弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2017年10月 1日
あの会社は、こうして潰れた
社会
(霧山昴)
著者 藤森 徹 、 出版 日経プレミアムシリーズ
日本の中小企業がどんどん倒産・閉鎖しています。弁護士の業界でも苦戦している人が多いのは、これまで弁護士にとっての主要な取引先だった中小零細企業や商店が半減してしまったことにもよる。私はそう考えています。
ゲームセンターは苦戦している。ゲームセンターの市場規模は2007年がピークで6780億円あったのが、2015年には4050円と、4割減だ。これは、ネットを使ったオンライン・ソーシャルゲームの影響だ。2015年には、ゲームセンターの2、4倍、9630億円にまで拡大している。
消費者の呉服離れが続いている。呉服の購入額は、この10年間で半減した。
建設業界やサービス業界では、人手不足が想定以上に深刻になっている。
財テクが恐ろしい理由は・・・。もうかったら、人には絶対に言わない。ましてや、損をしたら、絶対に外部には言わない。
100年以上も続く老舗企業には3つの特徴がある。
①事業継承(社長交代)の重要性
②取引先との良好な関係
③番頭の存在
会社にも寿命があるように、つぶれる会社には、何かしら理由があったということのようです。
(2017年5月刊。850円+税)
2017年10月 2日
老人一年生
社会
(霧山昴)
著者 副島 隆彦 、 出版 幻冬社新書
私たち団塊の世代が古稀の世代に突入しつつあるなかで、身体のあちこちが悲鳴をあげている人が目立ちます。私も、ほんのちょっとしたことで先日来、膝が痛くてたまりません。
この本は、私たちより少し年齢(とし)下の著者が老人とは何かを端的に表現していて、なるほど、そうだよねと深く大きくうなずいてしまいました。
老人とは何か。それは、痛いということ。老人は痛いのだ。
としをとると、あちこち体が痛くなる。老人になるとは、体があちこち順番に痛くなることなのだ。誰もが老人痛になる。それが運命だ。老人病は治らない。体のどこが悪くなるかは、その人の運命だ。その運命を運命として引き受けるしかない。自分の体を医師に丸投げせずに、病気と向き合いながら、その時その時、自分自身で対処していくしかない。
著者はビールを飲むのをやめて焼酎党になったとのこと。私も同じです。ビールはもう5年以上も前に飲むのを止めました。今も、焼酎の水割りを飲みながら書いています。20度の焼酎を10倍以上に水がわりに薄めて飲んでいるのです。もちろん冬は、お湯割りです。
著者は鍼灸師に月に2回通っているとのことです。子どもが身近にいたら、私も鍼灸をしてもらいます。ツボに温灸をすえるのも気持ちのよいものです。すっきり、しゃきっとした効果があります。そして、膝の痛みには全身マッサージをしてもらいます。血行を良くするのです。昔、膝にヒアルロサンの注射を打ってもらったことがありますが、注射は怖いので、1回だけでやめました。
虫歯はありませんが、一本だけ差し歯にしています。目は白内障の徴候があると診断されています。耳は聞こえにくくなりました。
著者の薬嫌いは徹底していて、高血圧なのに血圧を下げる薬を飲んでいないそうです。私も基本的に薬は飲みません。皮膚科の軟こうはすぐに塗りますし、目薬もよく目にさしますが、飲む薬はほとんど飲みません。
老人になるとは、どういうことなのかを同世代の人々に分かりやすく説明した本でした。
(2017年5月刊。760円+税)
2017年10月 3日
なんで「あんな奴ら」の弁護ができるのか?
司法(アメリカ)
(霧山昴)
著者 アビー・スミス、モンロー・H・フリードマン 、 出版 現代人文社
「あんな奴は、さっさと死刑にしてしまえばいいんだ」
「悪いことした人間の弁護人って、むなしいでしょ・・・」
日本でも多くの人が口にする言葉です。それはアメリカでも同じ状況です。そして、アメリカには、これに露骨な人種差別、階級差別が加わります。
全人口の1%近い200万人以上のアメリカ人が現在、刑務所または留置場に収容されている。このほか、少年収容施設に10万人の少年が入っている。
執行猶予または保護観察になっている人も含めると、700万人を優にこえる。
アフリカ系アメリカ人は人口の12%でしかないのに、薬物犯罪で逮捕される者のうち34%を占め、薬物犯罪のために州刑務所に収容されている人の45%を占めている。
今日うまれたアフリカ系アメリカ人男性の3人に1人が生涯のどこかの時期で刑務所に入る運命にあり、ラテン系アメリカ人男性は6人に1人が刑務所に入る運命にある。これに対して、白人男性ではわずかに17人に1人である。若い黒人の半数以上が、刑務所にいるか執行猶予中か保護観察中である。
アメリカの連邦の学生ローンは、少年時代の薬物犯罪という軽罪であっても、一定の有罪判決を受けた者には認められない。
両親不在のときにエクスタシーの錠剤をのみ、コカインを鼻から吸収していた裕福な家族の子どもは逮捕されない。路上で大麻を吸っていた貧しい家庭の子どもは逮捕される。
貧しい家庭の非白人の子どもは白人の子どもとは別の不利益が課される。彼らは犯罪者としてのレッテルを貼られ、番号をつけられ、法制度のなかで一緒くたにされる。家族から引き離され、生活は破壊される。
恥ずべきは、金持ちが熱心な弁護を受けることではなく、貧困者や中間層が熱心な弁護を受けられないことである。
今日では、共産主義は脅威ではなくなったので、共産主義者を弁護することは普通になった。しかし、テロで訴追されたイスラム教原理主義者を弁護することは評判が悪い。
自由社会では、政府の圧倒的な権力に対するカウンターの存在が不可欠である。なぜなら、権力は、それを行使する人によって容易に濫用されるからである。
死刑囚に実際に面会してみると、決して怪物ではないことが分かる。会う前は荒くれ者で、攻撃的で、恐ろしい人たちだと考えていたが、実際には、礼儀正しく、親切ですらあった。
ミシシッピー州の死刑囚の多くが黒人で全員が貧困層の出身であった。
殴って虐待する母親についていくよりも、レイプする父親と暮らすことを選択した娘、罰として子どもたちに水を与えない養親、憎しみのあまり小さな子どもをムチ打つ親、ティーンエイジャーにもならないのに、食べ物を得るために売春する子どもたち。学校にあがる6歳の子どものための服が断然必要なのに、なけなしのお金でコカインを買ってしまう親・・・。
刑事弁護人は依頼者を信じなければならない。依頼者の人間性、尊厳、経験、奮闘を信じるのだ。依頼者を嫌ってはいけない。弁護人は、やる気とあわせて深い技術を身につけておかなければならない。
私たちが弁護を担う特権を有している依頼者たちが、変わった人であるとか恐ろしい人であると示唆するような行動をとることは、弁護人の援助を受ける権利とアメリカの民主的理想とを損なうものだ。
「あんな奴ら」を弁護するのは、「あんな奴ら」とは我々のことだから・・・。
アメリカの高名な刑事弁護人が、なぜ「悪い人間」の弁護をするのか、自らの体験を通して語っていて、とても説得的です。法制度の違いは多少ありますが、日本の弁護士(人)にも大いに役立つ内容になっています。司法試験に合格したら、早速、読んでほしい本の一つです。
(2017年8月刊。3200円+税)
2017年10月 4日
危機の現場に立つ
アメリカ
(霧山昴)
著者 中満 泉 、 出版 講談社
いま国連で大活躍している日本人女性です。現在の肩書は国連軍縮担当事務次長・上級代表で、先日の国連総会では核兵器禁止条約の成立を国連の側で支えて活躍しました。スウェーデン人の外交官と結婚し、二人の娘さんは高校生と小学生。日本語、スウェーデン語、そして英語、フランス語ができるようです。頼もしい限りです。
早稲田大学を卒業していますが、途中でアメリカのジョージタウン大学に学び、国連での活動を志したようです。大学生のころから世界に目を向けていたことにも驚かされますが、なによりその行動力には敬服します。
そして、国連に入ってからは国連難民高等弁務官事務所に働くようになり、ユーゴスラビア・サラエボの「民族浄化」作戦の真只中に飛び込み、現地の軍指導者と激しくやりあったのでした。恐るべき土根性です。そして、アフリカに渡ったあと、スウェーデン人外交官と結婚し、出産、子育てし、再び国連へ・・・。その間に、日本では大学教授にもなっています。
これまでに世界115ヶ国に出かけたというのですから、さすがのアベ君も真っ青ですね。
国際的に活躍する日本人女性としては緒方真子さんが有名でしたが、今では著者がバトンを受け継いでいるようです。
私は電車に乗っている1時間で、息もつかさず集中して読了したところで終点到着となりました。叩きのめされて声が出ないほど圧倒されたのです。
いま、世界中で6000万人以上の人々が第二次世界大戦直後と同じように家を追われて避難生活を送っている。これは、世界各地で、今も戦争が絶えないことによる。
国連で仕事を始めるときに重要なことの一つは、良い上司の下につくこと。
仕事をするうえで重要なことは「誠実さ」。正直に努力を重ねて、ときには苦しみ悩みながら、自分のもっているモラル・コンパス(論理基準)を磨き育て、それを使っていろいろなことを判断し、日々、仕事を積み重ねていく。
分からないことは分からないとすぐに正直に言う。軍人に対しても、考え方や仕事のやり方に違いがあることを臆せずはっきり言う。そのうえで歩み寄る方策を考える。
イタリア軍の食事が各国の軍隊と比べると一番おいしい。フランス軍の食事には、ワインだけでなく、食後のコニャックまでついている。
軍隊と人道支援機関が一緒に活動するのは難しいもの。
国連の「中立」とは、紛争のどの当事者にも偏らないという意味の中立性。これって、現地ではなかなか難しいと思います・・・。
国連PKOで重要なのは、現場レベルでの「抑止力」、つまり暴力を起こさせない力。国連PKOは必要最小限の武力しか行使しないが、そのためには、もし必要なら武力行使をためらわないという明確な態度表明が常に必要だ。タマは一発も撃ちませんでは、攻撃してくださいというメッセージを送ることになる。この微妙なバランスが難かしい。たとえば、国連PKO部隊の兵士は反撃するにしても、なるべく下半身を狙う訓練を受けている、とか・・・。
著者は福岡の小学校にも通っていたそうです。
「母ちゃん大好き、愛してる。世界をたのむ」とは、著者への娘さんからのメッセージです。すごくいいメッセージですね。しっかり子育てしていることが伝わってきます。
いやあ、日本女性って、実に勇敢ですね、ほれぼれしてしまいました・・・。ぜひ、多くの日本の若者に世界平和のために続いてほしいものです。
(2017年7月刊。1400円+税)
2017年10月 5日
父の遺言
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 伊東 秀子 、 出版 花伝社
規律正しく、仁慈の心をもつ日本人が中国大陸で虐殺したなんて真っ赤な嘘、だと真顔で言い張る日本人がいます。そんな人と、それを聞いてそうかもしれないと思っている人にはぜひ読んでほしい本です。
