そして、投資をしないと将来が危うくなるという思い込みで、時間がないのに不安に駆られながらも何かしようとしている働き盛りの世代。
バブルのころ、不動産業者は、「いま家を買っておかないと、将来が不安ですよ」と煽っていた。今は、「投資をしないと、老後が不安でしょう」と言う。同じことではないのか・・・。
日本の支社で加入した「ドル建て生命保険」の保険金を、海外の本社に行ってドルで引き出すことは出来ない。日本で引き出せば、必ず為替の影響を受ける。海外に自分の銀行口座を開設して受取ろうとすると、その口座開設のための手続が大変面倒。
日銀のマイナス金利の導入によって「タンス預金」が急増している。今では43兆円にのぼると推計されている。平成16年の現金の落し物は36億円、バブル末期の35億円を上回った。
上場企業の株主配当は年々増え続け、年間10兆円をこえている。
日銀が銀行に流したお金の多くが、再び日銀へ還流して、市中へはまわっていない。
日銀へ預けられない、国債を買ってもマイナス金利ということで、いまや銀行は「行くも地獄、戻るも地獄」という状況にある。
毎月分配型投資信託は、実は、預けたお金が少しずつ戻っているにすぎない。20年経つと、預けた資産の5分の1は手数料で消えてしまっている。
おいしい話には要注意。よく計算して、自分の利益と銀行の利益とを比べてみる。この計算ができないような人は、無理に「投資」してはいけない。
私も、まことにそのとおりだと思います。あなたまかせにしていて、もうけようなんて、とんでもないことです。世の中がそんなに甘いはずはありません。
デフレの今は、低金利でもお金の価値自体が上がっているので、預金にはデメリットもリスクもないと考えるべき。
目からうろこが落ちる思いのする、「投資」をやめましょうと呼びかける本です。一人でも多くの人に読んで銀行に騙されないでほしいものです。
(2017年11月刊。760円+税)
2017年12月 6日
新聞記者
社会
(霧山昴)
著者 望月衣塑子 、 出版 角川新書
まさにタイムリーな新書です。時の人が、こんなに早く本を書いて出せると言うのも素晴らしいことです。
スガ官房長官の記者会見の場での答えに対して、若者はこう迫った。
「きちんとした回答をいただけると思わないので、繰り返し聞いています。すみません、東京新聞です」
そうなんです。スガ官房長官の、いかにも国民を小馬鹿にした態度・表情で、実(じつ)のある説明をまったくしないのをジャーナリストがそのまま許してはいけないのです。モリカケ事件について、きちっと解明することこそマスコミの責務です。
記者会見が始まってから37分をこえ、その間に著者は23回も質問していた。すごい執念です。ここで残念なのは、その場にいた他の記者からの援護射撃がなかったことです。これでは記者クラブって弊害しかないことになります。
それどころか、「記者クラブの総意」なるもので著者の質問を抑え込もうとしたというに至っては、御用記者の集団なのかと、ついののしりたくなってきます。それでも良かったことは、テレ朝系の「報道ステーション」やネット・メディアで著者の質問光景が流されたことです。
これを見て、スガ官房長官の言いなりになる記者だけでないと知った国民の多くが著者を励ました。声を上げなくても、まだマスコミも捨てたものではないと思わせたのです。マスコミ各社の大幹部の何人かも直接、著者へ励ましの声をかけたとのこと。いいことですよね・・・。まだまだ日本のマスコミも捨てたものではありません。
それにしてもアベ首相もスガ官房長官もひどすぎます。カゴイケ氏は既に4ヶ月以上も拘置所に入っているのに、カケ理事長はまだ1回もマスコミの前にあらわれていません。アキエ夫人にいたっては、公衆の面前で面白おかしく話しているのに国会では話そうとしない(夫が話させない)のです。ひどい、信じられない事態が進行中です。これで愛国心教育を学校ですすめようというのですから、政権トップの頭は変になっている、いえ狂っているとしか言いようがありません。
前川喜平・文科省前事務次官に単独インタビューしたときのことが紹介されています。前川氏は退職後に自主夜間中学で教えるボランティアをやっていますが、改正前の教育基本法の前文を暗記していて、暗唱してくれたというのです。驚きました。この前文は素晴らしい内容です。
「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」
いまの学校教育は、どんどんこの「前文」からかけ離れていってますよね。ストップをかけましょう。
著者のますますの活躍を心より願っています。尊敬する大阪の石川元也弁護士から、まだ読んでないのかとお叱りを受けて、あわてて読みました。すっきり、さわやかな読後感の残る本です。一読をおすすめします。
(2017年11月刊。800円+税)
2017年12月 7日
一遍、捨聖の思想
日本史(中世)
(霧山昴)
著者 桜井 哲夫 、 出版 平凡社新書
一遍(いっぺん)上人(しょうにん)って、街頭で人々と一緒に踊っている人ですよね。捨聖とは、「すてひじり」と読みます。
一遍は、1239年、四国の伊予松山に武将、河野通広の次男として生まれた。一遍は30代のとき、再び出家したが、河野家内部の権力争いにも原因があった。
「阿弥陀仏」(あみだぶつ)は、サンスクリットで「アミターユス」(無限(無量)の寿命をもつもの)と「アミターバ(無限(無量)の 明をもつもの)という二つの仏名で表現される。
「浄土」という漢語をつくって、中国で術語として定看させたのは、鳩摩羅什(クマラジュー)である。それは、「諸仏の浄土」であって、阿弥陀仏の極楽を指していたわけではない。 「極楽」とは、サンスクリット語で、スカーブフラィーと言う。「楽のあるところ」という意味で、鳩摩羅什が、これを「極楽」と訳した。
「聖」(ひじり)の語源は、「日知り」で、太陽が世の隅々まで照らすようにこの世のことをすべて知るという意味。
善導の主張の中心は、凡夫が阿弥陀仏の浄土に生まれることができるという点にあった。ひとは皆凡夫であり、その凡夫もまた、口で称える念仏で弥陀の浄土に往生できるという教えである。これは、中国では認められていないものだった。
念仏者には、智恵も愚痴も、善も悪も、身分の上下も何の関係もない。地獄を恐れたり、極楽を願ったりする気持ちも捨て、すぐれた諸宗派の智者。教えも捨て、一切を捨てて称える念仏こそ、阿弥陀如来の本願にかなっている。
鎌倉の宗教界の様子を知ることができました。
(2017年8月刊。860円+税)
2017年12月 8日
人を襲うクマ
生物(クマ)
(霧山昴)
著者 羽根田 治 、 出版 山と渓谷社
山でクマと出会ったときにどうしたらよいか・・・。人を襲うクマは昔からいた。音を立てたら逃げるクマばかりではなく、しつこく人間を狙うクマもいるというのは歴史が教えるところだ。
なぜなのか・・・。その最大の理由は、山々に杉林などの人工植林が増えてクマの食べるエサが少なくなって、人里にあるおいしいものをクマが狙っているからだというのです。
私もたまに近くの山をハイキングします。幸い九州の山ではクマは既に絶滅していていないようです。九州で怖いのはイノシシとハチです。私も気を付けています。
本土ではクマと遭遇して大ケガしたという人が毎年、少なくありません。
ヒグマに襲われたら30%以上が死亡している。ツキノワグマだと死亡事例は数%ほど。
ヒグマはツキノワグマと比べて体格が大きいことにもよるが、実は被害者の半分は狩猟者。ヒグマは一発必殺しないと危険だということ。
人身事故を防ぐためにもっとも重要なことはいかにクマと遭わないように工夫するかということ、鈴やラジオを持って山中を歩いていてもクマ避けには万全ではない。イヌを連れて山に入ったとき、イヌが怒ったクマを引き連れて飼い主のところに戻ってくる危険もある。
トレイルランとか、クマの想定をこえるスピードでの移動をしているときも注意が必要。
枯れ葉や土がかけられたシカなどの動物遺体を見つけたときには、決して近づいてはいけない。クマが自分の占有食物として、近くで見張っている可能性が大きく、とても危険な状況にある。
クマに遭ってしまったときには、クマを刺激しないように相対したまま、できるだけ落ち着いて後方にゆっくり下がって距離を取り、その場から遠ざかる。
このとき、背中を見せて走って逃げてはダメなようです。クマの走るスピードにはかないません。すぐに追いつかれてしまうのです。
また、大きな声で叫んでクマを無用に刺激して興奮させるのもいけない。
クマの攻撃は、威嚇だけのこともある。本当に襲われたら、地面に腹ばいになり(腹をやられないようにする)、手を首のうしろで組んで首を守り、両肘で顔面をカバーして守る。急所を守ってクマの襲撃に耐える。うひゃあ、そんな勇気はありませんよね・・・。
クマは人を攻撃するときには顔面を狙う。クマと取っ組み合いをするときには、顔面をしっかり守ること。ペッパースプレーも有効だが過信してはいけない。
この本には1970年7月に福岡大学ワンゲル部のメンバーが日髙山脈で襲われた状況が詳細に紹介されています。私と同学年の人など3人がクマに襲われて亡くなっています。
