弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年12月30日

チェロと宮沢賢治

日本史(大正)

(霧山昴)
著者 横田 庄一郎 、 出版  岩波現代文庫

花巻にある宮沢賢治記念館には何度か行きました。『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』とか、味わい深いものが多いですよね。『セロ弾きのゴーシュ』もよく出来ていると思います。
この「セロ」というのは、チェロのことです。昔はチェロのことをセロと言っていたのが、いまの日本ではチェロのことをセロというのは、この『セロ弾きのゴーシュ』のみ。そうなんですね・・・、改めて知りました。
宮沢賢治にとって、チェロは身近な楽器だった。賢治のもっていたチェロの胴の中には、「1926、K、M」という署名が入っている。
賢治は、自分用にチェロを買った。そして、一生けん命チェロを弾いて練習した。
賢治は労農等のシンパだった。労農党の活動家から賢治はレーニンの『国家と革命』を教わった。勉強に疲れると、レコードを聞いたり、セロをかなでた。賢治は羅須地人協会時代において、まぎれもなく労農派のシンパであり、協会はその運動を実践するためのものだった。
宮沢賢治がレーニンの『国家と革命』を学んでいたとは初耳です。私も大学生のころ、一生けん命にレーニンの本を読み、深い感銘を受けました。
宮沢賢治が亡くなったのは1933年(昭和8年)9月21日、37歳だった。その葬儀には2000人の会葬者があった。二・二六事件(1936年)の3年前のことですね・・・。
賢治の弾くチェロを聞いた人は、下手だったと評します。
「ベーベー、ブーブーって、馬の屁みたいな音を出して・・・」「彼の演奏は、ぎいん、ぎいんの域から脱け出るけしきはなかった」
賢治は、なにしろ運動神経が鈍かった。しかし、賢治はチェロを弾きたかったのだ。
生涯独身だった賢治は、チェロを「俺のカガ(妻)」とも言っていた。
『セロ弾きのゴーシュ』のゴーシュとはフランス語。下器用な、下手な、ぎごちないという言葉だ。
賢治とチェロの関わり、そして、社会との関わりについて、いろいろ知ることが出来ました。花巻の賢治館は必見の場所です。まだ行ってない人は、ぜひ足を運んでみて下さい。
(2016年3月刊。1180円+税)

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