弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年4月15日

シャクシャインの戦い

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平山 裕人 、 出版  寿郎社

日本は単一民族ではない。アイヌ人が民族として存在しているというのは歴史的な事実だと私も思います。同じように琉球民族がいたという説もありますが、そちらには私は賛同できません。
そのアイヌ人が江戸幕府側からの迫害に抗して起ちあがったのが1669年のシャクシャインの戦いです。これを「乱」と呼ぶのは、「和人」の側に立つ論法だと私も思います。
アイヌ史上、三つの大きな戦いがある。コシャマインの戦い、シャクシャインの戦い、クナシリ・メナシの戦いである。
1600年が関ヶ原合戦の年ですよね。その1669年6月にシャクシャインの戦いが始まりました。首領のシャクシャインは1669年10月に松前藩によって騙し討ちされて殺害されましたが、戦い自体は3年のあいだ続いています。
このころ、松前は砂金を産出していて、日本中から砂金を求めて人がやってきていた。その数は3万人とも5万人とも言われた。アメリカの西部開拓時代のようなゴールドラッシュが17世紀の北海道にもあっていたのですね・・・。
シャクシャインの戦いのあと、松前藩士が商人に請け負わせ、請け負った商人がアイヌと交易する。藩士は商人から運上金をとるという形態がとられていた。交易の場所を「商場」(あきないば)とか請負場所と呼んでいた。
当時、北海道各地に居住していたアイヌの人々の生活は追い込まれていた。アイヌシモリに金掘りが入り、鷹師が入り、漁師が勝手に魚を獲り、交易は不当なものだった。それで、シャクシャインの呼びかけにアイヌ民族が広範に呼応し、松前藩を攻めた。
松前藩を滅ぼし、自由交易を復活させることが目的だった。しかし、現実には、アイヌ民族も松前藩も、互いを必要とする経済基盤をもっていたから、交易の仕組みが変わることはあっても、どちらかが滅びるしかないということにはならなかった。
シャクシャインの戦いを本格的に論じた貴重な本だと思いました。
(2016年12月刊。2500円+税)

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