弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2016年11月 1日
安保法制を語る!自衛隊員・NGOからの発言
社会
(霧山昴)
著者 飯島 滋明・佐伯奈津子ほか、 出版 現代人文社
アフリカ(南スーダン)にいる日本の自衛隊員がついに戦争に巻き込まれようとしています。「平和な国・ニッポン」という貴重なブランドが今はがされようとしているのです。残念です。
安保法制が日本国憲法9条を踏みにじるものであることは、最高裁の元長官や内閣法制局の元長官、憲法学者のほとんどが声を大にして叫んでいます。
この本では、「戦地」へ行かされる自衛隊員や危険な紛争地帯で活動しているNGOの活動家が切々と訴えています。
自衛隊内では思想教育がなされていて、共産党や自衛隊を敵視するものは敵だと教え込まれる。選挙が間近になると、「自民党に入れろ」と言われる。
自衛隊は、海外で軍隊として扱われない。ジュネーブ条約やハーグ条約の捕虜規定が適用されない武装集団である。だから、どんな殺され方をしても、そのひどさを国際刑事裁判所に訴え出ることはできない。
そして、戦死しても生命保険の対象外になる。イラク特措法では最高9000万円だったが、今は6000万円が最高額。そして、どんな場合が最高額になるのか、明確な基準はない。
予備自衛官は、1年間に5日間、訓練に参加する。1日8100円が支給され、別に月4000円の手当が出る。
防衛大学では、1ヶ月に11万円近い学生手当とボーナスが年に33万円9千円をもらえる。
アフリカで日本人が殺し、殺されることが、なぜ「日本を守る」ことになるのか、とても理解しがたい。むしろ、テロを日本国内に誘引してしまう危険のほうが現実化するだろう。
現役の自衛隊員は、なかなか声を上げられないので、退職者が代弁している本です。この視点も欠かせないと思いました。
(2016年5月刊。1500円+税)
2016年11月 2日
大元師と皇族軍人
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 小田部 雄次、 出版 吉川弘文館
昭和天皇は戦争遂行と密接に関わっていた。何も知らなかったとか軍部にだまされていたというのは事実に反する。昭和天皇は、当時もっとも多くの情報を得ていた。戦争の大きな流れも、現地の戦闘情況もおおむね報告されて知っていて、それらに指示も与えていた。
昭和天皇こそが戦争指導の指揮権を握っていたのであり、ときに軍部を叱責することがあった。とはいえ、昭和天皇は、はじめから計画的に世界征服を考える侵略主義者でもなかった。むしろ、英米と協調しながら軍縮や戦争放棄への道を目ざした時期もあった。
昭和天皇は、学習院初等学科5年生、11歳のときに陸海軍少尉となった。しかし、士官学校も海軍兵学校も経験しなかった裕仁(ひろひと)の軍事的技能は一般の職業軍人と比べて優秀であったとはいいがたい。
昭和天皇はヨーロッパに行ったとき、第一次世界大戦の激戦地の跡に立って自らの目で確かめた。まずは世界戦争の惨禍を心に焼き付けた。
ヨーロッパ旅行から帰って以降、昭和天皇はベットにじゅうたん、イス式の生活で統一し、和服は一切着なかった。晩餐会では、軍服ではなく、モーニングか燕尾服にした。そして側室制度を廃した。子どもたちは、みな本当に皇后が産んだようです。
昭和天皇は憲法順守と国際協調を重視し、軍の革新運動には好意的ではなかった。そのことが、かえって軍部や民間右翼に「君側(くんそく)の奸(かん)」論による側近攻撃を活性化させ、以後のテロ・クーデター事件を誘発したとも言える。
昭和天皇の弟たちは、陸軍士官学校、海軍兵学校に入り、相応の勉学と訓練を重ねて、卒業後に少佐となり、さらに現場で勤務しながら順次、佐官、将官となっていった。
1928年に起きた張作霖爆殺事件の処理をめぐって、昭和天皇の政治的・軍事的判断はしばしば軽視された。そのことから昭和天皇は軍部と政治への対応に苦慮した。
また、1930年の軍縮条約のときに、軍部の艦隊派は31歳の昭和天皇を軽んじる動きをみせた。1931年の満州事変の勃発に際しても、昭和天皇の許可なく朝鮮軍が独断で出兵した。
結局、昭和天皇は、最終的には、軍のつくった既成事実を追認してしまった。
軍は、自らの「野心」を遂げるため、昭和天皇の「寛容さ」にも利用していった。
皇族たちは参謀総長や軍令部長になり、「キングの側」に立って軍を抑えるというより、政治活性化した軍に利用されることで、それぞれ陸軍や海軍の意向を直接に天皇に上奏する立場となった。
皇族軍人たちは、政治的に台頭する軍部や右翼に担がれ、かつ皇族自身も自らの見解を政治や軍事に反映させようとするようになっていた。そのことが軍部や右翼の非合法活動をさらに増長させ、ついには二・二六事件を引き起こしたと言えなくもない。
昭和天皇と、それを取り巻く皇族たちの動きが軍部との関係が深く分析されていて大変興味深い内容でした。
天皇を表看板に出して、実は軍部が天皇を軽んじて独走していたこと、昭和天皇といえども、軍の暴走を止めることが出来なかった(まったく出来なかったわけではないのでしょうが・・・)ことがよく分かる本です。
(2016年7月刊。1900円+税)
2016年11月 3日
「その日暮らし」の人類学
アメリカ
(霧山昴)
著者 小川 さやか 、 出版 光文社新書
東アフリカのタンザニアで15年にわたって零細商人に密着し、そのタンザニアの町での商慣行、商実践そして社会関係を調査している日本人(女性)学者のレポートです。
ところ変われば、品変わると言いますが、日本人にはとても理解できない状況です。そこでは、日本人の一般常識はまったく通用しません。
タンザニアでは、一つの仕事に収入源を一本化するのは、リスキーなことである。
タンザニアの人々のもつ事業のアイデアは、その後の人生において実現することもあるが、少なくとも、その実現が一直線に目ざされることはない。
タンザニアの都市住民にとって、事業のアイデアとは、自己と自身が置かれた状況を目的、継続的に改変して実現させるものというより、出来事、状況とが、その時点でのみずからの資質や物質的、人的な資源にもとづく働きかけと偶然に合致することで現実化する。
このような仕事に対する態度は、彼らの危機的な生活状況を反映している。彼らは一方で、計画を立てても、本人の努力ではどうにもならない状況に置かれている。
計画的に資金を貯めたり、知識や技能を累積的に高めていく姿勢そのものが非合理、ときには危険ですらある。
「明後日の計画を立てるより、明日の朝を無事に迎えることのほうが大事だ」
一日くらい食事を抜いても、同じ境遇の仲間がいて、明日を語りあうことが楽しいと思えるし、重労働をこなせる自らを誇りに思うことができる。
広告産業が未発達なタンザニアでは、流行がコントロールされていないので、消費者の需要・嗜好の多様性はゆっくりとしか変化していかない。
タンザニアでは、2000年ころから、中国に渡航して商品を買いつける商人が急増している。国の法や公的な文書は価値をもたず、香港や中国に商人本人が出向いて、みずから対面交渉をし、そこで取引の詳細と輸送までの手続をたしかめる。そうしなければ騙されやすい。人々は大企業の権威を無視し、具体的な人間との関係性でしか動かない。対面的な関係こそが信頼できるすべてである。
旅行者扱いで短期的に中国・広州に入ってくるアフリカ人は年間20万人にのぼる。
中国のコピー商品は、消費者の心を動かす価格にまで一気に引き下げ、そこから売れた商品の価値を徐々につり上げていく。
アフリカでは、今、ケータイによる送金サービスが発展している。これは、銀行のサービスを利用できない人でも、利用できるので、どんな奥地の農村部でもつかわれている。
いやあ、目を大きく開かせられる思いのする、面白い本でした。著者は、よほどアフリカ、タンザニアの現地に溶け込んでいるようです。アフリカの人々の物事の考え方を理解するに役立つ本だと思いました。
(2016年7月刊。740円+税)
2016年11月 4日
日本国憲法は希望
司法
(霧山昴)
著者 白神 優理子、 出版 平和文化
いま大いに注目されている若手弁護士です。そのさわやかな話しぶりは、憲法の伝道師を名乗る伊藤真弁護士に匹敵します。
なにより、弁護士生活3年だというのに、憲法を語る学習会の講師を100回以上もつとめたというのですから、ただものではありません。私なんか、3年間で片手もあるかなという体たらくなのです。まあ、なんといっても若さにはかないません。
白神は「しらが」と読みます。著者から講師として憲法を語るときのポイントを聞きました。
まず第一に、憲法の魅力を自分の生き方を紹介しながら具体的に語ること。中学生までは、どうせ世の中は変わらない、変えられないと思っていた。ところが高校に入ってから、いや世の中は変わるし、変えられる。憲法は国民の自由を保障するもの、権力を縛るものだと知って心を動かされた。歴史は着実に前へ進んでいることを教えられた。
第二に、憲法を改正しようとする人たちの狙いは、日本を戦争できる国の体制につくり変えることにある。戦争と言えば、イラクでもアフガニスタンでも、大勢の罪なき市民が殺され傷ついている。子どもの手足が爆弾でもがれる、そんな悲惨な戦争を日本の権力者は再びしょうとしている。黙っていては危ない。
第三に、自民党の憲法改正草案は国民の基本的人権をまったく無視し、公益に反しない範囲でしか守られないとしている。つまり、国民は国家に逆らってはいけない存在になっている。
第四に、経済の視点からの話も欠かせない。戦争する国づくりは、福祉国家をこわすことになる。つまり、国民の貧困化が一層すすんでしまう。
白神弁護士は、ここまで話してきて、頭を上げてニッコリほほえみました。でも、最後に、希望を語ることが大切だと強調したのです。私も、まったく同感でした。せっかく憲法について学習しようと足を運んでくれた人を暗い足どりで帰してはいけません。しっかり元気を取り戻して、明るい気持ちで、家に帰って、周囲の人に声かけあうようにしなくてはいけないのです。
その点を白神弁護士が最後に強調したので、さすがに多くの憲法学習会で鍛えられている人は違うな、そう感嘆しました。
「ワインで語る憲法の話」という企画にも講師として参加したそうです。ワインのソムリエをしている人がアメリカ、ドイツ、スペインのワインの特長を紹介すると、この三国の憲法状況を白神弁護士が語ったというのです。すごい発想です。こんな柔軟な発想が年輩の私たちにも必要です。
都知事選挙のなかでのネガティブ・キャンペーンに踊らされる人がいかに多いか。その現実を前にして、日頃から私たちの言うことに耳を傾けてくれる人々をいかにたくさんつくっておくかがポイントだ。この白神弁護士の指摘にも、私は共感を覚えました。