このときのクマは、人を見ても、音を聞いても恐れず、しつこく人間を追って、襲って殺した。そして、クマが人を加害するときは、衣類と体毛をはぎとる。なので、食害がひどいのは、顔面、下腹部、肛門周辺。ですから遺体は丸裸のうえ、顔もお腹もお尻もないという無残な状況になってしまうようです。
クマに殺された学生の一人が、夜、テント内でその直前に書いたメモ(日記)の一部が紹介されています。どれほど恐かったでしょうか・・・。読んで涙が出てきました。
クマをふくめて大自然の恐ろしさを改めて実感させられます。山歩きを楽しもうという人は読んで損しない本というか、読むべき本だと思いました。
(2017年10月刊。1600円+税)
2017年12月 9日
強欲の銀行カードローン
社会
(霧山昴)
著者 藤田智也 、 出版 角川新書
かつての「サラ金地獄」が、今では「銀行カードローン地獄」と言える状況になりつつあります。金利規制そして貸出規制が減って多重債務者が減り、自己破産の申立件数が減って喜んでいると、再び破産者が増え始めているのです。その原因が、銀行カードローンの拡大にあることは明らかです。
いま、銀行は一般的には苦境に立たされている。貸出金利が歴史的低水準になっているため、利ざやを稼ぎにくくなっている。それで個人をターゲットにしている。
この本は、銀行カードローンの表向きの言い訳を紹介しながらも、その内情を明らかにしています。2016年の自己破産申立件数が13年ぶりに増えた。そして、その原因は、銀行のカードローンにあるのだろう。貸金業法が2006年に改正され、上限金利が年15~20%に引き下げられ、2010年に完全施行となった。貸出額は年収の3分の1をこえてはいけないという総量規制も働いている。
ところが、カードローンを提供する銀行は、貸金業者でないため、この総量規制の対象とはならない。
銀行のカードローン残高は2013年3月に3兆5千億円だったのが、3年後の2016年3月には5兆1円億円と急増している。なぜ、銀行には年収の3分の1以上という総量規制が必要ないというのか・・・。
それは、銀行には、返済能力をきちんと見極める力があるから、だという。ええっ、そんなこと信じられません。銀行のカードローンの審査は、わずか30分。それで、そんなことが可能とは思えない。サラ金も銀行もテレビCMは同じように茶の間に流れている。どこから違いが生まれるというのか・・・。
銀行は行員カードローンの利用者を広げるためにノルマを課している。すると、借金を現に抱えている人にも2枚目、そして3枚目のカードをつくらせることになる。「利便性がある」とか「ニーズがある」というのは、昔サラ金学者がよく言っていた。同じことを銀行が言っているのはおかしい。長い目で見て、返せないような借金をかかえてしまえば「利便性」なんて問題にならない。ただ、人生を壊しているだけ。7割もの借り手の人生が壊れたり、壊れかけたりしている。
銀行カードローンも当然に同じような規制が必要です。
タイムリーな告発書となっています。
(2017年9月刊。800円+税)
2017年12月10日
スリーパー、浸透工作員
警察
(霧山昴)
著者 竹内 明 、 出版 講談社
久しぶりに警察小説を読みました。警視庁公安部外事二課(ソトニ)というサブタイトルがついています。
日本社会に北朝鮮の浸透工作員がいて、その摘発に日本の公安警察が躍起となるのですが、公安警察にもいろいろあって、相互に激しく反目しあっていて、単純な協力関係にはありません。浸透工作員のルートもいくつかあるという筋立てです。現実の取材にもとづいているのでしょうね、細部(ディテール)の描写はなかなかのものです。
浸透工作員は金正日総合大学出身。この大学は主体(チュチェ)思想で徹底的に武装し、党と首領に忠実な民族幹部の骨幹を養成する超エリート大学。その3年生、20歳のとき、朝鮮人民軍偵察総局に採用された。
朝鮮労働党幹部の子弟には、金正日総合大学への抜け道がある。入学試験の採点を担当する教授を家庭教師として雇う。受験生は、その教授に指示された秘密の印を答案用紙に書く。すると、教授が採点のときに加点して合格させる。教授へは高額の報酬が支払われる。
朝鮮人民軍偵察総局は共和国最大の謀報機関にして、最強の戦闘能力をもつ特殊部隊である。
かつて日本に実在し、行方不明になった日本人。それがアメリカに渡り、アメリカ育ちの日本人としての経歴を、戸籍や旅券をつかって北朝鮮が成りすます。それに「生まれ変わる」。国家が潜入工作員のために育てた背乗(はいの)り用の身分を活用する。
浸透工作を指揮する工作組長がいて、月1回、月間総括をする。対象の基礎調査、接線の状況、浸透生活中の交友関係、友人との会話状況まで仔細にわたって報告する。月に10万円が支給される活動資金についても、その使途をレシート添付して提出しなければならない。
昔は、短波のラジオ放送で指令が送られてきていたが、今ではステガノグラフィーが使われる。ネット上の画像に隠されたテキストや音声ファイルを複写して、指令を受信する。これだと日本の公安は傍受できないし、深夜にラジオにかじりついておく必要もない。
日本への不法侵入国を浸透、共和国に向けて出国することを復帰という。浸透より復帰のほうが難しいと言われている。迎えの船を待っているところを、日本の公安に見つかり拘束されてしまった工作員は多い。それで、浸透や復帰に使われる沿岸部には、スーパーの女性店員のような補助工作員が多数配置されていて、工作員の安全確保を徹底的にサポートする。
チヨダとは、警察庁警備局警備企画課指導係のこと。全国の公安警察の協力者獲得工作と、そこから得られた情報を管理している秘密部署。その情報は精査され、確度は高い。
腕時計を入手すると、中のクオーツムーブメント一式をそっくりそのまま入れ替え、新しいクオーツには、FBIの研究機関が開発した1円玉ほどの大きさのGPSが仕込まれている。
GPSをつけられたら、対象者の私生活のプライバシーなんて、まるで丸裸になってしまいます。
私の知らない、想像もできない世界が日本のどこかに、いえ至るところにあるのでしょうね。この本を読んで、つい、そう思ってしまいました。それとも、これも例の陰謀史観でしょうか。
(2017年10月刊。1600円+税)
2017年12月11日
歌うカタツムリ
生物
(霧山昴)
著者 千葉 聡 、 出版 岩波科学ライブラリー
カタツムリが歌うだなんて、何かのたとえ話かなと思うと、そうでもないようです。歌うカタツムリの伝説は、ハワイにある昔からの言い伝え。しかし、著者も確かに聞いたというのです。
小笠原の島で、雨上りの夏の真夜中、耐えることなく湧きあがるように聞こえてきた不思議なざわめき。短い口笛のような音、軋(きし)むような音、ガラスのコップが触れあうような音、そんな一つひとつの小さな音が幾重にも重なり、共鳴し、ついに波濤のような響きとなって、森や谷間にあふれていた。この不思議な音色がカタツムリのものだとは、にわかには信じられなかった。これは、足の踏み場もないほど地上にあふれだした、おびただしいカタツムリの群れが、互いに貝殻をぶつけあい求愛し、硬い歯をむさぼる音だった。
およそ200年前、ハワイの住民はカタツムリが歌うと信じていた。しかし、20世紀の今日、ハワイにはカタツムリがいない・・・。ええっ、本当でしょうか。
ダーウィンはガラパゴス諸島で、三つの島で、15種のカタツムリを採集している。
ナメクジは、カタツムリとともに陸貝のメンバーである。殻のないカタツムリがナメクジの仲間。ナメクジは、多くのカタツムリと同じく雌雄同体で、一匹の個体にオスの機能とメスの機能が両方そなわっている。雌雄胴体の動物は、普通、二匹が交尾をして、卵は別の個体から受け渡された精子と受精する。ナメクジは、それだけでなく、好んで自分の精子を自分の卵と受精させる。
北海道にいるエゾマイマイは、捕食者オオルリオサムシに襲われると、大きな殻を激しく振り回し、相手に打撃を与えることによって敵を追い払う。殻を武器として振り回すことによって敵を撃退するのだ。
同じく北海道にいるヒメマイマイハ他の多くのカタツムリと同じくオオルリオサムシの攻撃を受けると瞬時に身を殻内に引っこめ、引きこもって防御する。
オナジマイマイ系は、交尾のとき、恋矢を繰り返し相手に突き刺す。これによって自分の精子の受精確率を高めるため。恋矢を刺されると、以降の交尾意欲が失われ、受け渡された精子の受精機会はいっそう高まる。そのうえ、恋矢を刺されると、寿命まで縮んでしまう。
交尾相手が自分より大きいと、自分の身が危ない。小さい相手は、子孫を残す相手として好ましくない。できたら、体の大きい相手、つまり質の良い相手と交尾したほうが、この適応度は上がる
なるほど、カタツムリの研究って、大変ですけど、よくもここまで観察したものです。学者稼業も楽じゃありませんね・・・。
(2017年6月刊。1600円+税)
2017年12月12日
「日米指揮権密約」の研究
社会
(霧山昴)
著者 末藤 靖司 、 出版 創元社
「軍隊」(ここでは自衛隊を指します)の指揮権が日本に実はない、という知られているようで知られていない事実を歴史的経緯をたどって解明した本です。これが本当なら(残念ながら本当なのですが・・・)、日本は戦後70年以上たってもアメリカの支配下にあって、まだ完全な独立を果たしていないことになります。
