弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年10月 5日

戦争まで

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 加藤 陽子、 出版  朝日出版社

 30人ほどの中高年に向けて、大学教授が日本が対米戦争に踏み切るまでの経緯を問答形式をとり入れながら語っている面白い本です。心と頭の若くて柔らかい中高生時代をとっくに過ぎた私ですが、最後まで面白く読み通しました。
話を聴いていて、ときにある著者からの問いかけに対する中高生の答えの素晴らしさは声も出ませんでした。これって、ヤラセじゃないのと、つい頭の固いおじさんは疑いたくなるほど見事な回答なのです。
戦争とは、相手方の権力の正統性原理である憲法を攻撃目標とする。
戦争は、相手国と自国とのあいだで、必ず不退転の決意で守らなければならないような原則をめぐって争われている。相手国の社会の基本を成り立たせてる基本的な秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書き換えるのが戦争だ。
天皇は2015年8月15日の全国戦没者追悼式の式辞において、戦後の日本の平和と繁栄を築いたものは、「平和の存続を切望する」国民意識と国民の努力によると語った。
この点、私もまったく同感です。安倍首相の言葉には、まったく欠落している視点です。
1931年9月の満州事変のあと、国際連盟は現地にリットン調査団を派遣した。そして、翌1932年10月にリットン報告を発表した。
日本側は、中国国内の国共対立、日本製品ボイコットの実情をリットン調査団に見せようとした。必ずしも日本の不利になるとは考えていなかった。
リットン報告書は、日本軍の軍事行為は自衛の措置とは認められない。満州国は日本のカイライ国家であり、現地の人々の支持を受けていない。日本製品ボイコットは国民党政府が組織したもの。この三つが持論だった。
リットン報告書は、十分過ぎるほど、日本側に配慮していた。そして、中国側はこの報告書に不満だった。つまり、リットン報告書は、日中両国が話し合うための前提条件をさまざま工夫したものだった。
戦前の日本の外交・軍事の暗号がアメリカ軍にあって解読されていたことは、有名です。山本五十六元帥も、そのため撃墜されてしまいました。ところが、この本によると、日本側もアメリカの外交電報の9割は解読していたというのです。
アメリカほどではないにしても、かなり高い解読能力を有していた。これは、ちっとも知りませんでした。
戦争が、相手国の権力の正統性原理への攻撃であったとすれば、その攻撃の為に敗北し、憲法を書き換えられることとなった当事者である日本人として、戦争それ自体の全貌をちゃんと分かっていなければならない。しかし、沖縄を例外として、戦場が主として海外であったこと、戦争の最終盤があまりにも悲惨だったことで、日本人は戦争を正視するのが、なかなか難しかった。
飛耳長目の道。あたかも耳に翼が生え、遠くに飛んでいって聞いているように、自国にいながら他国のことを理解することであり、また、あたかも望遠鏡のように遠くを見通せる「長い目」で眺めるように、現在に生きながら昔のことを理解できること、という意味。つまり、自国にいながら他国にことを理解し、現在に生きながら昔のことを理解するのが学問であり、その極めつけが歴史なのだ。
中高生を目の前にして戦前の日本を振り返ると、話すほうにも得られるものが大きい。このように書かれています。なるほど、そのとおりだろうと、この本を読んで思いました。
巻末に参加した中高生全員の氏名が学校名とともに紹介されています。すごい子たちです。日本も、まだまだ見捨てたものではありません。
(2016年8月刊。1700円+税)

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