弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年1月 1日

料理通異聞

江戸時代

(霧山昴)
著者 松井今朝子 、 出版  幻冬舎

 江戸にあった有名な高級料亭「八百善」の成り立ちを活字にした「舌品」の時代小説です。「八百善」という存在は前から知っていましたが、どうやら今に続いているようです。なんと十代目がおられるとのこと、すごいですね。
 著者の料理に関する描写は並はずれています。その素材の扱い方から調理法まで、よくもここまで調べたものだと驚嘆していましたら、著者自身が「あとがき」で曾祖父の代から続いている京都の料理屋(割烹『川上』)の長女として生まれ育ったというのです。
もちろん取材もされたのでしょうが、ともかく、美味しい料理をつくる工夫が微細に語られていて、それだけでも心が惹かれます。
どんな料理も手間のか方ひとつで味がまるで違ってくる。料理は何もないところで一から生み出すものではない。昔から伝わる仕方にほんの少し工夫を加えたり、しっかりと手間を欠けることで独自の味を創るのだ。
さばいた魚をすり身にするときには、並みならぬ丁寧さが他に優る味を生み出す。一方で、魚をさばくときには、思い切りの良さが要る。
何事も手早くして、熱い汁は熱いうちに出すのが、やはり料理の肝腎かなめだ。
 茶漬けを所望する客に対して、時間をかけて食材から水まで、手間ひまかけて取寄せて差し出した。そして二人分で一両二分を請求した。ふつうなら36文、安い店なら12文でも食べられるお茶漬けに、「八百善」が二人分で一両二分の値をつけたという話は江戸中に広まった。
「八百善」には、将軍様まで立ち寄ったようです。
「八百善」は『料理通』という本を刊行していますが、当時の著名な文化人である、大田南畝(なんぽ)などが序文や挿画を寄せています。当時、ベストセラーになりました。
油揚げをつまんで口元に寄せると日向(ひなた)臭いような匂いがした。噛めば大豆の甘みがじわじわと口中にひろがって、善四郎(主人公です)は母親の懐に抱かれたようなほっこりした気分だ。干瓢(かんぴょう)の出汁は強い主張がなくとも、大豆のほのかな甘みを損なわずに、巧(うま)く引き立てている。
 どうですか、うまいですよね。ついつい美食のワールドに引きずり込まれてしまいます。
 江戸時代の食文化の極みがよく再現されていると、読みながら何度も驚嘆しながら大いに楽しませてもらいました。

(2016年12月刊。1600円+税)

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2017年1月 2日

沈黙法廷

司法

(霧山昴)
著者 佐々木 譲、 出版  新潮社

老年男性の不審死が相次いで発生します。疑われたのはフリーの家事代行業の女性。現代日本における一人暮らしの男性に忍びよる危険が背景にあります。
金持ちの中高年男性をターゲットとする危険な商法があるのです。その名簿が売られて
います。高額な商品を買った人のリスト。バリアフリーのリフォームをした人のリスト。訪問介護を受けている一人暮らしの人のリスト・・・。
いろんなリストが売買されている世の中です。そして、暮らしを成り立たせるのも難しい女性がたくさんいます。資格がなくてもやれる仕事として家事代行業というのがあるのですね・・・。
ひところ便利屋が流行していましたが、最近はあまり目立たなくなりました。
警察小説の第一人者である著者が、弁護士の監修も得て、迫力ある法廷場面を描いています。まるで実況中継していると思えるほど、真に迫っています。
状況証拠だけで被告人を有罪とできるのか・・・。
検察と弁護側の激しい攻防戦が繰り広げられるのですが、自分の過去を知られたくない被告人の女性は、突然、証言台で「答えたくありません」を連発しはじめるのです。
いったい、なぜ。どうして、そんな自分に不利な行動をするのか・・・。
世の中には、白か黒でスパッと割り切れないことがたくさんあるのですよね。そして、本当はクロではないかと思いつつ、シロとなったり、逆に明らかにシロなのに灰色で有罪となったり・・・。不条理、不合理にみちみちた世の中です。
550頁をこす大作です。休日の半日で、一気に読了しました。
(2016年11月刊。2100円+税)

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2017年1月 3日

僕とおばあさんとイリコとイラリオン

ロシア


(霧山昴)
著者 ノダル・ドゥンバゼ 、 出版  未知谷

不思議なストーリー展開の本です。
今はジョージアと呼ばれていますが、少し前までグルジアと呼んでいた国で、少年が大人になっていく過程がつづられています。
ソ連時代のグルジア共和国ですので、ナチス・ドイツがソ連に攻めてきたころのことから物語は始まります。そして、ソ連ではスターリン圧政の下で粛清の嵐が吹き荒れていて、少年の父親も、その犠牲になりました。だから、少年は父方の祖母(おばあちゃんです)のもとで暮らすのです。
グルジアの歴史が訳者によって紹介されています。
グルジアの最盛期は12世紀から13世紀にかけて。タマル女王の治世下です。そのあとモンゴルが来襲し、さらにチムール帝国がやってきて、グルジアは壊滅的な打撃を受けた。西グルジアはオママン帝国に、東グルジアはペルシアによって分割して支配された。グルジアはソ連邦を構成する一共和国だったが、1991年に独立して、現在に至っている。
大人たちは、何かというとすぐウォッカを飲みます。
変てこな大人たちばかりのなかで、少年は、ひょうひょうと生きていきます。
こんな会話が出てきます(70~71頁)。
「ドイツは、モスクワのそばで身動きできないんだ」
「第二戦線はどうなってる?」
「大した変化はないな。それにしても、イギリスはとんでもなく卑怯な奴らだぜ。ソヴィエトは放っておいて、俺たちは手を貸してくれって、アメリカに頼むんだ」
「で、アメリカは何て言ってる?」
「それは、おまえの仕事じゃないだろうって」
・ ・・
「じゃあ、日本は?」
「日本はドイツが尻を叩いているんだよ。じっとしていないで、早くおっぱじめろよって。すると、日本が答えるんだ。そっちがモスクワのそばでじっとしてるってのに、オレたちはいったいどっちに行ったらいいんだよ、ってな」
「それでドイツは何て言ってるの?」
「ラジオで二回言ってた。我々はスターリングラードを征服したって・・・それで日本をだまし
通せるとでも思ってやがる」
「ドイツは、もう終わったな」
日本の参戦はドイツ軍のスターリングラードでの敗北のあとだったようです。
独特のグルジア語らしきものが本の表紙に飾られています。私はまったく初めての文字で
した。グルジア(ジョージア)文学って、こういうものなのかと、初めての体験に戸惑ったというのが正直なところです。
(2004年3月刊。2500円+税)

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2017年1月 4日

日本会議と神社本庁

社会


(霧山昴)
著者 「週刊金曜日」・成澤 宗男 、 出版  金曜日

先日(2016年12月)、柳川市議会で憲法改正を求める請願が可決されたという報道がありました。恐らく、これも日本会議が全国ですすめているものの一環なのでしょう。
アメリカ軍のオスプレイが墜落しても文句ひとつ言えない哀れな安倍政権のメンバーが、日本国憲法はアメリカの押しつけだから良くないなんて言っているのですから、その頭の中はどうなってるんでしょうね。
日本会議の三代目の会長は、三好達という元最高裁長官です。この三好達という人物を私はよく知りませんが、憲法改正を求める右翼団体のトップに名前を出すとは、本当に情けない話です。いったい、裁判官在任中には日本国憲法をどう考えていたのでしょうか。こんな憲法なんて、守るべき価値はないとでも考えていたのでしょうか。もし、そうだとしたら、最高裁長官になったのは、明らかに間違いです。在任中はそうでもなかったけれど、退任してから考え方を変えたというのなら、明らかに老害というべきでしょう。
日本会議、福岡の役員構成が紹介されています。
九州電力の会長(松尾新吾)やJR九州の相談役(石原進)の名前も見えます。石原進っってNHKの経営委員長ですよね。NHKが右寄り偏向していると批判される根拠でもありますね。
福岡は、他県と違って宗教関係者が少なく、地元経済界関係者が中心になっている。なぜ福岡の地元経済界は平和憲法攻撃に手を貸しているのでしょうか。理解できません。韓国や中国との経済意交流を強めようと言っているはずなのに、こんなことでは二枚舌をつかっているとしか思えません。外国から信用されないような言動はやめてほしいですよね。
目が離せない、日本の平和と安全をこわす危ない団体の一つです。
(2016年8月刊。1000円+税)

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2017年1月 5日

負けを生かす技術

人間

(霧山昴)
著者 為末 大 、 出版  朝日文庫

私はテレビを見ませんし、オリンピック競技にも関心がありませんので、著者のことはまったく知りません。陸上トラック種目で日本人として初めてメダルをもらった選手のようですね。
オリンピックに出場した体験にもとづいた言葉は、それなりに重みがあります。
オリンピックに出場した選手のほとんどは、オリンピックにいい思い出をもたないで生きていくことになる。 
勝つことの難しさ、負けを乗りこえながら生きていくことの大切さを味わう。勝つ人は、ほんの一握りにすぎない。
オリンピックでは勝たなければいけないという空気が日本ほど強い国は少ない。メディアが一気に騒ぎたてる。どうしても気にしてしまう。
プレッシャーの正体は、外から自分がどう見えているのかを気にしているということ。これを無視できるかどうか、が問われる。
失敗や挫折と同じように、成功もきちんとリセットしていかないといけない。これができるかどうかで、実は人生が大きく分かれていく。
生き残っていくためには、しばし立ち止まって、まわりを眺めてみることが必要だ。今の時代だからこそ、淡々と、ひょうひょうと、世間から距離を置いて生きていくことが大切だ。何が失敗で、何が成功なのか、実は長い人生においては簡単には分からないこと。
失敗を肯定し、失敗して良かったと思えることを、ひとつでも見つけることが大切。それが出来るかどうかが人生を分ける。
私は、失恋もそうだと考えています。失恋しても、だからこそ人間を、自分を見つめ直すことが出来たとしたら、それはそれで素晴らしいことではないかと考えるのです。
不条理、不合理にみちみちている世界、それが世間の現実だ。それと、いかに向きあうかそれが私たちの課題となっている。
「間違えました」と宣言して改められる人は強い。なぜなら、何度でもチャレンジできるから。だから、いかに早い段階で間違いを認められるか、それがとても重要だ。何かの目標を立てたら、それ以外は全部を捨ててしまう。
私は、たくさんの本を読む、具体的には年間500冊以上の単行本を読むと決めていますので、テレビを見るのはやめ、見るスポーツも、歌番組も、一切やめた生活をしています。
それでも本人としては、大いに満ち足りた生活を過ごしています。
明確な目標に向かって、毎日をいきいきと生きるという報酬が既にある。
私は、この言葉にまったく同感です。
どこまで行っても、人生は賭けなのだ。
本当にそうなのでしょうね。たった一度の人生ですから、お互い、やりたいことを精一杯やって生きたいものです。私より30歳も年下の人だとは思えない指摘ばかりでした。さすがオリンピックの、苦労して栄冠を勝ちとったメダリストの言葉は違いますね。
(2016年7月刊。640円+税)