要するに、「軍隊」の首ねっこを他国におさえれていたら独立国家とは言えないということです。私たちは、このような情けない現実にきちんと向き合あい、そこからの脱却を図るべきではないでしょうか。
日本の再武装論者は声高く叫んでいますが、肝心のアメリカ軍との関係は、わざとあいまいにぼかしているように思えます。
自衛隊は、すでに何年も前から、アメリカのカリフォルニアやアラスカまで出かけていって、アフリカや中東の砂漠で戦争するための軍事訓練をアメリカ軍と一体になって、やっている。
憲法9条のもつ日本の自衛隊がそんな訓練をやっていいはずがありません。訓練である限り、事故死はあっても戦闘死はないので、あまり表沙汰にならなかったのでしょうね・・・。
どうして、こんな一体となった軍事訓練ができるのか。それは、戦争になったら、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入るという「指揮権密約」があるから。
いまや富士山の周囲は、日本人の普通の感覚では、とても理解できないような、巨大な日本共同の軍事的演習場となっている。北富士演習場は、イラクやアフガニスタンにあるような民家に似せてつくったコンテナが4棟あり、都市型の戦闘訓練もしている。
カリフォルニアの砂漠や北富士演習場でおこなわれている訓練は、アメリカ軍が日本の周辺だけでなく、地球の裏側でも自衛隊を指揮して戦争するつもりであることを示している。
アメリカが日本に再軍備をさせたのは、日本を守るためではなく、アメリカがソ連などと世界中で戦争するときに、自らの指揮下で使うためだった。
軍隊の指揮権は、国家の主権のなかでもっとも重要なもの。
アメリカ政府は、平和条約の発効したあとも、日本軍(自衛隊)の指揮権を握り続けるのに成功した。この成功には、売国奴ともいうべき外務省の歴代高官の存在なしにはありえなかった。ひどいものですね。日本の外務省のトップたちって・・・・。吉田茂首相も、それに乗って動いた役者の一人だったようです。
日米合同委員会で合意したことは、日本の国会の承認を得なくしても実行できる。国会を上回る権威をもつ委員会なんて、憲法上ありえません。
自衛隊は、誕生したときからずっとアメリカ軍の指揮下にある。自衛隊は、今ではアジア、太平洋地域をこえて、地球上のどこでも、日米同盟の義務をはたす存在となっている。「調整」と称して、自衛隊は、平時からアメリカ軍の指揮を受けている。
写真がたくさんあり、とても平易なわかりやすい文章で語られていますので、ことの本質がよく理解できます。それにしても、なんでアメリカの言いなりのアベ政権を許しておいてはいけませんよね。本書を読んで、ますます確信を深めました。ご一読を強くおすすめします。
(2017年10月刊。1500円+税)
2017年12月13日
市民政治の育てかた
社会
(霧山昴)
著者 佐々木 寛 、 出版 大月書店
このところ新潟で奇跡が相次ぎました。市民と野党が一致して取り組んで、政権与党にせり勝ったのです。その立て役者が著者です。政治の研究を職業とする政治学者が、政治の表舞台にかかわり、その舞台裏の苦労話を語った本です。
この本には参院選挙と知事選挙までですが、その後の衆院選でも見事に勝利しました。参院選での森ゆうこ候補の当選は、その差わずかに2279票。夜12時近くになって、ようやく「当確」が出たのでした。
日本にとって新しい政治とは、政治的な領域に市民が積極的にかかわるようになったということ。私はまだまだ足りないと思うのですが、それでもこの動き自体はもちろん高く評価しています。そして、これは、あの違憲の安保法制法を安倍内閣がゴリ押ししたことから市民に壁を乗りこえさせたのです。アベ政権も市民を目覚めさせ立ち上がらせたという点では立派に反面教師の役割を果たしたと評価できるのです。
この本のテーマはアート(技)としての市民政治です。それは、どういうことか・・・。
地域を変えるのは、若者、よそ者、ばか者だ。なるほど、あたっていると私も思います。もちろん、最終的には、本体である地元の人々が立ち上がらなければ本当の変革はありません。ただ、昔からの地元民は何かとしがらみがありすぎて、腰が重いことも多いのです。
全国ですすんでいる「野党統一候補」運動の最大の功労者は共産党。志位和夫は、いま永田町で一番光っている政治家だ。しかし、陰の功労者は、歴史上例をみないほどに分かりやすく国民を愚弄し続けているアベシンゾーだろう。野党を結束させたのは、他でもない与党の強権政治だ。
3.11のあと、日本でもこれまでデモに行ったことのないような人が大勢、国会前や公園・広場で異議申立活動を日常的に行うようになった。これは、日本のデモクラシーが一歩前進した証だ。
選挙とは、まるで戦争みたいなもの。選挙の6割は、最初の仕込みで決まる。どういう政治的文脈で、どういう候補者を立てるかが決定的に重要。残りの4割は、選挙運動のがんばり次第。相手が金と権力にものを言わせて物量でくるなら、こちらは市民のネットワークと創意工夫でたたかう。
新潟で勝った要因の一つが投票率が6割だったこと。低い投票率は、自民・公明に有利なのです。ですから、棄権せずにみんなが投票所へ足を運べば、必ず世の中はいい方向に変わります。何もしないと、悪い方向へすすむばかりなのです。
選挙とは定期試験のようなもので、大切なのはふだんからの勉強の積み重ね。
著者は、「政治とは悪さ加減の選択である」と言い切ります。えぇーっ・・・。
政治家は、たいてい汚いところも持っていて、100%信頼できるなどということはありえない。また、政治には常にきれいごとではない、妥協や取引がつきもの。けれども、市民が学ばなければいけないのは、そういう政治でも関与し続けることをあきらめてはいけないということ。関与をやめたら、政治がどんどん悪くなっていっても、ブレーキをかけられないから・・・。
新潟に学ぶところは大きいと思わせる本でした。
(2017年11月刊。1600円+税)
2017年12月14日
暮らしのなかのニセ科学
人間
(霧山昴)
著者 左巻健男 、 出版 平凡社新書
アップルの創業者・スティーヴ・ジョブズがガンのため56歳で亡くなりました。著書は、手術で早期にガンを除去しておくべきだったのに、ニセ科学、ニセ医学にだまされ、手遅れになったと厳しく批判しています。
すい臓がんで早期に発見されたので、早期に手術しておけば生存確率は上がった。しかし、手術を拒否し、絶対薬食主義やコーヒー浣腸などをして手遅れになってしまったというのです。
なぜ騙されてしまうかという問いより、なぜ騙されない人がいるのか、と考えたほうがより適切だ。人は事実でないことでも、事実のように信じてしまう思考傾向がある。これは、もともと人間の心理システムに組み込まれているのだ・・・。
体験談のほとんどは信頼性がない。○○○のおかげというのは、ウソか、たまたまそうなったのを信じ込んだだけのこと。
「超能力」の持ち主だと一時もてはやされたサイババも、要するにマジックで、二流のマジシャンに過ぎなかった。
宿便なるものは存在しない。素人が浣腸すると、腸の粘膜を傷つけたり、危険性は大きい。
標準治療以外の療法は効果が乏しい。
薬機法(薬事法の名称が変わった)によって、健康食品やサプリには、がんなどの治療効果をうたうことはできない。ところが、サプリは、こんなに効果があったという体験談があふれている。でも、それは全部でっち上げにすぎない。サプリのかたちで多量に摂取するのは、かえって危険が大きい。体験談を真に受けてはいけない。サプリはかえって健康に有害の危険がある。ウコン、グルコサミン、ヒアルロン酸、コラーゲン、プラセンタ、コエンザイム・・・。
日本人の平均寿命は、明治・大正時代は40代。夏目漱石がなくなったのは49歳だったでしたかね・・・。50歳をこえたのは終戦後の1947年。やはり戦争で早死にしていたのですよね。そして、1960年に男性69歳、女性70歳になりました。それが今では、男性は80歳、女性は世界首位の86,8歳まで伸びています。
もっとも長生きするのは、太り気味の人。やせすぎは短命。太っても死亡率はあがらない。逆に成人したあと体重が5キロもやせると、死亡する危険が1.3~1.4倍も高くなる。
下手なダイエットはしないほうがよほどいい。
水素水、磁石を通した水、活性水素水、波動水、マイナスイオン水・・・・。みんな効果は証明されていない。
EMは、世界救世教がすすめたもの。その有効性は何ら証明されていない。実は、私も何年も前からEMぼかしを利用しています。たしかに生ゴミの悪臭はなくなりました。それで今も利用していて、畑の中に混ぜ込んで久しいのですが、EM効果なるものを実感したことはこれまでまったくありません。まあ、私も騙されやすい人間の一人だなと思ったものでした。
多くの人に読まれるべき本だと思いました。
(2017年6月刊。800円+税)
2017年12月15日
闘いを記憶する百姓たち
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 八鍬 友広、 出版 吉川弘文館
