弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年2月11日

砂漠の豹、イブン・サウド

中東

(霧山昴)
著者  ブノアメシャン 、 出版  筑摩書房

 サウジアラビアの建国史です。1990年12月の発行ですから、今から25年も前の古い本です。書棚にずっと眠っていた本ですが、サウジアラビア王国のことが気になって読んでみました。
 著者は1901年生まれのフランス人ジャーナリストです。ヴィシー政権で大臣をつとめたこともあって、戦後、戦犯裁判で死刑の宣告も受けています。
 著者がイラクやエジプトなどで会った(1960年より前のこと)政治家は、その後、暗殺されたり、処刑されたりしています。そうでなくても、イラクのように劇変を遂げました。それはともかくとして、現在のサウジアラビア王家を創設したイブン・サウドの生い立ちから王の座に就くまでは、まさしく血なまぐさい激闘の歴史でした。
 イブン・サウドとは通称で、本名はアブドルアジズ(「力のしもべ」という意味)といいます。
「天国は前にあり、地獄は背後にあり」
 これはアラブの熱意を燃やすために定められたコーランの規定であり、このように断定して、結束させる号令になっている。
イフワンとは、武士の兄弟のちぎりのこと。教友。
イブン・サウドは一家の長男ではなかった。二人の兄、ムハンマドとアブダラーがいた。その二人の兄が戦闘のなかで殺されてしまったことから順番がまわってきた。
 砂漠のなかの戦いは常に容赦がない。敗者は決して勝者の寛容をあてにしてはならない。脅かされている場合には、こちらから先手を打って出なければならない。
 兄二人が敵に殺されるときには、イブン・サウドはその現場にいて、黒人どれいの脚のあいだから震えつつ見ていた。
 アラブの部族は、砂漠の砂に似ていた。その一つ一つは完全に独立している。砂のように、こぶしのなかに握りしめることはできるが、それを固めてひとつのかたまりとするのは難しい。握っている力がゆるめば、砂の粒は指の間からこぼれ落ち、ぱらぱらになって、以前と同じく独立した、小さな独立した単位にもどってしまう。
 大部分のアラブは、忠節あるいは理想によってイブン・サウドを支持したのではなかった。打算から味方についただけなのである。
イブン・サウドを狙った暗殺国19人を処刑するとき、18人まで斬首したあと、19人目は、殺されず、解放された。見たことを広く、多くの人々に語れ、ということである。
 イブン・サウドは大胆な武人だったようです。イブン・サウドは、もちろんイスラム教徒ですが、その宗派はワハブ派です。
 イブン・サウドは、トルコのケマル・アタチュルクと同世代の人物であり、それぞれの国を近代生活のレベルにまで引上げようと試みた点は共通しているが、ケマルはスルタンを追放し、宗教を政治から切り離そうとした。それに対してイブン・サウドは、イスラムの純化を唱えるワハブの教えを広め、みずから政教両面のあるじとなって国家統一の基礎を築いた。
 イブン・サウドはまた、「アラビアのロレンス」とも同時代を生きています。イギリスとの関わり方は、大変むずかしかったようです。
 いろいろ知らないことばかりでした。建国史というのは古代日本もそうですが、血なまぐさい話のオンパレードですね。
(1990年12月刊。2400円+税)

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