弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年9月 8日

ハーレムの闘う本屋

アメリカ

(霧山昴)
著者  ヴォーンダ・ミショー・ネルソン 、 出版  あすなろ書房

 むかし、私も一度だけ夜のハーレムに足を踏み入れたことがあります。小さなライブハウスに行き、生演奏のジャズを間近で聞かせてもらいました。
 昼間、ハーレムを観光バスで案内されたとき、ガイド氏がここは火事が多い、それは火災保険が目当てだったり、立退き要求のいやがらせだったり、と説明してくれました。昼間から何をするでもなく街角にぼさっと突っ立っている人々を見て、やはり怖い気がしたものです。
 この本は、そんなハーレムの一角に堂々と黒人専門書の本屋を営んできた黒人男性の生きざまを紹介しています。その知恵と勇気に、読んだ私も大いに励まされました。
 映画『マルコムX』の本物のマルコムも、この書店の常連だったそうです。何枚もの写真が紹介されています。
わたしは、「いわゆるニグロ」ではない。「いわゆる」とつけたのは、ニグロは物であって、人間ではないからだ。この言葉はつくられた言葉だ。ニグロは、使われ、虐げられ、責められ、拒まれる「物」なのだ。それがニグロの役割だ。それを受けいれ続ける黒人に未来はない。すごい言葉ですね。43歳のときにこう言ったのでした。
ルイスは、19歳のときに泥棒して捕まったとき裁判官にこう言った。
「俺は、生計を立てるためにやったことがもとで、ここに入れられたんだ。白人だって、同じことをしてるのにさ」
「何のことだ?」
「盗みだよ。あんたたちはアメリカにやって来て、インディアンからアメリカを盗んだ。それに味をしめて、今度はアフリカへ行って俺の祖先を盗み、俺たちを奴隷にしたんだ」
まったく、そのとおりなんですよね・・・。
人々は、ルイスを「教授」と呼んだ。その理由について、ミショーはこう答えた。
「黒人関係の本については、人に教える立場だからだろう。大学で習う知識が悪いわけではないが、ひとつのことで生きてきた人間の経験を見くびっちゃいけない。それに私には、これ以上は言えないという制約がない。口ごもることはなし、原稿を見てしゃべるわけでもない。飼い慣らされたニグロは、靴をみがいてやっている連中の機嫌を損ねないように言葉を選ばなければいけないからな・・・」
「ここに知識がある。頭に知識を入れることより大事な仕事はない」
ルイス・ミショーの本屋はハーレムの7番街にあって名所になっていた。
65歳のルイス・ミショーは朝起きたとき、今日は何も起きそうにないと思えば、何かを起こす。そういう人間だ。もめごと大歓迎。
ルイス・ミショーの弟は、こう言った。「本屋は大成功だった。俺の考えは間違っていた。頭のいかれた兄貴は、黒人に本を買わせた。白人にもだ。それも、アフリカ中心主義の本を。俺なら絶対買わない」
マルコムXが暗殺される前に、ルイス・ミショーはマルコムXにこう教えた。
「白人には責任をとってもらわなければいけないことがたくさんある」
「マルコム、そんなときには、ニワトリは最後にはねぐらに帰るものだ、と言えばいい」
マルコムXは1965年2月22日、教会で説教を始めたとたん散弾銃を持った男たちに殺された。まだ39歳だった。
ブラック、イズ、ビューティフル。しかし、知識こそが力だ。ハーレムで暴徒が荒れ狂って略奪が横行したときにも、ルイス・ミショーの本屋は無事だった。誰も手を出さなかった。ルイス・ミショーは言った。
「私は暴力を好まない。言葉を武器としてたたかっている。でも、なぜこれほど多くの黒人が怒りに駆られているかは理解できる。暴力は天国から始まった。神は敵である悪魔に対して暴力をふるった。神は悪魔を天国から追い出したが、それは暴力だろう。旧約聖書は、神が暴力を認めていることを一貫して描いている。神にとって暴力をふるうことが正しかったのなら、必要なときが来れば、私にとっても正しいはずだ。切り倒されるときに、黙って立っているのは樹木だけだ」
すごい人がいたものです。本好きの私には、こたえられない本でした。同好の士に対して強くご一読をおすすめします。
(2016年4月刊。1800円+税)

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