このブックレットは、そんな豊富な憲法講師活動のエッセンスがまとまっています。年金・福祉や教育・予算を削る一方で、軍事(防衛)予算だけは、一貫して右肩上がりに増え続け、ついに5兆円を突破しました。そんな流れをぜひ変えたいものです。
憲法を守って、私たちの平和と人権を守り抜きたいものです。
80頁、800円(プラス消費税)という、とても手頃で味わい深い冊子です。表紙にある白神弁護士の笑顔の写真を眺めるだけでも心が癒されます。あなたに、ご一読を強くおすすめします。
(2016年7月刊。800円+税)
2016年11月 5日
きばれ長崎ブラバンガールズ
社会
(霧山昴)
著者 藤重 佳久・オザワ部長 、 出版 学研
福岡の精華女子高校の吹奏楽は私も一度だけ見聞したことがあります。そのマーチングしながらの吹奏楽には、つい見とれてしまいました。その精華女子高の吹奏学部を全国屈指の名門校に押し上げた指導者が定年退職し、長崎の活水高校に移り、そこでも吹奏学部を指導して、またたく間に九州大会を勝ち抜いて全国大会へ出場したというのです。すごいです。
この本には、そこに至る苦労が女子高校生たちの思いとともに明かされています。読み物としても、本当によく出来ています。幕明け前の心理状況そして、演奏が始まってからの音楽の推移が豊かに再現されていきます。その筆力にも圧倒されます。
その指導者の名前は、藤重佳久。実は初心者が大切。演奏は半年がんばったら、どうにか一人前まで成長できる。先輩が初心者の面倒をみることで、バンド全体の力が上がってくる。人間関係も良くなる。初心者でもやれるという可能性を生徒にも周囲の人々も見せてやりたい。
活水には、精華からの転校生もいたし、東京からやってきた生徒もいた。そして、人数が足りないのを中学生が補った。
マーチングは体を動かすので、非常に健康的。そして動きを視覚的にとらえられる。これは重要なこと。座奏は基本的に音だけで、聴覚の世界。目には見えない。形もなければ、言葉も、具体的なものもない。ところが、マーチングでは、音楽と連動した動きによって、視覚と体で具体的に取り組むことができる。生徒の姿勢も表情も良くなる。それに、お客さんも喜んでくれる。やはり動きがあったほうが目で見え楽しめるし、分かりやすい。
つくろうとしているのは、うねるような、しなやかな音楽。
音楽はデジタルではない。一定でないところに音楽の面白さ、人間らしさがある。
コンサートでは、まず演奏者が楽しんで演奏すること。そして、作品を完成させ、その感動を観客に伝え、楽しんでもらう。これが何より大切。
コンクールも、コンサートのように人を楽しませ、自分たちも楽しむ。これが基本。
笑い顔がいい。それは、口のまわりの筋肉をもっともうまく使える形だから。演奏が非常にフレキシブルで楽になり、ハイトーンも低い音も出るようになる。
演奏が上手な生徒は、生活態度もきちんとしていて、真面目。上手な人のやり方を真似ること、観察して盗んで自分のものにすることが必要。
コンクールで良い成績を収めるより、人柄の良い人間として育ってほしい。そのためには、たくさんの人間のなかでもまれる必要がある。社会に出てからでは遅い。
相手が喜ぶ演奏をする。相手に伝わる音楽をすることが大切。思いやりがあるから、良い演奏ができる。
女子高生に接するときには、決して嫌われないこと、必ず平等に接すること。まんべんなく全員に目配りし、差をつけず、一人ひとりに声をかけるのが大切。
良い音楽を奏でる生徒は共通している。性格が明朗活発で、元気がいい。声も大きい。それだけ日常においても表現力が豊かだ。日常の表現力と音楽の表現力はリンクしている。
ここまで読んでくれば、いちどぜひ活水のブラスバンドとマーチングを見て聞きたいですよね。読んで元気の出る、いい本でした。
(2016年5月刊。1300円+税)
2016年11月 6日
おにぎりの本多さん
韓国
(霧山昴)
著者 本多 利範 、 出版 プレジデント社
韓国にセブン・イレブンを定着・展開させていく苦労話です。日本と韓国の食習慣の違いなどもよく分かり、面白い本です。
ダイエット中の私は、ときにお昼をコンビニのおにぎり(ねり梅)1個ですますことがあります。パリパリした海苔と梅干がご飯によくあって美味しく食べられます。コンビニにとって、1個100円のおにぎりは主力商品なのですね・・。
現在、セブン・イレブンでは平均して1日1店舗が320個のおにぎりが売れている。店舗は1万8千店なので、セブン・イレブンだけで1日に576万個も売っている。コンビニ全体では1日に1228万個が生まれている。1年間にすると、44億8220万個という途方もないおにぎりが売られている。
ところが、韓国人にとって、冷めた食べ物を食べる人は、お金のない人。だから、はじめのうち、韓国ではおにぎりが売れなかった。
韓国海苔は、あえて繊維を残して厚さにムラを出し、硬い触感を楽しむタイプ。そして、塩と油で味付けされた味付け海苔が主流。海苔という食べ物は、すでに双方の国で、形も味も、ともに理想形が確立していて、国民的食べ物にまで昇華されている。そこで、妥協の産物として韓国のコンビニで売られているおにぎりは、シートに入った海苔は、ところどころ向こうが透けて見える韓国海苔風だが、食べると日本の絶妙なパリパリ感も味わえるものとなっている。
韓国ではキムチを具としたおにぎりは売れなかった。なぜか・・・。韓国の食堂では、キムチは無料。だからキムチおにぎりは、無料の具材を入れただけでお金を取ろうとしていると思われ、価値を見出してもらえなかった。なるほど、ですね。
韓国でおにぎりがブームになったのは2001年から。そのころ、日本では年間28億個だった。この年、韓国は2000万個。翌2002年に、ようやく1億個になった。
ハンバーガーは年間17億個が売れているので、まだまだおにぎりも売れるはずと踏んだ。
著者は韓国のテレビに出演して「おにぎりの本多さん」として有名になったとのことです。
韓国では、天ぷらおにぎりもダメだった。韓国では天ぷらの地位が低すぎた。天ぷらは高級料理ではなく、屋台料理か刺身屋のおかずでしかない。うひゃあ、信じられません・・・。
この本を読んで、私はスーパーマーケットとコンビニの根本的な違いを認識しました。
スーパーマーケットは、生鮮三品(肉・魚・野菜)を核として売り場がつくられている。いつもと変わらない売場のほうが客にとって買い物もしやすいし、安心。変化は緩やかなほうが好まれる。
コンビニは、季節はもちろん、その日その日の天候、店舗周辺のイベント、そして朝、昼、晩の時間帯と、消費者を取り巻くあらゆる微細な変化に対応していく必要がある。コンビニだからこそ出来る細やかな「変化対応」にこそお客は価値を見出す。そのための売り場づくりを日々考え抜いている。
コンビニの面積は、日本は30坪、韓国はもっと狭くて22坪。
韓国のコンビニの平均日販は20万円ほど。日本は50~70万円。
コンビニには、1日3回の商品搬入がある。コンビニでは、人は自宅にストックするための高い商品は買わない。その時々に必要になったものを買いに走る。商品の消費期間は短いものが多い。
韓国にはインスタントラーメンを食べさせる粉食店が街のいたるところにある。そして、町中が不動産屋だらけ。さらに、韓国の受験戦争は厳しく、子どもたちはコンビニのおにぎりを口にして塾を飛びまわる。
韓国人は、荷物を手に持って行動するのは貧乏くさいとして嫌う。周囲から軽く見られないためには、重い荷物を自分で持ってはいけない。
コンビニでコーヒーやフライドチキン・ドーナツを売るようになった。そのとき、「美味しすぎてはダメ」なのだ。美味しすぎるというのは、すぐ飽きられるということに直結する。ここが商品の開発の難しいところであり、肝でもある。
ふむふむ、そうなのか、そんなに日常生活習慣が違うものなのか・・・。驚くばかりでした。
著者は、私と同じ団塊世代ですが、今もファミリーマートの専務として、現役で頑張っています。
(2016年8月刊。1500円+税)
2016年11月 7日
海ちゃんの天気、今日は晴れ
人間
(霧山昴)
著者 大和久 勝、 出版 山岡 小麦 クリエイツかもがわ
発達障害の子どもは、どんな状況にあるのか、その子を受けいれたときにはどう対応したらよいのか、絵(マンガ)で示され、親切な解説がありますので、門外漢の私にも状況がよく分かりました(もちろん、本当のことは分かっていないのでしょうが、その大変な状況を推測する手がかりは得られました)。
海田(かいた)くんは発達障害の子です。小学3年生。
ADHDとアスペルガーの診断を受けています。
学校で気にいらない状況に直面すると、すぐにキレてしまいます。
友だちのシャツをバケツに入れたり、叩いたり、みんなと別に一人で紙ヒコーキを飛ばしていたり、教師はなにかと大変です。
海(かい)くんは、すごいこだわりがあります。
子どもの行動には、わけがある。そのわけが分からなくても、抱きしめたり、うなずいたりして、困惑や苦悩を受けとめるようにする。どんな行動にも理由があると考えて、子どもと対話をする。その聴きとる姿勢が子どもの心を開いていく。
暴力をふるったり、キレたり、パニックを起こしたりするのは、困っていることの訴え、叫びなのだ。このことを理解するには、一定の時間が必要。自分の感情や行動を自分で思うようにコントロールできない苦しさが子どもにはある。
発達障害の傾向の子は、安心した居場所がもちにくく、活躍して認められる出番がないなど、自己肯定感や自信がもてない子が多い。
発達障害といっても、実は発達上のアンバランスだということ。それは障害というより、特性や個性として見ることができる。そのためには、周囲の理解が何より大切だ。
とてもよく出来たマンガでした。大変さと希望がズンズン伝わってくるマンガです。
(2012年4月刊。1500円+税)
2016年11月 8日
法解釈の正解
司法
(霧山昴)
著者 田村 智明 、 出版 頸草書房
実務法曹の世界で活動している若き哲学者の目で書かれた法解釈の本です。
正直言って、私には少々難しい場面も少なくありませんでしたが、なるほど、そういうことだったのかと初めて認識させられるところの多い法解釈の本でした。
今は青森で弁護士をしている著者は司法試験に合格したあと、8年間も司法試験の予備校専任講師として受験指導をしています。その体験もふまえた哲学的見地から法解釈のあり方がとかれています。著者は法解釈には正解があるという立場です。
だからこそ自己の立場は有限なのであり、謙虚にふるまう必要がある。そして、一般意志ですくいきれなかった他の立場の人の思いに対して、きちんと思いやらねばいけない。
法の支配の原理、あるいは憲法上の個性尊重主義は、もともと正解志向こそが本質なのである。そして、法の支配の原理の論理学のなかには、他者排除、価値観の押しつけの論理が含まれている。
