弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年7月 1日

金工品から読む古代朝鮮と倭

日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 金 宇大 、 出版  京都大学学術出版会

古墳時代の日本が朝鮮半島の国々と、いかに関係が深かったのか、視覚的にもよく分かる本です。
新羅の耳飾、大刀そして百済の耳飾と大刀は、似ていますが、微妙に違います。
また、朝鮮半島南部には加耶諸国がありました。かつて任那の日本府といわれた地方でしょうか・・・。大加耶の耳飾と刀は、これまたデザインが違います。
そして、倭と言われていた日本です。耳飾には、新羅、百済、そして大加耶のそれぞれの影響が認められます。大刀も同じです。
冠や耳飾、帯金具、装飾、大刀などの金工服飾品が特定個人に威信を認定・付与する「威信財」として流通した。金工品は、各地の政治集団によって盛んに制作され、地方首長との関係構築の媒介品として配布された。
朝鮮半島の諸国にとって、「倭」との関係は、隣国との交渉を有利にすすめるための切り札、一種の抑止力として機能した。
金工品は、きわめて政治的なアイテムとして活用された。制作技術を周辺に拡散させることは、製品の配布主体である中枢勢力にとって、あまりメリットのあることではない。
ほとんど金でつくられる垂飾付耳飾は、素材確保の難度の構造の複雑さからみて、いろいろある金工装飾品のなかでも群を抜いて生産が困難である。にもかかわらず、垂飾付耳飾は、金工品のなかでもっとも盛んに制作され、流通していた。当時の朝鮮半島の人々が、いかに垂飾付耳飾に特別の価値を見出していたかがよく分かる。
現在、金工服飾品が中央の工房で一元的に制作され配布されたとは考えにくいとされている。今では、地方でも金工品が制作されていたと多くの人が考えている。
日本列島で出土する垂飾付耳飾の形態は、実に多種多様である。このことは、古墳時代の中期以降、朝鮮半島の各地から、系譜の異なる耳飾が継続的に流入し続けていたことに起因している。
日本列島で出土する長鎖式耳飾は、大加耶からの舶載品であるとみなすより、大加耶工人と同じ技術系統に属する工人が、大加耶で耳飾制作が始まるのとほぼ同じ時期に、朝鮮半島から渡来していて、その彼らが日本列島で制作したと考えるほうが自然ではないか・・・。
熊本にある有名な江田船山古墳の出土品は、金板圧着技法、環頭部基部の段差という百済の大刀制作技術の特徴を備えていて、百済で制作された搬入品と思われる。
在日三世の著者による画期的な本だと思いました。写真で紹介されている黄金色に輝く耳飾などは、あまりにすごくて、モノも言えません。私も、ぜひ現物をみてみたいです。
(2017年3月刊。4900円+税)

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