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2017年1月 6日

世界が認めた「普通でない国」日本

社会


(霧山昴)
著者 マーティン・ファクラー 、 出版  祥伝社新書

 日本をよく知るアメリカ人が、日本の憲法は素晴らしい、その先駆的な意義を日本人はもっと自覚して大切にすべきだと強調している本です。
 著者は、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を長くつとめていたアメリカ人です。
 アメリカの小学生のとき、テレビで日本のアニメ「マグマ大使」をみていて、なぜ怪獣をやっつけるために軍隊が出てこないのを不思議に思っていたといいます。もちろん、日本に軍隊がないから、軍隊なんて出てこれないわけです・・・。
 パクス・アメリカーナで一番優等生だったのが日本。パクス・アメリカーナの可能性をフルに活用して、日本は豊かな富と社会の繁栄を勝ちとった。
アメリカ軍が世界各地に基地をもうけて軍隊を駐留させる体制は、戦後の東西冷戦下で構築されたものだから、冷戦終結後すでに20年以上たった今日、いつ終わってもおかしくない。
トランプ新大統領の言葉は一種のモーニング・コールだ。日本は、トランプ現象について、日本が目覚めるための刑法だと受けとめたらいい。
トランプ現象とは、アメリカが世界の警察官であることに疲れたということを意味している。
 日本は戦後ずっと平和に徹してきたことによって、ある意味での貯金・資源の蓄積がある。それは捨てないほうがいい。日本は普通の国になるべきではない。世界から日本のこれまでの生き方を評価されているのだから、慎重に動いた方がいい。
 日本は、世界から高く評価されている。世界で日本ほどイメージのいい国は少ない。これほど高く評価されているのは、日本とスイス、そしてスウェーデン、カナダくらい。このことに、多くの日本人は気がついていない。
 今の天皇は、戦後日本のアイデンティティーをそのものだ。天皇の発言によって歴史修正主義の動きにも歯止めがかかっている。その意味では、道徳的なリーダーでありながら、政治的な存在でもある。
 ところが、日本のメディアは天皇の発言をあまり大きく伝えていない。安倍政権の権力が大きいので今の日本では自由に議論できない状況になっている。メディアは安倍政権の意向を忖度(そんたく)して、安倍政権が難色を示すような報道は自粛している。そんな情けない状況にあるメディアは権力からもっと自立することが求められている。
 日本の政治が機能していない大きな理由の一つが、日本のメディアが本来の役割をはたしていなことにある。報道の自由度ランキングで日本は世界11位から、なんと72位まで後退している。実におぞましい状況です。悲しくなります。
 アフリカに今、日本の自衛隊員350人が行っています。何のためでしょうか。日本の企業がアフリカに進出するのを助けるためなのでしょうか。アフリカの平和構築に役立ちたいと本気で日本が思うのなら、アフガニスタンにおける中村哲医師のような、地道な民生支援こそするべきではないでしょうか・・・。
 この本は、日本人は、もっと真剣に国のあり方について議論すべきだと提起しています。私はまったく同感です。とても読みやすくて、しかも内容の濃い本です。サッと読めますので、強く一読をおすすめします。

(2016年12月刊。800円+税)

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2017年1月 7日

進化しすぎた脳

人間・脳

(霧山昴)
著者 池谷 裕二 、 出版  講談社ブルーバックス

 脳学者が、ニューヨークで日本人の高校生を相手に講義した内容が本になっていますので、とても分かりやすく、知的刺激にみちています。実は、私も高校生のころ、一瞬でしたが大脳生理学を研究してみたいなと思ったことがありました。その直後に、理数系の頭をもっていないことを自覚して、たちまち断念したのですが・・・。
 脳は、場所によって役割が異なる。同じ聴覚野でも、内部では、漠然と音に反応しているのではなくて、ヘルツ数順にきれいに並んでいる。たとえば、5番目の視覚野は、動きを認知する場所。ここが壊れると、動いている物が見えなくなってしまう。
網膜から出て、脳に向かう視神経は100万本ある。多いようだけど、デジカメで100万画素というと、今では少ない。100万本は多いとは言えず、それだけなら、ザラザラ、ガクガクしているはず。テレビやDVDは1秒間に30コマ。映画は、もっとコマ数が少なくて、1秒間に24コマ。
 人間の脳は10ミリ秒というのが時間解像度だ。人間にとって、100分の1秒より小さい桁には意味がない。10ミリ秒で、もう十分に「同時」ということになる。
テレビ画面を虫めがねで拡大してみると、「赤・緑・青」の画素がびっしり並んでいるのが見える。人間が識別できる色の数は数百万色。
 世界を脳が見ているというより、脳が人間に固有な世界をつくりあげているというほうが正しい。
視神経のなかで、上丘で見ているものは、意識には現れない。上丘は、処理の仕方が原始的で単純だから、判断が速くて正確だ。
 サルは、人間が意図的に言葉を教えなければ、絶対に言葉を覚えない。サルは、自分たちのコミュニケーションの中でシグナル(信号)は使うけれど、もっと高度な言葉を自分たちで産み出したりはしない。人間に教えられた、ある意味で不自由な状態にならないと、サルは言葉を覚えない。
下等な動物ほど、正確な記憶をもち、ひとたび覚えた記憶は、なかなか消えない。
人間の身体の細胞は60兆あるが、速いスピードで入替わっている。身体の細胞は3日もたったら、乗り物としての自分は変わっている。脳は、そんなことにならないように、つまり自分がいつまでも自分であり続けるために神経細胞は増殖しない。
神経細胞にとって、もっとも重要なイオンは、ナトリウムだ。恐らく生命が誕生したときに、ナトリウムイオンがまわりにたくさんあった。海だ。生命は海で誕生したと言われている。そこで、もっとも利用しやすかったのがナトリウムイオンだったのだろう。
 神経線維と神経線維が接近しているが、間にすきまがある。その極端に狭い特殊な場所で、神経細胞同士が情報をやりとりしている。その場所をシナプスと呼ぶ。シナプスは、ひとつの神経細胞あたり1万もある。シナプスのすき間はすごく狭い。1ミリmの5万分の1。つまり、20ナノメートルしかない。神経伝達物質が一つの袋のなかに数千個から1万個もぎっしりと詰まっている。人間の記憶や思考があいまいなのは、シナプスに理由がある。
脳の神秘が、こうやってひとつずつ明らかにされています。そうは行っても脳の働きが完全に究明されるのは、まだまだ遠い未来の話のように思えます。
 大脳生理学の到達点について、高校生と一緒に学ぶことができました。
 

(2016年2月刊。1000円+税)

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2017年1月 8日

アマゾンと物流大戦争

社会

(霧山昴)
著者 角井 亮一 、 出版  NHK出版新書

 宅配便の便利さは捨てがたいものがあります。旅行のときには、行く先々で宅配便を利用して、読み終わった本を自宅へ送ります。そのとき、その地方の土産品も一緒に送るのです。すると、カバンの中は軽くなり、新しい本を求めることも出来るのです。
 日本の宅配サービスのレベルは非常に高い。全国どこでも、ほぼ翌日配送にすることができる。しかも、配達時間帯の指定ができる。アメリカでは時間指定はできないし、土日祝日もダメ。さらに、日本では、日時指定の再配達も可能。ただし、宅配便の現場では、再配達に泣かされているようです。
宅配便はヤマト運輸が突出した力をもっている。かつて40社もあった宅配便の会社が、現在では21社。そしてヤマト運輸(45%)、佐川急便(33%)、日本郵便(14%)で、上位3社で92%を占める。
トラック運転手の給料が低下したことから、トラック運転手の確保が難しくなっている。
アマゾンは、全品送料無料をやめた。アマゾンにとって、配達費の増加は悩みのタネ。
アメリカでは、アメリカの通常配送は注文してから3~5営業日以内というのが標準。
 アマゾンは、単なるネット通販企業から、巨大なグローバル企業に代わった。アマゾンは、あらゆる手段を用いて物流を効率化し、それを低コストでの運用につなげている。アマゾンは、新車や中古車といった自動車まで売り始めている。
ネット通販では、お客が選んだ商品を販売している側が倉庫から取り出し、丁寧に梱包し、お客の自宅へ宅配する手続きをしなければいけない。誰が1220万もの膨大な品目の中から注文された商品をピッキングし、大きさも材質もさまざまな商品を梱包し、配送するのか。もちろん、それをするのはアマゾンであり、ネット通販会社である。
ロジスティクスでビジネスを制している企業として、著者は、ヨドバシカメラ、アスクル、カクヤスなどをあげています。
 私の事務所でも、アスクルは頻繁に利用しています。やはり便利さにはかないませんから・・・。

(2016年11月刊。740円+税)

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2017年1月 9日

正倉院 宝物

日本史(奈良)

