弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年10月 7日

ブラックアース(上)

ドイツ

(霧山昴)
著者  ティモシー・スナイダー 、 出版  慶応義塾大学出版会

 歴史の真実とは、ときに目をそむけたくなるものがあることを実感させてくれる本です。
 いま、たとえば日本では、中国軍が沖縄に攻めてきたらどうするんだと、真面目に心配している人が少なくありません。決して笑いごとではありません。そして、日本が武力をもつのは当然だ、核武装してもいいんだと高言する恐ろしく強気の発言を繰り返す政治家がいて、それをもてはやす国民がいます。平和を守るためには、武力拡張が必要だと真剣に考えている人もいるのです。
 そんな人たちからすると、私なんてまさしく卑怯者、弱虫、泣き虫としか思えないことでしょうね。良くて、せいぜい夢想主義者というところでしょうか・・・。でも、本当に武力さえもてば平和になれるでしょうか。世界一の最強国アメリカは、どこか平和をもたらしましたか。
 ユダヤ人のホロコーストを誰が実行したのか・・・。ヒトラーが主導したのは間違いないけれど、ヒトラーはドイツ国内で何百万人ものユダヤ人を殺したのではない。ドイツ国内ではユダヤ人をあまりに虐待すると、ドイツ人からの反発が強く、それを恐れて、あまり(他国ほど)ユダヤ人を手荒く扱っていない。
 ホロコーストで殺害されたユダヤ人のほとんどすべては、ドイツ国外に住んでいた。殺戮されたユダヤ人のうち、強制収容所を見たのは、ごく少数だった。
ユダヤ人殺害は、国家制度が破壊された地域でのみ可能だった。その一つがポーランドだった。
 ナチスの恐るべき思想を支えていた一つに、アメリカの西部開拓におけるインディアン絶滅があるのを知って驚き、かつ、考えさせられました。もちろん、インディアンの子孫は今もアメリカ大陸に生存していますが、わずかな居留地に押し込められ、「絶滅」が心配されているようです。
アメリカの白人がインディアンに対してしたことをナチスがユダヤ人迫害のときに模範にしたといって、それを誰が「そんな馬鹿なこと...」と否定できるでしょうか...。
ポーランドにヒトラー・ナチス軍が侵攻したとき、最初に粉砕されたのは国家機関だった。そして、ポーランドの法は廃され、ポーランドという国家は存在したことさえなかったとナチス・ドイツは宣言した。
ポーランド人は迫害されたユダヤ人のものを盗み、ユダヤ人を憎んだ。しかし、ドイツ人のポーランド占領は、ポーランド人の社会的向上にはつながらなかった。教育のあるポーランド人は殺害され、残りの人々は、もの言わぬプロレタリアートとして扱われた。
ヒトラー・ドイツのポーランド侵攻は、ポーランドは主権国家として存在していない。存在しえないという理屈にもとづいていた。捕虜にしたポーランド兵は射殺しても構わなかった。というのも、ポーランド国家というのがない以上、ポーランド軍なるものも現実に存在したはずがないからである。
3.11。1938年3月11日、オーストリア国家は崩壊し、一夜にしてユダヤ人は迫害の対象とされた。オーストリアの二大主要政党でユダヤ人は役割を担っていた。ところが、ユダヤ人は「舗道こすりパーティー」という屈辱的な行為をさせられた。医師や弁護士だったユダヤ人が路上でひざまずいて道路をブラシでこすり、それを大勢のオーストリア人が笑って楽しみながら見ていた。
オーストリアは、突然、反ユダヤ主義になり、ドイツ人にユダヤ人の扱い方を逆に教えることになった。ヒトラー・ナチスは、オーストリア人の反応を見て自信をもち、ユダヤ人迫害を先にすすめた。
このとき、多くのオーストリア人が「明日は我が身」と考えて、ユダヤ人を迫害しなかったなら、いかにヒトラー・ナチスといえどもユダヤ人絶滅作戦をそんなにすすめることは出来なかったはずだというのです。この指摘は重いですね。付和雷同して権力の望むように踊っていると、いつのまにか自分の身まで危いということを大衆はなかなか自覚しないというのが歴史の重たく悲しい教訓です。
1938年にオーストリアから6万人のユダヤ人が脱出した。しかし、ドイツを離れたユダヤ人は4万人でしかなかった。ドイツのユダヤ人がドイツを脱出しようとするのは、ナチスがウィーンで学んだ教訓を適用するようになってからだった。
読んでいくにつれ、心の重たさは深まるばかりでしたが、勇気をふるって最後まで読み通しました。いやはや・・・。「自虐史観」なんてネーミングの馬鹿らしさにも改めて気がつかされます。
(2016年7月刊。2800円+税)

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