日本内地では善良な夫であり、優しい父親だった日本人が中国大陸に渡ると、罪なき中国の人々を殺害し、女性を強姦しても何とも思わない「日本鬼子」に変貌してしまうのです。恐ろしいことです。戦争が人間を殺人鬼に変えてしまいます。そこには、殺さなければ、自分が殺されるという論理しかないのです。
著者は国会議員になったこともある北海道の女性弁護士です。私より先輩ですが、今も元気に現役弁護士として活動しています。その父親が憲兵隊に所属していて、かの悪名高い七三一細菌部隊へ44人もの中国人を送ったのでした。その全員が石井四郎中将の率いる七三一部隊で人体実験の材料とされ、なぶり殺されてしまいました。
「日本鬼子」の非道さには言葉も出ません。戦後、父親は中国軍に収容され裁判にかけられます。しかし、死刑にならず数年の刑務所生活を経て日本へ帰国してきます。そして、日本では、昔のように好々爺として孫たちと接するのです。同時に、罪の償いをしなければいけないと子どもたちに伝えたのです。
著者は、その父親の思いをしっかり受けとめて生きてきました。
著者の父親は、満州にあった憲兵隊司令部に勤務し、満州各地で憲兵隊長をつとめた。著者の母親は、満州での特権的な暮らしに否定的だった。「よその国を占領し、中国の人たちを『満人』と呼んで奴隷のようにこき使い、特権的な生活をするなど、日本のやっていることはどこかおかしいといつも思っていた」
父親は中国で禁錮12年の刑期を終えて、1956年に日本へ帰国した。56歳だった。
父親は著者に対して、中国で裁判を受けた45人は、みな死刑になって当然のような残虐非道な戦争を指揮した者ばかりだったのに、誰も死刑・無期刑を受けなかったと語った。
大和民族の優秀さを示すために、中国人はダメだ、朝鮮人は下等だと、いつも民族に序列をつけていた。
中国人の1人や2人を殺したって、どうってことはない。どうせチャンコロだ。そんな大それた考えをもっていた。
中国では、日本に帰って共産主義を広めろと言われたことはない。そうではなくて、日本に帰ったら、平和な家庭を営んでください、それだけだった。すごいですね。泣けてきますよね・・・。
「戦争は、あっという間に起こり、起こったら誰も止められない。それが戦争というものだ」
「どんな真面目な人間でも、戦地では平然と人を殺し、他人の物資を奪い、女を見れば強姦する」
「戦局が不利になると、指揮官も兵隊もますます狂っていく。強気一辺倒になる。いま思えば、自分もそうだった」
Jアラートが鳴り響くなかで、恐怖心があおられ、「無暴なことをする北朝鮮なんか、やっつけろ」の大合唱が起こりつつあります。まさしく権力者による戦争誘導が今の日本で起きて、進行中です。私たちはもっと冷静になって、足元を見つめ直すべきではないでしょうか。
この本は、そんなカッカしている頭を冷ます力をもっています。ぜひ、ご一読ください。
(2016年8月刊。1700円+税)
2017年10月 6日
日中戦争全史(下)
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 笠原 十九司 、 出版 高文研
1938年1月の大本営政府連絡会議において、陸軍の参謀本部は中国との長期泥沼戦に突入するのを阻止しようとした。なぜか・・・。
このころ日本陸軍は、3ヶ月に及んだ上海戦に19万人を投入し、戦死傷者4万人という大損害を蒙っていた。それ以上に戦病者も膨大だった。南京攻略戦に20万人の陸軍を投入し、「首都南京を占領すれば中国は屈服する」はずだったのに、失敗してしまった。ゴールの見えない長期戦・消耗戦に、陸軍はこれ以上の負担と犠牲を蒙るのを回避しようとしたのである。
これに対して海軍首脳は、日本という国の運命より、日中戦争に乗じて海軍臨時軍事費を存分につかって、仮想敵のアメリカ海軍・空軍に勝てる艦隊戦力と航空兵力をいかに構築するのかばかりが関心事だった。本当に無責任きわまりありません。海軍は平和派なんて、真っ赤なウソなのです。
1938年末、日本の動員兵力は陸軍で113万人、海軍で16万人、合計129万人。このうち中国に派遣されたのは関東軍をふくめて96万人に達していた。
1939年7月のノモンハン戦争において日本軍は圧倒的な近代兵器を大量に駆使するソ連赤軍に惨敗してしまった。戦死傷者は2万人近い。
敗戦の責任をとって関東軍のトップは更迭された。ところが強硬論によって関東軍を泥沼の苦戦に引きずり込んだ作戦参謀の服部卓四郎中佐や辻政信少佐は、やがて東京の参謀本部の作戦課長、作戦班長に就任し、アジア太平洋戦争開戦の推進者となった。
まことに無責任な軍幹部たちです。そして、服部卓四郎は戦後は戦史研究者として長生きしています。この服部史観は海軍を擁護する俗説を広めました。
1940年8月、八路軍が百団大戦を開始した。このころ、八路軍・新四軍は60万人、民兵は200万人。解放区の人口は4000万人に達していた。日本軍は八路軍の戦力を軽視し、分隊単位で高度分散配置していたので、八路軍は、道路・鉄道の各所を破壊して分断したうえで奇襲攻撃をかけた。
百団大戦は、日本軍(北支那方面軍)の八路軍に対する認識を一変させ、その作戦方針を転換させる契機となった。主敵が国民政府軍から共産党軍に移っただけでなく、軍隊を相手にすることから、抗日民衆を相手にする戦闘に変化していった。
百団大戦後、日本軍は「正面戦場(国民政府軍戦場)」と「後方戦場」(敵後戦場)(共産党軍戦場)という二つの戦場での戦闘を強いられるようになった。
1943年2月のガタルカナル作戦を立案した参謀本部の主役は田中新一作戦部長、服部卓四郎作戦課長、辻政信作戦班長だった。
「海軍は陸軍にひきずられて太平洋戦争に突入した」という俗説があるが、真実は、その逆だ。海軍は日中戦争を利用して仮想敵である対米決戦に勝利するために軍備と戦力を強化し、南進政策に備えた。
日中戦争のおぞましい実態、軍部指導部の無責任さが如実に描写・分析されている労作です。広く読まれることを願います。
(2017年7月刊。)
2017年10月 7日
にっぽんスズメしぐさ
鳥
(霧山昴)
著者 中野 さとる 、 出版 カンゼン
夕方になると、駅前の街路樹でスズメの集団がかまびすしいですよね。大勢のスズメたちが、あっちうろうろ、こっちうろうろして、鳴きかわしています。いったいぜんたい、何を話しているのでしょうか・・・。私は、ぜひぜひ、その会話の中味を知りたいです。
この本は、日本のスズメの生態を写真で紹介するシリーズ第二作。
スズメは、3月、桜の花が咲くころ、メスは卵を産みはじめる。産んだ卵をすぐに温めるのではなく、すべての卵を産み終えてから抱卵をはじめる。これは産卵順で成長に差が出ないように、卵のかえるタイミングをそろえるため。卵のほうも、温められてから成長スイッチが入るようになっている。
抱卵して2週間ほどでヒナが誕生する。そして、親は毎日せっせとエサを運ぶ。1日300回、2週間で4200回、親はエサをヒナに運ぶ。そして、ヒナのフンを外へ放り出して、巣の中を清潔にたもつ。
巣だってしばらくの間も、エサをとるのが苦手な幼鳥は親鳥がエサを与えて、ケアする。
その後、親は次の子育てに入り、8月から9月にかけて2回、多いときには3回も子育てする。そんなにヒナの子育てしたら、スズメが爆発的に増えるはず。ところが、現実には、そんなにスズメは増えていない。なぜか・・・。
野生のスズメの平均寿命は1年3ヶ月。自然のなかでは仔スズメは、ほとんどが生きのびれない。生き残った、ほんの一部が子孫を担うことで命がつながっている。
カラスやツミがスズメのヒナを襲う。
亡くなった作家の半村良は、スズメが大好きで、庭に来る100羽のスズメの全部に名前をつけて個体識別していた。
山の中で道に迷ったらスズメを探したらよい。なぜか・・・。日本のスズメは、人の暮らしの周囲にしかいないので、山の中でスズメに会ったら、人家が近くにあることを意味しているからだ・・・。
スズメは、水浴びと砂浴びの両方をやる。そして、不思議なことに水浴びのほうが先。そのあと砂浴びをする。
スズメの生態をよくとらえた写真集です。
(2017年5月刊。1400円+税)
2017年10月 8日
忘れらないひと、杉村春子
人間
(霧山昴)
著者 川良 浩和 、 出版 新朝社
「姿の水谷八重子、科白回しの杉村春子」
これは三島由紀夫の言葉。それほど、杉村春子の科白(セリフ)回しは、演劇界の至宝ともいうべきものだった。団塊世代の私は、幸運にも、水谷八重子も杉村春子も、テレビですが、みています。残念ながらこの二人の舞台はみたことがありません。
杉村春子の主な芝居の上演回数は、「女の一生」947回、「華岡青洲の妻」634回、「欲望という名の電車」594回、「ふるあめりカに袖はぬらさじ」365回、「華々しき一族」309回。これに加えて、数多くの映画に出演した。
その杉村春子は、平成7年秋の文化勲章を辞退した。「演劇の賞は喜んでいただきますが、勲章は私に似合わない気がします。ただ、自由に芝居をしたいから」。偉いものですね。たいしたものです。
それにしても、三島由紀夫って、とんでもない男です。三島の「喜びの琴」という作品は松川事件を連想させる列車転覆事件が描かれて、首謀者は右翼の仕業に見せかけた共産党員になっているというのです。ひどい話です。松川事件がアメリカ軍(占領軍)と日本当局による謀略事件であることは明らかになっていますが、その歴史的事実をひっくり返そうとしたのです。文学座は、臨時総会を開いて三島の作品を上演しないことを決めたのでした。当然ですよね。
山田洋次監督は、杉村春子を次のように評価しています。
「ワンカットだけ出演していても映画が落ち着く。つまり、錨(いかり)のような俳優なんだよ。映画の芝居というものは、どうしても空々しくなるものなんだ。その中で、杉村春子が登場してくることで、画面にぐっとリアリティを与え、観客に人間的な共感を抱かせる」
小津安二郎監督は杉村春子を多くつかった。「小津は下手な役者だけを使った。皆が下手だけど誠実に、懸命に演じる中で、桁違いにうまい杉村がその間を縫って、自由自在に動きまわる」
なーるほど、そういうことなんですか・・・。
杉村春子は2回、夫と死別している。その後は、生涯結婚せず、独身で過ごす。杉村春子を慕った森光子も43歳のときに離婚している。二人とも家庭をもたず、人生のすべてを賭けて舞台に生きた。うむむ、まあ仕方のないことなんでしょうが・・・。
団塊世代でNHKに長年つとめていた著者が杉村春子の女優としての生き方にとことん迫った本です。大変勉強にもなりました。
(2017年6月刊。1800円+税)
2017年10月 9日
発光する生物の謎
生物
(霧山昴)
著者 マーク・ジマー 、 出版 西村書店
私が発光する生物を初めて見たのは、ホタルを別にすると、伊豆諸島の戸田(へた)の海岸での夜行虫でした。夜の海岸で怪しげに光っているのを見て、その美しさに驚きました。
ノーベル化学賞をもらった下村脩氏はオワンクラゲをアメリカの海岸で大量に集めたのでしたよね。
自然に発光するダンゴイカ、チョウチンアンコウ、クラゲなどのほか、人工的に発光させて病理研究に役立てている話も紹介されています。
チョウチンアンコウは、口の前方に生物発光するアンテナをもっている。アンテナの先には、何万匹もの発光バクテリアが棲息し、その光に犠牲となる魚が惹き寄せられる。