百姓一揆の訴状が読み書き教材として広く普及していたというのです。驚きです。
どこかで一揆が起きて支配層への異議申立として訴状を書いた。すると、やがて我が村でも起ち上がらなければいけなくなるかもしれないので、訴状の書き方を勉強しておこうと村の主立(おもだ)ち衆が考えていたようです。
この前提として、日本の農村の多くの人が読み書きは出来るということが不可欠です。
江戸時代には読み書き計算などのような基礎的な能力が社会の中に一定の密度で分布していた。このような力量を身につけた民衆は、もはや「もの言わぬ民」などではなく、武士に対してさえ強情に「もの言う」百姓たちだった。時代劇で描かれる「悲惨な民」とは異なり、近世の百姓は、自らの利益のために積極的に訴訟を起こし、武士に対しても堂々と自己主張する存在だった。
江戸時代は、「訴訟知」を身につけた民衆が頻繁に訴訟を起こす「健訴社会」だった。
17世紀前半に起きた百姓一揆や地域間紛争のなかで作成された訴状が読み書きのための教科書になっていた。
これを目安往来物(めやすおうらいもの)という。「目安」とは、箇条書きされた訴状のこと。「往来物」とは、読み書き学習用のテキストブックのこと。「往来物」の最盛期は、じつは明治初期だった。学校制度が始まったけれど、まだ新しい教科書はなかったからだ。
寛永白岩一揆で作成された訴状を白岩目安といった。寛永10年(1633年)、出羽国村山郡白岩郷(山形県西村山郡西川町から寒河江市にかけて・・・)の百姓たちが領主の悲法を幕府へ訴えた。直訴である。租税の負担増、年貢率の上昇に不満をもった百姓たちは、保科家に騙され、36名ものリーダーが磔刑(たっけい)に処された。ただし、領主であった酒井長門守忠重も白岩郷から排除されている。
この寛永・白岩一揆は違法性が強いものであったはずなのに、その訴状は広く東北一円に流布している。
境界争論に関する目安も往来物にふくまれている。白峯(しらぶつ)鉱山目安として伝わり、広まった。
対立する村人は実力行使で争ったが、それでケリがつかなかったので、ついに幕府に訴状を提出した。
このように、文書作成上の知識は、村役人クラスの人々にとって常に必須のものだった。聖徳太子以来、日本人は裁判を好まなかったという俗説はまったくの間違いだと私は確信しています。聖徳太子は裁判が多すぎるからほどほどにしろ、仲良くしなさいと人々をさとしたのです。また、裁判官が賄賂を当然のようにもらっている風潮に対しても警告を発していました。
この本を読むと、江戸時代の人々が裁判に命をかけていたことが良く分かります。日本人は条件さえととのえば、裁判を辞さないという国民性をもっています。今のLAC利用の急増をみても、ますます確信します。
(2017年10月刊。1700円+税)
2017年12月16日
ソマリランドからアメリカを超える
アフリカ
(霧山昴)
著者 ジョナサン・スター 角川書店
アフリカは、あのソマリランドにアメリカ人が学校をつくり、運営し、そこの生徒がアメリカの大学に留学していくという実話を、当のアメリカ人が紹介した本です。
しかも、アメリカの大学というのがハーバードであり、MITだというのですから驚きです。
少し前まで英語もろくに話せなかったソマリの少年少女が学校に入って才能を爆発的に開花させるのですから、素晴らしいです。アメリカも、こんな援助こそ、もっと大々的にすべきですよ。軍事的な侵略ばっかりしているので、嫌われるばかりなんです。
私は、アフガニスタン中村哲ドクターをついつい思い出しました。
アメリカ人である著者が見ず知らずのソマリランドで50万ドルを投入して学校をつくり、運営する苦労の日々が刻銘に紹介されています。
ソマリの部族社会とのあつれきもありましたし、信頼していた人との仲違いによって深刻な状況に再三おいこまれたのですが、そんななかで多くの留学生を送りだしたといのですから、立派なものです。
ソマリランドに何度も行ったことのある日本人・高野秀行氏は、この学校の前を通ったことがあるとのこと。クレイジーなアメリカ人として解説を書いています。
この解説を読んで、なるほどと思ったのは、ソマリア人の若者が「飢え」ているという指摘です。それは、知的な「飢え」です。もっと勉強したいけれど、する環境がない。そんな飢えている若者に適切な食事を与えると驚くほどの勢いで摂取し、爆発的に成長する。それで、わずか数年でハーバードやイエール大学に合格してしまうのだ・・・。
著者のアメリカ人は27歳のときには、アメリカで投資会社を経営していて、もうかっていたのです。ところが、もうけ仕事を続けるより、何か他に意義ある仕事をしたいと思い、ソマリ人の叔父さんのいたソマリランドに学校をつくるのを思い立ったというわけです。
学校の試験はカンニングがあたりまえ、入試だって替え玉受験があるようなところで、基礎からの勉強を積み重ねていくような涙ぐましい努力をしていくのです。生徒たちは、やがて教師にこたえてくれます。ところが、妨害者があらわれ、あの手この手で妨害します。デマをまき散らし、著者を国外へ追い出そうとするのです。
ソマリランドはモガディシオを首都とするソマリ国からは独立した別の国で平和な国なのです。ソマリ国は今もなお内乱状態が続いて危険な国のようでうが・・・。
アメリカ人だって軍事優生ばかりではないことを知って、少しはほっとする思いもしました。
中村ドクターのように用水路をつくって農村を復興したり、この著者のように学校をつくって子どもたちにちゃんとした教育を受けさせる。これこそが必要なことだと痛感させられました。ぜひとも、学校を存続させてほしいものです。
(2017年9月刊。1600円+税)
2017年12月17日
性風俗世界を生きる・・・
社会
(霧山昴)
著者 熊田陽子 明石書店
性風俗店のスタッフとして2年あまり働いて、その実情を探求し、考察した真面目な本です。
著者は大学院生であり、研究目的であることを明かしてオーナーの了解のもとにスタッフとして働き始めました。ただし、そこで働く女性たちには身分も目的も明かしていません。
番なしのSMプレーもする性風俗店です。女性は20歳から42歳までの56人。そのうち結婚しているのは5人、9人は1歳から中学生までの子どもがいる。
客層は30代から50代の男性を中心としていて、20代の客は珍しく、70代も数人しる。女性客もいる。
女性たちが、何とか生きるために頑張っている実情がある。
都市は、何とか生きようとする人々が集まる空間であり、窮地に陥った人が生をつなぐ見込みを見出す場でもある。入店のため面接を受けた女性が全員採用されるわけではない。美しくもない、話術が巧みでない、スタイルが悪い(太りすぎ)、年齢が高い、目立つ傷、皮膚が滑らかでないなどで拒否される。
東京圏には、警視庁統計だけでも5200件ほどの性風俗店があり、巨大な市場を形成している。
この店の料金は50分で1万8000円。このほか、ホテル代とタクシー代がかかる。客は週に2回という人もいるが、一般的には1ヶ月から3ヶ月に一度というペースが多い。年末ボーナスに一度だけという客もいる。地方からの客もいるし、海外からの客もいる。
店には、顧問税理士がいて、広告業者に月50万円は支払っている。客への広告と女性募集広告。
女性の入店希望は、お金を稼ぐこと。この店は日払い。多い人は週7日間、一日5時間働く。週に1回か2回、また夜の7時から3時間はたらく、土曜日の午後だけという人もいる。昼の仕事をしている人も少なくない。
待機室にいて、客からお呼びがない状況が続くと、女性は単に収入がないというだけでなく、自分が否定されたと感じるようになる。
女性たちは、ことばの達人になっていく。相手に合わせ、他人を傷つけないように会話を運ぶのが上手になっていく。
女性たちは高給取りのようでいて、実際には腰を痛めたり、精神的にもう無理になったりする人も多く、継続して月50万円の稼ぎを確保するのは難しい。
女性たちは、よく笑う。怒るのではなく、笑うことで、客は主、自分は従という枠組みのなかでも笑いの転換機能によって、状況的に優劣を逆転させながら、自分にとって生きやすい場を求めている。男性による風俗現場探訪記は読んだことがありましたが、このように当面から学術的研究目的での性風俗店への潜入ルポと分析的レポートは初めてでした。
日本社会の現実を知らせる貴重な一冊だと思います。
(2017年8月刊。3000円+税)
2017年12月18日
子どもの才能を最大限伸ばす子育て
人間
(霧山昴)
著者 佐藤 亮子、内村 周子 、 出版 ポプラ社
子ども4人(息子3人と娘)全員を東大理Ⅲに合格させたママと、体操金メダリストの母が対談している本です。
自分が「やる」と決めたことはあきらめずにやり切り、目標を達成し、自己肯定感の高い子どもを育てようとする母親の姿勢が二人に共通している。
子育てに「これが正解」というのはない。子どもには一人ひとり違った個性があり、それは母親だって同じこと。
肩の力を抜いて、自分流の子育てをしていくと、子育てって、とっても楽しくなる。自分は自分だと自信をもって言おう。
小さい子どもがピーナッツの誤飲によって窒息するという事故を知って、一切の「柿ピー」を置かなくなった。ボタン電池も完全撤去する。これは親の責任。