法の支配の原理にもとづく法解釈の論理とは、結局のところ、「支配者の論理」なのである。だから、他者との共存を排除する方向性をもつ危険を秘めた思想である。この点を自覚しておかねばらない。法解釈の実践とは、まさに、このような支配の論理学を駆使しているのである。このことの自覚が実務法曹には不可欠である。
司法試験では、法の支配の原理こそが重要な価値である。
自分が信じる正義の内容も示さずに条文の言葉だけで結論を導いたり、あるいは正義を示したとしても、あまりに形式的、独善的で社会的な説得力を欠くようではいけない。
実務家として、自分がどんな立場に立っていても、プロとして、社会の人々に対して自己の立場の正義を理論的に説得するという役割を担っていることを自覚すべきだ。
正解志向は決して悪いことではない。むしろ、これを自覚的に実践することは、自己批判を可能にし、自己を謙虚にさえする。なぜなら、正解志向は、自分がある特定の価値観を前提に正解を導いていることを自覚させるから。
プロの法律家に必要とされる能力は、与えられた、あるいは自己が現実を欲している実質的主義を法的な形式にしたがって表現、主張すること、これに尽きる。
真に自由になるためには、自分を知らなければならない。真の自分は、普遍的な法に従うことで幸福を感じるような自分である。
自由とは、一般に、自分が生活している社会の中で自分が発揮できる持ち味を発見し、その発見した持ち味を生かす道を選びとること。そのためには、目先の快楽などにはとらわれずに、自分や社会のことを知る必要がある。
子どものころ、私たちが勉強するのは、大人になってから自由になるため。自由とは、強制から解放されたらすぐに獲得できるというものではない。自分が従うべき普遍的法則を発見し、かつ強制から解放された場合にはじめて得られるものなのである。その普遍的法則を発見するためには、学校でみなが同じことを学ぶ必要がある。
自由とは、自己の個性の発揮である。だから、自由になるためには、自己の個性を知らなければならない。それには、さまざまな経験と勉強とが必要である。なぜなら、個性には、自分の属している社会との関係も含まれているから。自分がもっとも社会に貢献できる持ち味を発見することが自由獲得の条件である。
民主主義が正義である根拠は、討論や審議によって、さまざまな立場の意見が法案に反映される点にこそある。
多数派の意見は多数派の利益になる意見とは必ずしも合致していない。
裁判官の多くは、自分の頭で何が正しいかを判断する勇気をもたず、上級審判決がこうであれば、それに従うのが正義だという内容の判決を大量生産しているのが現状である。
なかなか考えさせられることの多い本でした。今度は、論文式合格答案の書き方の本も読んでみることにします。著者から贈呈を受けました。ありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
(2010年10月刊。2500円+税)
2016年11月 9日
戦争のリアルと安保法制のウソ
社会
(霧山昴)
著者 西谷 文和 、 出版 日本機関誌出版センター
中東の現地に何度も足を運んで取材しているフリージャーナリストが中東の現実を紹介した貴重な小冊子です。
かつてイラクは、「中東の日本」と呼ばれた。人々は勤勉で技術力が高く、大学まで教育費は無償だったので、学力レベルも中東トップクラスだった。そして、首都のバグダットは「平和の都」と呼ばれていた。
イラクと日本は、戦後にアメリカから占領されたという点で共通している。しかし、日本では戦前の支配層が戦後も基本的に温存されたのに対して、イラクでは、40万人のイラク軍を解雇しただけでなく、フセイン政権の幹部そして官僚を追放してしまった。その結果、イラクは無政府状態になった。
イラクが無政府状態になったので、欧米のゼネコンがイラク復興費に群がった。
バグダットには、シーア派とスンニー派が混在していた地区も多かった。ところが内戦が始まると、人々は逃げ出した。大規模なアメリカによる空爆で逃げ出さなかった人々が、内戦が始まると家を捨て、故郷を捨てて逃げ出した。その結果、バグダットは、チグリス川の西側がスンニー派、東側はシーア派しか住めない分断都市になってしまった。
シリアという国は、東側には広大な砂漠が広がっていて、人口は雨の降る西側に集中している。ISの支配する油田からの収入は、1日2億円にのぼる。ISは3万人から5万人もの兵士を有し、700万人の「国民」に税金をかけている。
指導者のバグダディーやザルカウィは「飾り」なので、いくらでも取り替えが効く。
だから、アメリカが無人機でいくらISの幹部を暗殺してもISを弱体化させることはなく、逆効果でしかない。
アメリカがイラク侵略戦争を始めたのは、フセイン退治というより、石油利権を狙ってのこと。アメリカが効果のない「空爆」にこだわるのは、戦争がもうかるから。トマホークミサイルは1発数千万円、劣化ウラン弾は50~100万円。オスプレイは1機56億円。
安倍政権は恐怖をあおることで、軍事費をどんどん増大させている。社会保障や教育予算を削って、防衛費だけを伸ばしている。
「おい、日本人。おまえは何をしに来たのか。日本はアメリカの手先だ。日本人は、この国から出ていけ」
ついにイラクの人々から私たち日本人は、このように嫌われるようになったのです。悲しいです。残念です。
大勢の子どもたちが家を失い、故郷を失ってさまよい歩いています。そして傷つき、殺されています。そんな映像があります。
著者の撮った写真、ドローンによるアレッポ市街の動画もみましたが、戦争の悲惨さのほんの一端を実感しました。アベ政権は、そんな戦争に加担しようというのです。怖いです。止めさせたいです。黙っていないで、声をあげましょう。貴重な小冊子(88頁)です。ぜひ、手にとってみてください。
(2015年11月刊。800円+税)
2016年11月10日
「南京事件」を調査せよ
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 清水 潔、 出版 文芸春秋
「南京事件」について、今も「幻」だったとか、「日本軍が虐殺なんてするはずがない」として否定する人がいますが、信じられません。最近亡くなった三笠宮は、日本軍が南京で大虐殺したことを再三にわたって明らかにしています。
この本は、最近、日本テレビがNNNドキュメントとして放映したテレビ番組の苦労話をまとめたものです。マスメディアがこうやって勇気をもって真実を掘り起こしたことを私は高く評価したいと思います。NHKにも、ぜひ別な角度から迫った番組をつくってほしいものです。
問題は被害者の人数が20万人か30万人かではありません。南京事件は一日だけの戦闘行為ではないのです。
その現場は南京錠内や中心部だけではない。南京周辺の広範囲の地域で起きている。時期も6週間から数ヶ月という期間だ。
「当時20万人しかいなかった南京市街」などという限定はまったく意味がない。日本軍は、長崎から飛行機20機を飛ばして、連日、爆弾を投下していた。そのとき「邦人保護」という説明は無理。
この番組(本)では、南京での虐殺現場にいた福島出身の上等兵の日記を紹介しています。そして、その日記を他の兵士の日記などで裏付けているのです。
これを読んで「大虐殺が幻だった」などという人は、ただ真実をみたくないというだけです。
(1937年)12月16日 2、3日前に捕虜にした支那兵の一部5000名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺する。そのあと、銃剣にて思う存分に突刺す。自分も、このときとばかり憎き支那兵を30人も突刺したことであろう。
次は、別の少尉の陣中日記。
12月16日。捕虜兵約3千を揚子江岸に引率し、これを射殺する。
さらに、別の少尉の陣中日記。
12月16日。捕虜総数1万7025名。夕刻より軍命令により捕虜の3分の1を江岸に引出し、射殺する。
別の伍長の出征日誌。
12月16日。2万の捕虜のうち3分の1、7千人を今日、揚子江畔にて銃殺と決し、護衛に行く。そして全部処分を終る。生き残りを銃剣にて刺殺する。
別の二等兵の戦闘日誌。
12月16日。捕虜三大隊で3千名、揚子江岸にて銃殺する。
別の伍長の陣中日記。
12月16日、捕いたる敵兵約7千人を銃殺す。揚子江岸壁も、一時、死人の山となる。
そして、12月16日だけではなく、翌12月17日にも捕虜虐殺は続いている。
日本軍は中国軍を捕虜にしたものの、水も食料も与えることが出来ずに困った。日本軍自身が十分な食料を持っていなかったから、困ったのは当然だった。それで、捕虜を虐殺し、その死体は揚子江に流した。死体を埋めたわけではない。
南京城内の「安全区」の人口は十数万人だったかもしれないが、南京周辺は100万人ほどの人口となっていた。
この本を読むと、今の日本では歴史の真実を語ることに大変な難しさがあること、しかし、それを私たちは乗りこえなければいけないことを痛感します。その点、マスコミ人々は、とりわけNHKで働く人々は、もっと勇気をもって行動していただくよう期待します。
私は残念ながらテレビ番組自体は見ていません。そんな人には、とりわけ一読をおすすめします。
この番組にサンケイ新聞が「幻」の立場からケチをつけているとのこと。信じられません。真実から目をそらしたジャーナリズムって、いったい何なのでしょうか・・・。
(2016年9月刊。1500円+税)
2016年11月11日
水危機を乗り越える
イスラエル
(霧山昴)
著者 セス・M・シーゲル 、 出版 草思社
イスラエルが砂漠の国であること、そこで海水の淡水化をふくめて真水確保で大きな成果をあげていることを知りました。
イスラエルの学校では、最少の水で歯みがきする方法が教え込まれている。それだけ水の大切さが繰り返し教えられている。
パレスチナには1200万人がいて、イスラエルに800万人、ヨルダン川西岸とガザ地区に400万人が住んでいる。
1948年にイスラエルが独立を宣言したとき、国の人口は80万6千人だった。
ネゲブ砂漠を通る国営水輸送網が完成して、1200億ガロン(4億5千万立方メートル)の送水能力を得て、南部の荒涼たる土地でも、種類を選ばずに作物を育てられるほどに大量の水が利用できるようになった。そのため、イスラエルにたどり着いた移民はネゲブ砂漠に入植して農民として生計を立てていくことになった。
イスラエルで点滴灌漑の手法が開発され、実用化された。一滴ずつ灌漑すれば、水分の蒸発はおさえられ、作物の必要とする水を直接その根に届けてやることができる。節水効果はばつぐんで、蒸発や不必要な土壌への浸潤で減少する水はわずか4%にすぎない。
点滴灌漑農法によると、湛水灌漑やスプリンクラー灌漑を上回る収穫を必ずといってよいほど達成できる。現在では、2倍以上の収穫が標準だ。40%の用水を節約しながら、湛水灌漑より550%の生産量をあげている。