オワンクラゲの傘の部分には緑色の光を発する数百の発光器がある。その光の点滅がどのように制御されているのか、まだ分かっていない。
蛍光タンパク質をつかってマラリア原虫の動きを探り、ガンとのたたかいに役立てようとしています。
蛍光タンパク質によって鳥インフルエンザの感染もすぐに判明するようになりました。
遺伝子操作は怖いものですが、こうやっていろんな生理現象の解明に役立っているというのはすばらしいことです。
蛍光タンパク質をつかった地道でカラフルな探究がさらにすすむことを願っています。
(2017年8月刊。1800円+税)
2017年10月10日
「空白の五マイル」
中国
(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版 集英社文庫
命がけの冒険とは、こういうのを言うんだろうなと、つくづく思いました。
読んでいるほうの私まで、遭難して命を落としてしまいそうな気分になってくる本です。
早稲田大学探検部のOBである著者は、2002年12月、一人でチベットのツァンボー峡谷の探検に挑戦した。ツァンボー川はチベットの母なる川。ツァンボー川は、チベット高原を西から東に流れたあと、ヒマラヤ山脈の東端に位置する二つの大きな山にはさまれた峡谷部で円弧を描き、その流れを大きく南に旋回させる。そこはツァンボー川大屈曲部と呼ばれる。
山で一番こわいのは毒ヘビ。夏には、ヘビにかまれて死ぬ村人もいる。冬ならヘビは冬眠している。だから雪が積もっていても、冬のほうが探検には適している。
密林に足を踏み入れると、日本の山とはまるで勝手が異なることを知った。地面の土は柔らかく、傾斜が強いので、一歩足を踏み込むたびに半歩ずるっと滑る。灌木はつかむとメキっと柔らかい音を立てて折れてしまう。滑落の原因になる。障害となる岩場が頻繁にあらわれる。
ツァンボー川で1993年9月に遭難死した日本人青年の相棒で生き残った人が、いま東京で弁護士をしているという話も紹介されます(只野靖弁護士)。そんな経歴の弁護士もいるのですね、驚きました。
著者の場合は、15メートルほども滑落したけれど、幸いなことに途中のマツの木にひっかかって、運良く助かります。2時間あまりに到達できると予測した沢を渡るのに、実際には20時間以上もかかったのでした。
川に温泉があるのを見つけて、衣服を脱ぐと、自分の体に不気味な異変が生じていた。手の指先から足のつま先に至るまで、全身が赤いぶつぶつで覆われている。手のひらで触れてみると、ハ虫類のうろこのようにぼこぼこしている。数え切れないほどのダニが体に群がっていたのだ。ダニの咬傷はどんどん増え、表面からすき間がなくなてしまうくらいに、体はかゆいぶつぶつに覆われた。
こりゃあ、ヘビも怖いけれど、ダニも怖いっていうこうとですね・・・。ようやく3日後、なんとか村にたどり着くことができたのです。
そして、2009年12月に再び著者は挑戦するのです。
せっかく就職できた朝日新聞記者の職を投げうってからの挑戦です。そして、再び最悪の死の危険に直面します。
体の状態は疲労を通り越して、衰弱の域に入った。すでに出発してから20日がたっている。朝食をとって出発して1時間半くらいは普通に動けるのだが、それから急に疲れが襲ってくる。疲れというより、エネルギーが足りなくて体を動かせないという感じだ。斜面に傾斜があると、四つんばいにならないと登れない。倒木に足先がひっかかったら、手で足をもちあげなければならなかった。しかも大きな声で気合いを入れながら。その大声を逃すにも疲労を感じた。体内に蓄えられていた脂肪がついに完全に燃え尽きたのかもしれない・・・。たくましかったはずの太ももはモデルのように細くなり、肋骨は見事に浮き出て、なでるとカタカタと乾いた感触が手に残る。
すさまじいばかりの探検記です。真夏の夜にゾクゾクさせる涼味あふれる本だと言えましょうか・・・。
(2012年9月刊。600円+税)
2017年10月11日
日本のタクシー産業
社会
(霧山昴)
著者 太田 和博・青木 亮・後藤 孝夫 、 出版 慶應義塾大学出版会
私も毎日のように利用しているタクシーについての総合的な研究書です。
タクシーの利用者が減っていること、タクシー運転手の減少はその低賃金が原因であること、65歳以上の運転手が増えていて、事故もそれに伴って増えていることなどを知ることができました。
私の知っているタクシー運転手の多くは月収(手取り)10万円台であり、20万円をこえる人は多くありません。その変則勤務は苛酷なものだと思うのですが、それに見合うだけの給料にはなっていません。
タクシー会社は果たしてもうけているのか、全国展開している会社はもうかっているのか、自動車事故に備えて任意保険には加入しているのか、事故処理はどうなっているのか、いろいろ知りたいことが生まれてきます。
タクシー利用者数は、1990年度の32億2300万人から、2009年度は19億4800万人へと4割も減っている。1987年度の33億4200万人がピーク。営業収入も1991年度の2兆7570億円をピークに減少しており、2013年度は1兆7357億円と4割減になっている。個人タクシーは4万7077台から3万6962台へ2割以上も減っている。
タクシー業界には小規模事業者が多い。車両数10両までの事業者が1万1001社(70.3%)、30両までの事業者が2540社(16.2%)で、86.5%という圧倒的多数が車両数30両までの事業者で占められている。84.6%が資本金1000万円までの事業者である。
過去には、ハンカチタクシー、書籍タクシー、共済組合タクシー、赤帽タクシーというものが存在した。私は知らないことです。
東京のタクシーについてみると、輸送人員はピーク時の1987年に4億4500万人だったのが、2014年には2億8300万人とピーク時の3分の2にまで減少している。そして、運送収入はピーク時の2007年の4770億円から2014年位3870億円と2割ほど減った。
東京では流し営業が90%と、圧倒的に多い。
戦前の1983年に8000台のタクシーがいたのが、空襲に焼け出されて、1944年には4700台になっていた。
タクシー運転手に女性は少なく、2.5%でしかない。タクシー運転手の高齢化は著しい。60歳以上が3分の2を占め、全体の4割は65歳以上となっている。
タクシー運転手の賃金水準は低く、月に24万円、年収にして310万円。これは、全産業の平均年収548万円と比べて、238万円も低い。
単純オール歩合制のタクシー会社が増えている。
タクシーでは労働時間が長いことを見逃してはならない。
かつてのタクシー業界は失業した人の受け皿として機能していた。今では、そうなってはいない。何でも規制緩和だなんて、とんでもないことです。
タクシー料金の決め方についても触れられています。
タクシーの社会経済的な実態を明るみに出した画期的な本だと思いました。タクシー業界に関心をもっている人には一読をおすすめします。
(2017年7月刊。4000円+税)
2017年10月12日
貧困と地域
社会
(霧山昴)
著者 白波瀬 達也 、 出版 中公新書
昔は釜ヶ崎と呼ばれていましたが、今ではあいりん地区と呼ばれている地域の状況を歴史的変遷を追って分析した本です。
この地域に、今では外国人旅行客向けのホテルが続々と立地しているなんて信じられません。新今宮駅付近は外国人旅行客であふれ、簡易宿泊所の稼働率は上がっている。
中国人の経営するカラオケ居酒屋も100店ほどあり、若い中国人女性が接客している。
では、旧来の住民はどうしているか、どうなっているか・・・。
西成(にしなり)区における一人暮らし高齢者は1995年に43%、2000年に50%、2005年に60%、2010年に66%となっている。近年は、元日雇労働者たちの高齢化だけでなく、他地域から生活に困窮した中高年男性が新たに流入したこともあいまって、あいりん地区を含む西成区は著しい高齢社会となっている。2014年10月、高齢者は4万5千人、高齢化率は38%となっている(あいりん地区だけなら40%)。
あいりん地区の女性は1975年に30%いたのが、2010年には15%と半減している。
あいりん地区に暮らす単身男性は、長期にわたって親族との関係を絶っている場合が少なくない。互いの過去に踏み込まないという不文律が存在する。自分たちの過去を隠匿しようとする。
あいりん地区では、生活保護を受給するようになって10%が開始後5年以内に死亡している。孤立死が増え、無縁仏となるケースが増えている。そこで、慰霊祭がおこなわれている。
今日、あいりん地区に暮らす人々の大半は、地縁・血縁・社縁が希薄な単身の中高年男性である。
取り組みが進んだため、大阪市の野宿者は、1998年の8700人をピークに、2015年には1500人となった。ただ、そのとき、同時に公園からの締め出しも進んでいる。
あいりん地区に自ら入りこんでした調査も踏まえていますので、実践的ですし、説得力のあるレポートになっています。「釜ヶ崎」の昔と今、そんなタイトルにしてほしかったです。あまりに一般的すぎるタイトルです。
(2017年2月刊。800円+税)
2017年10月13日
日航123便、墜落の新事実
社会
(霧山昴)
著者 青山 透子 、 出版 河出書房新社
今から32年前の1985年8月12日、日航ジャンボ機(ボーイング747)が墜落した。524人の乗客乗員のうち4人が助かった。そのうちの一人、落合由美さんの証言によると、山腹に墜落した落合さんの周囲には、「おかあさん」「早く来て」「ようし、ぼくはがんばるぞ」「助けて」・・・という何人もの声があがっていたそうです。
ところが、現実に救出されたのは、墜落して生存者が判明しているのに、それから3時間以上もたっていた。灼熱の夏山の山頂に助かるべき人たちが放置された。そして、生存者の4人にしても、最終的に病院にたどり着いたのは、墜落してから実に20時間がたっていた。うむむ、これはなんとしたことでしょう・・・。ありえない、信じられない遅さですね。
乗客が墜落する前に飛行機の内部でとった写真にオレンジ色の飛行物体が窓の外側にうつっているといいます。これはいったい何なのでしょうか・・・。
また、墜落した日航ジャンボ機にアメリカ空軍のファントム2機がつきまとって飛んでいたという目撃証言も紹介されています。アメリカ空軍は、ジャンボ機の所在をつかんでいて、日本側に教えなかったのではないか・・・。それは群馬県の小学校と中学校の作文としても残っているのです。
子どもたちは、真っ赤な飛行機が飛んでいたとか、墜落直後からヘリコプターが多く飛んでいたとも書いています。
アメリカ軍は被害者の救助活動をまったくしていませんが、実は、墜落した機体の所在をすぐにつかんでいたのではないかと疑われるのです。
アメリカ軍は知っていながら教えず、自衛隊が救助活動に入るのには時間がかなりたっていた。なぜ、そんなことが起きたのか・・・。
日航ジャンボ123便の墜落事故については、当時から隠されていることがたくさんあると指摘されてきました。久々に子どもたちの目撃作文などの新証拠によって疑惑が指摘されたのです。きちんとした真相解明をしてほしいものです。
(2017年9月刊。1600円+税)