男は背中で語るなんて思ったらいけない。子どもには、ちゃんと向かいあって、言葉でコミュニケーションをとることが大切。
母親業は女優業、家庭は舞台と思うこと。ついカッとなって子どもに変なことを言わないように、あらかじめリハーサルをしておく。事前にセリフを用意していないときには、まずセリフを頭の中で考え、ワンクッションおいてから口にする。子どもの人格を否定していないか、やる気をそぐことはないか、プライドを傷つけないか、そして感情的になっていないか・・・。
この思考・発語パターンは私にぴったりです。言う前にあれこれを考えるのです。ところが、これは語学の勉強ではマイナスになります。一歩、出遅れてしまうのです。語学は話しながら考えなくてはいけませんので・・・。
子どもを叱るときは、怒らないで、なぜ、それをしてはいけないのか、論理的に説明する。これは、答えを丸覚えさせるのではなく、自分の頭で考える機会を増やすことにつながる。
母親が一番に考えるべきは、どうしたら子どもが毎日を機嫌よく過ごせるか、だ。うむむ、私はそんな子育てを考えたことがありませんでした。もちろん、のびのび育てようとは思っていたのですが・・・。
必要なのは英語力よりも日本語力。ペラペラな英語力ではない、思考力こそが大切。日本語力なくして英語力なし。日本語がままならないうちに英語を教えても、思考が分散してしまうだけ。これも私はまったく同感です。
小さいときから、親からほめられて育つと、本番にも強くなる。
さすが、さすがと思わせる子育てのウンチクが惜し気なく披瀝されている、明るく元気の出る本でした。これも佐藤弁護士からいただきました。ありがとうございます。子育てに悩んでいる人はぜひ読んでみて、すっきりしてほしいと思いました。
(2017年10月刊。1500円+税)
2017年12月19日
ベトナム戦争に抗した人々
アメリカ
(霧山昴)
著者 油井 大三郎 、 出版 山川出版社
私の大学生のころ、つまり今から50年前はアメリカがベトナムに勝手に入り込んでジャングルの内外でベトナムの人々と戦争していました。有名なソンミ村の虐殺事件はそのなかで発生した事件の一つです。氷山の一角だと思います。そのころは韓国軍もアメリカ軍と同じようにベトナムに出兵していて、残虐さではひけをとらなかったようです。
アメリカの青年がベトナムで5万5千人も亡くなりました。残念なことです。本人たちも無念だったと思います。しかし、ベトナム人の死傷者は100万人を軽くこえています。
アメリカがベトナムで戦争するのに、いまから考えても、何の大義もありませんでした。「ドミノ理論」があっただけです。ベトナムが「赤」化したら、周辺の国までドミノ倒しで赤く染まるから、それを防ぐというのです。そんなこと放っておいて下さい。アメリカに口出しできる権限は何もありません。
このブックレットは、アメリカでベトナム反戦運動がどうやって盛り上がっていったのかを歴史的にたどり、改めて考え直しています。
アメリカでは、ベトナム反戦運動は初めのうちは少数派として白眼視されていた。ところが、すぐに終わるはずの戦争が、北ベトナムや解放戦線(アメリカは「ベトコン」と呼んでいました。日本のマスコミも同じです)の粘り強い抵抗の影響もあって世論を大きく変え、ときの大統領に和平を決断させ、ついには撤退するに至った。
アメリカの反戦運動のなかにもさまざまなグループがあり、相互に激しい対立もあったが、最終的には、なんとか「大同団結」できた。
徴兵を拒否したり、星条旗を燃やして抗議したり、街頭や集会で警察と激しく衝突したため、愛国心のあついアメリカ人は反戦運動に対して強く反発した。主要メディアも同じ。ところが、次第にベトナム反戦の声が世論の多数を占めるに至った。なぜか・・・。
一般のアメリカ人は当初はベトナム戦争の展開に関心をもっていなかった。
ベトナム反戦運動が盛りあがったのは、1965年2月に恒常的な北爆が始まってからのこと。1960年に入ると、旧左翼の運動が復活、新左翼の運動も始まった。反戦団体のなかには1950年代の赤狩りの後遺症として、反共主義を求めるものもあり、また「非暴力直接行動」を主張する団体もあった。
反戦団体のラディカル派は、アメリカ軍の即時徴兵を主張したが、リベラル派は、北ベトナム軍をふくむ全外国軍隊の撤退に固執していた。
1965年11月、クエーカー教徒がペンタゴン前で抗議の焼身自殺を敢行した。
1967年4月、キング牧師がベトナム戦争反対を表明した。これに対して、全米黒人地位向上協会は、公然とキング牧師を非難した。
4月の反戦集会には、全米で30万人が参加し、セントラルパークは10~20万人の人波で埋めつくされた。しかし、アメリカの労組と労働者はベトナム戦争を支持していた。
マクナマラ国防長官は1967年5月に、ジョンソン大統領に対して方針転換を進言した。のちに「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれる文書がつくられた。
このころ、アメリカ軍は中国南部での核兵器の使用も検討していた。そして、北爆の拡大を強く主張した。
1968年1月30日、南ベトナム全土でテト構成が始まった。サイゴンのアメリカ大使館に解放戦線の兵士20人が突入し、6時間にわたって占拠を続けた。この戦闘シーンがアメリカのテレビで中継され、アメリカ国民の衝撃を与えた。このテト攻勢は「勝利は同迫」と説明してきたジョンソン政権の信頼を大きく損った。
このころ、政府側は、FBIによる潜入(介入)工作が強めていた。新左翼の党派同士の対立をあおったのです。
6月にロバート・ケネディが暗殺された。ジョンソン大統領は10月末に北爆の全面停止を発表した。
1969年10月の集会には全米で200万人が参加したが、多くが白人のミドルクラスで、初めての集会参加者も多かった。
非暴力直接行動は、違法は法律や政策に対して座り込みなどの非暴力的手段で頑強に抵抗するものであった。それゆえ、政府による反戦運動イコール暴力との非難をはね返し、無関心な国民の自覚を粘り強く求めていく効果をもった。
アメリカ内のリベラル派は運動の展開のなかで反共主義を克服し、ベトナムの民族自決を支持するように変化した意義は大きい。リベラル派はマスコミにも議会にも大きな影響力をもっていた。
ベトナム反戦運動の成果から改めて学ぶところは大きい、このように思い知らされた100頁あまりのブックレットでした。
(2017年8月刊。729円+税)
2017年12月20日
世界の辺境とハードボイルド室町時代
アフリカ
(霧山昴)
著者 高野秀行・清水克行 、 出版 集英社インターナショナル
現代ソマリランドと日本の室町時代に共通点が多いだなんて、とんでもないことを言いあう二人のかけあい「漫才」がすばらしい本です。
アフリカはソマリランドです。あの精強なアメリカ軍だって敬遠している利権の乏しいソマリランドに6回も通っているという著者の一人の話は奇想天外極まりありません。
そして、それを受けて日本の室町時代も似たようなところがあると学者が応じます。
何がそんなに似ているというのか・・・。 表向きは西洋式の近代的な法律があるけれど、実際には伝統的、土着的な法や掟が生きている。たとえば、盗みの現行犯は殺してもいい。日本の中世はそうだった。ソマリアでも同じ。なぜ、人を殺してはいけないのか・・・。中世の日本人なら人を殺したら、自分や家族も同じ目に遭うからだとはっきり答えるだろう。
ソマリ社会は三重構造になっている。ソマリの掟があり、イスラムの法廷があり、国の裁判所がある。
大都会は危険がいっぱいだけど、辺境の村は安全。ソマリ社会では、自分が招いたわけではない客人であっても徹底して守る。ゲストが家に来たら、その家のルールを曲げてでもゲストに合わせる。
外国人が狙われるのは、外国人は政府側の客で、客がやられたら政府にとって最大の屈辱になるから狙うのだ。
ソマリの掟では、女性を襲ってはいけない。女性を意図的に殺すのはよくない。神罰が下るし、男として恥だから。
ピストルは、どこの軍隊でも将校以上しか持てない。兵隊と下士官は自動小銃をもって戦うか、将校は基本的に戦わない。ピストルと自動小銃では、ピストルは役に立たない。しかし、価値としてはピストルのほうが断然上。
イスラム教徒は、自分たちはヨーロッパ人より上だって意識がある。欧米人は大便したとき、紙で尻を拭くような野蛮人だと呼んでいる。
ソマリ人は独裁権力みたいなものをもっていない。権威があまり通用しない平等社会だ。氏族の長だからといって無条件に尊敬されているわけではない。
タイやミャンマーやインドでは、新米よりも古米のほうが値段が高い。新米は水っぽいとして敬遠される。古米は水を吸って3割増しになるので喜ばれる。
ソマリランドを走っている自動車の99%は日本の中古車。それも、日本でつくった日本車の中古だけ。クルマの持ち主がかわった瞬間に価格が6割に下落するなんていう国は日本しかない。2、3回転売されたクルマは、ほぼゼロになる。日本人は丁寧にクルマに乗るから質のいい中古車がタダ同然で手に入る。だから中古車を輸出するビジネスも日本でしか成り立たない。
