弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年12月11日

山谷ヤマの男

社会

(霧山昴)
著者 多田 裕美子 、 出版  筑摩書房

かつてドヤ街として有名だった山谷(さんや)と釜ケ崎。私は、そのいずれにも行ったことがありません。名前を聞いていただけです。
今、その山谷は若くて勇ましかった「労働者の街」から老いと病で苦しむ「福祉の街」に変わってしまった。かつては高給とりだった鳶(トビ)でさえ、今では仕事がなくなってしまった。ドヤにも住めず、路上生活が長くなれば、心身ともに疲弊していく。やっと生活保護を受給できたとしても、若いときの勢いはなく、高齢で慢性疾患者とのつきあい。ドヤの利用者の9割が生活保護の受給者。
ドヤとは簡易宿泊所のこと。ドヤ暮らしは、住民票や保証人がなくても、その日のドヤ代さえ払えば、過去を問われることもなかった。
ドヤに泊まれなければ、アオカン(外で寝ること。青空簡易宿泊)するしかない。
著者は、山谷にある丸善食堂の娘として育ち、山谷にある玉姫公園で、1999年から2年間、山谷の男たちの肖像写真を撮った。
この本には、その男たちの肖像写真の一部が紹介されています。皆さん、なかなか魅力的な、味わい深い顔つき、表情です。
丸善食堂の客は、だいたい一人で吞みにきていて、愚痴をこぼすことはなかった。
ここでは、誰もが過去を語らないし、聞きたがらない。いや訊いてはいけないのが、ここの暗黙のルールだ。
カウンターはコの字型。ひとりで吞んでいても淋しくなく、向かいあっていても、ほどよい距離感があって、実によくできているカウンターだ。
許せないことがあれば、ささいなことでも暴力手になり、暴動がおこる。何も守るものがなく、身一つの人生なので、火がついたら激しい。いまの山谷に必要とされているのは、食事や健康面のケア、寝る場所などのきめ細かい支援。
山谷の絶頂期は昭和40年代。私が大学生のころです。この当時、日雇い仕事は、いくらでもあった。立ちん坊という呼び名がありました。早朝から手配師が人を求め、トラックに乗せて日雇いの人々を工事現場に連れていくのです。
現代に生きる日本人をうつし撮った貴重な写真集だと思いました。
(2016年8月刊。1900円+税)

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