2017年10月14日
山奥の小さな旅館が外国人客で満室に
社会
(霧山昴)
著者 二宮 謙児 、 出版 あさ出版
タイトルに惹かれて読んでみました。山奥の小さな旅館といいますから東北地方の山奥かと思うと、なんと大分は湯布院町の湯平(ゆのひら)温泉にある旅館です。私も、もちろん湯布院の温泉には何度も行ったことがありますが、湯平温泉というのは知りませんでした。そこにある家族経営の小さな旅館「山城屋」の話です。
私がこの本を読んで驚いたのは、なんといっても旅館なのに週休2日制を完全実施しているということです。すごいです。偉いと思いました。たしかに家族経営で年中無休だったらたまりませんよね。家庭生活も基本的人権もあったものじゃありません。
ところが山城屋は水曜日と木曜日は定休日として、旅館自体が休みなのです。そのうえ、盆、暮れ、正月も休みです。ここまで徹底するとは、たいしたものです。いいことですよね。
その理由について、疲れた顔では安心感は与えられない、お客様の前では常に万全の状態でありたいというのです。心からの拍手を送ります。
いま、日本の旅館は全国に4万軒ある。10年後には3万軒もないだろう。湯平温泉の旅館は60軒あったのが、今や21軒と3分の1まで減少した。
この山城屋が稼働率100%を維持しているのは、インターネットを活用しているから。韓国や中国からインターネットで予約して宿泊客がやって来る。予約は半年も1年も前から殺到するので、結果として、日本人客より外国人客のほうが多くなった。今では外国人客が8割を占めている。
旅館のホームページは4ヶ国語で対応している。韓国語、中国語、そして英語。
客室は7室。つまり1日最大7組しか受け入れられない。食事は和室にイスとテーブルを置いたレストラン形式だ。客には歓迎されているという安心感を実感してもらう。
こんな家族経営の小さな旅館に泊まってみたくなりますよね。
(2017年7月刊。1500円+税)
2017年10月15日
サバイバル登山入門
生物
(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版 デコ
私は勇気がないし、臆病な人間ですので、誰もいない山中で一人で寝るなんて出来ませんし、するつもりもありません。そんな私が、著者の本を読み続けているのは、要するに怖いもの見たさです。活字を通してなら、いくらでも知りたいのです。その場に身を置く勇気はなくても、もしもそこにいたら、どうしたらいいだろうと想像するくらいは許されるでしょう。
山ではヘビは貴重なタンパク源。ベトナム戦争が盛んなころ、解放戦線の兵士(べトコン)は、ヘビを見つけたら逃がすことはなかった。同じことは、南方戦線の日本兵士もしていた。
マムシはヘビの中でもっともうまく、山ウナギとも呼ばれる。肉と骨を石でつぶしてミンチしてから炒めると美味しい。うひゃあ、そ、そうなんですか・・・。つかまえたシマヘビを著者がかじっている、とんでもない写真があります。
イノシシは「豚汁」がおいしい。豚肉の味を濃くした感じで、味噌との相性が良い。
シカ肉は当たりはずれがないが、劇的にうまいこともない。イノシシは当たりはずれがあり、当たると舌がとろけるようなうまさ。クマ肉も当たりはずれが大きく、うまいクマ肉は、「肉とはこれだ」と思わせるような光り輝く脂で、とてもおいしい。
シカなどを鉄砲で撃つときの状況、イワナの釣り方が図解されていて、イメージがつかめます。そして、解体作業は写真つきです。
山でキノコをとって食べたいとは思いますけれど、毒キノコを食べたら大変です。ところが、著者は、おいしいキノコと、おいしいキノコに似た毒キノコを覚えればいいと言います。本当でしょうか・・・。
「寝る食う出す、がうまく出来たら、その登山は成功」
そうでしょうが、そのどれもが山の中では簡単なことではありませんよね。
野営地の選び方、野営の手順、タープの張り方、夜の過ごし方が図と写真で説明されています。ステンレス製の茶こしを蚊帳(かや)がわりにするなんて、そんなワザがあったんですね、驚きました。
サバイバル登山でもっとも辛いのは、害虫に食われたり、刺されたりすること。クマとかイノシシではないんですね・・・。ハチによるアナフィラキシーショックが起きたら、そういう人生だと思いなさいって・・・。トホホ、です。
いやはや、手取り足取り、なんでも親切に解説してあります。でも、私にはとても出来ません。サバイバル登山を繰り返してきた著者も、今では3児の父親だそうです。これからも引き続き元気に過ごしていただき、読ませて下さい。私にも、ちょっぴり疑似体験を味わわせて下さい。よろしくお願いします。
(2016年1月刊。2500円+税)
2017年10月16日
宿題の絵日記帳
人間
(霧山昴)
著者 今井 信吾 、 出版 リトルモア
この本の絵と説明の文章を読みながら、はるか昔の子育てのころを思い出し、なつかしさでいっぱいになりました。
パパがときどききかん坊の娘を叩いたりするのです。やはり、つい手を出してしまうのですよね。私も同じでした。こうやって親としての人間性を試されていたのかと思うと、汗が吹き出してしまうほど恥ずかしさで一杯になります。
高度難聴のやんちゃな娘をかかえて、聾話学校に通う娘のために、毎日、画家の父親が描いた絵日記張です。さすが本職の画家によるものだけに、絵が実に生き生きと脈動しています。ああ、子どもって、本当にそうなんだよね、と私は深くうなずいたものでした。
麗(うらら)は、性格が明るく、滅法気が強い。美女でもある。3歳うえの姉という頼りになる指導者にも恵まれて、すくすく育っている。
そんな娘のうららの2歳から6歳までの4年間の日常生活が、ありのまま描かれています。
洗面台にのぼって水遊びして大事なコップを割り、ママにひっぱたかれたうらら。
きげんが悪いと、ごはんを食べないこともあるうらら。
遊びに来た友だちのかずまくんに二度ひっはがれて、二度泣いたうらら。
難聴の子どもの教育でいちばん大切なのは、一日も早く話すことを始めること。舌の動きがなめらかになるためには、そのことが大切。うららは、生後半年で勉強を始めたが、舌の動きには苦労している。
難聴の子って、みんな舌の動きが悪くなるものなのでしょうか・・・。教えてください。
親は、楽しく繰り返して子どもに話しかけた。音と言葉のシャワーを浴びせかけた。
絵日記は、聴覚に障がいのある子どもたちが家庭や学校で言語を獲得していくためには欠くことのできない手がかりとなるので、毎日、描いて学校に持ってきてもらう。これが学校の方針だった。
うららは、普通小学校に入学し、中学、高校と進んで美術大学を卒業し、今では新進の画家であり、同じ画家の夫とともに三人の子どもを育てている。
とても楽しい絵日記でした。こんな素敵な絵が描ける人って、うらやましい限りです。
(2017年9月刊。1600円+税)
2017年10月17日
国家と石綿
社会
(霧山昴)
著者 永尾 俊彦 、 出版 現代書館
石綿、アスベストによる広範で深刻な被害の実相を明らかにし、その責任を厳しく追及している本です。
アスベストによる被害はじん肺と同じで、すぐには顕在化せず、それが顕在化したときには、その犠牲者は余命いくばくもないという切羽詰まった状況に置かれていることを知りました。
石綿の英語、アスベストは、永久不滅、消えない炎を意味するギリシャ語から来ている。
石綿は、天然の鉱物であり、石綿原石をほぐすと植物の綿のように柔らかくなり、糸のように紡ぎ、布のように織ることができる。摩擦に強く、酸にも強くて腐らないので、ブレーキやパイプの継ぎ目の詰め物に適している。また、電気を通さないので、電線の被覆にも適している。しかも、石綿は安価だ。
日本は、1930年から、2003年までに累計して1000万トン近くの石綿を輸入した。そして、世界的に規制を強化しているなか、日本は逆に1970年代も80年代も消費量を増やしている。
規制強化法案をつぶしたのは業界というより通産官僚だ。JISマークの信頼が揺らいでしまうからという理由だ。そして、通産官僚は業界団体の幹部に次々に天下りしていった。
石綿の粉じんは花粉より小さく、髪の毛の5千分の1ほどしかない。この石綿粉じんを吸い込むことで肺が石のように硬くなり、呼吸困難となって石綿肺(せきめんはい)や肺がんになる。石綿肺は、15年から20年の潜伏期間のあと、発症後も長く苦しんで亡くなっていく人が多い。中皮腫は30年から50年もの長い潜伏期間を経て、発症すると半年から2年ほどのあっという間に亡くなってしまう。したがって、石綿は静かな時限爆弾と言われる。
びまん性胸膜肥厚とは、アスベストによる胸膜炎の発症に引き続き、胸膜が癒着して広範囲に硬くなり、肺がふくらんで呼吸困難を引き起こす病気。石綿肺も石綿が原因のがんも、いずれも今も不治の病である。
石綿によって重大な健康被害が生じることは、国際的には遅くとも戦前の1931年ころまでには広く知られていた。そして、その被害は、石綿を扱う労働者以外の家族そして近隣住民にまで及ぶことも早くから広く知られていた。にもかかわらず、日本政府は石綿の輸入そして使用を禁止するのが大きく遅れた。それなら国の責任は明らかですよね。
ところが、三浦潤裁判長は国に責任がないなどという信じられない逆転敗訴判決を書いたのでした。それでも、原告団と弁護団は一致協力して国の責任を明らかにしていきます。
この本では、その敗訴判決を受けて弁護団と原告団との間に生じた不協和音についても生々しく描いていて、その克服過程を知って勉強になります。
国にタテつくことのできない(タテつこうとしない)裁判官ってホント多いですよね、多すぎます。骨のないクラゲのように法理論をもて遊び、上を向いて漂っていく裁判官は姿勢を正すか、国民のためにさっさと辞めてほしいと私は思います。
(2017年2月刊。2700円+税)
2017年10月18日
「人間力」の伸ばし方
司法
(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版 民事法研究会
萬年節(まんねんぶし)が炸裂している本です。なにより驚かされるのは、著者はこの25年間、帝国データバンクの帝国ニュース(九州版)に月2回、「弁護士事件簿」を連載しているということです。私も、この書評は2001年以来の連載になりますし、月1回の全国商工新聞の法律相談コーナーを1989年以来担当していますので、もう28年になります。ですから、お互いに健闘をたたえあいたい気分です。
それはともかくとして、「弁護士事件簿」がそれなりのジャンル別に編集してありますので、大変読みやすくなっています。それこそ、経営者にとっても、また若手弁護士にとっても学ぶところの大きい内容になっています。
依頼者の気持ちを共感できるか否か。共感できないなら、受任を断る。自分の主義主張と異なり、事件処理にあたって自分の哲学と違い、説得しても耳を傾けない依頼者と判断したときには、「私は頭が悪いから、私より頭の良い弁護士のところに行ったほうがいいよ」とやんわり言って断る。
なるほど、こんな言い方もあるのですね、今度つかってみましょう。
