弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年7月11日

裁判所の正体

司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志・清水 潔 、 出版 新潮社

元裁判官で現在は大学教授が、ジャーナリストに対して裁判所の内幕を明らかにした本です。
法廷に出る前に裁判官は黒い法服を着る。あれを着ることによって「人間」ではなくなる。一種の人間機械ともいえる。ところが、アメリカでは裁判官は少しえらい「普通の人」である。
家裁の裁判官は、身の危険を感じることが多い。当事者から、恨みを買いやすい。帰宅するときにあとをつけられたという裁判官もいる。
法廷にたくさん人が入っていると、裁判官は強権的な訴訟指揮をしにくいし、弁護士も主張・立証のあり方についてきちんとしてくるので、わずかでも見ている人がいる裁判は違ってくる。たくさんの人が継続的に傍聴にきている裁判では、それなりによく考えるというのは、まともな裁判官だったら、ありうること。たくさんの人が傍聴に来ていれば、より慎重に判断しがちだ。真面目にきちんと聞いている人が多いほど、まともな裁判官なら動かされる。人間は社会的動物だから。
裁判官の官舎は、裁判官を管理・隔離するうえで、非常に都合がいい。
裁判官の官舎には、必ずちょっと変な人がいて、非常に住みにくいところ。
裁判官は、そのときどきの自民党の中枢の顔色をうかがう傾向は強い。たとえば、夫婦別姓については、まさに「統治と支配」の根幹にふれ、自民党主流派の感覚にもふれるから、絶対にさわらない。
非嫡出子の相続分については、そんなに大きな問題ではないので、民主的にみえる方向の判断を下す。最高裁はそんなバランスをとっている。つまり、国際標準の民主主義にかなう判決はわずかでしかない。
日本の裁判官の多数派は「俗物」だ。エリート行政官僚と何ら変わらない。ただ、行政官僚よりも、はるかに伸び伸びできないので、陰にこもった人間が多い。
最高裁の裁判官になったあと、最近は、昔と違って、平気で天下りする人が多い。民間企業への天下りは、本当に節操がなく恥ずべきことなのに・・・。
多くの裁判官は、きわめて想像力に乏しい。
日本の裁判官は、権力そして時の世論に弱い。日本がどんどん悪くなっているとき、歯止めになる力がきわめて乏しく、それはごくごく一部の裁判官にしか期待できない。
裁判官の給料は、20年を過ぎると、出世レベルが上のほうだと2000万円に手が届くくらい。65歳で裁判官をやめるときには、家と土地があって、退職金をふくめて1億円くらいある。
裁判官の不祥事は、近年ふえている。2001年から2016までの16年間で10件の懲戒処分が公表されている。これは、実際に発覚した件数。
裁判所というのは、現実感が薄い。一種の精神的収容所なので、ものが見えにくくなる。裁判官の世界は、閉ざされて隔離された小世界である。いわば「精神的な収容所」である。外の世界から隔離されているので、価値観まで、おかしくなっている。裁判官って、本当に孤独。
裁判官は、期を中心として切り分けられ、競争をさせられる集団である。
裁判官の再任請求を市民ととも審査する。再任を拒否された裁判官は、年に4人、5人も出た。理由も告げられずクビになったということであれば、全体が萎縮する。その結果、能力に自信のない裁判官たちは、ひたすら上ばかりをうかがうヒラメになって保国を図ることになりやすい。
最高裁には人事評価の二重帳簿がある。絶対極秘の個人別評価書がある。
若くて能力の乏しい裁判官を中心にコピペ判決が増えている。裁判官の能力は下がりつつある。最近の若手裁判官は、大事務所を勝たせる傾向が強い。権力とか、力をもっているもののほうを勝たせる。国や地方公共団体、そして、大企業を勝たせようとする。
最高裁が裁判官協議で事務総局が局見解として打ち出したものをみて、裁判官は、非常に萎縮する。
著者の指摘には、一部これは違うというように違和感を覚えるところもありますが、全体としては、鋭く問題点をついていると思いました。
(2017年5月刊。1500円+税)
 キャナルの映画館で「ハクソーリッジ」をみてきました。日本軍は前田高地の戦いと呼ぶようです。
 宗教上の信念と子ども時代の苦い思い出から銃を持たないという「良心的兵役拒否者」が、結局、衛生兵として戦闘部隊の一員として戦地の沖縄に赴任します。平穏に上陸したかと思うと、地獄のような戦場に一変し、衛生兵が大活躍せざるをえなくなるのです。戦場のむごさ、残酷な現実が、嫌やになるほど再現されます。ノルマンディー上陸作戦を描いた「プライベート・ライアン」に匹敵するほどの凄惨な戦場シーンが続き、思わず身を固くして息をひそめてしまいます。
 上官たちが、戦争は人を殺すものなのだ、敵を殺すしか自分の身は守れないと喩すのですが、軍法会議にかけられても、自分の主張・信念を貫こうとするのです。
 自衛隊を軍隊にするとき、今でも実質は軍隊というものの、人殺しを経験していないという歴史上かつて存在したことのない軍隊ですが、「私は敵を殺したくない、捕虜にすればいい」と兵士が言いだしたら軍隊(自衛隊)はどうなるのでしょうか・・・。
沖縄戦については、「シュガーローフの戦い」(光人社)を前に紹介しました。1945年5月12日から180日までの一週間でアメリカ軍の第六海兵師団は2000人をこえる死傷者を出したのです。
 アメリカ軍による沖縄侵攻作戦は、55万人の将兵と1500隻の艦船を動員するものだった。攻撃開始日だけで18万2000人が参加したので、前年のノルマンディー上陸作戦のロデイを7万5000人も上まわっている。
 シュガーローフの戦いの現地は、いまはモノレールの「おもろまち」駅の付近です。
 今では、アメリカ軍の無理な攻撃自体が戦略上のミスではなかったかという厳しい批判がなされているとのことも知りました。「ハクソーリッジ」をみた人には、この「シュガーローフの戦い」(光人社)も読んでほしいと私は思います。

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