もちろん、点滴灌漑の装置は、降雨に比べると、はるかに高額だ。
この灌漑法では、水と溶解性の肥料の混合液が作物にたびたび投与される。これが養液点滴灌漑である。
イスラエルでは、点滴灌漑が標準農法で、灌漑されている耕作地の75%の地下もしくは地上部分に滴下装置を認めることができる。残る25%はスプリンクラー灌漑である。
この点滴灌漑農法がもっとも劇的に増加しているのは、中国とインドである。
今日、イスラエルでは排水の95%が処理され、利用されている。残る5%は汚水処理タンク方式で処置されている。
海水の淡水化にもイスラエルは取り組んでいる。ソレクに建造された施設は世界最大にして最新で、一日に62万立方メートル(1億6500万ガロン)の淡水を生産している。
海水淡水化はイスラエルの水事情を根底から変え、その影響はこの国の社会の隅々に至るまで感じられる。
海水淡水化とは、他人をあてにしなくてもよいということ。これがあるから、我々は自らの運命をコントロールできる。イスラエルの農家にとって、再生水は、今や貴重な水源で、処理して際しようするために国の廃水の85%が集められている。
イスラエルは水問題の解決法においてたくさんの発明をうみ出し、世界の水のあり方を変えてきた。
世界で「水戦争」が深刻化しているという本を読んだことがありますが、こうやって解決する方向で実践している国があるのですね・・・。日本は、その点、どうなっているのでしょうか。
この本の解説に日本がバーチャルウォーター(仮想水)を輸入していると書かれていますが、よく分からない文章でした。残念です。ともあれ、イスラエルという国を見直しました。世界の平和に少しは貢献しているのですね。
(2016年6月刊。2800円+税)
2016年11月12日
プルートピア
社会
(霧山昴)
著者 ケイト・ブラウン 、 出版 講談社
アメリカは西のワシントン州東部のリッチランド。ロシアはウラン山脈南部のオジョルスクに、プルトニウムのまち、原子力村をつくった。特異なユートピアが、そこにある。
核兵器製造ラインの全行程のなかで、プルトニウムの製造がもっとも汚い。最終的な製品1キログラムにつき、何百何千ガロンもの放射線廃棄物が生じる。
リッチランドの設計について、デュポン社と陸軍工兵隊が合意すると、まちはわずか18ヶ月でつくりあげられた。
放射能の危険についての知識は、その階級的な差に応じて分け与えられた。放射性溶液にもっとも近いところで働く者は、もっとも訓練を受けておらず、もっとも情報を与えられていない者が多かった。黒人やメキシコ系アメリカ人は雇われず、全住人が白人だった。多数派はプロテスタントで、15%がカトリック、10人がユダヤ人だった。
はじめ、デュポン社は女性の雇用は考えていなかった。妊娠可能な年齢の女性に対する遺伝学的な悪影響を恐れたから。ところが、女性は賃金が安いので、女性を雇うほうが安上がりだったことから、女性が雇われるようになった。
1940年代までに、科学者たちは、放射能が不妊症や腫瘍、内膜障、癌、遺伝学的変異、早老といった病状と早期の死をもたらすことを知っていた。
ソ連では、原子力計画の指導者たちは、放射線の危険に対して無頓着な態度をとった。自らを放射能汚染にさらすことは、工場の書かれざる規約の一つだった。
労働者は、100~400レムを被曝した。400レムは初期の放射線による老化を生じるのに十分な量で、これは、慢性的な疲労、関節痛、骨の粉砕を招き、最終的には癌や心臓病、肝臓病をひきおこす。
ソ連初の核実験は秘密主義で行われたが、核爆発を隠すのは難しかった。
アメリカのリッチランドには自由企業はなく、自由な出版権もなかった。
組合活動をする者は、左翼で、裏切り者で、不忠な者として嫌われた。組合攻撃は便利なものだった。
ソ連では、チョコレート、赤肉、そしてウオッカが工場の労働者に与えられた。これらが放射性同位体を浄化するのに役立つと考えられた。
若い女性が突然老けてしまった。半分以上が50歳になる前に癌になった。
そして、新しい病気、病気の若者、工場労働者の死因は、国家機密とされた。
アメリカでは、全年齢の癌発病率が1950年から2001年までに85%も上がった。かつては医療的に稀だった幼少期の癌がアメリカの子どものもっとも多い病気になった。
ロシアの子どもの3分の1しか、健康な状態で生まれない。
放射性汚染物質の恐ろしさがひしひしと伝わってくる本です。この目に見えない敵に人類が勝てるはずはありません。ノー原発、ノー核兵器と叫びましょう。ところが、アベ政権は核兵器廃絶の取り組みに、国際社会で公然と「ノー」と宣言したのです。信じられない暴挙です。やめてください。なんでもアメリカ頼みでは世界と日本の平和は守れません。
(2016年7月刊。3000円+税)
2016年11月13日
敗者の古代史
(霧山昴)
著者 森 浩一 、 出版 KADOKAWA(文庫)
筑紫君石井(つくしのきみのいわい)が継体大王(ヲホド王)と戦った。これを「磐井(いわい)の乱」と呼ぶのは正しくない。石井(いわい)は北部九州を治めていた地域国家の王であって、ヤマト政権に服属していたわけではないから。
筑紫を「つくし」と読むのは慣用であって、古くは「ちくし」(竹斯)である。
当時の国際情勢は、磐井が新羅と組み、ヲホド大王が百済と組んだことが読みとれる。継体21年(527年)におこった継体・磐井戦争は、朝鮮半島での情勢と連動していた。地域国家の王としての磐井の立場では、侵入者と戦うのは当然の行為だった。
磐井は、玄界灘にのぞんだ糟屋に海の拠点をもっていた。磐井は海の王者でもあった。そして磐井は、火(肥後と肥前)と豊(豊前と豊後)に勢力を伸ばしていた。
磐井戦争の最後は、高良山と御井と呼ばれた泉のある土地でおこなわれた。磐井は負けて斬られたが逃亡した。しかし、その子は港は奪われたものの存続することができ、筑紫の君として、地域の豪族となった。
磐井の墓である岩戸山古墳は、墳長132メートルで、北部九州では最大規模である。ちなみに、ヲホド大王の今城塚古墳は、墳長190メートルの前方後円墳。
いま、岩戸山古墳のあたりはきれいに整備され、博物館もあります。まだ行っていない人々は一度ぜひとも行ってみて下さい。
山鹿市には鞠智(きくち)城が復元されています。一般には白村江の戦いで、日本軍が大敗したため、朝鮮半島が攻めて侵入してきたとき、太宰府で喰い止めきれなかったときの備えと位置づけられています。
ところが、著者は、そうではなくてクマソ勢力を威圧するための施設だと考えています。この鞠智城見事に復元されています。ここもまた一見の価値のある場所です。
さすが古代史の権威の本だけあって、とても驚くような話が満載の読んで楽しい日本史の本です。ぜひ買って、手にとって読んでみて下さい。
(2016年10月刊。800円+税)
2016年11月14日
へんろみち
人間
(霧山昴)
著者 あいち あきら、 出版 編集工房ノア
四国遍路というと、ロマンを感じますが、現実はかなりの難行苦行のようです。お遍路さんとして歩いた体験が、よくぞここまでと思うほど刻明に再現されています。
もちろん、道々に記録していたのではないでしょう。かといって宿に入ってからも、詳しい日記をつける余裕があったとは、とても思えません。いったい、この道中記はいつ、どうやって書かれたのでしょうか・・・。
お遍路さんといえば、私が親しい仲間と一緒に貸切バスに乗って四国路を走っていると、なんと菅直人元首相が歩いているのを目撃しました。同行取材を受けていたので、遠くから見て気がつきました。3.11の直後、原発から完全撤退しようとする東電に激怒したということですが、私は真実なのではないかと考えています。
テクテク歩いていると、慣れないものだから足がひきつってくる、足の指にマメが出来て、血が出てくる。まあ、いろんな身体の不具合いにとらわれます。
山の嵐にさらされながら急な坂をおりていく。厚くふり積もった落ち葉の道。雨水を吸いこんで、すべりやすい。気をつけようと思ったそのとき、木の根っこを踏んでしまった。ツルリと足がすべって、体がふわりと浮き上がり斜面に落下してドスンと尻もちをついた。左の腰と右ひじをしたたか打った。声が出ないくらい痛くて唸った。すぐには立ち上がれず、斜面にへたり込んで、じっと痛みをこらえた。ようやく参道に戻ると、お遍路の団体がやってきた。先頭を歩く先達さんが声をかけてきた。
先達さんは、お遍路の案内人で、四国を何周もしたことのある経験と知識のある人がつとめている。その資格を得るのは容易ではない。
先達さんが言った。
「あなた、それは良かった」
「それは、泥に汚れたのではなくて、神の峯の泥にお清めされたのですよ」
「泥だらけになって良かったのですよ・・・」
何事も、考えようなのですよね・・・。著者は私と同じ団塊世代です。これは、5年前の5月から6月にかけて、四国88ヶ所巡礼、49日間を歩き通した苦闘の体験記なのです。すごいです。
札所にお参りすることを「打つ」という。巷のへんろは、小さな木の札に名前、出身地、願いごとを記し、札所のお堂に木釘で札を打ちつけていった。札所を「打つ」というのは、その名残だ。今は、木の札に代わって紙の「納め札」をお堂に置かれた箱に納めていく。
橋を渡るとときに杖をついてはいけない。橋の下でお大師さんが休んでずられると、礼を失するから。歩き遍路のルールだ。カンカンと杖をつく音がいけない。
お接待を受けるにも作法(ルール)がある。お接待してくれた方には「納め札」に名前や住所を書いて手渡し、手を合わせる。これが礼儀だ。
四国88ヶ所の遍路みちは、総距離1270キロ。昔から、1200年も前から続いている。
著者は、両足に17個のマメをつくった。足をひきずり、顔をしかめながら、ともかく歩き通したのです。えらいですね。私にはとても出来そうもありません。無理です。この本を読んで、歩いた気分に浸るだけにしておきます。
(2016年8月刊。1800円+税)
2016年11月15日
忘却された支配
朝鮮
(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版 岩波書店
中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)
2016年11月16日
プリズン・ブック・クラブ
カナダ
(霧山昴)
著者 アン・ウォームズリー 、 出版 紀伊國屋書店
刑務所のなかで読書会をしているというのに驚きました。それに参加した著者によるカナダでの実践記録です。
刑務所には手作りの焼き菓子の持ち込みは禁止されている。なかにやすりやぎざぎざした金属片など武器になるものを隠せるから。
読書によって受刑者を中流階級に引き上げたいという願いがある。受刑者に幅広い文化を体験させたいということ。読書会は徹底して無宗教で運営される。