アフリカを知ることによって日本という国を歴史的にも認識できるというわけです。面白いです。
(2015年9月刊。1600円+税)
2017年12月21日
享徳の乱
日本史(中世)
(霧山昴)
著者 峰岸 純夫 、 出版 講談社選書メチエ
応仁の乱の前に30年も続いた享徳の乱というのがあったのですね、知りませんでした。とても分かりやすい文章で、なるほどなるほどと読みすすめることができました。
戦国時代は応仁・文明の乱より13年も早く、関東から始まった。応仁・文明の乱は関東の大乱が波及して起きた。
関東の大乱は、享徳3年(1454年)、鎌倉(古河)公方(くぼう)の足利成氏(しげうじ)が補佐役である関東管領の上杉憲忠を自邸に招いて誅殺した事件を発端として内乱が発生し、以後28年にわたって東国が混乱をきわめた事態をいう。
この享徳の乱は、単に関東における古河(こが)公方と上杉方の対立ではなく、その本質は上杉氏を支える京の幕府・足利義政政権が古河公方の打倒に乗り出した東西戦争である。
南北朝の内乱は57年間続いたが、享徳の乱は28年間も続いた。応仁・文明の11年間よりはるかに長い。源平合戦(治承・寿永の内乱)は5年間でしかない。
一揆というのは、百姓だけでなく、武士であっても、揆(やりかた)を一にするものをいう。
足利成氏が12月27日自邸で上杉憲忠誅殺事件を起こすその11月23日と12月10日に大地震が起きている。また、応仁・文明の乱の直前には大飢饉が発生していた。
1456年には、大きな彗星(ほうき星)が出現して、人々の不安が高まった。ハレー彗星の出現である。
中世の支配構造は職(しき)の体系と呼ばれる重層的なものであった。すなわち、同一の所領について、現地の地頭職、中間の領家職、上部の本家職などが重なって、それぞれの所得分の権利となっていた。つまり、「この所領は、わがもの」といえる主体か何人もいた。
足利成氏は享徳の乱の28年間、粘り強い戦いによって幕府、上杉方と五分に渡りあい、事実上の勝利をもたらした。成氏という人には並々ならぬ器量があった。
やがて太田道灌や北条早雲が舞台に登場してきます。戦国大名の形成過程がたどられています。
戦国大名に成長していった勢力には、その出身別にみると、前代の守護・守護代や国衆といわれる在地勢力があげられる、それらが戦国争乱の過程で上剋下や下剋上といった抗争や地域間の争覇を通じて権力を拡大して、一国ないし半国以上の領域を掌握して戦国大名となっていく。
まことに世の中には知らないことがたくさんあるものです。
(2017年10月刊。1550円+税)
2017年12月22日
みすずと雅輔
人間
(霧山昴)
著者 松本 侑子 、 出版 新潮社
みんなちがって、みんないい。
金子みすずの詩は、どれも思わずはっとさせる新鮮さがありますよね。
みすずの弟は古川ロッパの脚本家をしていたということを初めて知りました。その実弟の残した膨大な日記をもとに、姉みすずの幸福と苦悩の日々を描いた伝記小説です。
初めはずっと事実ばかりを描いていると読んでいましたが、著者はあくまでも小説だと書いていますので、フィクションもあるようです。ただ読んでいるだけでは、どこまでが真実なのか、どこからがフィクションなのか判別できません。それだけよく描けていると思いました。
それにしても、金子みすずはよく詩を書いたものですね。下関の片田舎から東京の出版社へ次々に投稿していったのです。なんと、4つの雑誌に童謡と詩が5作も一度に載ったのでした。見事なものです。「婦人倶楽部」「婦人画報」「童話」「金の星」です。
金子みすずは投稿を続け、昭和4年までに512編の童謡を書いた。そのうち90編が雑誌に載り、昭和5年3月に自死した。金子みすずの詩を西條八十が絶賛した。
金子みすずは、死の前日、写真館で写真をとってもらいました。有名な写真です。娘への思いを込めたかったのでしょうか・・・。このころ、金子みすずは夫にうつされた性病のために重病人だったのですが、そのような病気やつれを感じさせません。ふっくらとした少女のような面だちです。
実弟の日記が2014年に四国で見つかったことも、この本の細かい描写を助けています。金子みすずの生きたころは、自分の願望や欲望を口にする女や行動的な女は、「女のくせに」「おてんば」と叱られ、後ろ指をさされた。遠慮がちで、口数の少ない女だけが、ええ女子(おなご)と褒められる。金子みすずは、そうしたしつけを受けたことも詩に書いている。
あたしひとりが 叱られた。
女のくせにって しかられた。
女の子ってものは、木のぼりしないものなのよ。
竹馬乗ったら、おてんばで、打ちごまするのは、お馬鹿なの。
金子みすずの詩を、いちど全部よく読んでみたいと思いました。
11月に受けたフランス語検定試験(仏検・準一級)の結果が判明しました。幸いなことに今回も合格です。合格基準点72店のところを81点とりました。自己採点では80点でした。1月下旬に口頭試問を受けます。これが難関です。3分前に2問あたえられて、うち1問を選んで、そのテーマにそって3分間のスピーチをします。そのあと、ネイティブの試験官と5分間ほど問答するのです。3分間スピーチって、毎回ほんとに悩みます。最高のボケ防止策です。ボケてなんておれません。
(2017年3月刊。2000円+税)
2017年12月23日
私のヴァイオリン
人間
(霧山昴)
著者 前橋 汀子 、 出版 早川書房
高校2年生の夏、17歳でソ連で留学。1961年8月のことです。いやはや勇気がありますよね。ヴァイオリンの修行のため、念願のソ連留学を実現したのでした。日本人が一人も住んでいないレニングラードに行ったのです。横浜を出発して1週間かかってようやくレニングラードに到着したといいます。今ならあっという間に、その日のうちに着きますよね。
著者がヴァイオリンを始めたのは4歳のとき。すごいですね、こんな幼児のころからヴァイオリンを始めるのですね。自由学園幼児生活団に入ってからのことです。
ヴァイオリンを「ヴァー子ちゃん」と呼んで、いつも枕元において寝ていたというのですから、やっぱり変わっていますよね。ヴァイオリンの練習をしないのは、ご飯を食べなかったり、歯をみがかなかったりするのと同じこと、そう思っていたとも言います。うひゃあ、す、すごいです・・・。
小学6年生のとき、コンクールに出場して2等に入賞。ところが、母親は優勝しなかったので、ひどく落胆した。著者のヴァイオリン上達に母親は並々ならぬ、涙ぐましい努力をしたようです。
レニングラードでは、4人部屋に入りました。寮の部屋では、誰が何時から何時まで練習するというスケジュールを決めていて、自分の番になったら、人が寝ていても、お構いなしにピアノを弾きはじめる。1日に10時間から12時間、みな死に物狂いで練習する。
レニングラード音楽院では、身体の骨格や筋肉について学ぶ授業もあった。ながく演奏活動を続けていくためには骨や筋肉をどう使うか、その仕組みを熟知しておくことが不可欠だから・・・。
筋肉を鍛えると、演奏をしているときの感覚が明らかに違う。うへーっ、そうなんですか・・・。
ソ連の次はアメリカへわたって勉強を続け、やがて世界にはばたいていきます。そして、今では日本で活動しています。いちど、コンサートに行って聴いてみたいと思いました。プロへの道のすごさの一端をうかがい知ることのできる本でした。
(2017年9月刊。1500円+税)
2017年12月24日
古墳時代の南九州の雄・西都原古墳群
日本史(古代史)
(霧山昴)
著者 東 憲章 、 出版 新泉社
宮崎県の真ん中ほどの台地(丘陵地帯)にある西都原(さいとばる)古墳群をまだ見たことがない人、行ったことのない人は少なくないと思いますが、日本古代史に少しでも関心があるなら必見ですよ。ぜひぜひ見学されることを強くおすすめします。ちなみに私は数回行っています。
佐賀県にある吉野ケ里遺跡、青森県の三内丸山遺跡も素晴らしいと私も思いますが、なにしろ西都原古墳群は規模が大きい。300基以上の古墳が丘陵のあちこちにあるのは、実に壮観です。
南北4.2キロ、東西2.6キロで、面積58ヘクタールというのですから、その広大さは想像を絶します。そして、古墳時代の全期間を通じて古墳の築造が続けられています。前方後円墳だけでも、32基もあります。
男狭穂(おさほ)塚古墳、女狭穂(めさほ)塚古墳の二つには対になった古墳で、いずれも同じ全長176メートルもの巨大さです。男狭穂塚古墳は日本列島最大の帆立見形古墳であり、女狭穂塚古墳は九州最大の前方後円墳である。
ここからは、鉄製の甲冑(かぶと)が出土しています。さらに、埴輪(はにわ)船や埴輪子持家(こもちいえ)も出土しているのです。見事なものです。
鉄製短甲(要するに胴まわりの防具です)を3コも入れてもらった被葬者もいます。畿内中央政権につらなる九州屈指の上位首長とみられます。
古墳の様子と出土品が多数のカラー写真で紹介されています。まずは、ぜひこの本を手にとって、次には現地へ出かけてみてください。一見の価値ある偉大なるパワー・スポットです。
(2017年10月刊。1600円+税)
2017年12月25日
昆虫の交尾は味わい深い
生物(昆虫)
(霧山昴)
著者 上村 佳孝 、 出版 岩波科学ライブラリー