(霧山昴)
著者 杉本 一樹 、 出版  新潮社

 校倉造(あぜくらづくり)の巨大な高床式(たかゆかしき)の倉庫として有名です。
 奈良・平安の当時、日本文化が生みだした宝物をたくさん収蔵していますが、そのなかには遠くペルシアなどから渡来してきたものもふくまれています。国際色豊かな8世紀の文物が当時の姿で残っている、まさに宝庫です。
 バンジョーのような形の楽器があり、古琵琶もあります。いずれも見事な装飾です。
 奈良時代は、囲碁と双六が大流行していた。双六は、賭博に傾きやすいとして、持統天皇は禁止令を出し、何度も取締の対象となった。
 先の国会で自民・公明・維新が多数の横暴でカジノ法を成立させてしまいました。人の不幸で金儲けしようという亡者集団だというほかありません。こんな政権が子どもたちに学校で道徳教育を押しつけているのですから、世の中に間違いが多くなるのも当然です。
 軽業をしている人や、大道芸人を描いた絵もあります。みんな楽しそうですよ。
 その微細きわまりない細工には声が出ないほどです。昔の人は偉かったとしか言いようがありません。ぜひ、一度、実物を手にとって(というのは無理でしょうが・・・)じっくりと拝んでみたいと思いました。

(2016年12月刊。2000円+税)

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2017年1月10日

シマエナガちゃん

生物(鳥)

(霧山昴)
著者 小原 玲、 出版  講談社

これは可愛い。まさしく雪の妖精です。北海道でフツーに見られる小さな小鳥の写真集です。
シマエナガは北海道に暮らすエナガの亜種で、真っ白な顔ころんとした小さな体が特徴。
ほんとうに真白い、丸々とした小鳥です。つぶらな黒い目と小さな鼻があるだけ。まるで白いマシュマロです。
体の長さは14センチ。体重8グラム。日本最小の鳥。冬には樹液のつららをなめています。大好きなのです。
飛ぶときにはロケットのように!まさかと思いますが、羽を広げているのではなく、羽を閉じたまま昇ったり、降りたりする姿が写真にとらえられています。もちろん、羽を広げても飛んでいます。
冬のあいだは群れで過ごし、冬が終わるころにつがいになる。
シマエナガは、コケやクモの巣をつかって、木の幹の二又に分岐しているところに大きな卵形の巣をつくる。見た目は草や葉の塊のようになって外敵の目を欺く。
小さな卵を10個ほど産み、2週間でかえってヒナとなる。しかし、1年後まで生き残っているのは一羽か二羽ほど。エサがなかたり、冬の寒さに耐えられなかったり、タカや昆虫に食べられたりする。寿命は長くて3年から5年ほど。
それにしてもヒナたちが木の枝に一列に並んでいる様子は愛らしくてたまりません。
シマエナガは人里に近い環境を好むので、札幌の大通公園など、緑の多い公園や緑地で普通に見られる。
いやあ、こんな可愛い小鳥が身近に見られるなんて、北海道の人は幸せです。
今朝(12月28日)、この冬一番にジョウビタキを見かけました。御用納めの日に出勤する寸前の我が家の庭です。このジョウビタキも愛嬌たっぷりの小鳥で、可愛いですよ。
(2016年12月刊。1300円+税)

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2017年1月11日

ブータン、これでいいのだ

ブータン

(霧山昴)
著者 御手洗瑞子 、 出版  新潮文庫

ブータン、何だか名前の響きからだけでも惹かれるものがありますよね。
GDPではなく、GNHを打ち出したのはブータンです。GDPは国内総生産。GNHは、国民総幸福量。国は人々の幸せを一番に考えるべきであるという考えです。いまの自民・公明のアベ政権とはまさに真逆の方向です。
そんなブータンで日本人女性が官僚の一員として働くようになった体験談が楽しく語られています。
ブータンンの人たちは、政府で働く官僚をふくめ、ほとんどの人が手帳もカレンダーも持っていない。彼らは頭で記憶できる範囲、せいぜい2日後までしか予定を立てない。うひゃあ、こ、これは大変なカルチャーショックです。
ブータンは、九州と同じくらいの大きさの国で、人口68万人。島根県や大田区と同じほどの人口。
ヒマラヤ山中に位置し、チベット仏教を国教とし、ゾンカ語というブータン独自の言語が国語。立憲君主制。
小学校から、すべての授業は英語でおこなわれる。ブータンでは、生前退位が認められていて、2006年に51歳の国王が退位し、26歳の長男が国王になった。
ブータン人は、いつも自信満々。自信にみちあふれ、物おじせず、しっかりと相手の目を見すえて話す。
ブータンでは人見知りする子どもを見かけたことがない。
ブータン人はプライドが高いから、上から指示されるのを嫌う。失敗しても反省しない。何度でも同じ間違いをする。
ブータン人は、喜怒哀楽を、とても素直に、しっかり表現する。よく笑い、よく怒る。
ブータンでは、仕事のあとに飲みに行くことはしないし、夜に外食する習慣もほとんどない。通常は、夕食前に家族全員が家に帰り、手分けして夕食をつくり、一緒に食事をする。
ということは、ブータンではレストランがあまり繁盛していないのでしょうか・・・。
ブータンは、もともと女系社会。男性が婿入りする。相続するのも息子ではなく娘。基本的に妻のほうが一家の主(あるじ)。若い夫婦は妻のほうの家族と暮らすので、嫁姑問題はほとんどない。男性は、自分を婿にもらってくれる家を探すという習慣。
ところが、ブータンの男性は自他ともに認める浮気性。
結婚しても姓の変更はない。そもそも家族を表す姓がない。一部の金持ち以外は結婚式をあげることもない。重婚も可能。ただし、浮気がバレたら、たいてい即、離婚。家を追い出される。
ブータンでは、夜這いの習慣がまだ残っているらしい・・・。
私も一度はブータンという国に行ってみたくなりました。まさしく、ところ変われば、品変わるですね。
(2016年6月刊。590円+税)
福岡・天神でドイツ映画『アイヒマンを追え』をみてきました。ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺に深く関与した元ナチス親衛隊中佐アイヒマンの捕獲・裁判について『ハンナ・アーレント』『アイヒマン・ショー』に次ぐ映画です。
ドイツのヘッセン州検事長フリッツ・バウアーは映画『顔のないヒトラーたち』で紹介されましたが、ナチスによるユダヤ人のホロコースト実行犯たちに対するアウシュヴィツ裁判を推進した立役者でもありますが、この映画ではアルゼンチンに潜伏していたアイヒマン捕獲の手がかりをつかんだ重要人物として描かれます。当時、ドイツの官僚システムのなかには、旧ナチ残党がまだまだ幅をきかせていて、ナチスの残党の摘発を躍起となって妨害していたのでした。
ユダヤ人の大量虐殺をはじめとするナチスの蛮行はおぞましいものがあります(この映画では、その点の描写はまたくありません)が、それにドイツが正面から向きあおうとしてきた努力がフランスをふくむ周囲の国々から評価され、今日のEUが成立しているわけです。その点、日本では過去の歴史的事実にきちんと向きあおうとすると「自虐史観」だとかいって足をひっぱる声がかまびすしいのは本当に残念です。
韓国や中国と仲良くしないで、日本の豊かで平和な生活がありえないのに、今の安倍政権はそれと真逆の政治を突っ走るばかりで、許せません。

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2017年1月12日

虎徹幻想

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 下里正樹・宮原一雄 、 出版  新日本出版社

 戦前、特高警察のやったことを元特高課長夫妻に取材した結果をレポートした本です。
 取材に応じたのは、元警視庁特別高等警察課長・纐纈弥三(こうけつやぞう)です。
 纐纈は一高から京都帝大法学部に進み、内務省に入った。特高課長を経て、大分県知事などを歴任した。戦後は公職追放となったが、戦犯解除後には自民党の衆議院議員を4期つとめた。3.15と4.16という共産党弾圧の功績に対して、双光旭日勲章が授与されている。 
戦前の特高係員は、刑事訴訟手続きをまったく超越して仕事をしていた。
3.15弾圧のとき、特高課が把握していた共産党員は70人。ところが、1600人も検挙した。その九割までが検挙する必要もない人々だった。
 女性革命家は、性格が強すぎて困った。男とちがって、女性の政治犯はしぶとい。あのしぶとさは閉口させられた。女性はいったん「こうだ」と思い込んだらテコでも動かない。絶対しゃべらないんだ。なだめても、すかしても、脅かしてもダメ・・・。男のほうは比較的簡単だった。ちょっと迫れば、べらべらじゃべるものもいた。なかには、特高にしゃべらなくてもいいことまで、すすんで話すようなサービスのいい男性党員もいた。鍋山貞親もその一人。
 初代の特高部長に纐纈は当然に自分がなるものと考えていたところ、安倍源基が二階級特進して、特高部長となった。この人事は、纐纈にとって、よほど腹にすえかねるものだった。
纐纈は、客のもってきたものは、まず妻君に毒味させ、客が食べたあと、自分が食べるというように用心を重ねていた。妻君は、特高のやったことがひどかったから、恨みを受けて、いつかは夫は誘拐され、仕返しされると恐れていた。
 スパイは、「組織に知られないように頼みます」とか「殺獄しないでほしい」となんども懇願しながら、夫に秘密を守ってくれるように念押しをしていた。
 纐纈は特高課長としての機密費をもっているから、党内情報と引き替えに、お金をスパイに与えていた。纐纈は特高課長をやったことを誇りに思っているけれど、妻の私は、とてもそういう気分にはなれない。特高の家族もまた被害者だということを知ってほしい。
 特高課長の妻であっても、内心では特高のやっていることは、感心できることではないと思っていた。 
特高課長の妻だった女性の告白は、なるほどと思いました。
機密費は、課長分だけで月5百円あった。月給は月百数十円だった。
 スパイの要請なくして共産党対策はない。スパイをつくるためには、党員個人の持つ弱点を徹敵的に研究する。そして狙いをつけた者にじわじわと接近する。ときに、本人の弱点が党の機関に知られておらず、知られるとこっぴどい処分を受けるような弱点にかぎる。
 公安係の子どもとして育った人の話をきいたことがありますが、家庭内がなんとなく暗い雰囲気だったとのこと。子どもに話せないような仕事をしているのですから、それも当然でしょうね。スパイを養成し、スパイを操って党内情報を探るのを一生の仕事にしている人の人生って、どれだけの価値があるのでしょうか・・・。お天道様の下を堂々とあるけるほうが、よほどいいですよね。
 生前の特高警察の実態を暴いた貴重な本です。