カナダでは、国民全体の自殺率は10万人のうち11.3人に対して、連邦刑務所内では84人にのぼる。
受刑者は、ほかの人たちよりずっと本から多くのことを学びとっている。時間とエネルギーがあるぶん本に集中できるし、学ぶ必要に迫られてもいる。
刑務所内では、グループできっぱり分断されている。ムスリムのグループ、ケルト人のグループ、先住民族のグループ、ヒスパニックのグループ、BIFA(黒人受刑者友好協会)のグループ。ふだん受刑者は仲間同士で固まって、ほかのグループとは接触しようとしない。しかし、読書会がそこに風穴を開けた。
受刑者が本の中の恋愛に関心を寄せるのも不思議ではない。彼らにとって恋愛は、いつか刑務所を出てパートナーと晴れて人生をやり直せるときまで、外の世界を忘れないでいるための支えなのだから。
本を大量に読むことで、受刑者暮らしに耐えてきた。でも、一緒に読んでくれる仲間がいないと、気力が出ない。読書の楽しみの半分は、ひとりですること。つまり本を読むこと。あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。それによって内容を深く理解できるようになる。本が友だちになる。
これは、私にとっても言えることです。まず、一人で本を読みます。そして、こうやって書評を書いて、感想をあなたと共有したいのです。
戦争とは、数ヶ月に及ぶ退屈に、ときおり恐怖が混じるもの。兵役期限が満了したころになると、兵士のほとんどが故郷へ帰りたがらない。これは、長いこと服役している囚人も同じ。居場所は刑務所しかない。ここを出ても、何もない。安心できる場所は刑務所だけ。戦場で求められるのは、仲間の面倒をみることと、敵を殺すことだけ。
バラク・オバマの本『マイ・ドリーム』すごく分厚いけど、よく読まれている。
読書会でとりあげる本の選定には苦労しているようです。この本には、O・ヘンリーとか、私の知っている(読んだ)本もいくつか出てきますが、大半は知らない(読んだことのない)本でした。『ベルリンに一人死す』とか『卵をめぐる祖父の戦』は読みました。どちらも大変面白い小説です。
この世界には、なんとさまざまな囚われびとがいることだろう。監獄の囚人、宗教の囚人、暴力の囚人。恐怖の囚人もいる。読書会への参加を重ねるたびに、その恐怖から徐々に解放されていった。
この読書会は受刑者の更生を直接の目的とはしていない。ただ、文学作品を読むことが他者への共感につながっていく。文学作品をよく読む人は、ノンフィクションの読者や何も読まない人に比べて、共感力や社会適応力がすぐれている。
こういう読書会は日本でもやられたらいいと思いました。受刑者にとって外部の実社会との接点が広がることは、とてもいいことだと私は思います。
(2016年9月刊。1900円+税)
2016年11月17日
錆と人間
アメリカ
(霧山昴)
著者 ジョナサン・ウォルドマン 、 出版 築地書館
サビをめぐる面白い話です。
アラスカには1300キロの長さの原油を運ぶパイプラインがある。そのパイプラインの中を錆探知のロボットが走っている。すごいロボットです。長さ5メートル、重さ4.5トンというのです。それをどうやってパイプラインの中を動かすのでしょうか・・・。並々ならぬ工夫と努力が必要なようです。そして、それをクリアーしてこそアラスカの地に人間らしい生活ができるというわけです。そこには、どうやら日本の科学技術も貢献しているようなのです。なにしろ、敵はサビです。どうやって見つけ、また、その手当てをするのが、難問ぞろいでした。
サビのおかげで、原子力発電所では少なくとも数人が死亡し、あわや原子炉がメルトダウンを起こしようになった。核廃棄物の保管も困難である。
世界最強のアメリカ海軍にとっての最大の脅威は、なんとサビなのである。そして、世界最強のアメリカ海軍は、サビとの戦いに敗北しつつある。
給水本管を守るため、水道水にも腐食防止剤が含まれている。水を陽イオン満載にして、腐食性を弱めようとしている。
宇宙にすらサビがある。そこでは分子酸素ではなく、原子状酸素があるからだ。ほとんあらゆる金属が腐食の餌食になる。
ニューヨークの港にある自由の女神像も骨組みがサビついていた。女神像にある1万2千個の骨組み用リベットの3分の1は緩んでいるが、あるいはなくなっていた。骨組みの約半数が腐食していた。
異種の金属同士が触れると腐食が起こる。それは、電池が機能する仕組みによる。銅と鉄の間に水分があるのは、こつの金蔵が接触しているのと同じほどの問題がある。結局、塗料のせいで、女神像は巨大な電池と化していた。
高さ91メートルの女神像の修復のためにカンパで集めた14億ドルがつぎ込まれた。
食品缶詰工場で働く人々の乳ガンの発症率は一般集団の2倍になっている。それも閉経前なら5倍である。
防食技術者の平均年収は10万ドル。防食技術者の11%は年に15万ドルを稼いでいる。年収20万ドルをこえる人も4%いる。
サビとは、金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応を起こすことで生成される腐食物。
サビについて、人間との深い関わりを認識しました。
(2016年9月刊。3200円+税)
2016年11月18日
長崎奉行の歴史
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 木村 直樹 、 出版 角川選書
江戸時代の長崎奉行というのは、たくさんの役得がある美味しい地位かと思っていましたが、意外に気をつかう、大変な激職だったようです。
長崎奉行は、幕府の老中の配下にあって、幕府の遠隔の直轄地を支配する遠国(おんごく)奉行の一つ。定員は2名で、うち一名は長崎で勤務する在勤奉行。もう一名は江戸にいて、幕府の諸役人たちと調整をおこなう在府奉行。
在府奉行は7月下旬に江戸を出発し、9月に長崎に到着、それまでの在勤奉行と引き継ぎする。交代した奉行は9月下旬に長崎をたち、11月には江戸に戻ってきて、翌年夏の出発まで、江戸城内で勤務する。
長崎奉行所は、長崎には二ヶ所あるが、江戸城内にはない。
長崎は18世紀はじめの最盛期には6万人の町人をかかえる九州屈指の大都市であり、日本各地の商人や遊学する者など、出入りが多い。
長崎奉行は身分は町人だけど他役人という下級支配層という地元出身の町役人を2千人を部下としている。長崎は6人に1人は役人と称する都市であった。長崎奉行の平均的な在職期間は4年。
正保4年(1647年)、ポルトガル船2隻が長崎に入港してきた。これに対して、九州各藩は競って将兵を送り込み、5万人の軍勢が長崎湾の内外に展開した。船を横に並べて仮設の船橋を構築してポルトガル船を長崎湾内に封じ込めた。結果としては、双方とも発砲することなく、平和裸に終結した。
キリシタン摘発も長崎奉行の仕事の一つだった。1657年(明暦3年)の大村郡崩れ(くずれ)では600人以上のキリシタンが捕まっている。18世紀の長崎奉行は、目付から就任したパターンがとても多い。次は、他の遠国奉行からの就任。とりわけ佐渡奉行からの就任が目立つ。18世紀半ば以降は、勘定奉行が長崎奉行を兼任するようになった。
貿易を幕府の財源の一部として期待し、そのために勘定奉行が直接乗り込んでくると、どうしても長崎の町人の反発をかってしまう。幕府の利益や国家的利益と、長崎会所に代表される長崎に留保されて都市長崎に還元される利益は、相反していた。
長崎奉行には、たしかに役得があった。長崎奉行に就任するときには、1000両を幕府から借りることが出来た。そして、わずか1年で返済することになっていた。それほど役得は大きかった。
名奉行は、長崎の市中に利潤が留保されないように、いろいろ工夫をこらした。
19世紀に入ると、長崎奉行は、国際情勢の変動に気を配りながら長崎の都市支配をすすめていくという新しい段階に入った。
長崎奉行という職種の変遷を江戸時代を通じて把握しようとする意欲的な本でした。
(2016年7月刊。1600円+税)
2016年11月19日
マタギ奇談
社会
(霧山昴)
著者 工藤 隆雄 、 出版 山と渓谷社
私も一度だけ秋田の白神山地に行ったことがあります。ブナの林がありました。といっても車で行ったのです。本当は、自分の足で歩いて登るのでしょうか・・・。
明治35年(1902年)の八甲田山の雪中行軍にマタギが案内人にたったのです。青森連隊のほうではなくて、弘前連隊のほうです。
青森連隊は210人のうち、199人が凍死してしまいました。弘前連隊のほうは、同じころ、同じ場所を行軍していて、マタギのおかげで一人の死傷者も出していません。にもかかわらず、連隊の将校は世話になったマタギを途中で放り出してしまうのです。恩知らずもいいところです。日露戦争(1904年)の直前で、ロシアとの冬場の戦争に備えた雪中行動でした。
青森連隊のほうは、案内人を雇わなかったのです。
「お前ら案内人ごときより優秀な地図とコンパスがある。案内人を雇えというのは、お金が欲しいからだろう。案内人などいらぬ」と豪語し、結局は山の雪中で道に迷い全滅に近い状況に陥ってしまったのでした。その後の日本軍の行方を暗示しているような事件です。
新田次郎の『八甲田山死の彷徨』は、もとの報告書を参照しながらマタギの苦労に何ら触れていない。事実を追及した書物は歴史に埋もれてしまった・・・。
新田次郎の本は私も読みました。こんなエピソードがあったのですね。
マタギは、ただ獲物を獲るだけでなく、山の隅々までを知って大切にしている人のことを言う。もし好き勝手に獲物だけを獲っていたら、いまごろ白神山地には生きものが一匹もいなくなっていただろう。マタギは、ただのハンターと違って、白神山地の番人なのだ。
白神山地は世界遺産に指定され、さらに鳥獣保護区に指定された。そのため、白神山地では一切の猟ができない。マタギという文化は、当然に終わりを告げた。
マタギが何をしていたのかを知るうえで貴重な本になっています。
(2016年10月刊。1100円+税)
2016年11月20日
ペルーの異端審問
南アメリカ
(霧山昴)
著者 フェルナンド・イワサキ 、 出版 新評論
16世紀の南アメリカはペルーでのキリスト教会での異端審問の実情を掘り起こした本です。ポルノグラフィーでしかありません。性を必要以上にタブーとした教会は、そのなかではおぞましいとしか言いようのない実情だったようです。
教会は教えのなかで、セックスを人々の不安材料へとゆがめ、おとしめることで、社会に対して抑制やタブー、暗黙の懸念を強いる。しかし、それは支配の道具にほかならず、欲求不満と神経症の源と化す。
1629年のある日、リマの修道院で暮らしていた修道女が異端審問所に出頭してきた。背教および悪魔との契約、その邪悪な悪魔と肉体関係をもったことの罪を審問官に自供した。