昆虫の交尾の研究をしている学者がいるのですね・・・、驚きました。いったい、それが何の役に立つのか、なんて野暮な質問はしないでおきましょう。
じつは、昆虫の交尾器のもつ形の不思議に魅せられて研究しているのです。それは昆虫の進化の歴史を反映するものでした。いったい、どんな・・・。
オスとメスは、どう違うのか・・・。卵をつくる側をメス、精子をつくる側がオス。
では、卵と精子の違いは・・・。鞭毛(べんもう)のない、泳げない精子をつくる動物がいる。そこで、大きな配偶子(卵)をつくるのがメス、小さな配偶子(精子)をつくるのがオスなのである。
昆虫のもっとも古いやり方では、精子の授受は間接的。シミ類がそうである。コオロギやキリギリスの交尾は、多くの場合、メスがオスの背後から背中に乗る。
オスの交尾器の腹側は、メスの交尾器の背中側にかみあうというのが昆虫の多くのグループで原則となっている。
生物全般において交尾器の進化は速い。形のなかではもっとも変化が速いと考えられている。交尾器を見ない限り、種を見分けられない。1000万種もいる昆虫たちは、それぞれオンリーワンの交尾器をもっている。
セイヨウミツバチの新女王は最大で17匹ものオスと交尾してから巣づくりを始める。その交尾のとき、オスは手持ちの精子のすべてを新女王に渡してしまい、交尾器の柔らかい部分が破れてショック死してしまう。
ブラジルの洞窟に棲むトリカヘチャタテは、なんとメスがペニスをもっている。オスの側にはペニスにあたる構造は一切なく、そのかわり、メスペニスのトゲ束を受けとめるポケットがある。トリカヘチャタテの交尾時間はとても長く、平均して50時間にも及ぶ。その間に、精子を含む巨大な精包がオスからメスへ渡される。オスは精子だけでなく、大量の栄養物質もあわせてメスに与えると、メスはたくさん交尾するほど、子の数が増えることになる。逆にオスは栄養補給のために次々に複数のメスと交尾するのは難しくなる。オスの獲得をめぐって、メス同士が競争するケースもある。
いやはや学者の世界って、こんなにも奥深いものなんですね・・・。
(2017年8月刊。1300円+税)
2017年12月26日
軍国少年がなぜコミュニストになったのか
人間
(霧山昴)
著者 松本 善明 、 出版 かもがわ出版
いわさきちひろの夫であり、弁護士であり、日本共産党の国会議員として活躍した著者の自伝です。
著者は、1945年8月15日、19歳で海軍兵学校の最上級生として広島県江田島にいた。なぜ、あの戦争に反対しなかったのか・・・、その問いに答えるべく書いた自伝。
戦争に反対するどころか、当時の著者は心の底から日本の戦争を正しい戦争だと思い、お国のために命を投げすてることを唯一の道だと考えていた。それは愚かだったから戦争を賛美したというものではなかった。
小学生時代の著者は身体が弱く、神経過敏だった。親は子どもたちに読書をすすめた。東郷平八郎、乃木希典などの軍人の生涯にひきつけられ、軍人として国のために命を捧げるという生き方に違和感をもたずに育った。
著者は両親の期待を受けてまじめな秀才としての道を歩んだ。お国のために死んでいく価値観は、小学校のときから疑いをもっていなかったが、中学時代にますます確固たるものに変わった。
中学の校長は、「10年後の大学者となるより、1年後の一兵卒たれ」と叫んだ。著者は、自らの燃えるような意思で、海軍兵学校への進学を決めた。
このように読んでいくと、学校教育の影響力の恐ろしさをまざまざと見せつけられます。アベ首相につらなる人たちが教育勅語の復活を企図しているのが、恐ろしくてなりません。
著者は1943年12月に江田島の海軍兵学校に入ります。75期生です。3480人が同期生でした。これは74期の3倍以上。
敗戦によって生きる目的を失い、心にぽっかり穴があいてしまった。そして1946年4月、東大法学部に入学した。大学生になって、戦前戦中に命を賭けて戦争に反対し続けた人たちがいることを知り、ひどい衝撃を受けた。東大図書館に一人こもり続けるのを1年数ヶ月間も続けたあと、著者は日本共産党に入ったのです。信じられませんね。図書館での独習だけで共産党に入るなんて・・・。
アベ首相の父の安倍晋太郎とは法学部の同期生で、卒業も同じだった(お互い面識はない)。
いわさきちひろとの出会いは感動的です。交際中のある日、ちひろから「靴を買ってあげましょうか」と言われた。著者がわらの緒のついた粗末なわら草履(ぞうり)をはいていたから。しかし、著者は海軍兵学校からもらってきた靴が6足もあるから大丈夫だと答えた。自分は一生お金が入るような仕事にはつかないつもりだから、6足の靴を一生はこうと思って大切にしていると答えた。何と純粋な心の持ち主でしょうか・・・。
著者とちひろとの二人だけの結婚式の光景を上条恒彦が歌っています。神田のブリキ屋の二階のちひろの部屋を花でいっぱいにした。1000円の大金を全部花にした。あとはワイン1本ときれいなワイングラス二つ。すばらしいですね・・・。そのあと、著者は失業して司法試験を受験し、半年間の猛勉強で合格したのです。6期です。
国会議員になってから、田中角栄首相を鋭く追及し、総理を辞めたくなるほどの心境に追いやったのです。後輩として、読んで元気の出る本でした。
(2014年5月刊。1800円+税)
2017年12月27日
空洞化と属国家
社会
(霧山昴)
著者 坂本 雅子 、 出版 新日本出版社
いまの日本社会に少しでも疑問を感じている人には必読の本だと思いました。なにしろ776頁もの大著ですし、5600円(税別)もしますので、誰でも気軽に読める本ではありません。そのことを承知のうえで、それでも一人でも多くの人に読んでほしい本だと思いました。
一基1000億円もする地上型イージス装備を2基もアメリカから購入するというのに、それが日本国民を守るのに何の役にも立たないばかりか、有害でしかないことを承知していながら、今のマスコミはまったく批判もしません。北朝鮮の「ミサイル攻撃の恐怖」というアベ政権の世論操作に乗っているだけです。そのため、生活保護をはじめ福祉・教育予算は削られる一方です。今のアベ政権は「国を守る」ことに熱心ではあっても、日本国民の生活を守ることには知らん顔。そして、日本国民の半分は、投票所にも足を運ばず、アベ政権まかせで日々を考えずに過ごしています。本当に、そんなことでいいのでしょうか・・・。
いま、テレビでは、日本の技術力の素晴らしさを強調し、日本の伝統の深さ、豊かさ、日本人のすぐれた感性といった、「日本の優位性」を強調する番組が増えている。しかし、日本経済は長期に停滞している。現実には、日本は、生産面でも輸出面でも、中国をはじめとするアジア諸国に劣後し、後退してしまっている。
神戸製鋼所、日産、日立、東芝、日本を代表する超大企業が長く不正行為をしてきたことが最近になって次々に明るみに出ました。大手ゼネコンのリニア新幹線の談合事件も本質的に同じことです。品質本位、お客様第一をモットーとして伸びてきたはずの日本の大企業が、品質ごまかし、金もうけ本位で、客は二の次、安全性は無視、金もうけのためには兵器産業優先という醜い本質を日本経団連は率先しているのです。本当に残念です。
東芝やシャープを先頭として、日本の電機産業は、日本から消滅してしまう危機にある。日本の自動車産業にしても、電機産業と同じ道をたどろうとしている。すべてはアメリカの巨大企業の言うなりに日本の政治が動いていること、それを日本の政官財界が受け入れていることによる。
今の日本は、世界の中で「ひとり負け」の様相を呈している。日本が大きく経済成長したのは1990年代に入るまでで、この20年ほどのあいだに、日本のGDPは40兆円から50兆円も減少している。
日本の企業は、この20年間に、日本国民の雇用を海外、とくにアジア人に置き換えてきた。
日本の貿易収支は、かつては黒字が続いていたが、2011年以降は赤字になっていて、2014年には、10兆円をこえる巨額の赤字となった。今や日本は貿易赤字大国だ。
日本の輸入品は、原油などの鉱物性燃料と電気機器が最大項目。これは海外進出した日系工場からの逆輸入品や、アジア企業への生産委託品が多い。
日銀がいくら市中銀行に紙幣を振り込んでも、その資金は金融機関から先の法人や個人に流れていかなかった。大企業には金が余っていて、銀行からお金を借りている必要がなくなっている。
日本の製造業全体の設備投資が、ものすごい勢いで国外に流れ出している、恐ろしい現象が続いている。
日本の自動車メーカーによる中国工場からの対日自動車輸出が本格化すれば、そのときこそ、とてつもない産業空洞化が日本を襲うことになる。
半導体は、重機産業、そして日本のものづくり全体を支えてきた分野だった。しかし。1990年代から、日本企業は半導体生産から次々に撤退しはじめた。DRAM生産で日本企業に代わって圧勝したのは韓国企業だった。日本企業が韓国の半導体企業を「育成」した。2010年以降、日本企業の半導体生産は崩壊した。
ノートブックパソコンの世界生産に占める日本国内の生産は世界の4分の1から、今では0.2%になった。日本企業は液晶テレビでも液晶パネルでも敗北してしまった。日本の重機産業は、ものづくりでの全面敗退となった。