(1991年1月刊。1800円+税)

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2017年1月13日

アレクサンドロスの征服と神話

アジア

(霧山昴)
著者 森谷 公俊 、 出版  講談社学術文庫

紀元前334年、アレクサンダー大王(本書ではアレクサンドロス)はマケドニアを出て東方遠征に出発し、わずか10年でギリシャから小アジア、フェニキア、エジプトさらには広大なペルシア帝国まで征服し、インダス川に至るまでの空前の大帝国を築いた。
なぜ、30代と若いアレクサンダー大王にそれが可能だったのか、そして、大王の死後たちまち大帝国が四分五裂してしまったのか・・・。
その謎を本書は解き明かしています。
アレクサンダー大王は、征服された側からみたら、まぎれもない侵略者だ。いったい何のための遠征だったのか・・・。反面、アレクサンダー大王は、諸民族・諸文明との平和共存を目ざしてもいた。
ところで、アレクサンダー大王の墓は発見されていない。各地に建設した都市アレクサンドリアもエジプトを除いて消滅してしまっている。
アレクサンダー大王の帝国は、変幻自在で、その中心は遠征軍とともに絶えず移動していて、留まることがない。そして、首都は、アレクサンダー大王のいる何ヶ月間かのことでしかなかった。
支配体制に一貫した原則は認められない。統治方法も、征服した都市や地域の多種多様な条件と伝統に適応して、多様だった。これを寛容政策と呼んでもいいが、放任とも言える。
アレクサンダー大王は、カメレオンのように姿を変えていった。まずマケドニアの王、エジプトのファラオ、バビロニアの王、そして、ゼウスの子であり、アモン神の子を自称した。
アレクサンダー大王は、すべてを星雲状態のままにして、この世を去った。
アレクサンダー大王を、マケドニア人将兵は絶対的に信頼していた。これが東方遠征の基礎だった。マケドニア軍の中核をなす騎兵部隊は、8隊1800人から成り、仲間とか朋友を意味するヘタイロイという美称をつけて、騎兵ヘタイロイと呼ばれた。
マケドニア歩兵には、ベゼタイロイという重装歩兵部隊があった。1500人の部隊が6隊、900人から成る。長さ5.5メートルにおよび長槍をもつ密集戦列を組んで戦う。前2世紀にローマ軍に敗れるまで、不敗だった。
そして、攻城塔をもち、石弾を打ち出す射出機をもって都市の城壁を攻め落とした。
ギリシア人はマケドニア人に制服された民族でありながら、アレクサンダー大王の帝国では支配者側の一員だった。しかし、両民族の間の壁は深いままだった。
アレクサンダー大王がペルシア帝国を倒して、そこを支配するときペルシア人を登用していったことに、マケドニア人たちの不満が高まった。
アレクサンダー大王は、旧ペルシア領を治めるには、ペルシア人貴族の協力が不可欠であることを認識していながら、肝心の彼らとの間に安定的な統治システムを構築することができなかった。
アレクサンダー大王は、将兵に対して機会あるごとに功績に応じた褒美を与え、部下たちを名誉のための競争へと駆り立てた。すべてのマケドニア人が追求したのは名誉だった。
すべての将兵の出世が王一人の決断に依頼している以上、宴会では側近同士が王の溺愛を求めて争い、激しいつばぜりあいを演じた。
古代マケドニアの社会は、ギリシアと同じく、男性同士の同性愛によって成り立っていた。アレクサンダー大王は、発病してわずか10日目で亡くなった。33歳になる直前だった。
アレクサンダー大王は、父の7回の結婚による騒動を経験しているため、王族の結婚は、王権にとって利益よりむしろ混乱をもたらすと考えたのではないか。自分が結婚すれば、妻の一族と、妹たちが結婚したら、その夫の一族との利害関係が王権にからんでくる。それによる王国の不安定化は避けなければいけないというのが父の結婚から学んだ教訓だった。そして、アレクサンダー大王自身が世継ぎをもうけて王朝を継続させようという観念をもっていなかった。22歳の大王は、まだ自分ひとりの名誉を追求することしか頭になかった。その代償は重かった。
結局、大王が死んだとき、まともな後継者がいなかった。それによって王家は滅亡するしかなかった。
とてもよく分かる分析がなされている文庫本でした。
(2016年2月刊。1230円+税)

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2017年1月14日

文明開化がやって来た

日本史(明治)

(霧山昴)
著者 林 丈二 、 出版  柏書房

明治時代の実相を、当時の新聞の挿絵(さしえ)で紹介しています。なるほど、そうだったのかと、何度も頭を上下させてしまいました。
日本人って、活字大好き人間が多いですけど、今も新聞にはマンガが絶対に欠かせませんよね。新聞マンガと言えば、サザエさんにサトーサンペイに、今では「まんまる団地」ですね。
ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。断髪令が出たのは明治4年。散切り頭の普及は、それなりにすすんだのですね。散髪普及率は、明治5年に10%、明治8年に20%、明治10年に40%、明治13年に70%。西南戦争は明治10年でしたよね・・・。
チョコレートが日本で売られたのは明治11年。風月堂は、日本で初めて西洋菓子の「ショコラート」、つまりチョコレートを販売した。明治19年の新聞広告には「チャクレッ」と書かれているが、これもチョコレートのこと。
明治11年7月の新聞に、風月堂は「アイスキリム」宣伝している。アイスクリームだ。50銭する。このころ、東京・銀座の店で氷水が一杯4銭だったので、一桁ちがう高さ。ところが、明治22年の挿絵では4銭にまで下がっている。
明治17年ころから、日本でも、いろいろビールが売られるようになった。
長屋では、「長屋の犬」として共同して犬を飼い、番犬にしたてあげ明治15年から19年にかけて、ピストル強盗が東京で連続して発生した。ピストルって、このころ、案外、容易に手に入っていた。
明治の生きていた人々の風俗を目で見て知るためには欠かせない本です。絵の訴求力は、たいしたものです。
(2016年10月刊。1800円+税)

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2017年1月15日

寿命はなぜ決まっているのか

人間


(霧山昴)
著者 小林 武彦、 出版  岩波ジュニア新書

寿命があるのはなぜか。これって、少し考えると簡単なのですよね。人間が不老長寿の存在だとしたら、新しい人間は生まれる必要がないし、生れたら、増える一方なので、住むところもないほど、あふれてしまうでしょう。
つまり寿命がないと、世代の交代はできない。新しい命が誕生できなくなり、進化も起こらない。
生命は淀みなく流れる川。常に入れ替わり、新しい流れをつくる。それが唯一、自分を育んだ集団を、ずっと先の子孫まで継続させる手段なのだ。
個人にとっては、寿命があることから何か寂しい感じがする。しかし、生命の連続性を維持するということでは、非常に積極的で、生物が若返るためには必須のもの。
動物と植物とでは、寿命を単純に比較することは出来ない。
動物は、基本的に身体を構成する、すべての細胞を維持することで「生きている」状態になる。
植物、ことに樹木の場合には、細胞分裂をしているのは、幹の外側や先端、そして葉や根の一部のみであり、ほかの細胞の多くは分裂しないか、既に死んでしまっている。
人間の脳には140億個の神経細胞がある、人間は赤ちゃんのときから1日に10万個ほどずつ死滅してしまう。平均寿命までに、20~30%の神経細胞が消えてなくなってしまう。
しかし、もともと脳は、その一部しか使っていない。だから、神経細胞の減少は、脳の老化の主要な原因ではない。むしろ、ある程度は数が減ることが神経細胞のネットワーク形成に重要なのだ。
人間の寿命について、またまた有益なアドバイスをいただきました。ありがとうございます。
(2016年2月刊。840円+税)