事件はペルーの首都リマに不安を巻きおこした。悪魔というものが形態のない存在だとすれば、恐るべき堕天使ルシャーは、女たちとの性行為に及ぶため、墓地から掘り起こした遺体に乗り移っていることもある。
わずか150ページの軽い本です。16世紀ころの南アメリカでの出来事ですが、ヨーロッパでも同じようなものだったのではないでしょうか。宗教に名をかりてインチキなことをするのは古今東西を問わないですね。
(2016年7月刊。1800円+税)
2016年11月21日
忍性
日本史(鎌倉時代)
(霧山昴)
著者 松尾 剛次 、 出版 ミネルヴァ書房
鎌倉時代に、ハンセン病患者に挺身していた高僧がいたのですね。ちっとも知りませんでした。良観房忍性(にんしょう)という僧です。ハンセン病患者の患部に自ら薬を付けるなど、直接的な看護を目指していたというのです。すごいですね。
忍性たちの教団はその時代に10万人近くの信者を獲得し、1500の末寺を保有していた。鎌倉時代、最大の信者数を誇る新興教団だった。その規模は、当時の日本で最大の人口を有していた平安京が12万人ほどと推測されていることからも想像できる。
忍性の生きた時代、すなわち13世紀の後期・末期から14世紀初頭の鎌倉時代は、日蓮や一遍といった鎌倉新仏教僧が活躍した時代であり、また蒙古襲来という未曾有の危機に見舞われた時代でもあった。
忍性は、奈良や鎌倉で精力的にハンセン病患者の救済活動をすすめた。
当時、ハンセン病患者は、人間に非ざる存在(非人)とされ、筆舌に尽くしがたい差別を受けた。前世あるいは現世における悪業によって仏罰を受けた存在だと認識されていた。それは、ハンセン病患者の救済に従事した叡尊らも例外ではなかった。
ハンセン病患者たちは、もっとけがれた存在だと考えられていて、非人と呼ばれ、人々との交際も拒否されていた。そうした彼らに忍性らは救済の手をさしのべた。こうした慈善救済事業と戒律護持の態度などから、忍性は北条時頼、重時、実時ら鎌倉幕府の幕閣たちの尊敬をも集めた。
当時、僧侶の妻帯は一般化していたし、僧兵という、僧侶でありながら武芸を誇る者が多数いた。忍性は戒律を重視し、その護持を誓い、他者にもその護持を求める律僧であるとともに、密教僧でもあった。このころ僧侶の破戒は一般的だった。戒律復興を叫び、戒律護持を勧めた叡尊、忍性らが注目されたこと自体が、そのことを逆説的に証明している。
中世において、僧侶には、官僧と遁世僧という二つのタイプがあった。叡尊らは、不治の病とされたハンセン病患者救済をはじめ、橋・港湾の整備、寺社の修造、尼寺の創出など、さまざまな社会救済事業を行った。その結果、叡尊の教団は、10万をこえる信者を擁する鎌倉時代最大の仏教勢力の一つとなった。
叡尊や忍性らは行基の活動をモデルとしていた。彼らは行基信仰をもっていた。
忍性をライバル視し、激しく批判したのが日蓮だった。忍性と日蓮は、宿敵と思えるほど激しく対立した。その背景には、都市鎌倉での信者をめぐる獲得競争があった。
忍性は、1303年(嘉元元年)7月12日に87歳で亡くなった。
鎌倉時代の社会の実相を再認識させられる本でした。
長年の友人である裁判官からすすめられて読みました。いい本をすすめていただき、ありがとうございました。
(2004年11月刊。2400円+税)
2016年11月22日
戦地からのラブレター
世界(フランス)
(霧山昴)
著者 ジャン・ピエール・ゲノ 、 出版 亜紀書房
第一世界大戦の最前線で死んでいった兵士が家族に宛てた手紙が集められた本です。涙なくして読めませんでした。まことに戦争とはむごいものだとつくづく思いました。まだ10代、20代、せいぜい30代と若いのに、むなしく無惨に殺されてしまうのです。
そして、前線の兵士たちは、国の指導者、そして戦争をあおり美化するマスコミ・ジャーナリストを呪います。本当に、その気持ちがよく分かります。
戦争は4年も続いたが、全戦死者の実に6分の1が最初の2ヶ月で死んでいった。夏のわずか5日間で14万人もの死者。なかでも、熾烈を極めた一日、1914年8月22日だけで、なんと2万7千人が戦死した。
最初の夏(1914年)、まだ皆、甘く考えていた。激戦は長く続かないだろう。ウィルヘルム二世(ドイツ帝国皇帝)は、早々に兵を引くに違いないと思っていた。激しいプロパガンダ合戦は始まっていたが、ほとんど人たちは、そんなものに関わっていなかったし、兵士たちは、この先に何が起こるのか分からず、ただ不安を抱えたまま、家族や職場に別れを告げた。
兵営や塹壕の腐臭が、僕らの抵抗が、僕らの苦痛が正義や幸福をつくるとは思えない。
名誉とか軍の義務とか、犠牲とか、そんなものは見かけ倒しにすぎず、戦争というのは、結局、なかに隠された骸骨のことではないのか。
戦争という娼婦は、その戦争を支える多くの連中の快楽によって出来ている。
「隠そうとしても無駄だから言っておく。今ぼくらは危険な状態にあり、惨劇が予想される。でも、落ち込んだりしないでくれよ。どうせ、皆、いつかは死ぬんだ」
わずか5ヶ月間で100万人のフランス兵が死んだ。当初の召集兵の4分の1だ。
「ぼくらは、まるで一人の人間のように一丸となって進む。そう、ぼくらは、このとき、殺すこと、皆殺しにすることだけしか考えないけだものになっていた」
「人は知るべきだ。この酷すぎる事実を知るべきだと思う。神の力って、どんなものなんだろう・・・」
「わが軍と敵軍、どちらの歩兵部隊も疲弊しており、最初に仕掛けたほうが、先に死ぬのは目に見えている。実際、皆、重機で倒されているのだ。もはや、人と人との戦闘ではなく、人が機械に挑んでいる」
「新聞に書かれているような快進撃なんて、ありはしない。新聞は国民を奮い立たせようと嘘を書くペテン師だ。あんな記事を信じてはいけない。兵士を消耗させるだけなのが戦争だ。戦争はペテンだらけだ。ぼくらはあらゆる業種からかき集められた労働者で、上の奴らは安全な後方で爆弾をつくっている。上の奴らだけが大金を手にし、ぼくらの受けとる俸給はごくわずか。ぼくらはお人好しだな。要するに馬鹿なんだ」
「軍隊に規律なんてない。まるで囚人や奴隷のような扱いだ。若い将校は出世のことしか考えていない。攻撃で手柄を立てるが、陣地を護ることで手柄を立てるが、それしか考えていない。どっちみち、下っ端の兵士が犠牲になる。将校には計画性がない」
そして、映画にもなっていますが、最前線にいたドイツ軍とフランス軍がクリスマス休戦をしたのです。お互いの塹壕を訪問しあい、煙草や葉巻を交換しあった。
「こっちも泥だらけなら、向こうも泥だらけ。ぞっとするほど汚くて、ああ、あいつらもきっともう嫌になっているんだなと思った」
「敵兵もフランス兵もひきつった死に顔は同じだ。はぎとられ、暴かれ、まざりあい、風が吹きつける戦場に散らばっている。弔ってくれる新しい者も聖職者もいない。朽ち果てていく死体には敵も味方もいない」
「戦争が2年も続いているうちに、人々が徐々に利己的になり、戦争に無関心になってきたのを感じる。ぼくたち兵隊のことなど忘れてしまったかのようだ。故郷に帰っても、まるで無関心の人がいる。おまえ、まだ生きていたのかと驚かれる」
「ドイツ兵捕虜の手紙を読んだ。彼らの手紙はぼくらの手紙と同じだった。みじめな生活。和平を心待ちにする思い。あらゆる行為の馬鹿馬鹿しさ。つらい思いは、みな同じだ。あいつらも、ぼくたちと同じ人間なんだ。不幸せな人間であることに変わりはない」
「新聞は腐りきった財界人と政治家の言いなりだ。戦争支持者と残酷な勇者を讃えるばかり」
「ぼくらは獣によりさがっている。まわりの兵を見ていて、そう思うし、自分についてもそう感じる」
『聞け、わだつみの声』を思い出しましたし、第二次大戦で生き残った日本兵の手記を読んでいる思いがしました。
そして、いま、日本の自衛隊が遠いアフリカまで出かけていって、ついに「戦死」者を出そうとしています。とんでもない事態です。愚かな財界人と政治家たちの金もうけのためにアフリカの地で、日本の平和とは関係なく「戦死」させられる若者の生命がいとおしくてなりません。今に生きる貴重な本だと思います。
(2016年10月刊。1900円+税)
2016年11月23日
ストーリー311
社会
(霧山昴)
著者 ひうら さとる 他 、 出版 講談社
2011年3月11日、あの日、何が起きたのか、その後、福島で何が起きているのかを11人の漫画家が描いています。
いま、安倍政権は日本の原発を海外へ輸出しようと躍起になっています。先日はインド首相と話しましたし、トルコにも話をもちかけています。幸いベトナムのほうはベトナム側が断念したようです。戦場に近いトルコへ原発を輸出するなんて信じられません。
テロリズムの危険を一体どう考えているのでしょうか。ドローンを使ったテロ攻撃がなされたら、もう防ぎようがありません。そして、いったん「爆発事態」になれば、もう福島第一原発事故以上の大惨事になるでしょう。なにしろ誰も立ち入ることが出来ないのですから・・・。
「原発」輸出の話をマスコミがその危険性を明確にしないまま、まるで大型タンカーでも輸出するかのように気楽な調子で報道しているのに、私は驚きと怒りを禁じえません。それほど日本人は全体として健忘症にかかっているのでしょうか・・・。
この本は、マンガで描かれているだけに、かえってリアリティーがあります。
津波から走って逃げていて、うしろを振り返ってみると、うしろの人の姿が見えなくなっていた。津波にのみこまれた。
福島は放射能で危険だと思い、子どもも自分も逃げたい。しかし、周囲の人は、そんなの考えすぎだという・・・。そんな葛藤もマンガで再現されています。
津波にさらわれて亡くなっていった人、福島第一原発事故のため故郷に戻れない人々・・・。私たちは絶対にそのような現実を忘れてはいけません。
3.11をまざまざとよみがえらせ、思い出させてくれる貴重なマンガ本でした。
書店で注文したら品切れだったので、ネット注文して、ようやく手に入れて読みました。
(2013年3月刊。838円+税)
日曜日に、フランス語検定試験(準一級)を受けました。やはり試験ですから落ちたくありません。この1ヶ月間は朝だけでなく、夜ねる前も書きとりしたり、10年分の過去問を復習しました。本番では、相変わらず不出来なのですが、自己採点では76点(120点満点)でした。なんとかギリギリ合格だと思います。1月に口頭試問を受けます。これがまた難しいのです。でもボケ防止のためにも精一杯がんばるつもりです。最近、フランスへ旅行していないのが残念でなりません。
2016年11月24日
学校内弁護士、学校現場のための教育紛争対策ガイドブック
司法
(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版 日本加除出版株式会社
著者は学校内弁護士です。スクールロイヤーではありません。えっ、どこが違うの・・・?