日本が海外の水道事業を運営しようとすると、他国の水道事業に日本の公的資金を投入するという理不尽なことをしなければならなくなる。水道事業は、まともに運営したらもうけることなど、そもそも不可能。
日本経団連の役員企業の3分の1が外資によって占められていて、外国の資産管理信託会社や日本の代理会社が大株主を占めている。だから、日本の財界が日本国民の生活を守ろうとしないのも必然なのですね。日本の産業構造の破綻というか、日本国民のためにならない政策がますます進行していく必然性を見事に解き明かした貴重な本です。著者に対しては、この本文776頁を国民一般に向けて100頁以下のブックレットにまとめることを強くお願いしたいと思います。
(2017年9月刊。5600円+税)
2017年12月28日
フリッツ・バウアー
ドイツ
(霧山昴)
著者 ローネン・シュタインケ 、 出版 アルファ・ベータ・ブックス
アイヒマンを追いつめた検事長というのが本のサブタイトルです。映画にもなりましたので、私もみました。ドイツの未来のため、ナチの戦争犯罪の追及に生涯を捧げた検事長。ところが、順風満帆で追及できたわけではなかったのです。
ドイツ人の多くは、ナチスのイデオロギーの下で実行した恐ろしい犯罪を戦後になって忘れることを望んだ。フリッツ・バウアーは、1950年から60年代にかけて、それを語るよう強く求め、それを議論すべきテーマとして取り上げた。それは、戦後のドイツ社会で激しい討論を巻き起こした。それまで語られなかったことを、白日の下にさらしたため、フリッツ・バウアーは多くの敵をつくった。
ナチ政府においてナチスに追随していた者のほとんどが1950年代には司法および行政の機関に完全に舞い戻っていた。連邦刑事警察庁の指導的な47人の官僚のうち33人が元ナチスの親衛隊(S'S)の隊員だった。
フリッツ・バウアーは、ユダヤ人であり、社会主義者だった。フリッツ・バウアーは1933年に強制収容所に収容されたが、生涯そのことを語らなかった。
ナチスの犯罪者を処罰できない裁判官は、最終的には犯罪者の仲間になる。裁判官が再び殺人集団の加担者になろうとしているのを黙認してはいけない。
法律は法律なり。悪法であろうとも、法律である以上、それもまた法律なり。しかし、この理屈でナチス法を実行していた法律家を免罪してはならない。私も、そう思います。同じことは日本の戦前の司法官僚にも言えるわけですが、日本ではほとんどの司法官僚が戦後もそのまま温存されました。やがて青法協などの活動が盛んになって時代を大きく動かしていくのですが、それも1970年ころを境に弾圧されていきます。
ドイツでナチス時代の犯罪行為を正面から取り上げたフリッツ・バウアーの不屈の勇気に日本人の私たちも大いに学ぶ必要があると思いました。
(2017年8月刊。2500円+税)
2017年12月29日
したたかな魚たち
生物・魚
(霧山昴)
著者 松浦 啓一 、 出版 角川新書
脊椎動物のなかで体の軸が地球表面に対して垂直にあっているのは人間だけ。他のすべての脊椎動物の体軸は地球表面と平行になっている。
動物学では、「縦」とは、体軸にそった方向のことであり、「横」とは体軸に対して垂直となる方向のこと。
脊椎動物の全種類は6万種。魚の種類は3万2000種。脊椎動物の半数以上を占めている。日本には4200種がいる。
砂地の海底にミステリーサークルをつくる魚が発見された。アマミホシゾラフグのオスである。
私が唯一欠かさず見ているNHKテレビ番組「ダーウィンが来た」(録画で見ています)で紹介されました。
魚の新種が今も次々に見つかっていて、日本では年に10種ほど。60年間では491種。オーストラリア740種、中国202種。日本は多い。
リュウグウノツカイは体長が8メートルにもなる。
左ヒラメに右カレイ。ヒラメは体の左側に両目があり、カレイでは体の右側に両目がある。先日の「ダーウィンが来た」で、この魚の両目が次第に一方に寄っていく仕組みを解説していました。エサのとり方も違うのですね・・・。
多くの魚は陸から離れられない。浅海という8%の狭い海に全海水魚の8割がひしめいている。なぜか・・・。水深200メートルより深い海には光合成ができないためプランクトンがいないことによる。
マグロの巡航速度は時速7キロ。ダッシュ速度は時速50キロ。マグロは太平洋を往復できる。ずっとずっと時速7キロで泳いでいられるのだ。マグロは海中で止まると沈んでしまう。マグロのウキブクロが小さいからだ。マグロは体の一部を温かく保つことができる。体温を外界よりも高く保つことができるため、高速で持続的に泳ぐことができる。
マグロやカツオは血合筋が発達しているため赤身の魚。メバルやカサゴ、タイやヒラメは白身の魚。白身の魚は長時間にわたって泳ぐことができない。
魚のあれこれを興味深く知ることができました。
(2017年3月刊。800円+税)
2017年12月30日
戦争の日本古代史
日本史(古代史)
(霧山昴)
著者 倉本 一宏 、 出版 講談社現代新書
高句麗好太王碑は有名です。413年に亡くなった好太王の墓の近くに大きな石碑が建てられ、今に残っています。
明治13年(1880年)に発見され、1884年に陸軍の情報将校(酒匂景信)が拓本を日本に持ち帰った。この碑文について、酒匂が石灰を塗って碑文を改ざんしたという説があったが、今では完全に否定されている。
この碑文では、倭国は大敗を喫している。ただし、倭国の将兵が渡を渡って朝鮮半島南部に上陸したというのは史実だと考えられる。倭国軍は、朝鮮半島に渡って、百済や加耶(かや)と共同の作戦をとって高句麗と対峙していた。
馬を「うま」と訓じるのは、中国語のマ(バ)が転じたもの。倭語には、この動物をあらわす言葉がなかった。倭に馬はいなかったし、見たこともなかったので当然のこと。また、馬を駒(こま)というのは、高麗(こま)から来ていて、高句麗の動物という意味だ。
筑紫磐井(つくしのいわい)は新羅(しらぎ)と結んでいた。倭国の継体大王は新羅遠征軍を派遣した。倭にとって「任那(みまな)復興」など、いかにも非現実的な願望にすぎないし、すぎなかった。そして、倭国の軍事出動が「平和を望んだ聖徳太子」なるものは、まったく史実に反する誤りである。
鎌倉時代の蒙古襲来前に、刀伊(とい)が1019年に入寇(にゅうこう)してきた。刀伊は、東部満州のツングース系の民族。女真族は、このころ、しばしば高麗を掠奪していた。
「ムクリ、コクリが来るよー・・・」と泣き叫ぶ子ども相手に叱る言葉。ムクリは蒙古つまりモンゴルのこと、コクリは高句麗・高麗のこと。
古代日本が古代朝鮮半島の国々と、どのように関わったのかを考えさせてくれる本です。
(2017年5月刊。880円+税)
2017年12月31日
日本犬の誕生
犬
(霧山昴)
著者 志村 真幸 、 出版 勉誠出版
私はイヌ派です。幼いころから我が家には犬がいました。忠犬ハチ公の話は泣けてきます。ネコは飼ったことがありませんし、ネコパンチなんて敬遠したいです。
犬は形態はオオカミに近いが、生態的な側面からするとジャッカルが近い。オオカミは人家に近づかず馴致(じゅんち)しにくいが、ジャッカルは村落周辺に集まり、容易に人間に馴(な)れる。
現在、日本に988万頭の犬が飼育されている(2016年度)。このうち秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬という日本犬は100万頭。
昭和の初めころ、平岩米吉は自由ヶ丘に広大な庭をもつ家をもっていて、そこでオオカミを飼っていた。朝鮮半島産6頭、満州産1頭、モンゴル産2頭。
ニホンオオカミは明治38年に絶滅してしまった。
狆(チン)が江戸時代に渡来してきたという説は誤っていて、平安時代から日本で飼育されてきたという説が今では有力。
明治末に日本犬の危機が自覚され、大正に入って日本犬の保有運動が始まった。秋田犬は、東北のマタギ犬が祖先だとされている。ハチ公によって秋田犬は忠犬としてのイメージを得て人気を高めた。
私がフランスに行ってロアール河のシャトーホテルのレストランで夕食をとっていると、大きな犬がテーブルの下におとなしく寝そべっていました。マダムは私が日本人だと知ると、「この犬は秋田犬なのよ、すばらしいわ」と絶賛しました。私も、少しだけ鼻を高くしてしまいました。
この秋田犬は戦争中は軍用犬として献納されたりして、終戦時にはわずか十数頭しかいなかった。ところが、日本に駐留したアメリカ兵士がアメリカへ持ち帰ってアメリカで人気犬種となり、見直されて、日本でも急速に人気を回復し、昭和47年には4万頭をこえるまでになった。
昭和の初めまで、日本犬が蓄犬商で扱われることはなかった。その後、日本犬といえども、お金を払って購入するものという意識が生まれた。
日本犬は軍用犬に不向きだった。特定の主人には忠実だが、別の操継者には従わない。しかし、戦場では誰が指揮官になるか分からない。ひとりの主の命令しか聞かないようでは、戦闘現場では役に立たない。なーるほど、そういうこともあるんですね・・・。
柴犬をふくむ日本犬を見直してしまいました。ちなみに、私の家ではスピッツと柴犬を飼いました。
(2017年3月刊。2400円+税)