当方の提出した書面はもちろん、相手方の書面や書証、そして証言調書も全部コピーして依頼者に送る。依頼者にとって、自分の裁判が今どうなっているのか、弁護士として説明するのは当然だという考えから実行している。だから、依頼者と打合せするときには、同じ内容のファイルをそれぞれ持っていることになる。
私もまったく同じ考えで、昔から実行しています。ところが、今なお、それをしない弁護士がいるようです。私には信じられません。
著者は土地境界争い事件はなるべく受任しないようにしているとのこと。たしかに、これは法律紛争というより感情レベルの紛争であることが大半で、法律家泣かせです。ですから、私は、着手金を「弁護士への慰謝料なんですよ」と説明し、納得していただいたら受任しています。
相手方と交渉しているときなど、これ以上、相手と話をしても時間の無駄と思ったときには、深追いせずに中断する。そして、双方とも頭を冷やして、交渉を再開する。
この点も、私は同感です。ダラダラとやっても時間ばかり過ぎていきます。ちょっと間をおいたほうがよいことが多いものです。
著者は毎朝5時に起きて新聞を5紙読んでいるとのこと。これは私も朝5時を6時にすれば同じです。そして、読書タイムは移動するときの交通機関の中だというのもまったく同じです。私のカバンには、常時、単行本が2冊、そして新書・文庫本が2冊入っています。
著者は速読派ではないようですが、私は速読派です。東京へ行く1時間半の飛行機のなかで本を2冊読むようにしています。それも部厚い単行本です。いつだって飛行機は怖いのです。ですから、その怖さを忘れることのできるほど集中できそうな本を選んでおき、機中で必死に集中して読むのです。飛行機が無事に目的地に着いたときには、いつも心の中で「ありがとうございました」とお礼を言うようにしています。なぜ速読するのかというのは、たくさんの本を読みたいからです。世の中には私の知らないことが、こんなにたくさんある。そのことを知ると、ますます多くの本を読んで知りたくなります。要するに好奇心からです。
弁護士の仕事はケンカ商売である。だから、役者的要素が不可欠だし、交渉には計算し尽くしたシナリオと演技で勝負する。
そうなんですよね。私も、最近は大声をあげることはほとんどありませんが、以前は大声をあげることがよくありました。著者は今でも怒鳴りあげているようです。それで、金融村で、「ケンカ萬年」と呼ばれているそうです。今でも、でしょうか・・・。
著者が怒鳴る相手に裁判官もいるとのこと。実際、私も裁判官に向かって怒鳴りあげたい思いを過去に何回もしましたが、勇気もなく、怒鳴ってもムダだろうなと思って怒鳴りませんでした。
思い込みの激しい裁判官、やる気のない裁判官、上ばかり見ていて、重箱の隅をつっつくことしか目にない裁判官、この40年以上、いやというほど見てきました。気持ちの優しい、しかも気骨ある裁判官にたまにあたると、心底からほっとします。
弁護士は嘘をつかない、約束を守ることが信用を築く基本だというのも、まったくそのとおりです。価値ある150話になっています。300頁あまりで3000円。安いものです。若手弁護士にはぜひ読んでほしいものです。
(2017年8月刊。3000円+税)
2017年10月19日
「飽食した悪魔」の戦後
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 加藤 哲郎 、 出版 花伝社
七三一部隊の中心部分は石井四郎をはじめとして終戦直前に満州から大量のデータと資材・金員とともに日本へ帰国し、部隊として存続していた。このことを初めて知りました。
そして末端の隊員には厳重な箝口令を敷いて軍人恩給も受けられないようにしながら、自分たちは大金をもとにのうのうと暮らし、多額の年金をもらっていたのです。そのうえ、アメリカ占領軍と裏取引して、人体実験のデータをアメリカに提供するかわりに戦犯として訴追されないという免責保証を得ていました。
こんな「悪」が栄えていいものでしょうか・・・。本当に疑問です。
1936年、軍令により関東軍防疫給水部(大日本帝国陸軍731部隊)が設立された。飛行場、神社、プールまである巨大な施設で、冷暖房完備の近代的施設をもち、監獄を付設して、少なくとも3000人を「実験」により殺した。1940年当時、年間予算1000万円(現在の90億円)が会計監査なしで支給されていた。
日本軍に抵抗したとして捕えた中国人、朝鮮人、ロシア人、モンゴル人などを人体実験のために収容し、囚人はマルタと呼んだ。憲兵・警察が容疑者を七三一部隊に移送してくるのを特移(特別移送扱い)と呼び、憲兵は特移を増やせば出世していった。その一人が伊東静子弁護士の父親で、44人を七三一部隊に特移扱いで送ったのです。
終戦時、残っていた400人の囚人を全員殺して遺体は燃やし、その灰は川に投げこんだ。
戦後、石井四郎は戦犯として追及されるのを恐れて、故郷の千葉では病死したとして偽の葬式までした。実際には、自宅をアメリカ兵相手の売春宿にして、ひっそり暮らしていたが1959年に67歳でガンによって死亡した。
七三一部隊が人体実験そして細菌戦を実際にやっていた事実が明るみに出ると、ジュネーブ議定書違反で問題となるだけでなく、七三一部隊を設立し動かしていた陸軍中央、それを承認していた昭和天皇の戦争責任問題にまで及ぶ危険があった。
七三一部隊について、関東軍参謀の担当は昭和天皇のいとこである竹田宮恒徳王であり、天皇の弟である秩父宮や三笠宮も視察に来ていた。昭和天皇は七三一部隊の存在を知り、中国での細菌戦を承認していたとみるのが自然である。
七三一部隊は終戦のころには、一方でペストノミを増産して最後の手段として「貧者の核兵器」を準備していたが、他方では敗戦時の証拠隠滅・部隊解体の準備もすすめていた。
七三一部隊の本部勤務員1300人の大部分は8月15日の前に満州から姿を消した。そして、日本本土で七三一部隊はよみがえることになった。七三一部隊の仮本部が置かれたのは金沢市の野間神社だった。
七三一部隊は満州から日本へ膨大な物資を運び込んだ。武器・弾薬や医薬品・実験機器・データ・研究書籍、そして現金・貴金属・証券類・・・。数千人分の寝具・夏冬衣料・携帯食料・工具・日用品もあった。
いったい、それらはどこへ行ったのでしょうか・・・。
七三一部隊は8月15日のあとに命からがら日本へ逃げ帰ってきたと考えていたのですが、まったく違いました。幹部連中は日本に戻ってからも引き続き給料までもらっていたとのこと、信じられません。
細菌戦の各種病原体による200人以上の症例から作成された顕微鏡用標本が8000枚も日本に持ち帰ってきていて、寺に隠したり、山中に埋められた。アメリカは、そのような貴重なデータを25万円(今日の2500万円相当)で買い取り、また、七三一部隊員の戦争責任を免除した。
石井四郎の隠匿資金は年間2000万円(現在の価値で20億円)とみられている。
七三一部隊の出身者たちが日本ブラッドバンクを設立し、のちにミドリ十字社となった。薬害エイズをひきおこした製薬会社である。
法曹界(とりわけ裁判所)で戦争責任が厳しく追及されているわけではありませんが、医学界ではもっと重大な戦争責任を問われるべき医師・医学者たちが出世していき、医師の世界に君臨していたようです。ひどいものです。
400頁もある貴重な大作です。戦前の日本人が中国大陸で実際に何をしたのか、忘れてよいはずがありません。これに「自虐史観」なんていう下劣なレッテルを貼るのはやめてください。
(2017年5月刊。3500円+税)
2017年10月20日
マーシャの日記
リトアニア
(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版 新日本出版社
マーシャは、1927年にリトアニアに生まれたユダヤ人。父は弁護士で、ナチス・ドイツと戦った。母と妹・弟はゲットー閉鎖のときに射殺され、マーシャだけ強制収容所に入れられ、苛酷な環境の下で、奇跡的に生きのびました。
14歳から17歳の少女になるまでの3年間、ずっと書いていた日記をもとに当時の状況が刻明に再現されています。
マーシャはあちこち移動させられていますが、日記を持ち歩いていたようです。その意味でも幸運でした。「生きて帰れたら、自分で話そう。帰れなかったら、日記を読んでもらおう」と日記の冒頭に書いています。
マーシャは、非人間的な状況のなかで記録することを使命としてメモを書き続けた。ゲットーで、また強制収容所で。紙と鉛筆を探し、書いたメモを隠し、書けないときには「記憶術」で頭に焼きつけて、記録し続けた。
解放された直後のマーシャの顔写真がありますが、いかにも聡明な美少女です。
マーシャの父親は弁護士として、さらに国際革命運動犠牲者救援会(モップル)に所属して、地下活動をしている共産主義者たちを裁判で弁護していた。
マーシャは、明日死ななければならないと思うと、恐ろしかった。ついこの間まで勉強したり、廊下を走ったり、授業で答えていたのに、突然、もう死ぬなんて、嫌だ。だって、まだ少ししか生きていないのに・・・。それに、誰ともお別れをしていない、パパとさえ・・・。
ユダヤ人はゲットーに入れられた。ゲットーの門の外側には、「注意!ユダヤ人街区。伝染の危険あり。部外者の立入禁止」と大書した看板がある。
第二ゲットーが閉鎖された。そこには9000人がいた。明け方、マーシャたちのいる第一ゲットーの門の近くで、第二ゲットーからはいずって逃げてきた産婦が見つかった。路上で子どもを産み、たどり着けずに死んだのだ。生まれたばかりの女の子はゲットーに運び込まれた。赤ちゃんには、ゲットーチカという名前がつけられた。
ゲットー内でコンサートが開かれていたのに驚きました。劇も上演されていたのです。
やはり、苦しいときでも文化は生きる希望として必要なのですよね。
コーラスもあった。困難なほど、情熱が燃える。オーケストラには団員が集まっている。
ナチスは、女性が化粧品を使うことを禁止し、装飾品をつけてはいけないと命令した。干からびた口紅が路上にあるのを見て、そばにいた女性を殴りつけた。
ユダヤ人警察として熱心にしていた男性が銃殺された。どんなに特権を与えられていても、どんなに熱心に占領軍・ナチスに尽くしても、結局のところ、ユダヤ人共通の運命は避けられなかった。
収容所のなかで、マーシャは幸運にも針を見つけた。ほんものの、ちゃんとした針。拾うためにかがみこんだのを見られて護送兵に殴られたけれどマーシャは平気だった。少なくとも、服をちゃんと繕えるから・・・。
マーシャは木靴をもらうとき、囚人番号5007が受領したと記録される。ここでは、姓も名前もなく、あるのは番号だけ。
この世には、収容所と作業と空腹と、そしてものすごい寒さ以外には存在しない気がする。点呼中に誰かが動いたように思われると、罰として、極寒の中に夜中まで立たされる。
大勢の男性が収容所から連れ去られた。道路や野原の地雷を除去するために。それは、地雷に触れて飛ばされるまで、地雷が埋まっている野原をただ歩かされるということ。
マーシャは、ソ連赤軍により解放されたときには18歳になっていました。そして、マーシャは、戦後になって自分の日記を出版し語り部になったのです。
マーシャは昨年(2016年)に亡くなりました。89歳だったのですから、少女期に苛酷な体験しても長生きできたわけです。