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2017年1月16日

進化

生物

(霧山昴)
著者 カール・ジンマー 、 出版  岩波書店

生物の進化に関する面白い興味深い話が盛りだくさんの大型本です。
ダーウィン・フィンチの写真があります。ガラパゴス諸島に生息するフィンチのくちばしが、こんなに異なっていることに驚かされます。ダーウィンは、これによってすべての生物は進化したのだと結論づけたのです。
人間が音を聞くのに使っている骨は、かつて人間の祖先がものをかむのに使っていた骨である。
化石から、鳥がどのようにして恐竜から進化してきたのかが分かる。羽は、恐竜の子孫たちが空を飛べるようになるはるか以前に、恐竜のからだに進化し、単純なトゲのようなものから、ふわふわした羽毛になり、最後には飛行中の動物を支えられるようになるまで、徐々に進化してきた。
羽毛をつくっている遺伝子は、もともとウロコをつくっていた。その後、皮膚の一部は、羽毛をつくるために使われるようになった。
光が眼に入ると、オプシンというタンパク質にぶつかる。オプシンは光受容細胞の表面にあり、それが光子をとらえると、一連の化学反応の引き金を引いて、光受容器が脳に向かって電気信号を送ることになる。
初期の眼は、おそらく明るいか暗いかが分かるだけの、実に単純な眼点にすぎなかった。ずっとあとになって、いくつかの動物に、光の焦点を合わせて像が結べる球状の眼が進化した。像が結べる眼にとって決定的に重要だったのは、光の焦点を合わせるレンズの進化だった。レンズは、クリスタリンとよばれる驚くべき分子でできているが、クリスタリンは、からだのなかでもっとも特殊化したタンパク質のひとつである。透明だが、入ってくる光線を曲げ、網膜に像が結ばれるようにする。クリスタリンは、また身体のなかでもっとも安定なタンパク質であり、その構造は何十年と変化しない。ちなみに、白内障は、老年期にクリスタリンが固まることで生じる。
古生物学者は、かつて存在したすべての種の99%が、この地球上から絶滅したと推定している。今日存在している昆虫のすべての料の50%が2億5000万年前にも存在していた。2億5000万年前に存在した四足(しそく)類のどのひとつの料も、現在は存在しない。
植物を食べる能力は、昆虫に大量の食料を提供する。植物を食べることが昆虫の多様性を爆発的に増やした。
動物はカンブリア紀に突然この地球上に降ってわいたのではない。進化してきたのだ。
鳥のメスは、単純なさえずりのオスよりも、複雑なさえずりを歌うオスを好む。カエルのメスは、夜間に小さな声で鳴くオスよりも、大きな声で鳴くオスを好む。
つがいを形成する鳥たちの多くは、見た目ほどには互いに対して忠実ではない。つがいを作っている鳥たちの巣にいるヒナのDNAを分析すると、しばしば、そのうちのかなりが、母親のつがいのDNAでないことが判明している。母親は、つがい相手以外のオスと交尾しているのであり、つがい相手は一生けん命そのヒナを育てている。
カモなどの水鳥の交尾の3分の1は強制交尾だ。ところが、望まれないオスが実際にヒナの父親になるのは、わずか3%でしかない。メスは、体内で精子をコントロールし、侵入者の精子よりもつがい相手の精子を優先させている。
夜の照明と飛行機による長時間の飛行は、ともにガンのリスクを上昇させる、ホルモン周期を撹乱させるからだろう。
学習した頭の良いハエは、15%も寿命が短くなる。より長く生存するのは愚かなハエのほうだ。うひゃあ、そ、そうなんですか・・・。
(2012年5月刊。5600円+税)

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2017年1月17日

役者人生、泣き笑い

社会

(霧山昴)
著者 西田 敏行 、 出版  河出書房新社

私と同じ団塊世代です。私にとっては、正月映画の『釣りバカ日誌』のハマちゃんですね。お正月には、家族みんなで寅さん映画をみて、さらに時間に余裕があれば『釣りバカ』をみていました。
森繁久弥のアドリブに対して即興で対応できたというのですが、宴会の席でも即興で歌をつくってうたったというのですから、たいしたものです。
役者としてヒットする前は、六畳一間のアパート生活。風呂も電話もない。二人分の銭湯代がなくて、妻を銭湯に行かせて、本人は水道で身体をふいてすませていた。小さな冷蔵庫のなかはいつも空っぽ状態。
「今に冷蔵庫の中をおいしいもので一杯にしてあげるからね」。夢のまた夢のようなことを妻に言っていた。5キロ入りの米袋がカラになると、芝居仲間の家に「もらいメシ」に二人して出かけていた。
私は司法修習生のときに結婚したのですが、貧乏な新婚旅行だったので、同じクラスの修習生の新婚家庭(長崎)に泊めてもらうなどしていましたが、途中で所持金がなくなり、奈良の修習生宅にたどり着いて、そこで借金して、なんとか東京まで帰り着くことが出来ました。ですから、友人さえいれば、お金がなくても生きていけるという実感があります。
中学生までは福島の学校で人気者だったのが、東京に出て高校生活を始めると、福島なまりが恥ずかしくて、コンプレックスの塊になってしまった。だんだん暗い、表情のない少年になっていった。そこでとった解決策は、東京の人間になろうという努力はやめて、カッペとして開き直るというもの。
実はスマートに見えていた同級生だって、実は本当はカッペばっかりだったということが分かってきた。それからは、著者は、人間として地を出して演技をして、それが受けるわけです。そうすると、役者として演じている自分が、どちらが本当の自分なのか、自分でもよく分からなくなるのだそうです。なんとなく分かる話です。
『釣りバカ日誌』は三國連太郎とともに22作も「ハマちゃん」を演じたのですから、本当にすごいことですね。
著者は歌はうたえるけれど、音譜は読めない。聞こえるままを真似で、それを丸暗記してうたう。
こりゃまた、すごいですね。私も音譜は全然よめませんが、ともかく目で活字を確認しないと頭に入ってきません。耳だけで丸暗記なんて無理です。ですから、語学も苦手なのです。
著者は小学生のころから、たくさんの映画をみていたそうです。私も親に連れられて映画館にはよく行きました。
著者もこの本に書いていますが、鞍馬天狗の映画では、杉作少年が悪漢に捕まりピンチになっているところを、白馬にまたがった鞍馬天狗が街道を疾走してくるのです。映画館内は騒然として、大人たちもみな立ち上がり、拍手、大拍手そして大歓声です。
拍手のなかで、鞍馬天狗は悪人どもをやっつけるのでした。胸がスカッとして、みんなで胸をなでおろして帰路に着くのです。その役者ぶりをみて著者は役者にあこがれ、一人で東京まで行ったことまであるというのですから、驚きです。
今日の著者をつくったのは、もちろん本人のその後の努力もあるでしょうが、少年時代に体験したことが生きているのだとつくづく思ったことでした。
西田敏行の初の自伝だということですが、私は仕事の行き帰りに、車を停めて「道の駅」でコーヒーを飲みながら一気に読了しました。至福のときでした。
ただ、心筋梗塞で倒れたりしたこともあるようですから、もう暴飲暴食はほどほどにして、今後も末長く役者人生を歩んでほしいと思いました。
(2016年11月刊。1600円+税)

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2017年1月18日

男という名の絶望

人間

(霧山昴)
著者 奥田 祥子 、 出版  幻冬舎新書

しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
相田みつをの言葉です。たしかに、そのとおりですよね。でも、簡単なようで、これが実に難しいのです。つまり、他(はた)から見た姿を想像してしまうからです。
この本で、一番、私の心にグサリときたのは、小学二年生になったばかりの女の子の次の言葉です。
「パパとママは、なんで、仲のいいフリをしてんの?」
パパもママも、それぞれ外に好きな人がいるのを、娘はとっくに見抜いていたというのです。なーるほど、ですね・・・。
男性は今、仕事では、労働環境の悪化から職業人としての誇りを保てず、かたや家庭では、妻と心を通わせることができず、子どもとの関係もふくめた家庭不和に直面している。夫、父親としての自らの価値、存在を見失い、もがき苦しんでいる。
なかでも、中年期を迎えてリストラのターゲットとされながら転職も難しく、晩婚化も影響して、まだ育児や子どもの教育に手のかかる団塊ジュニア世代をはじめとする、四十歳代男性に、その傾向が顕著だ。「男は、こうあるべき」という社会、そして、女性からは容赦ない要請を受け、それにこたえきれない。
そこで、心の中で白旗を掲げながらも、かたくなにから(殻)に閉じこもってしまっている。
このところ、解雇の専門ノウハウを有する人材コンサルティング会社と契約して、リストラを代行させる会社が増えている。リストラ対象の社員に対して、業務命令として社内で人材コンサルタントのキャリア相談を受けさせる。このときは、退職のことは一切触れない。そして、「研修」名目で、人材コンサルタント会社に行かせる。このようにして会社は、自ら手を汚さず、社員を辞職へもっていく。その手法は、ますます巧妙化している。裁判になって、会社が退職を強要したと言われないためである。
産業医に正直に話したことが悪用された例もある。
安倍政権は解雇規制を緩和しようとしているが、転職市場が停滞している現状での解雇規制の緩和は、労働者にとって、ますます不利になるだけだ。
既婚女性の仕事関係の不倫は多い。共通点は、不倫相手の収入が夫より高いことが多いこと。夫は知っていると思うけど、何も言わない。夫の定年でも離婚する気はないと、彼女らは口をそろえて言う。
夫婦間のDV被害者のうち、実は男性もある程度の割合を占めていて、しかも増加傾向にある。
苛酷な職場環境にある男性にとって、妻子には認められているという、他者からの承認欲求共同体であるはずの家族が、実際には互いに心を通わすことなく、気持ちがすれ違い、本来の機能を果たしていないという現実は、たしかに受け入れがたいものがあるだろう。だが、かつてのように夫が揺るぎない主導権を握る家庭というのは、そこにはない。にもかかわらず、その現実を直視できないがために、幻想的な「居場所」へ男性は固執しようとする。
未成年の子どもの親権者が父親になるのは、全国でわずか1割でしかない。
まさに男はつらいよ、を実証したとしか言いようのない本です。といっても、絶望しているだけでは、どうしようもありません。
(2016年3月刊。800円+税)

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2017年1月19日

南朝研究の最前線

日本史(鎌倉時代)

(霧山昴)
著者 呉座 勇一 、 出版  洋泉社歴史新書y

日本に二つの朝廷が併存していた時期が60年近くも続いたことがありました。鎌倉時代末期の南北朝時代です。後醍醐天皇が吉野に南朝を樹立したのが始まりです。
戦前は、この南朝が正統とされ、楠木正成や新田義貞が忠臣で、足利尊氏は逆賊とされていた。戦後になって、それが逆転してしまった。楠木正成は、むしろ「悪党」とされた。
この本は、最新の研究成果をふまえて、従来の通説をいくつもの点で覆しています。
後醍醐政権(南朝)には、旧幕府の武家官僚が多く参加し、その政権が崩壊すると、次に室町幕府に活躍の場を求めた。したがって、鎌倉幕府~建武政権~室町幕府のあいだには、スタッフの連続性が認められる。後醍醐天皇の人事は、良く言えば堅実、悪く言えば平凡なものだった。
朝廷の政治は、政権を担当する院・天皇と評定衆(議定衆)とが協力して進められていた。政権を勝ちとるために有効な方法と考えられていたのが訴訟制度の充実だった。
訴訟を扱う記録所に訴訟当事者が口頭弁論をする「庭中(ていちゅう)」と呼ばれる法廷を設けた。さらには、院への取り次ぎ役である伝奏(でんそう)を訴訟処理の中枢に起用することで、より早く裁許が出せるよう改善した。
どの政権も、徳政に取り組んでいることをアピールするため、訴訟制度の整備に心血を注いでいた。
日本人は昔から裁判を嫌っていたという俗説が一般化していますが、弁護士を40年以上している私は、決してそんなことはないと日々、実感しています。むしろ、日本人は、文章を書けることがあたりまえだったので、昔から裁判で決着をつけようと考えている人のほうが多かったのです。
鎌倉時代の後期、荘園社会の動揺などから、朝廷に持ち込まれる訴訟が増えていて、それを裁決する治天の君が果たす役割が大きくなっていた。
朝廷の公家たちにとって、多くの先例をうち破った後醍醐の斬新で意欲的な政治姿勢など、狂気の政道にすぎなかった。
天皇は、記録神話によると、最高の祭祀者として神聖視される存在であった。そのため、天皇は、退位して上皇になることで初めて、仏教に積極的に関わることが認められた。
南北朝の対立・抗争事件の実情をよく知ることのできる意欲的な新書です。
(2016年7月刊。1000円+税)

