弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年12月 6日

希望の裁判所

司法

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  LABO

このタイトルは、ジョークでも皮肉でもない。日本の現元裁判官が大まじめでつけたもの。
希望が今後も大きくなるように、さらなる司法改革を心から訴えている本である。
日本裁判官ネットワークは、1999年(平成11年)9月に、現職裁判官をメンバーとする日本で唯一の裁判官団体(裁判官OBがサポーターとなっている)。
この本の冒頭にあるのは、なんと「判決どどいつ」です。弁護士から裁判官になった竹内浩史判事です。それがなるほど、よく出来た「どどいつ」なのです。たとえば、次のようなものがあります。
セブン・イレブン、反省気分、多分報告、不十分
これは、最高裁判決がセブン・イレブンの本部に仕入の詳細に関する情報開示を命じたものに関するものです。
福岡高裁を最後に定年退官した森野俊彦弁護士は非嫡出子の相続分差別規定を憲法違反とした最高裁判決を積極的に評価しながらも、その理由づけに不満を述べています。立法理由の合理性の判断から逃げているという点です。そして、夫婦同姓規定について合憲とした最高裁判決については大いなる疑問を投げかけています。
ただ、鎌倉時代の北条政子について、官位を付与するときの便宜的なもので、記録上だけとしているのは、本当なのでしょうか。同じように、夫婦別姓だったとして有名なのは日野富子もいますし、江戸時代は夫婦別墓で、妻は実家の墓に入っていたということですし、単に便宜とか記録上というのではないように私は考えています(私も、さらに調べてみます)。
人生の半分以上を費やした場所である裁判所になお、希望を見出そうとする思いがにじみ出ている論稿でした。
浅見宣義判事は、激動する日本社会の中で、裁判官という職務のやりがいが特に大きくなり、その魅力が高まっていると力説しています。
私も、そう考えている裁判官がもっと増えてほしいと思います。現実には、やる気のない裁判官、記録をじっくり検討しているのか疑わしい裁判官、枝葉を妙にこじくりまわす裁判官、いかにも勇気のない裁判官があまりに目立つからです。
裁判員裁判を経験した刑事裁判官が、体験して本当に良かったと述懐していたとのこと。私も、こういう話を聞くと、うれしくなります。私は残念ながら、裁判員裁判を1件も経験していません。殺人事件を担当したら、いわゆる認定落ちになってしまったのです。
体験した弁護士の、必ずしも全員が裁判員裁判を積極評価しているわけではありません。先日、これまで8件ほど体験した福岡の弁護士に意見を求めると、昔の職業裁判官による裁判に比べたら断然いいと思うし、やり甲斐があると語っていました。パワーポイントなど使わず、裁判員の顔を見ながら弁論するので、反応がすぐ分かり、手ごたえがあるのが良い、とのことでした。
これまでの調書偏重裁判を打破したという点で、裁判員裁判は画期的なものだと私も考えています。そして、被告人の保釈が認められやすくなったのも事実です。「人質司法」が少しだけ改善されたのです。
もちろん、裁判所は、もっともっと改革されるべきです。たとえば、裁判官の再任審査にあたって外部意見を取り入れる建前になっていますが、それは「外部」といっても、せいぜい弁護士しか想定していません。広く裁判を利用した国民の声を反映させるものではまったくありません。実は、弁護士会のなかにも、その点について消極的な声があるので、驚くばかりです。大学でも学生が教授を評価するのがあたりまえになっている世の中です。裁判を担当した裁判官について、利用した国民がプラス・マイナスの評価をつけることが「裁判の独立」をおかすものとは私には思えません。
最後に『法服の王国』の著者である黒木亮氏がイギリスの裁判では、みんなが活発議論していることを紹介しています。私は日本でも、もっと本当の口頭弁論をしなければいけないと考えていますので、日本はイギリスを見習うべきだと思いました。
ともあれ、日本の司法について希望を捨ててしまったら、いいことは何もありません。
日本国憲法の輝ける人権保護規定を深く根づかせるためにも、私たち弁護士も、裁判官も、もっと努力する必要がある。そのことを確信させる貴重な問題提起の本です。
私の同期の元裁判官(仲戸川隆人弁護士)より贈呈を受けました。ありがとうございました。日本裁判官ネットワークのさらなる健闘を心から期待しています。
(2016年12月刊。2500円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー