弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年12月12日

テレジン収容所の小さな画家・詩人たち

ドイツ

(霧山昴)
著者 野村 路子 、 出版  ルック

アウシュヴィッツに消えた1万5000人の小さな生命(いのち)というサブタイトルのついた絵本です。
アウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所で殺された子どもは1万5000人どころか、150万人といわれている。そんな子どもたちの怒り、悲しみ、夢、祈り、そして、生きたいという叫び・・・。生命のメッセージが伝わってくる。
ユダヤ人の子どもたちは、学校へ行くことを禁じられ、遊園地やプールからも締め出された。もちろん、これはヒトラーが叫び、権力を握って推進した政策ですが、それを支援したドイツ人大衆がいたわけです。いまの日本で、ヘイトスピーチをし、それに沈黙して、実は手を貸しているという人たちが少なくないことを考えると、おかしいことを権力者がしていると思ったら、すぐに抗議の声を上げないと大変なことになるということです。
いまの日本のアベ首相の手口はあまりにも恐ろしいと私は思うのですが、不思議なことに、年金を切り下げられている年寄りに支持する人がいて、非正規でしか働けず、明日への希望を失っている人が解雇の自由を促進しているアベ政権を支持しています。まさしく矛盾です。
収容所の食事。朝はコーヒーと呼ばれる茶色い水が1杯だけ。昼はピンポン球くらいの大きさの小麦粉の団子の入った、うすい塩味のスープ。夜は、同じスープと小さな腐りかけのジャガイモが一つか、かたいパンが1かけ。それが子どもたちの食事だった。
テレジン収容所の「子どもの家」にいた10歳から15歳までの子どもたち1万5000人のうち、戦後まで生き残っていたのは、わずか100人だけだった。
12歳の男の子の描いた絵があります。首を吊られた男性が描かれています。その男性の胸にはユダヤ人の印であるダビデの星が色濃く描かれています。
どうしてなのか、幼い彼にはその理由は理解できなかった。でも、胸にこの黄色い星のマークをつけさせられた日から、辛いこと、悲しいことが多くなったことだけは分かっていた。
この絵は、少年の大好きな父親が処刑される場面だったのかもしれない・・・。
テレジン収容所が1945年5月8日に解放されたとき、ドイツ軍が自分たちの蛮行を証明する書類を焼却していった焼け残りの書類の下に、子どもたちの絵があった。それを見つけた人が、トランク2つに詰めてプラハへ持ち帰った。子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・。それは、子どもたちがこの世に生きていた証だ。
今も、プラハの博物館に残されているそうです。ぜひ、現物をじっくり見てみたいと思いました。年齢(とし)とって涙もろくなった私は、涙なしには絵を見ることも、詩を読むことも出来ませんでした。私たちみんな、この事実を忘れてはいけないと何度も思ったのです。ヘイトスピーチなんて、許せません。
(1997年6月刊。2200円+税)
 土曜日は午前中のフランス語教室を終えて、午後から天神の映画館でフランス映画『アルジェの戦い』をみました。「アタンシオン、アタンシオン」(注意して下さい、注意)という有名なフランス語のセリフが流れてきます。アルジェリアが戦後、フランスから独立するまでにおきたテロや暴動、そしてフランス軍による拷問、弾圧を生々しく再現した映画です。
 実は、私は1967年(昭和42年)4月、渋谷の大きな映画館でこの映画をみたのです。大学に入ってすぐのことです。それまで九州の片田舎に住んでいて大東京に出て、何もかも目新しい生活を始めたとき、世界ではこんなことが起きているのかと、目を大きく見開かされました。
 この映画は前年(1966年)にベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのですが、「反仏映画」だという批判も受けました。フランス軍による活動家への拷問シーンはたしかに凄惨です。
 そして、昨年のパリ同時多発テロを思い出させる映画でもあります。相次ぐ爆弾テロ、車から連射して路上の罪なき市民を倒していくシーンなど、50年前の出来事が今よみがえってきます。
 暴力に暴力で対処してはダメなんだと独立運動の指導者の一人が語ります。革命を始めるより、続けることが難しいし、成功したあとが、さらに難しいともいます。アルジェリアは独立後、実際にそのような経過をたどります。 
 一見に値する貴重な映画です。ぜひ、時間の都合がつけば、ご覧ください。

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