このような体験記は永く読み継がれていく必要があると思いました。戦争の愚かさを知るために。安倍首相のように力づくで北朝鮮をおさえこもうとしても悪い方向に動くだけです。もっと、広い心で対話を試みるしかないと思います。この秋、一読をおすすめします。
(2017年8月刊。2200円+税)
2017年10月21日
蔵書一代
人間
(霧山昴)
著者 紀田 順一郎 、 出版 松籟社
すべての愛書家、蔵書家に捧げるとなっていますので、愛書家を自称する私も読まないわけにはいきません。要するに、読んでため込んだ本をどうするのか、ということです。
井上ひさしの蔵書は14万冊。生前から故郷の山形県川西町の図書館に段階的に寄贈していて、「遅筆堂文庫」として残っています。私も一度ぜひ行ってみたいと思っています。
最近亡くなった渡部昇一は巨大な書庫に15万冊を擁していた。書庫の建設費は数億円もの銀行ローン。立花隆は、地下1階地上3階のビルに3万5千冊の蔵書、資料を備えている。私も写真でその光景を見ました。
私は単行本を年間500冊は読んでいますので、弁護士生活40年以上ですから2万冊はあると思います。すでに自宅の子ども部屋は書庫に変身しました。引き取り先を少しずつ開拓しつつあるのですが、容易なことではありません。
1935年生まれの著者は3万冊もの蔵書を一挙に泣く泣く処分したようです。身を切られる辛さだったと言いますが、私にもよく分かります。
出版界のピークは1996年、それ以降は今日まで回復の気配はなく、売上額はピーク時の半分にまで落ち込んでいる。マルチメディア化が急速に進行し、紙の出版物の市場自体を脅かしている。
本は段ボール箱に入れてしまったらダメ。書籍は、所蔵者自身で配架しなければ絶対に役立たない。
まったく同感です。私は高校生のとき以来、本の並べ替えを楽しんできました。今もジャンル毎に本を並べています。背表紙が見えなくなったら、本は無縁の存在と化します。
1万冊をこえる蔵書を維持するには体力が必要。これはまったくそのとおりです。雑誌は基本的に捨てますが、本は原則として捨てることはありません。そして、目の前にいいと思った本を見たら、持てるだけ買います。弁護士として、とくに変な遊びもしませんので、好きな本を買うくらいの贅沢は自分に許しています。
そして、買ったら、なるべく積ん読(つんどく)にならないように心がけています。とは言っても、まずは読みたいものを優先しますから、あと回しになっている本が常時100冊を下ることはありません。
新聞の書評、本の末尾の参考本、関連本、そして本屋での出会い。本を読みはじめたらやめられませんし、読んだ本は捨てられません。これを読んだあなたはいかがですか。そんな簡単に本は捨てられませんよね。
私は読んだ本には赤エンピツで棒線を引っぱっていますし、サインして、読んだ日を記入していますので、一般には売れない本になっています。私にとっては、それでいいのです。それでも、そろそろ元気でなくなり、足腰が不自由になったときのことも考えなければいけません。著者が強調しているようにどこか公共施設で引き取ってくれたら、本当にありがたいです。
(2017年7月刊。1800円+税)
2017年10月22日
はじめてのワイナリー
社会
(霧山昴)
著者 蓮見 よしあき 、 出版 左右社
日本産ワインも質が向上しているようですね、ぜひ飲んでみたいものです。
長野県でワインづくりに励んでいる著者の生き生きワインづくり物語です。読むと、ついついワインが欲しくなります。
ちなみに私は、今ではもっぱら赤ワイン党です。白ワインはもらってもすぐに右から左へと知人に譲り、自分では飲みません。赤ワインの香り、そして何より人生の深さを感じさせる深みのある濃い赤色に心が惹かれるのです。
著者は自分が理想とするワインを納得するまでつくってみたりと一人でワイナリーを始めました。すごいことですよね、これって・・・。
2005年に長野県東御(とうみ)市に移住し、自分のブランドでワインを世に送り出すまでに4年の歳月を必要とした。自分のワイナリーを始めるのに必要なことは、気力、体力、持続力、この三つ。決して難しいことではない。この三つさえあれば何とかなる。
ホ、ホントでしょうか・・・。
ワイナリー起業は忍耐強くないとできない。ぶどうの苗木を植えて収穫できるようになるまで最低3年、フル稼働するまで4年はかかる。そこからワインをつくるのに、最低でも1年。つまり、ぶどう苗を植えてからワインをつくり、瓶詰めして販売できるようになり、お金になるまで最低5年はかかる。したがって、ワイナリー起業してから5年間は無収入でも耐えられるだけの蓄えと覚悟がないといけない。野菜とちがって、果樹栽培は長期的スパンで考える必要がある。お金になるまで5年かかるといっても、実は、事業が安定するまでには10年以上かかってしまう。
ワインづくりで一番の楽しみは、実は音。発酵のときに聞こえる音。発酵のチェックをしているときの音が最高。発酵中のワインがシュワシュワと音を立てる。それは、まさしく萌えの瞬間だ。ワインが静かに発酵する音を鑑賞するのが、仕込みの時期の一番の楽しみだ。
日本産ワインは今、出荷量が増えていて、今後10年間で1.8倍に伸びると予測されている。
ところが、日本で国産ワインの消費量は30%。しかし、日本で出来たぶどうでつくったワインとなると、国産ワインの4分の1、全体の7%あまりでしかない。
ワインづくりは夏の暑いときや、冬の寒いときの肉体労働がとりわけ苛酷だ。
そんなワインづくりがたくさんの写真とともに紹介されていますので、ぜひ、どんな味のするワインなのか飲んでみたくなります。
(2017年7月刊。1800円+税)
2017年10月23日
リストラ中年奮闘記
人間
(霧山昴)
著者 高木 喜久雄 、 出版 あけび書房
団塊世代の元気な老後の過ごし方を実践し、日々のブログで紹介していたのが一冊にまとまっていて、大変面白く、読んでいると身につまされ、また元気も湧いてくる本です。
50歳で宣伝マンがリストラされて庭師へ「華麗に」転身します。そして、地域から求められる庭師と定着しつつも、寄る年波から惜しまれながら引退し、70歳の今ではボランティア三昧の日々を過ごしているのです。
かつては音響メーカーであるパイオニアのサラリーマンとして、宣伝マン一筋。労働組合の役員としても広報担当。宣伝一筋で生きてきた。ところが、50歳になる直前にリストラで退職した。さて何をするか・・・。
著者は技能訓練生として造園科に学ぶことにしました。樹木の名前を覚えなければいけない。絶対に覚えないといけないのが150種類。できたら覚えておけと言われるものまで加えると300種類になる。20~30センチの樹の枝を見て、ぱっと見分けないといけないのです。私も著者のように見分けられるようになりたいです。
庭師としての技術を身につけたかったら、個人の庭を中心にしている会社じゃないとダメ。そんな会社は、せいぜい3~4人ほどじゃないと維持できないので、会社は、みんな小さい。
公共の仕事は、丁寧にやっていると怒られる。いい加減でも良く、とにかく速くやること。
庭師として実践しはじめると毛虫に出逢う。チャドグガは全身がカユミに襲われるので、要注意。
先輩は仕事を教えてくれないので、見て、盗むしかない。しかし、盗むにも、それなりの知識と経験がなければとても理解できない。
植木の剪定には、それをする人の性格があらわれる。剪定すると、切り口に殺菌剤を塗ったほうがいい。剪定のときには木に声をかける。
「ちょっと痛いけど勘弁な」
「痛かったかもしれないけれど、これでお仕舞いだからな」
「どうだい、これで太陽も風も懐まで入るようになっただろう」
私も花に水をやるときには、なるべく声をかけるようにしています。
「きれいに咲いて、見事な花を見せてよね」
モクレンは花が終わると、すぐに来年の花芽をつけるので、花が見苦しくなってきたら、もう剪定すべし。
庭にいると、スズメバチに刺されてしまうことがある。毒を吸い出す道具を携帯しておく。スズメバチは樹液を吸わないと生きていけない。キイロスズメバチは、樹液の代わりに人間がポイ捨てした空き缶の中に残ったジュースを吸って生きている。
弱った樹木には害虫がますますつきやすくなって、悪循環に陥る。
森林を保全し、よみがえらせるボランティア活動にも乗り出します。そして、子どもたちを森へひっぱり出すのです。いいことですよね。幼いときに少しでも自然に触れておくというのは、とても大切なことです。
著者はまた子どもたちへ絵本の読み聞かせをし、紙芝居もしています。まことに芸達者の人ですね。うらやましい限りです。私より2歳だけ年長の人がリストラにあって会社をやめたあと、いかに生きるのかが問われるとき、元気さを保ちながら続けることの大切が実感できます。引き続き、無理なくご健闘ください。
(2016年9月刊。2200円+税)
2017年10月24日
憲法学からみた最高裁判所裁判官
司法
(霧山昴)
著者 渡辺 康行・木下 智史・尾形 健 、 出版 日本評論社
法律時報の連載が一冊の本にまとめられていますが、田中耕太郎のところを読んで、正直いって、がっかりという以上に、あまりにひどいと、情なく思いました。田中耕太郎という男は(私は、この男を軽蔑していますから、呼び捨てします)、かの砂川事件の裁判で司法の独立をなげ捨て、実質的な裁判当事者であったアメリカに裁判の合議状況の秘密をもらしたうえ、その指示どおりに判決を書きあげたのです。にもかかわらず、評者(尾形健)は、そのことに知ってか知らずか(知らないはずはないでしょう。万一、知らなかったとしたら、学者としてあまりに恥ずかしいことです)。一言も触れず、「不世出の法律家」などと尊称をつけています。読んでいる私のほうが恥ずかしくなりました。やめてください。
私は田中耕太郎という恥ずべき裁判官が日本にいたことは日本の戦後司法の最大の汚点だと考えています。にもかかわらず、タイトルは「不撓の自然法論者」となっているのです。砂川事件判決の裏の事情が判明するまでなら許されたタイトルでしょうが、今では裁判官罷免事由に該当しますし、退職金の返納を命じ、もし肖像画が裁判所に掲げられているのなら、直ちに取り外すべきものです。
私は、このコーナーでは本の非難をしたことがありません(今後もするつもりはありません)が、最高裁判所の裁判官の一人に、法曹界に身を置くものとして絶対に許せない人物を無条件で評価する本を見てしまった以上、書かざるをえませんでした。
この田中耕太郎以外については、私も怒りを静めて読み、大変勉強になりました。
この本のなかで私の印象に残っている最高裁判事としては滝井繁男判事と泉徳治判事です。「過払い」バブルを生んだ滝井判事は、憲法の理念にそっていない法律はもっとあるのではないかと自戒をこめて指摘したとのことです。まったく同感です。
そして、泉徳治判事は、典型的なキャリア裁判官のエリートコースを自ら歩んでいながら、憲法の求める司法の役割を強調しました。このコーナーでも紹介しました『一歩前へ出る司法』には深い感銘を受けました。
最後にもう一回、繰り返します。学者には、最高裁判所のあり方を、もっと端的に遠慮なく批判してほしいと思います。アメリカの指示するとおりに書き上げた判決をあれこれ解釈するだけって、本当にむなしいことではありませんか・・・?
