弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年9月 4日

役に立たない読書

人間

(霧山昴)
著者 林  望 、 出版  インターナショナル新書

ほとんど同世代の著者と私は読書に関しては、かなり共通した考えです。
本は買って読むもので、図書館から借りて読むものではない。読んできた本を振り返ることは、自分の人生を振り返ることに他ならない。文学作品を味わう醍醐味の一つは、登場人物の中に自分自身の分身を発見することにある。
自分が読みたい本を読む。これが読書するときの鉄則。そのとき、間口(まぐち)はできるだけ広くしておいたほうがいい。
図書館で借りて読んだ本の知識は、しょせん「借りも物」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んでよかったと感じた本は、座右に備えておくべきだ。
「自腹を切る」ことの対価は、たしかにある。
著者は、自宅の地下に2万冊は入る書庫があるそうです。わが家にも1万冊とは言わない、2万冊近くの本があるように思いますが、最近、少しずつ引き取り手を探して押しつけつつあります。なにしろ、年間500冊以上の本を買って読んでいますので、その行方(所在)は困るばかりなのです。
読書するのには、あらゆる細切れの時間を大切にする必要がある。10分間だけ、別世界を旅する。
まさに、そのとおりです。ですから私は、バス停に立ったら、私のカバンの外側に入れている新書が文庫本を取り出して、立ち読みを始めます。中に入って座れたら(立っていても)ソフトカバーの本を読み出します。ですから、電車の中ではなるべく顔見知りの人と一緒になったり、同席したくはありません。
「我が本」を文字どおり「我が物」にする。これは、借り物ではないのだから、きれいな姿で、次に古本屋に売ろうと思っていないということです。気に入ったらところは折り曲げたり、付箋をつけたり、傍線を引いたり、欄外に注記を書き込んだりする。
書評には、面白くないと思った本は取りあげない。私も同じです。面白くもない本を読み返すほど、私はヒマでありません。何か面白いと思えるところがある本しか、このコーナーで取りあげたことはありません。
日本では昔から識字率も高く、本を読まずにはいられない人が少なくなかった。
滝沢馬琴の本を江戸時代の人々が熱狂していたというのは、現代の私にもよく分かります。ともかく面白いストーリー展開でした。
著者は、漢字仮名まじりの文化が定着している日本では、電子書籍は普及しないと予測しています。紙の本でないと読んだ気がしないというのは、日本語独特の問題があるからだ・・・。日本語は、世界一、同音異義語が多い。多すぎる。
読書には、大きな意味がある。人生は、できるだけ楽しく、豊かに送りたい。豊かに楽しく生きることのヒケツが、すなわち自由な読書だ。それは強制された読書ではない。自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。ただ、それだけのこと・・・。まったく同感です。反語的タイトルの本です。
(2017年4月刊。720円+税)

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