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2017年1月20日

ゾロアスター教3500年の歴史

イラン

(霧山昴)
著者 メアリー・ボイス 、 出版  講談社学術文庫

ゾロアスター教というと、拝火教として、火を崇拝する宗教だと連想してしまいます。松本清張の本もありましたよね・・・。
ゾロアスター教は、イラン人であるゾロアスターが説いた宗教である。イラン人は、今でこそ、ほとんど全部がイスラム教徒だが、その前はゾロアスター教徒だった。
ゾロアスターは、善の原理の正しさとその究極的な勝利に深い確信をもったので、生命あるうちに善を選択してアフラの戦いに尽力した人間は、死後に裁判を受けて天国に行くことができるが、逆に邪悪に従った者には地獄の苦しみがあることを初めて説いた。信者たちの日々の悪との戦いを助けて善の勝利を招来すべく、未来には救世主が現われるという希望を与え信者たちの支えとした。
このようなゾロアスターの独創的な思想は、世界の宗教史上、画期的なものだった。世界の三大宗教たるキリスト教、イスラム教、仏教に大きな影響を与えた。
ゾロアスター教は、啓示によって開かれた世界宗教の最古のものである。
イラン人であるゾロアスターが生きていたのは紀元前1400年から1200年の間であった。
ゾロアスターによれば、人が死ぬと、その魂は、現世で善という大義を助けるために何をしたかについての審判を受ける。男も女も主人も召使いも楽土に行ける希望がある。このようにゾロアスターは教えた。橋を渡れるのは、それぞれの霊が生存中にもっていた権力や、豊富な供物をしたか否かではなく、倫理的な実績による。
ゾロアスターは、個々の審判、天国と地獄、肉体のよみがえり、最後の大審判、再結合された魂と肉体の永遠の生というのを、初めて説いた。
すべてのゾロアスター教徒は、男でも女でも紐を腰紐として身につけ、三度、腰のまわりをまわしたあと、前と後で結び目をつくる。入信式は15歳で行われ、その後は生きている限り毎日くり返して、信者は祈りのときに紐を解いて結び直さなければならない。一日に五度祈る義務は、すべてのゾロアスター教徒を拘束した。
人間は死んだ瞬間から死体は高い伝染性をもつかのように扱われ、職業的な葬儀人や死体運び人以外は近づけない。
葬儀は穢れた肉をすみやかに破壊すること、霊を自由にしてそれが天に昇るのを保障することを目的とする。
ゾロアスター教は、教義をもち、改宗をすすめた世界宗教の最古のものであるが、いろいろな力関係のもとで伝道活動が制限されたため、実質的にイランの民族宗教となってしまった。ただ、そのため、ヘレニズムの多神教とも平和的に共存することができた。
ゾロアスター教徒を苦しめる一つの方法は犬をいじめること。現在、ムスリムは犬を不潔な動物として敵意を示す。しかし、ゾロアスター教徒は、並々ならず犬を敬う。
1900年ころ、イランには1万人のゾロアスター教徒がヤズドとその周辺に住んでいた。
1976年には、総数12万9千人で、そのうち8万2千人がインドに、5千人がパキスタンに、そしてイランには2万5千人(テヘランに1万9千人)が住んでいた。
日本人にはあまりなじみのないゾロアスター教について、深く解説のなされている本だと思いました。
(2015年4月刊。1300円+税)

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2017年1月21日

ペンギンの楽園

生物

(霧山昴)
著者 水口 博也 、 出版  山と渓谷社

 パンダも大好きですけど、ペンギンもまたいいですよね。
 旭山動物園の冬のペンギンの大行進をぜひ間近に見てみたいと思います。
 ペンギンと言えば、あのコウテイペンギンの子育てのすさまじさには泣けますよね。3ヶ月も飲まず食わずで、足の上でヒナを育てる。そして、極寒の地で、ブリザードを浴びながら身を寄せ集まって耐え忍んでいる光景なんて、まったく感動するしかありません。
海から帰ってきた親は、大勢のヒナ集団の中から、自分のヒナを声で見つけ出して、エサを与える。親が事故にあったら、ヒナは餓死するしかないのですね・・・。
 ジェンツーペンギンが大勢そろったところで、一斉に氷上に飛びあがるのは、氷縁に恐ろしいヒョウアザラシが潜んでいるから。危険地帯をみんなで一気に乗り越えようというのだ。
 アデリーペンギンが個体を減らすなかで、ジェンツーペンギンは圧倒的に個体を増やしている。その原因は、温暖化。雪による影響をアデリ―ペンギンは受けやすく、しかも、前シーズンに営巣した場所にアデリ―ペンギンはこだれるので、子育てがむずかしくなっている。
 ジェンツーペンギンは、場所のこだわりが少なく、エサにも融通性がある。
 ペンギン尽くしの楽しい写真集です。とても行き届いた解説があり、勉強になりました。

(2016年8月刊。1800円+税)

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2017年1月22日

ラーゲリのフランス人

ロシア

(霧山昴)
著者 ジャック・ロッシ、ミシェル・サルド 、 出版 恵雅堂出版

スターリン時代のソ連の収容所に24年間も入れられていたフランス人がいただなんて、知りませんでした。『ラーゲリ(強制収容所)註解事典』を書いた人物です。
ジャック・ロッシは、ソ連のたどってきた道、あまりに多くの犠牲について、その原因はレーニンの路線にあったと明確に指摘する。
スターリンの間違いではなく、レーニンの路線が間違っていたというのですね・・・。
大学生のころ、レーニンの歯切れのよい文章を一生けん命に読んで、なるほど、そうなのかと何度も思った身としては、いくらか違うような気もするのですが・・・。
ジャック・ロッシは、自分のグラーグでの苦難は、自分の選んだ主義、理論、行為の代償であって、当然の報いだとしている。
ヒトラーのナチズムと、レーニンのボリシェヴィキのいずれの責任が大きいのかという問いかけは、虎と狼のどっちが恐ろしいかというのと同じで、その問いかけには意味がないとする。
ジャックの母親はフランス人で、母親はポーランド人の貴族と再婚した。ジャックは16歳のときに非合法のポーランド共産党に入党したが、すぐに逮捕された。出獄すると、コミンテルンの秘密謀報員になった。スペイン戦争のときは、共和国軍のために働いた。このとき、モスクワに召喚されて逮捕された。28歳から、スターリンの死後まで20年間、ジャックはグラーグ(収容所)に入れられた。
グラーグとは、オーゲーペーウーの強制収容所のこと。グラーグの囚人をゼックとも呼ぶ。
ソ連の刑罰のシステムは、ヤクザが他の囚人を手荒く扱うことを奨励していた。もっとも強力なヤクザは、グラーグで支配的な階層をつくって、それを自慢していた。その階級的利害は、ソビエト権力のそれと混じりあっていた。
語学に堪能だったジャックはソ連の刑務当局から日本人の政治犯が入っていた監房に入れられた。そこには、近衛首相の長男の近衛文隆もいた。ジャックは、ここで内藤操(内村剛介)と、親しくなった。
すさまじいラーゲリの内情が静かに語られている本です。繰り返してほしくない歴史です。
(2004年9月刊。3000円+税)

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2017年1月23日

野生動物カメラマン

生物

(霧山昴)
著者 岩合 光昭、 出版  集英社新書ヴィジュアル版

ライオンとハイエナ。どちらが強いか・・・。2頭のハイエナを12頭のライオンが襲いかかったとき、ハイエナはライオンに殺されてしまった。
5頭のハイエナがエサを食べているところに1頭のライオンがやってきたら、ハイエナに追い払われてしまった。
獲物の横取りが得意なのは、ハイエナよりも、むしろライオンのほう。ライオンの狩りが成功するのは10回に1回ほど。決して狩り名人とは言えない。
ハイエナは獲物の肉や内臓だけでなく、骨もかみ砕いて食べる。胃腸は大丈夫なので消化ができ、カルシウムだけが残るので、糞は白い。
ライオンは軟らかくておいしい肉を食べるから糞は軟らかく、非常に臭い。
ザトウクジラは、暖かい海で子どもを産んで育てる。子育てのあいだ、親(メス)は何も食べない。南の暖かい海にはクジラの食べるものは何もない。
なぜクジラは海面を出てジャンプするのか、その理由は分かっていない。
ペンギンのヒナは夏が終わって産毛がすっかり落ちてしまうまで、海で泳げない。産毛が残っていると、海水がしみ込んでしまうからだ。
地獄谷のサルにとっては、人間にはちょっと熱めの42度くらいが一番心地よいようだ。
野生動物をよく見ていると、彼らもまたこちらをよく見ていることに気がつく。そして、あいつは危害を加えるものではないとして、警戒心を解いてくれる。そうすると、ライオンが狩りを見せてくれることもある。ええっ、それでも怖いですよね。
いわごうさんの写真は、どれも動物が生きています。生命の躍動感がありますよね。
(2015年12月刊。1200円+税)
フランス語の口頭試問を受けました。
3分前にペーパーが渡されます。一問目は天皇の生前退位をどう考えるかというものです。これは、日本語でも難しい問題ですからフランス語で話せる自信はなく、すぐにパス。二問目は子どもの虐待が日本で増えていることをどう考えるかというものでした。暴力とネグレクトの2種類あると話したのはいいのですが、親自身がその親から愛情たっぷりに育てられていないことも原因だと言いたかったのですが、フランス語になりませんでした。トホホ・・・。
3分間スピーチには、いつも苦労しています。