(2017年8月刊。4600円+税)
2017年10月25日
皇軍兵士、シベリア抑留、撫順戦犯管理所
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 絵鳩 毅 、 出版 花伝社
著者は28歳のとき補充兵として召集され、4年間の中国戦線での軍隊経験を経て、シベリアに5年間の抑留のあと、中国で戦犯管理所に6年間も収容されました。日本に帰国したのは、1956年9月、43歳のときでした。
その著者は東大でカントの道徳哲学を学び、文部省に入って検閲業務に嫌気がさして退職して高校教師になったのです。ところが、徴兵され兵士になって初年兵のときに受けた私的制裁(リンチ)はすさまじいものでした。
初年兵は、四六時中、私的制裁の恐怖にさらされていた。それに反抗できるのは脱走か自殺しかなかった。そして、それぞれ1人ずつ実行する初年兵がいた。
軍隊とは、人格を物体に変えようとする、あるいは人間を殺人鬼に変えようとする、無謀な軍需工場ではないのか・・・。初年兵は、次第に精神を荒廃させていった。
軍隊では要領が尊ばれる。「奴隷の仮面」をかぶって、相手の暴力をやわらげる。それは、自分が二重人格に落ちることを意味する。
苦力(中国人の労働者。クーリー)を横一線に並べ、その後を着剣した日本兵が追い立てる。八路軍の仕かけた地雷をいや応なしに自らの生死を賭けた「人間地雷探知機」にしたのだ。おかげで日本兵は一人も死傷者を出さず、中国人には死傷者が出たものの、そのまま放置して日本軍は前進した。
初年兵を迎え入れて、捕虜の「実的刺突」を実施した。生きた中国人を突き殺すのだ。30人ほどの中国人捕虜は、みな逃げ遅れた農民たちだった。
「戦争に非道はつきものだ」
「戦争だ、やむをえない」
このように自分に言いきかせて自己弁護した。
「これでお前たちもやっと一人前の兵隊になれたなあ、おめでとう」
と初年兵を励ました。
シベリアで食うや食わずの生活から中国の戦犯管理所に入ると、十分な食事が与えられ、著者たちは驚き、感謝するのでした。
管理所の職員が一日に2食の高梁飯(コーリャンメシ)しか食べていないのに、日本人戦犯は白米飯を一日3食とっていた。さらには、おはぎ、寿司、モチ、かまぼこまでも食べていた。人間の食事だった。そして、週に1回は、大きな湯舟で風呂に入ることができた。月に1回は理髪室で調髪してもらった。このように中国では日本人戦犯を人間として扱ってくれた。
部屋では連日の遊び合戦が展開された。囲碁・将棋・マージャン・トランプ・花札。
戦前、中国人をチャンコロと軽蔑し、殴る、蹴る、犯す、焼く、殺すと、非業の限りを尽くした日本人戦犯に対して、被害者の中国人は殴りもしなければ、声を荒げることさえしなかった。この一貫した中国当局の人道主義的待遇、管理所職員たちの人間的偉大さの前に、戦犯たちは、ついに頭を下げざるをえなかった。そして、反省と自己批判の立場に移ることができた。
これは決して洗脳ではありませんよね。人間的処遇のなかで十分な時間をかけて、到達した考えを「洗脳」なんて言葉で片付けてほしくはありません。
ところが、日本に帰った元日本兵に対して、日本社会は「中国帰り」として冷遇したのでした。
著者は97歳のときに講話をしたあとの質疑応答のとき、「もしもまた同じような状況になったら、どうしますか?」と問われ、「私はまた、同じようにするでしょう。皆さんだって、そうです。それが戦争です」と答えた。実に重たい答えです。じっくり考えさせられる、価値ある本です。
(2017年8月刊。2000円+税)
2017年10月26日
PC遠隔操作事件
司法
(霧山昴)
著者 神保 哲生 、 出版 光文社
ひところ、大いにマスコミで騒がれた事件の詳細を明らかにした本です。
この本を読んで私が驚き、かつ怖いと思ったことが二つあります。その一は、インターネット上では簡単に他人になりすますことが出来ること、そして、警察だって簡単には見破れないということです。そして、その二は、やってもいないのに、自分が犯人だと「自白」してしまう人が、今もこんなに多いのか、また、警察は罪なき人を容易に「犯人」に仕立てあげるものなのだ、ということです。
なりすまし事件の犯人は、飛行機に爆弾を仕掛けたと脅しました。毎月のように飛行機に乗る私としては決して他人事(ひとごと)ではありません。世の中には言ってはならない「冗談」があるのです。
真犯人の母親は、一緒に住んでいて、本人がシラを切っているのに、ずっと疑っていたということです。さすがに母親の直観は鋭いですよね。
その生育過程には、いろいろあったようですが、真犯人は、いってしまえば、フツーの社会人でした。そんな人が社会への挑戦(リベンジ)のようにして、してはいけない「冗談」(許せないレベルです)をしてしまったのです。人を殺してないのだからいいだろうということで許せるものではありません。
550頁もの大作ですが、息を詰めて一気読みしてしまいました。
騙された弁護人は私と同世代の、大学生のとき以来よく知っている高名な刑事弁護のプロです。弁護人としては、本人の言うことを尊重しなければいけませんので、真犯人が告白したとき大変なストレスを抱えたものだと同情します。
自分のパソコンが何者かによって遠隔操作され、犯罪に利用される。そして、その「被害者」たちが、次々に警察に逮捕されたときに、やってもいない犯行を「自白」していった。そのうえ、何の落ち度もない一方的な「被害者」が、その実名を広く報道されたことによって多大な二次被害にあっていた。
いったん「犯人」(被疑者)として報道されると、あとで無実だと判明したとしても、その受けたダメージの回復は容易ではありません。
なぜ、やってもいない人が「自白」してしまうのか。その理由の一つとして、次のようなケースがありました。つまり、同棲中の女性が自分の知らないところで犯行したのだと思い込み、その彼女をかばうために警察の言いなりにウソの自白をしていたのでした。
うむむ・・、なんとも身につまされますよね。警察は、そんな「犯人」(実は無実の人)を逮捕したとしてマスコミに大きく報道させます。江戸時代の「市中ひきまわしの刑」のように、テレビカメラのライトにあて放映させるのです。たまったものではありません。
真犯人は、結局、懲役8年の実刑になりました。少年時代のいじめ、成人してからの刑務所での暴力的な仕打ちを受けたことが、社会への「報復」に走らせたようです。他人(ひと)に優しくすることが日本社会全般に乏しくなったことがその背景にあるような気がしてなりません。ネット社会の危険な落とし穴を明らかにする本だと思いました。
(2017年5月刊。2400円+税)
2017年10月27日
弁護士日記 タンポポ
司法
(霧山昴)
著者 四宮 章夫 、 出版 民事法研究会
倒産法の分野で高名な大阪の弁護士が日記を本にしたものです。これが3冊目です。
この本を読んで、著者が私と同じ年に生まれていることを知りました。私と違って、8年間の裁判官生活のあと、弁護士になっています。ですから私と同じ団塊世代です。
団塊世代について、「団塊の世代こそ、戦後の一時期、花開いた民主主義を満喫できた、幸せな時代を生きた世代であった」としています。なるほど、そうなのかもしれないと私も思いました。ただ、「幸せ時代」を団塊世代が独り占めしてはいけないとも考えます。やはり、後の世代になんとかして平和な時代を受け継がれるようにするのも団塊世代の義務ですよね。
その点、著者はこの日記のなかで、いくつも需要な指摘をしています。
日本は急激に貧困化している。日本の格差社会は国際金融資本から強制された構造改革がもたらしたもの。日本の富裕層が、グローバル資本の圧力を追い風として、自民党政府に対して構造改革の推進を迫り、積極的に自らの所得の拡大を図り、その結果、日本の格差は拡大した。
金持ち優遇税制は、所得税と住民税の最高税率が1986年に88%だったのが、1994年には65%、2006年からは50%というようにあらわれている。1億円以上の報酬を得ている会社役員が408人もいる。
新自由主義と呼ばれる経済運営の手法は、経済規模を拡大し、資本家を喜ばせるだけの政策にすぎず、もたらされる利益が労働者に還元されるというのは誇大宣伝にすぎない。
連合(日本労働組合総連合会)は、「高プロ」に同意するなど、全国の労働者を裏切っている。
以上のような著者の指摘に、私はまったく同感です。
ロータリークラブの会員が1997年に13万人だったのが、2015年に9万人にまで減っているというのを初めて知りました。これも日本の中小企業の衰退を反映しているのではないでしょうか・・・。
著者は、裁判所、調停委員に対して苦言を呈しています。この点も、私は同感するところがあります。裁判所は伝統的に権力と大金持ちに甘いですが、今も同じです。
家庭裁判所の裁判官の劣化は著しい。調停委員にしても、当事者の主張に十分に耳を傾けず、自分の意見を押しつけようとするばかりだ・・・。
著者は最高裁長官が司法権の独立を自ら踏みにじっていたことを厳しく批判しています。私も前に指摘している田中耕太郎のことです。
田中耕太郎は自衛隊違憲の判断をした伊達判決をひっくり返すためアメリカ大使と面談し、その指示を受けて、裁判官の評議内容まで全部もらしていたのです。この事件ではアメリカは実質的な当事者ですが、その一方当事者から判決内容についてことこまかく打合せ(実際には指示されていた)をしていたというわけです。こんな男が最高裁判官だったというのですから軽蔑するしかありません。まさに唾棄すべき男です。今からでも遅くありません。最高裁長官だったことを取り消すべく、何らかの措置を今の最高裁長官はとるべきです。そそて、国民に向かって謝罪すべきです。それは、ハンセン病患者の法廷を非公開でしていたことについて、その非を認めたのと同じ措置をとるべきだということです。やろうとすればやれないはずありません。なにしろアメリカ政府側の公文書公開によって明らかとなった事実なのですから。そのような措置をとらない限り、今の最高裁には司法権の独立を唱える資格はないということになります。
著者は6年前に電車に乗っていて脳梗塞の発作を起こしたとのことです。幸い後遺障害がないので、本書のように書くことも弁護士の仕事も出来ているとのこと。これからも健康に留意されて活躍されんことを心より祈念します。
(2017年10月刊。1300円+税)
2017年10月28日
西郷隆盛
日本史(明治)
(霧山昴)
著者 家近 良樹 、 出版 ミネルヴァ書房
2018年のNHKの大河ドラマで主人公として取り上げられる西郷隆盛の実像に迫った本です。なんと本文だけで550頁もある大著です。それだけの分量をもってしてもまだまだ十分に西郷隆盛なる偉人を十分に分析しきれていないのではないかという感想をもちました。
著者は本書の最後で、次のように西郷像をまとめています。
たしかに豪傑肌で、これ以上ない大役を与えられても見事に演じきれるだけの力量のある千両役者だったが、その反面、律義で繊細な神経の持ち主だった。そして、そのぶん、苦悩にみちた人生を歩み続け、最後は城山で悲惨な死を迎えざるをえなかった。
西郷は、多情多感ともいえるほど情感の豊かな人物で、人の好き嫌いも激しく、しばしば敵と味方を峻別し、敵を非常に憎むこともある人物だった。つまり、西郷は完全無欠な神のような人物ではなく、人間臭く親しみのもてる人物だった。西郷は人を激しく憎むことができるほど他人と深く関われたぶん、愛されることも多かった。