著者は5年前から、私立高校の社会科教員であり、また弁護士でもあり、兼業しています。
実際のスクールロイヤーは、「学校」の弁護士ではなく、「教育委員会と管理職教員」の弁護士。学校からすれば、あくまでも外部の第三者。毎日、学校にいるわけではない弁護士が「スクールロイヤー」の名称を用いるのは、あまりにも実態とかけ離れている。スクールロイヤーと称する弁護士の最大の問題点は、学校と日常的に関わっていないことにある。
学校内弁護士の魅力は、一日、学校に勤務するだけでも、何十人、何百人もの生徒と接することにある。もう一つは、同僚として教育現場で働く先生と直接的な関わりをもてること。
学級担任の法的責任は、学級経営に関する裁量権の逸脱・濫用が認められる場合にのみ成立すると考えるべき。学級経営に関する事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、判断の過程・内容が著しく不合理でない場合でない限り、学級担任は責任を負わないと解される。
教育的責任と法的責任はまったく別の概念である。
何らかの事故が起きた場合、保護者から責められたときには、
「一教育者として申し訳なく思います」
「損害賠償などの件については、弁護士と協議してお答えしたいと思います」
このように答える。事実関係や因果関係を記載した「報告書」などの書面は、弁護士や第三者が関与するまでは作成すべきではない。
保護者側が秘密録音することを防止するのは不可能。
「いじめ」のとき、加害者を直接交渉に関与させることは、加害者の親権者に対して、家庭の責任を意識させる契機になる。紛争当事者としての意識をもってもらうことも大切。学校は補完的に仲介するのがよい。
危険性を有する加害者の家庭は、そもそも家庭内での問題をかかえていたり、連絡がなかなかとれなかったりする場合が少なくない。そのため、学校としては、家庭の事情や連絡した事実を記録して、証拠化しておくことも大切。
「いじめ」が発生した場合、学校は、通常、在学契約にもとづく安全配慮義務または不法行為責任を負う。しかし、「いじめ」の法的責任を一時的に負うのは、あくまでも加害者とその親権者である。学校は、できる限り早期に双方に対して「紛争当事者」であることを意識させる必要がある。
学校は必ずしもアンケート調査を実施する必要はない。むしろ、アンケート調査は不要と考える。匿名によるアンケート調査は気休め程度のものでしかない。むしろ、日常的に面談調査やヒアリング調査を行うほうが、「いじめ」の早期発見につながる。
「いじめ」を早期発見できなかった責任は教員だけでなく、親権者にもある。
男子は身体的で可視的ないじめが多く、女子は心理的で陰険ないじめが多い。いじめる家庭は家庭に問題を抱えていることが多い。これは、全世界に万国共通の傾向である。
保護者対応の基本原則は、保護者のクレーム内容に合理性があるかどうかを検討すること。合理性のない主張には毅然とした対応を示す。合理性のない主張には、合理的な主張で対応することが非常に効果的である。
さすがに学校現場にいる弁護士だけあって、とても説得的かつ実践的な本です。学校にからむトラブルに関心のある人々に、一読を強くおすすめします。
(2016年8月刊。2700円+税)
2016年11月25日
テロリストは日本の何を見ているのか
社会
(霧山昴)
著者 伊勢﨑 賢治 、 出版 幻冬舎新書
北朝鮮や中国が日本に攻めてきたらどうするんだ。日本の軍備増強は当然だ。
そんなキャンペーンが右側から、しきりに叫ばれています。でも、日本には50以上の「原発」があるのですよ。そこを狙われたら、日本は終わりです。それは、3.11で福島第一原発事故が証明したではありませんか。
日本には、54基もの「原発」が、平べったい弧の形にそってずらりと並んでいる。この状況は、日本の国防を考えたとき、薄氷の上に国を置いているのに等しい、とてつもなく深刻な事態である。
ボクシングにたとえると、大きなアメリカをセコンドに持つも、憲法9条で終了手を縛られたまま、敵に対してノーガードで腹をさらけ出しているようなもの。しかも、この腹からは、3.11の衝撃で臓物が一部とび出している有様だ。この腹が狙われたら、真っ先に逃げ出すのは、セコンド役のアメリカだろう。現に3.11のとき、横須賀にいたアメリカ軍の空母ジョージ・ワシントンは真っ先に逃げ出した。
中国が日本を侵略するなんていうことは考えられない。尖閣諸島を中国にとられたら、日本の本土もチベットのように「侵略」されるというのは、非常にたちの悪い扇動でしかない。
ドローンがテロの手段として使われるようになるのは、もう時間の問題だ。
「フクイチ」(福島第一原発)の現場に身元のわからない人間が立ち入っているのが現実である。日本の原子力産業の現場は、下請け、孫請け、ひ孫請けが引き受けているという旧態依然として世界である。セキュリティが万全などとは、とても言えない。そこにテロリスト集団のメンバーが入らないという保障は、どこにもない。
2008年から2014年までにヨーロッパ諸国がアルカイダに払った身代金は判明しているだけでも146億円にのぼる。そしてイスラム国が得た身代金は、1年間で50億円前後である。
日本はテロのターゲットになりやすい。安倍首相はエジプトのカイロで、ISとたたかうという趣旨の演説をしたが、危ない。イスラム恐怖症がテロリストを先鋭化させる。
現在、日本からの輸出品でテロリストを利しているのは、トヨタの悪路でも走れるトラックやSUVなどの自動車である。
テロリストを攻撃すればするほど「敵」が増えていく。悪循環が止まらない。
著者は、核セキュリティにもっと真剣にとりくむこと、日米地位協定を改定して日本をアメリカと対等な立場に立つものとし、日本「軍」は海外に出ていかないことを提言しています。
豊富な実践にもとづくものだけに、真剣に受けとめて速やかに議論する必要があると思いました。
(2016年10月刊。800円+税)
2016年11月26日
クモの糸でバイオリン
生物
(霧山昴)
著者 大﨑 茂芳 、 出版 岩波書店
すごい話です。庭にいる普通のクモから糸を取り出し、それをより集めてバイオリンの弦にして音楽を奏でたというのです。
クモの糸だって体重100キロの人を吊り上げることが出来るのです。その話は、前に、著者の本で紹介しました。ところが、今度は、クモの糸が強いというだけではなくて、バイオリンの弦にすると柔らかくて深い音色を出せるというのです。
問題なのは、そのクモの糸をどうやって集めるのか、ということです。クモがカイコのように簡単に糸を吐き出してくれるとは思えません。その涙ぐましい努力の過程が、この本で紹介されています。
いったい、著者は何を職業としているのでしょうか・・・。医学部の教授ですが、医師ではなくて、生体高分子学を専門としています。そんな著者が40年間にわたってクモの糸の性質を調べてきた成果が結実したのです。著者は、私より少しだけ年長の団塊世代です。心から尊敬します。
クモは世界に4万種いて、日本には1500種いる。
日本のクモの半数は、獲物を探し歩く徘徊性のクモ。残る半数が網を張って獲物を獲る造網性のクモ。
クモの糸の縦糸は巣の骨格をつくり、粘着性はない。粘着性があるのは、横糸だけ。横糸には、粘着球が等間隔にくっついている。
クモから糸を取り出すには、クモが元気な状態でないといけない。ところが、クモはヒトの足元を見る。優しく扱っても、それが過ぎるとなめられてしまう。厳しすぎると、へそを曲げて、言うことをきかない。
クモの糸の第一の特徴は、非常に柔らかく、曲げやすいこと。
クモの糸を弦とするバイオリンで、「荒城の月」や、「アメージンググレース」を著者がひいている様子がネットで公開されているそうです。いやはや、たいしたものです。あくことなくクモの糸に挑戦して立派な成果をあげられたことに心から敬意を表します。
(2016年10月刊。1200円+税)
2016年11月27日
纒向発見と邪馬台国の全貌
日本史(古代史)
(霧山昴)
著者 白石 太一郎 ・ 鈴木 靖民ほか 、 出版 KADOKAWA
私は、もちろん邪馬台国は九州にあったと考えています。そして、いつのまにか奈良の大和(やまと)王朝にとって代わられたのです。
ところが、纒向(まきむく)遺跡が発見されてから、ヤマト王権は大和(奈良)にあったという考えが圧倒するようになりました。残念です。でも、本当にそうなのでしょうか・・・。
この本は、福岡と大阪のシンポジウムをまとめて本にしたものですから、最新の議論状況がよく分かります。いろんな問題が、まだ決着ついていないこともよく分かりました。こんな、たくさんの謎が残されているからこそ、歴史学は面白いのですよね。
『魏志』倭人伝という文献の解釈だけなら、九州説に分がある。しかし、考古学の側からは大和説はかなり優位にある。そして、倭国の王権の所在地が九州から東の大和に移ったとする、東遷説もある。
北部九州、とりあわけ福岡県内には額を割られた人骨、石や青銅の鏃(やじり)や剣の切っ先を体内に残して葬られた人骨が多く出土している。吉野ヶ里遺跡などには首が切断された人骨も出土している。
奈良盆地にある纒向遺跡には、幅6メートルもの大溝の護岸に天板を並べて運河がつくられた。大和で、墓への大量の副葬が始まるのは、この纒向遺跡のあとから。