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2017年1月24日

気骨、ある刑事裁判官の足跡

司法

(霧山昴)
著者 石松 竹雄 、 出版  日本評論社

著者は裁判官懇話会の世話人の人でした。裁判官懇話会は宮本康昭さん(13期)の再任拒否があった昭和46年(1971年)に発足しました。私が司法試験を受けて合格した年のことです。そして、平成18年の20回懇話会で幕を閉じています。
懇話会の内容は判例時報に詳しく紹介されていますし、本にもなっています。
多いときには、現職の裁判官が全国から300人も参加していましたが、20回目には、42人の参加しかありませんでした。
なぜ、懇話会が衰退してしまったのか、著者はいくつか理由をあげています。若い裁判官を獲得できなかったし、意識的な勧誘を怠ったことによるとしています。
裁判官志望の修習生や判事補に対して徹底的な骨抜き教育が行われた。分からないときには、先輩裁判官や裁判長の言うとおりにしておけ、判例があれば何も考えずにそれに従っておけ、令状で判断に困ったら検察官の主張に従っておけば間違いはない・・・。
そして、思想・信条を理由としか考えられない新任判事補の任官拒否が相次いだ。
裁判官懇話会が分科会に重点を置く、いわゆる実務路線をとり、ほとんど司法当局に抵抗らしい抵抗をすることをしなかったのは失敗だった。
裁判官は、真面目に事件だけをやっていればよいという風潮が裁判所を支配してしまった。
裁判官、裁判の独立というのは、結局、裁判官個々人が孤立していたのでは、決して守れるものではない。ドイツなど、ヨーロッパでは、裁判官連盟のような、裁判官の組合的な組織がある。日本に、そのような組織がないのは問題だ・・・。
現実の裁判官のなかには、「裁判官・検察官同一体の原則」とでもいうような検察官との一体感をもっている人がいた。
いえ、これは今でも少なからずあるのではないでしょうか・・・。私はそう考えています。
著者は裁判官を退官して弁護士になり、大阪弁護士会に登録しています。そして、大阪弁護士会で九条の会の代表呼びかけ人にもなっています。
著者は学徒動員とか兵役を経験したことから、平和運動にも関心をもち、行動しているのです。これまた、すごいことですね。
気骨のある裁判官が本当に少なくなったと思います。やる気の感じられない、行政追随しかしない裁判官があまりに増えてしまいました。もっと、自分の足で大地に立って、司法当局なにするものぞと声を大いにして呼んでほしいものです。
気骨ある裁判官の勇気ある歩みに接して、我が身を握り返り、思わず襟を正してしまいました。一読を強くおすすめします。
(2016年9月刊。1400円+税)

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2017年1月25日

企業内法務の交渉術

司法

(霧山昴)
著者  北島 敦之 、 出版  中央経済社

 弁護士にとって交渉をうまくすすめるのは大切な仕事のひとつです。でも、これがなかなか難しいのです。経験年数としては超ベテランに入るはずの私も、相手方と交渉するときは、とても緊張します。
 この本は、社内で信頼される法務部員になるためにとして書かれていますので、弁護士向けではありませんが、弁護士が読んでも大変役に立つ本として、少し紹介します。
 ビジネスにおける交渉は、まずビジネスとは何かを理解する必要がある。ビジネスは戦争ではなく、最後にはちゃんと仲直りができる「ケンカ」のようなもの。ビジネスは、信頼をベースにした合意によって形成されていくのであり、交渉は当事者間の主張を出しあうことで、お互いに合意できる着地点を見出すためのプロセスだ。
 交渉には陣取り合戦の意味もある。最終的にこちらの欲しい条件が得られたらよし、相手に何も残らないような交渉は無理がある。それは、時間がかかり、感情的なしこりが残って、よろしくない。
そうなんですよね。ゼロか100か、ではない、感情的なしこりの残らないほうがいいのです。
この交渉は誰のためにするのか、交渉相手方は誰なのかを、しっかり認識しておくこと。
 合意すべき相手側の心が、かたくなになるような雰囲気に追い込むのは得策ではない。
交渉する前に、きちんとしたシナリオをつくる。実際にはシナリオどおりに事はすすまないことは多い。それでも、シナリオを書きながら、交渉のシミュレーションをしている感覚になって、想定外の事態が起きても柔軟に対応できる。作成したシナリオは、交渉チーム全員で共有しておく。
交渉するときには、相手方の了解を得て録音する。ただし、無断で録音されている可能性があることを常に念頭においておく。
基本的に、相手側にはできるだけ話をさせる。これが交渉をスムーズにすすめるために欠かせない。忍耐を必要とするが、相手側が何を考え、何について心配し、どのように交渉を持ってきたいと考えているのかを理解することができる。そこからビジネスの合意形成に向けての交渉は始まる。
 当方に契約不履行の事実があることが明らかになったときには、交渉に入る前にきちんと謝罪することが欠かせない。文書を作成するときには、その内容・表現ともに、万一公開されたとしても非難の対象とならないよう、関係部署の確認を得ておくなど、慎重に対応する。
 弁護士に相談するときには、もし訴訟になったら、裁判所はどう判断するのか知見をもっている人に相談する。それをもっていない弁護士に相談しても意味がない。
交渉を上手にすすめるためには次の四つが大切。
 ①ごまかさない。②相手をミスリードしない。③交渉を楽しむ。④相手も楽しませる。
 交渉は人間が行うものであり、人間の心の動き、気持ちといったものについての理解を深めるほうが交渉を楽しむことができる。交渉力をあげることは、世間の出来事や事象に興味をもち、人に対する愛情や信頼を醸成していくこと尽きる。
 長く総合商社につとめ、法務部で活動してきた体験をふまえていますので、説得力があります。そして、文章が平易で読みやすいのです。一気に読めました。交渉力をつけたいと願う弁護士にとって、大いに読まれるべき本です。
(2017年1月刊。2500円+税)

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2017年1月26日

車いす弁護士奮闘記

司法

(霧山昴)
著者 髙田 知己 、 出版  金融財政事情研究会

著者は茨城県弁護士会に所属する新60期の弁護士です。
高校を卒業してまもなく交通事故を起こし、そのために車いす生活となり、紆余曲折のあと司法試験を目ざして、法科大学院を経て弁護士を開業(即独)しましたが、今では弁護士6人、事務職員7人の法律事務所の所長としてがんばっています。
水戸地裁土浦支部のすぐ隣に事務所を構えていますが、いわゆる町弁(まちべん)です。一般民事、交通事故、労働問題、家事事件、借金問題、そして刑事事件を取り扱っています。恐らく土浦には大企業がないのでしょう。企業間の交渉や買収など、企業法務は掲げられていません。
弁護士の仕事は、人々が人生最大の危機にあるとき、その人の人生や生活に深く入って、一緒に考える仕事。とても大変で労力がいるけれど、その人の新たな出発の手伝いができるところにやりがいを感じる。
仕事だから辛いと思うことも少なくはない。でも、これほどやりがいのある仕事はないと思うくらい、夢中で打ち込める仕事だ。
弁護士は、なんといっても自由な仕事であり、どんな人でも、その個性を生かすことのできる職業だ。
この本では、車いす生活に慣れるまでの状況、そして司法試験を目ざしてからの生活ぶりが紹介されていて、司法試験へ向けてのガイドブックにもなっています。
さらに、車いす生活者からみた現代日本社会のさまざまな不便、問題点が具体的に指摘されています。たとえば、駅の自動改札口は幅が狭くて車いすの人は通れないというのを初めて知りました。
車いすというハンディキャップにめげることなく初志を貫徹して町弁の弁護士として地方都市で明るく元気に活躍している著者の姿には心うたれるものがあります。
この本を読んで、一人でも多くの若者(障がいをもつ人を含みます)が弁護士を目ざしてほしいと念じます。
(2017年1月刊。1500円+税)

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2017年1月27日

哲学する子どもたち

世界(フランス)

(霧山昴)
著者 中島 さおり 、 出版  河出書房新社

フランスで子育て中の日本人女性によるフランス教育事情の体験レポートです。大変面白く、かつ、日本人として大いに考えさせられました。
フランスでは小学校から大学まで公立教育費は無料、そして、子ども代表は学校の成績査定会議に出席して意見を述べる。そして、高校生のデモはあたりまえ。
フランスでは子どもと教育が本当に大切にされている国だと思います。
今の日本は受験戦争、そして何でも自己責任、自己負担。国立大学の授業料は私のときは月1000円。そして、月8000円の奨学金(うち3000円は貸与制)がありました。今では年間の授業料が私立大学と変わらなくなり、奨学金は利子までついて、まさにローン地獄化しています。ハコものや軍事予算に使うお金はあっても、人材育成につかうお金がないなんて、日本の政治は根本から間違っています。
フランスでは、3歳での保育学校(日本の幼稚園)から高校まで、公立校だと授業料はタダ。国立大学(フランスに私立大学はほとんどない)は年に数万円の登録料だけで、授業料なし。
3歳児からの保育学校全入は、フランス女性の社会進出を大きく支えている。
フランスの教育の三大原則は、義務性、無償性そして非宗教性である。
フランスの高校生が卒業するときに受ける国家試験(バカロレア)のトップは「哲学」の試験。そのテーマは、たとえば「自由とは、何の障碍もないということか?」、「不可能を望むのは不条理か?」
こんな問題が出題されます。いったい、どう答えたらいいのでしょうか・・・。
これは論理的な文章を書く練習にもなっている。
高校で勉強するのは哲学ではない。哲学することなのだ。哲学を通じて自由に考える市民を養成すること。これが目的だ。
学校の成績会議には、保護者代表と生徒代表も参加する。これは1975年の改革以来、すっかり定着している。
中学から高校まで、留年制度があり、1割くらい留年しても、あまり強い抵抗はない。そして、飛び級も許されている。
生徒代表を選ぶのは生徒による選挙。かなり派手な選挙運動が学校内で展開する。
フランスには高校入試がない。中学の成績で決まる。決めるのは中学の教師たち。
これでは、日本よりも伸びのびとフランスの子どもが育つのも当然ですね。
(2016年11月刊。1600円+税)

