弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年8月18日

シンドラーに救われた少年

ポーランド

(霧山昴)
著者  レオン レイソン 、 出版  河井書房新社

 映画「シンドラーのリスト」は感動に震えました。この本は、そのシンドラーのリストに載せられた一家がどうやって生き延びたかを語っています。
 ナチス・ドイツがポーランドを1939年9月に占領したとき、著者は10歳。解放されたときも、まだ15歳だった。
 オスカー・シンドラーが1940年に雇った250人の労働者のうち、ユダヤ人にはわずか7人だけ。残りは全員キリスト教徒のポーランド人だった。
シンドラーはポーランド人低い賃金で雇えたし、ユダヤ人にはただ働きをさせた。人件費を最小にして、軍需品を生産したため、シンドラーは莫大な利益をあげた。
 著者は絶滅収容所に入れられながらもなんとか生きのびていきました。
 そして、シンドラーのリストに載って助けられるはずのところ、その名前が棒線で消されていました。そのとき、少年はどうしたか・・・。
 「ぼくはリストに載っています。それなのに、誰かがぼくの名前を消したんです」
 「母もリストに載っています」
 「父と兄は、もう向こうにいるんです」
ドイツ語で少年が言うと、ナチスの将校は、シンドラーのキャンプに向かう集団に入れるように合図したのです。見かけはドイツ人そっくりの、いかにも賢こそうな10歳ほどの少年が正面からドイツ語で訴えたので、ナチ将校も無視することができなかったのでしょうね・・・。下手すると、その場で射殺されたかもしれない危険な賭けに、少年は勝ったのです。
 シンドラーは、工場に入ると、あちこちで労働者と話した。シンドラーはたくさんの人々の名前を記憶できる不思議な能力があった。ナチスにとって、ユダヤ人は名前をもたない存在に過ぎなかったが、シンドラーは違った。ユダヤ人一人ひとりを気にかけていた。シンドラーは人間としての敬意をもってユダヤ人に接し、ユダヤ人を底辺の存在とする序列を築いたナチスの人種差別イデオロギーに抵抗していた。
 著者は2013年に83歳で亡くなっています。ユダヤ人には賢い人が多いとよく言われますが、イディッシュ語、ポーランド語、ヘブライ語、ドイツ語を自在に操り、ソ連占領下のクラクフで亡命ロシア人かと疑われて逮捕されるほど流暢なロシア語を使い、難民キャンプではハンガリー人から同国人と思われるほど自然なハンガリー語を話し、そのうえチェコ語や日本語(戦後、アメリカ軍の一員として沖縄にもいました)、そしてスペイン語も少し話しました。もちろん英語はアメリカの大学で教員として学生に教えていたほどです。さらに、柔道は黒帯、テニスもうまく、ボウリングも得意でした。
 著者はシンドラーについて、英雄だと断言しています。英雄とは最悪の状況で、最善をなす、ごく普通の人間だという定義にしたがってのことです。
 シンドラーのリストにのった最年少の少年がアメリカで活躍していたことを初めて知りました。読んで元気の湧いてくる本です。
(2016年4月刊。1650円+税)

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