纒向遺跡の前方後円墳が、もっとも古くて、もっとも巨大だ。長さ86メートル、96メートルある。他の地域のものは、3分の1,せいぜい3分の2ほどしかない。
倭国王は、2世紀には伊都国にいたから、倭国の王都は、3世紀に伊都から「やまと」へ遷都したことになる。卑弥呼は、邪馬台国の女王ではない。卑弥呼は、倭國王ではあったが・・・。
三角縁(さんかくぶち)神獣鏡は中国の工人がつくったものだった。
鏡は、中国では化粧道具である。日本(倭の国)では、呪術性が拡大され、支配者の象徴的な器物、政治的な配布物ともなるもの・・・。卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」には含まれていない。
三角縁神獣鏡について、その形状を改めて精査し、形状等をこまかく比較検討しているのです。古代日本では九州は先進地であり、さまざまな鉄や威信財が入ってくるときの窓口だった。
まだまだ九州説が完全に否定されたというのではなさそうです。なんとかして、巻き返したいものです。
それにしても遺跡の発掘って大変な根気のいる仕事ですよね。その地道な苦労に心より敬意を表します。
(2016年7月刊。2000円+税)
2016年11月28日
脳は、なぜあなたをだますのか
(霧山昴)
著者 妹尾 武治 、 出版 ちくま新書
人間って、単純なところが多々あるんですね。この本を読むと、ますます、そう思ってしまいました。選挙のとき、有権者は顔を見て投票しているというのです。
顔だけを見て競争力があるとして選ばれたほうの人物が、実際の選挙でも当選していた確率が71.6%だった。結局は顔なのだ。だから、選挙ポスターはきわめて重要。なんとなく力強いから。なんとなく信頼できそうな顔をしているから・・・。そんな些細な、瞬時に形成されるような印象こそが、選挙のとき一番大事なようだ。
単純接触効果というものがある。マインドコントロールの一種である。なんらかの対象に何度も接触すると、その対象の好感度が上がる。つまり、繰り返し見たり聞いたりすると、それが好きになってしまう。
CMや広告にさらされていると、私たちの好みは、無意識のうちに影響され、形成される。メディアに踊らされるのである。自分の意思で、自分がほしいから手に取ったと私たちは考えている。しかし、実は、そのお菓子を手にとったのは、無意識のうちにCMや広告で操られた結果に過ぎないのだ・・・。
アンカリング効果というものがある。アンカーというのは、いかりのこと。提示された数字がいかりのように機能して、思考がそこから大きく外れることができなくなってしまう。
たとえば、1万円の正札がついている商品があると、実際にはよそでは千円で買えるものでも、なんとなく5千円の価値はあるという思考をして、半額に値切って買い、もうけたと考えてしまう。
この本には、こんな実験も紹介されています。信号のない横断歩道を渡ろうとしたとき、いかにも高級なベンツがやって来たら、ベンツの走行を優先させて、歩行者は立ち停まる。ところが、いかにもボロそうな軽四輪車が走行してきたときには、歩行者は立ち停まらず、車を停めて歩いて渡る。金持ちは、いろんな場面で優先的に扱われて当然だという思考がそこにはある。
なーるほど、そう言われたら、恐らく、私もそうするかな・・・。
心理学を中学生や高校生にも教えるべきだと著者は主張しています。この本を読んで、なるほどと思いました。
(2016年8月刊。780円+税)
2016年11月29日
戦場の天使
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 浜畑 賢吉 、 出版 角川春樹事務所
戦争中、動物園にいた動物たちの多くが殺されてしまいました。毒入りのエサを警戒して食べない動物は餓死させられたそうです。人間だってろくに食べられない状況では、飼っている動物にやるエサがない。空襲にあってオリが壊されて猛獣が市街地に出ていったら大変。そんな人間の身勝手が罪のない動物たちを次々に殺していったのです。
この本は、上野動物園に飼われていたヒョウが高知市にある科学図書館におさめられたヒョウのはく製になった由来を紹介しています。このヒョモもまた、戦争の犠牲者なのです。
「戦場の天使」とはヒョウのこと。なんでヒョウが「天使」なのか・・・。
高知県出身者から成る日本軍の部隊が、中国の揚上江中流域にある湖北省陽新県に派遣され、駐屯していた。
ある日、「敵兵見ゆ」の情報で山中に出動すると、「敵兵」の正体は、なんとヒョウ。
ヒョウは、人間の赤ん坊を襲っていた。そこで、ヒョウ退治に出かけた日本軍の兵士が、なんとヒョウの赤ちゃんを2頭も救出してしまった。さあ、大変。ヒョウの赤ちゃんを助けるのか、助かるのか・・・。
生肉を与えると、ヒョウの赤ちゃんは元気を取り戻して生きのびた。
部隊では愛犬ならぬ愛ヒョウとして、兵士みんなに可愛がられる人気者となった。
ヒョウは「ハチ」と名づけられ、愛情一杯で育てられて大きくなった。決して人間は襲わない。しかし、ヒョウの本能を失ったわけでもない。部隊の斤候の役割も果たした。
ヒョウも兵隊も楽しい時期は過ぎていき、部隊は転進することになった。
人間に飼われていたヒョウは、自分のことを人間と思っているので、自然の中へは返せない。かといって、見知らぬ人間社会に野放しするわけにはいかない。そこで考えついたのが、日本の動物園へ送って預けること。
そうやって、中国のヒョウが東京は上野動物園におさまったのです。
そして、東京が空襲にあうようになり、ついに毒殺されてしまったのでした。
人間だって、次々に殺されていったのが当時の世の中です。ヒョウが毒殺されたのはやむをえなかったでしょう。やっぱり戦争が良くなかったんだ。そう思いました。
この本は小学高学年から中学生に向けていますので、漢字にはすべてルビが振ってあります。そんなルビが気にならないほど、思わず惹きこまれました。大人が読んでも考えさせられる本になっています。
(2003年8月刊。1300円+税)
2016年11月30日
編集とは、どのような仕事なのか
社会
(霧山昴)
著者 鷲尾 賢也 、 出版 トランスビュー
編集者は、まずプランナーでなければならない。無から有を作り出す発案者である。
編集者は、真似も恐れてはならない。柳の下にドジョウは三匹いる。アイデアは、真似をしながら変形させていくことによって新しくなるもの。
編集者は、ある面では「人たらし」でなければならない。依頼を気持ちよく引き受けてもらい、スムーズに脱稿にまでこぎつける。
編集者は、雑用の管理者という側面も持っている。すべてのことが同時進行になることが多い。企画を考えながら、ゲラを印刷所に返す。装丁家に依頼もしなければならない。営業との打合せも入る。こんなことは日常茶飯事。どのようにしてリズミカルにいろんな局面に対応できるか。これも編集者の大事な能力。口、手足、頭をマルチに使えるのが一流の編集者だ。
編集者には、フットワークが求められる。軽く、気軽に実行できる即応力である。
編集者の仕事の源は人間。それ以外に資源も素材も何もない。つまり、優れた人間を見つけるか、育てるかしか方法はない。
編集者は、旺盛な好奇心の持ち主でないといけない。素人の代表である。
編集者ほど、人間が好きでないとやっていけない職業はない。そして、夢を描き続けられることも編集者に必要な資質である。少年の夢に似た憧れを抱き続けられる持続力は、編集者に必要な資質だ。
編集者は、著者には読者の代弁者、読者には著者の代弁者でなくてはならない。執筆は苦しい作業である。身を削るほどの労力・時間を使い、ようやく完成する。
著者は機械ではない。催促なしの脱稿という夢のようなことは一切考えないほうがいい。催促なしに原稿は完成しない。それが原稿というものである。依頼したあと、編集者は著者を励まし、叱咤し、助力し、ほめたたえ、応援し、だまし、なんとか完成にこぎつける。どんな手段をとっても原稿が出来上がるところまでもっていかなければならない。
商品にするために、表現上の化粧は編集者がほどこさなくてはならない。
導入部は大切。ともかく読者を引き込まなければいけない。
パソコンで書かれる原稿は、どうしても漢字が多くなる。しかし、ベストセラーに共通しているのは、誌面に白地が多いこと。活字がぎっしり詰まっていると、読もうという意欲を失わせる。漢字とひらがなの比率、適度な改行が整理するときの大切なポイントである。
モノカキを自称する私ですが、同時に編集も業としています。この本は、その点さすがとても実践的な内容で参考になりました。
苦労してつくった真面目な本が本当に読まれません。残念です。みんな、もっと、本を本屋で買って読んでほしいと心から願っています。
(2014年10月刊。2000円+税)
いま、今年よんだ単行本は492冊です。読書ノートをつけています。大学生のころから読書ノートをつけているのです。それによると、20年前から年間500冊のペースで変わりません。もっと前、30年前には200~300冊でした。読むスピードを少し上げたのと、訓練して速くなりました。でも、これ以上は増やしません。本を読むのは、電車のなか飛行機のなかです。ですから車中や機中で眠りこけないように、家でしっかり睡眠をとるようにしています。
本を読むと、世界が広がります。こんなことが世界で起きているのかと、新鮮な刺激を受けられるのが楽しくて、本を読み続けています。