弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年8月15日

大航海時代の日本人奴隷

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 ルシオ・デ・ソウザ 、 岡 美穂子

日本人って、昔から案外、海外へ出かけていっていたようです。そのなかには、人さらいにあって海外に売られたという人もいたようですが、それ以外にもいたというのです。日本人の傭兵集団があったり、キリスト教信者が亡命したり・・・、です。多くはありませんが、世界各地に残っている日本人の記録を掘りおこした貴重な本です。
本書に登場するのは、マカオ、マラッカ、マカッサル(インドネシア)、ゴアとコチン(インド)、マドリッド、リスホンそしてセビーリャ(スペイン)。アフリカはモザンビーク、アンゴラ、サントメ、プリンシベ島。南アメリカのリマ(ペルー)、ポトシ(ボリビア)、コルドバとブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンチアゴ(チリ)。最後にメキシコのアフカトラン、グアダラハラ、タアナファト、メキシコシティ、アカプルコ、ペラクルス、そしてカルタヘナ(コロンビア)です。このように、世界中、いたるところに日本人の足跡があるのです。
奴隷身分の日本人だけでなく、冒険心、商売人もいたのではないでしょうか・・・。
アメリカ大陸に渡ったアジア人奴隷は、「チーナ」と呼ばれたが、実際には、日本人もいた。
大分で1577年に生まれた日本人奴隷は、誘拐されて長崎へ連れていかれ、ポルトガル人に買われた。子どもの奴隷を買って従者にするのは、富貴と寛大さを周囲に知らしめる証と考えられていた。
長崎にいたポルトガル商人のなかに、実はユダヤ人がいて、キリスト教の異端し審問の対象になっていたというのを初めて知りました。
ポルトガルには、16世紀中ごろから、天正少年遣欧使節の到着より前から日本人が存在していた。1570年代初め、10歳にもならないに日本人少女マリア、ペレイラがポルトガルに到着し、20年のあいだ家事奴隷として仕えたあと、自由の身になったという記録がある。
マカオには、日本人女性だけでなく、日本人男性も少なからず存在した。船の乗組員にも日本人男性がいた。
長崎の頭人から町年寄へと出世した町田宗賀は若いころ、自分でジャンク船を操って海外貿易に従事する船長であり、マカオにも出入りしていた。
マラッカには、1600年ころ、町の警備役として、マレー人兵のほか、日本人傭兵がいた。関ヶ原の戦いのころのことです。
1608年ころ、ポルトガル人に仕える日本人傭兵に加え、マカオに到来する日本人奴隷の数が増加した。そして、マカオ事件が起きた。1614年、マニラに33人の教会関係者と、100人の日本人が到着した。宣教師が日本から追放され、一緒に日本人キリシタンたちがやってきたのだ。マニラにいた日本人は、1595年に1000人をこえていた。そして、1619年には、日本人コミュニティは、2000人、1623年には3000人以上となっていた。
インドのゴアにも、多くの中国人と日本人がいた。
世界中の記録をよくも丹念に掘り起こしたものですね。スペインには、今もハポン(日本)の姓の人々がいるそうです。恐らく、昔の日本人の子孫なのでしょうね。世界は広いけれど、案外、狭いものでもあるようです。
(2017年4月刊。1400円+税)

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