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2017年1月28日

籠の鸚鵡(かごのおうむ)

社会

(霧山昴)
著者 辻原 登 、 出版  新潮社

30年ほど前だったと思いますが、和歌山県の小さな地方自治体で収入役が商品先物取引(相場)に手を出して何億円も公金を横領(使い込み)したという事件がありました。その自治体は破産寸前になったと思います。相場の恐ろしさ、自治体の公金が個人によって簡単に引き出され、横領・使い込みによって自治体財政が破綻するという前代未聞の事件でした。
この本は、先物取引(相場)ではなく、暴力団が背後にいて色仕掛けで和歌山県の小さな町の出納長が陥落し、あられもない姿を写真に撮られて、それを恐喝の材料とされ、公金を使い込んでいくというストーリーです。
こういうことは、いったん「悪」の恐喝に屈してしまうと歯止めが利かなくなるものですよね。そこらあたりの心理描写が、見事に小説として再現されています。
山口組の組長がヒットマンによって殺害されるという事件が起きた当時を舞台とした小説ですが、今は暴力団はもっと巧妙になっているような気がします。そして、当時よりもさらに強大かつ潤沢な資金をもっているようです。
その最大の資金源が相変わらず大型公共土木工事の3%と言われる裏金だと思われます。暴力追放の官製市民の集会もいいですけれど、公共工事の談合と、その背後にうごめいている暴力団の姿をマスコミは勇気をもって暴き出し、報道して明るみに出してほしいと思います。
ストーリーのほうは、ネタバレはよろしくないと思いますので紹介しません。
特殊被害詐欺の手口もさらにブラッシュアップして巧妙になっているようです。その一端が、この本にも反映されています。
「クライム・ノヴェル」(犯罪小説)ですから、読んだら重苦しい気分になってしまうのも当然です・・・。
(2016年9月刊。1600円+税)

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2017年1月29日

読書と日本人

社会

(霧山昴)
著者 津野 海太郎 、 出版  岩波新書

著者は、20世紀を読書の黄金時代と名付けています。なぜか・・・。
本の大量生産と読み書き能力の飛躍的向上によって、知識人と大衆、男と女、金や権力をもつ者ともたない者の別なく、社会のあらゆる階層に読書する習慣が広がり、だれであれ本を読むというのは基本的にいいことなのだ、この新しい常識が定着したのは20世紀なのである。
なーるほど、そういうものなのでしょうか・・・。
14.15世紀は、日本社会において文字が画期的に普及した。鎌倉時代の後期から室町時代にかけて、村の大名、主だった百姓は、だいたい文字が書けた。
16世紀、織田信長のころ、フランシスコ・ザビエルたちはキリスト教を普及するにあたって「きりしたん版」として知られる活版本を刊行した。
ほかのアジアの国々と違って、日本人の多くは読み書きができる。だから文字による布教や宣伝が効果的だと判断したのだろう。
ルイス・フロイスは、こう書いている。「ヨーロッパでは女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、文字を知らなければ価値が下がると考えている」、「日本では、すべての子どもが坊主の寺院で勉学する」
江戸時代には「正坐」という言葉は存在しなかった。明治になって礼法教科書に書かれ、大正から昭和初期に定着した言葉だ。それまでは、本を読むときには、ピタリと正坐していたのではなく、自由に膝をくむし、立て膝で読むことが多かった。
うひゃあ、そうだったんですか・・・。
明治に海外から来た外国人は、日本人の車夫や馬丁が本をむさぼり読んでいるのに驚嘆した。
明治のころの読書は、基本的に声に出して読む音読ばかりだと私は思っていまいした。それまでは、今と同じで黙読していたと考えていたのです。ところが素読に親しんでいた当時の人たちは音読を好んでいたようです。
しかし、著者は、実は、黙読も昔の日本にあったと主張しています。音読と併存していたというのです。
欧米中心の世界で本格的に始まった「読書の黄金時代」としての20世紀に、やや遅れ気味に日本も加わることになった。
大正から昭和にかけての雑誌「キング」は初版50万部でスタートし、90万部から140万部へ増えた。
この新書を読むと、日本人の読書好きはすごいと思います。ところが、今は電車のなかでは大半がスマホを眺めたり、いじったりしています。テレビを見ていたり、ゲームをしている人も少なくありません。以前のように本を読んでいる人は滅多に見かけなくなりました。若者にかぎらず、活字離れがすすんでいるようです。そして、電子書籍。いったい紙の本はこれからどうなるのでしょうか。私は絶対的な紙の本の愛好者です。なくなってほしくはありません。
昨年(2016年)は、単行本を550冊よみました。今年も500冊をこえるつもりです。
(2016年10月刊。860円+税)

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2017年1月30日

熊に出会った、襲われた

生物

(霧山昴)
著者 つり人社書籍編集部  、 出版  つり人社

山でツキノワグマに出会った人たちの体験談と、その対策が刻明に語られていて、勉強になります。
山でクマに会ったら、うしろ姿を見せて逃げ出してはいけないのですね。頭では理解できますが、果たして、現場で実行できるでしょうか・・・。じっと、熊と、逃げずにその場でにらめっこするなんて、とても勇気がいりますよね。
クマは2年に1回、2頭ずつ子どもを産む。1月20日から2月10日までに一斉に生まれる。
クマが人里にあらわれるようになったのは、過疎化や農業の衰えとともに人の営みが減っていったため、以前はクマにとって居心地の悪かったところが、居心地のいい場所になったことによる。放置された畑があり、栗や柿の木など、実がそのまま残されているので、クマがやって来る。
渓流釣りは、クマと出会いやすい環境にある。山菜とりや竹の子とりもクマの食べ物をとりに行っているから出会う確率は高いし、視界も悪いので不意打ちになりやすい。
鈴をつけるとか、人工的な音をたてて、人が来ていることをクマに知らせる必要がある。
日本でクマと出会って死亡する人は、毎年0人から数人。ハチに刺されて死ぬ人は20人ほど。人間に殺される人は数百人。人に殺されるツキノワグマは1000頭から3000頭。
真新しい足跡や糞があったら、クマが近くに潜んでいる可能性がある。すぐにその場を立ち去るべし。
クマと出会ったら、背を向けて逃げてはならない。背を向けずに後ずさりして、クマとの距離をあけていく。
クマ撃退スプレーは1万5千円もするけれど有効。クマ鈴、山刀、爆竹も必携。クマ鈴は、川の近くでは水音にかき消されてしまう。そこでホイッスルも必要。
クマと人間の共存は大切なことだと思いますが、なかなか勇気もいるのですね・・・。
(2016年12月刊。1111円+税)

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2017年1月31日

本当はブラックな江戸時代

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者  永井 義男 、 出版  辰巳出版

 江戸時代をあまり美化しすぎるのはよくないと強調している本です。
私も、なるほどと思います。なにしろ、病気になったときの対応が違います。病院が身近にあり、よく効く薬が簡単に手に入る現代社会のほうが確かに安全・快適なことは間違いないところだと私も思います。
 私は、恥ずかしながら、この本を読んで初めて江戸時代の遊女が長生きできない理由を認識しました。遊女はコンドームなしで10年ものあいだ不特定多数の男と性行為をしていたわけですから、梅毒や淋病などの性病にかからないほうが不思議です。そのうえ不健康な生活と過労、質素な食事による栄養不良、集団生活にともなう感染症のため、多くの遊女が10年の年季の途中、20代で病死したと見られている。
ああ、そういうことだったのか、初めて理解しました。哀れですよね。それでも、メシが食べられるだけ良かったという現実もあったようです。極貧の生活のなかで、親から売られてきた少女たちが大勢いたわけです・・・。
吉原の花魁(おいらん)が人々(男女とも)のあこがれの的(まと)だったのは事実である。
しかし、そんな僥倖(ぎょうこう)を得たのは、ほんのひとにぎりの遊女でしかなかった。
なるほど、ですね。
江戸の人が毎日お風呂に入っていたと私はなんとなく思っていましたが、そんなことはなかったといいます。自宅に風呂がある家は珍しかったのですから、これまた言われてみれば当然です。
 滝沢馬琴は、8ヶ月のあいだに湯屋(銭湯のことです)に行ったのは10回にすぎない。20日に1回という割合だ。長屋に住む下級藩士の日記によると、夏は行水ですませ、風呂にはいるのは6日に1回の割合だった。
 江戸時代の日本人の識字率が世界一だというのも怪しい。たしかに寺子屋があり、いろんな塾があった。しかし、子どもたちの大半は3年未満でやめている。だから、簡単な読み書きはできたかもしれないが、それくらいだった。
 役付の武士のなかにも文盲がいた。文も武もダメな武士は多かった。
バカ殿様が多かったのは家臣たちが、利口な殿さまを嫌っていたから。家臣たちからすると、独裁者になって藩政改革なんて始められたら困る。政治に興味のない殿さまのほうがよい。殿さまは飾り物になっておけばよいのだ。
 アーネスト・サトウは、日本の殿さまが馬鹿なのは、わざわざ馬鹿になるように教育されてきたのだから、本人を責めるのは気の毒だ、無理があると本に書いている。
 ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですか・・・。
 馬鹿になるような教育を殿さまにしていたって、実際には、何をどうしていたのでしょうか・・・。
 江戸時代をありのままに見ることの意義を改めて認識しました。江戸時代に少しでも関心のある人にはぜひ一読をおすすめしたいと思った本です。
(2016年11月刊。1400円+税)

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