幕末の上野戦争、つまり上野での彰義隊との戦争で西郷は作戦の陣頭指揮をとった。事前に十分な準備をしていたことから大勝利を収めた。このとき、従軍看護婦が活躍したが、西郷はその処遇について細かく指示した。また、爆薬を運搬する臨時雇いの軍夫の給金を7日文ごとにきちんと支払うよう指示したり、こまごまと具体的に指示している。
このように西郷の実際は、のほほんとした無頓着な人物ではなかった。
それに続く戊辰(ぼしん)戦争において薩摩藩の仇敵ともいうべき庄内藩が降伏、開城したあと、西郷は残酷な仕返しを禁じ、寛大で平和的に処遇した。西郷は、相手が白旗を掲げれば許すという考え方の持ち主だった。
この寛大な処遇が西郷の指示によるものだと知った庄内藩の人々は、西郷に対して敬愛の念を抱き続けた。明治3年には、旧藩主が70人を連れて鹿児島に行き、数ヶ月間も兵学の実習を受け、西郷に教えを乞うた。
西郷隆盛は若いころは、180センチの長身だったが、やせてスマートでもあった。太ったのはストレスによるものだった。
西郷は、若いころ、はじめは赤裸々に自分の感情を相手にぶつけていたが、次第に本心を心の奥深くにしまって対応することが再上洛後は格段に多くなった。西郷は計算高い男だった。西郷は苦しい状況下になればなるほど、めげることなく強気の姿勢に徹した。
そして、冷静な現状分析から対策を講じた。西郷は策略家としての本性を発揮した。西郷は、事前に対策を綿密に立てるのがすこぶる好きな人物だった。そして、それは常識的な判断の下になされた。自分のところに集まってきた各種の情報を客観的に理詰めに分析し、そのうえで相手の意表に出るのを得意とした。
廃藩置県は日本史上でも指折りの転換点だったが、これも西郷の積極的な同意によって初めて実施が可能になったものである。
では、なぜ西郷は十分な準備もなく西南戦争を始めてしまったのか・・・。そして、途中で止めなかったのか・・・。大いに疑問です。
西郷隆盛には5人もの子どもがいたようです。その子孫は今も健在なのでしょうか・・・。弟の西郷従道のほうは子孫がいると思いますが、隆盛の直系の子孫がいるとは聞いたことがありません。どなたか教えてください。西郷隆盛の実像に迫った興味深い本です。
(2017年8月刊。4000円+税)
2017年10月29日
ザック担いで、イザベラ・バードを辿る
日本史(明治)
(霧山昴)
著者 「日本奥地紀行」の旅・研究会 、 出版 あけび書房
名古屋大学ワンダーフォーゲル(ワンゲル)部のOBが明治11年のイギリス女性の東北・北海道旅行の行程をたどってみました。参加者はのべ109人、23泊34日、東北から北海道までをザック担いで歩いたのです。すごい企画ですね。うらやましいです。メンバー表をみると、私たちの団塊世代の少し前の世代のようです。
イザベラ・バードが歩いた明治11年(1878年)というのは、西南戦争が明治10年ですから、その翌年ですし、明治になってまだ10年しかたっていない農村地帯だったので、ほとんど江戸時代そのままだったことでしょう。その街道の多くは今では主要国道になっていますので、そのまま歩いたのでは危険をともないます。そこで、名古屋大学ワンゲル部OBは、時代に取り残された峠道を丹念に拾って歩いたのです。
大内宿は、今も江戸時代へタイムスリップできることで有名です。私もぜひ行ってみたいと考えています。イザベラ・バードが泊まった「問屋本陣」が今も残っていて、土産物屋になっているとのこと。築300年以上だそうです。
イザベラ・バードが休憩した茶屋で、水しか飲まなかったところ、お金を受けとろうと、しなかったという話も紹介されています。「律義で正直」な日本人がいたのですね・・・。
マタギの郷(小国町)では、熊肉がキロ1万円以上で売られているとのこと。高級和牛並みの値段です。熊皮は7万円から10万円もします。すごい高値です。
イザベラ・バードが東洋のアルカディアと命名したのは米沢平野。ここは台風も地震もなく、雪さえ我慢すれば非常に住みやすいところ」、とは地元の人の言葉。
イザベラ・バードは明治11年当時、47歳の独身の「おばさん」でした。そして、日本には合計5回やって来ています。1904年に72歳でイギリスで亡くなりました。
同伴者の伊藤鶴吉は18歳で、実践的な英語力がありました。英米の公使館でボーイとして働いたことがあったからです。とても有能な通訳・随行者だったようです。
マンガでイザベラ・バードを紹介している本があるようですね。ぜひ読んでみましょう。
(2017年9月刊。2200円+税)
2017年10月30日
パパは脳研究者
人間
(霧山昴)
著者 池谷 裕二 、 出版 クレヨンハウス
脳を研究する科学者が我が子の成長過程を刻明に記録していて、とても面白い本です。
オキシトシンは、子宮を収縮させるホルモンで陣痛促進剤。ところが、脳にも作用し、相手を絶対的に信じ、愛情を注ぐためのホルモン。
赤ちゃんに大人が話しかけるときには高い声になる。マザーリーズと呼ばれ、世界共通。音程の高い声で話しかけると、乳児はよく反応する。
乳児に話しかけをしないで育てようとしても、3分の1は死んでしまうというデータがある。それほど人間の脳は食欲と同じく、関係性欲求の本能が強く備わっていて、他人とのコミュニケーションを本能的に欲する。
胎児に音楽を聴かせると、生まれてからも曲を覚えていることが証明された。
新生児は、母親の胸部のにおいを自分の母親以外の人と区別することができる。
赤ちゃんは、生後4ヶ月ころ、テレビに映っている人と、実際の人とを区別できる。
IQ(知的指数)は、生涯あまり変化しない。しかし、知能は、教育によって高まる。
記憶は、正確過ぎると実用性が低下する。いい加減であいまいな記憶のほうが役に立つ。一般に記憶力のいい人ほど、想像力が乏しい傾向がある。記憶力のあいまいさは、想像力の源泉だ。
イヤイヤ状態に入ったら、娘を抱いて鏡の前に連れていき、「ほら、泣いている子がいるよ」と鏡を見せる。「泣いているのは誰?」と話しかける。鏡を通じて自分を客観視させる。
1歳10ヶ月になるとウソをつく。ウソは認知的に高度な行動で、高度な認知プロセスだ。
イヤイヤ期は、人間形成に本当に必須なプロセスなのか、科学的には証明されていない。しかし、成長過程から考えると、子どもが「どこまで求めたら、限界にぶつかるのか」を経験を通して学ぶ機会になっているのは間違いない。
胎児は、無用なほど過剰な神経細胞をもって生まれる。そして、3歳ころまでに神経回路の基礎をつくり、必要がないものを捨ててしまう。
ヒトの神経細胞は、もともともっていたのを100%とすると、3歳までに70%が減り、30%が残る。不要な神経細胞はエネルギーをムダに消費するので、捨ててしまう。その後は、この30%だけで生涯を貫く。つまり、どの神経細胞を残すかが決まるのは3歳まで。3歳までのあいだに、あれこれと刺激を受けて、これは大切だから残す、これは不要だから捨てると判断している。
3月生まれと4月生まれには差はない。知能の劣等感は十分に克服できる。早くから教育を始めても、必ずしも有効ではない。
幼児教育では、知識の詰め込みよりも大切なことがある。自然や実物に触れる「五感体験」、忍耐力。物事を不思議に思う疑問力や知識欲。筋道を立てて考える論理力。本来のことや他人の心の内などの見えないものを理解する推察力、そして適切に判断する対処力。多角的な解釈を可能にする柔軟性、自分の考えを伝え、人の考えに耳を傾ける疎通力なども大切な養成ポイント。
ストレートにほめるのは禁じ手。えらいね、上手だねと何度もほめるよりも、すごいな、面白いねと、成果そのものを一緒に喜ぶようにする。
さて、マシュマロ・テストに挑戦しましょう。マシュマロを見せて、15分間ガマンしたら、もう1個マシュマロをあげるよと言って、子どもを何もない部屋に1人にして様子をみるのです。何もない部屋ですから、手もちぶさたで、退屈です。目の前にはおいしいマシュマロがあります。15分間、マシュマロを食べずにガマンできたら合格。4歳で合格するのは全体の30%この3%は、大人になっても好ましい人生を送る傾向がある。
私は、そんな自信はありません。年齢(とし)とった今なら、ガマンできる自信はあるのですが・・・。もう遅いでしょうか。
(2017年8月刊。1600円+税)
2017年10月31日
アフガン・緑の大地計画
アフガニスタン
(霧山昴)
著者 中村 哲 、 出版 石風社
著者は福岡県人の誇り、いえ、日本の宝のような存在です。今なお戦火の絶えないアフガニスタンで、砂漠を肥沃な農地へ変えていっている著者の長年にわたる地道な取り組みを知ると、これこそ日本がやるべきことだと痛感します。
残念なことに現地に常駐する日本人は著者ひとりのようですが、一刻も早く日本の若者たちが現地の人々と交流できるようになってほしいものです。
この本を読むと、砂漠地帯に水路を開設することの大変さが写真と図解でよく理解できます。日本から最新式の大型重機を持ち込んだら工事は速く進捗するかもしれませんが、その管理と保全策を考えると、現地にある機材をつかい、現地の人が技能を身につけるのが一番なのです。その点もよく分かります。
それにしても著者の長年の現地でのご苦労には本当に頭が下がるばかりです。すごいです。養毛剤の使用前と使用後の比較ではありませんが、砂漠で防砂材の植樹を開始したころ(2008年)と現在の緑したたる農場の二つを見せられると、涙がついついこぼれてきます。
農場で育つ乳牛でチーズをつくり、サトウキビから黒砂糖をつくる写真を見ると、これこそ平和な生活の基礎をなすものだと思います。アフガニスタンは、今は砂漠の国と化していますが、本来は豊かな農業国なのですね。水さえあれば、なんとかなるのです。
ところが、急流河川が多く、真冬の水位差が著しい。山麓部にある狭い平野で集約的な農業が営まれているというのがアフガニスタンの特徴。干ばつが起き、ときに大洪水が襲う。
重機やダンプカーをつかってコンクリートの突堤を築いても、その場は良いかもしれないが、長期間もつ保証はない。また、コンピュータ制御は、まともに電気がこない地域なので、無理。そこで登場するのが、福岡の取水堰の経験なのです。
この計画の全部が完成したら、耕地面積1万6500ヘクタール、60数万の農民が生活できるうえ、余剰農産物をアフガニスタン各地へ送ることができる。なんとすばらしい計画でしょうか。日本政府も財政的な後押しをすべきだと私は思います。
著者が現地の人々と一緒に苦労して水路を開設して農地をよみがえったおかげで、ジャララバード北部4郡は、抜群に治安が良いとのこと。ケシ栽培も皆無。食べ物を自給できる。ところが、ジャララバード南部は耕作できないため、多くの失業者を生み出した。現金収入を求めて、やむなく兵士、警察官、武装勢力の傭兵になっていく。治安は過去最悪となっている。やはり、生活が安定しないと、暴力抗争も発生してくるのですよね。
アフガニスタンの農村はかつての日本のように、強い自治性をもっているようです。
したがって、国家的な管理・統制はあまり効かないのです。援助するにしても、現地の自主性を尊重しながらすすめるしかありません。そこを、著者たちは長年の行動で強固な依頼関係を築きあげているのです。
この15年間の歩みが豊富な写真と解説によって私のような土木素人にもよく分かるものになっています。著者が、今後とも身体と健康に留意されてご活躍されることを同じ福岡県人として心より願っています。一人でも多くの人に読んでほしい本です。
(2017年6月刊。2300円+税)