弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年7月14日

フジテレビは、なぜ凋落したのか

社会

(霧山昴)
著者  吉野 嘉高 、 出版  新潮新書

 私はテレビを見ません。時間がもったいないからです。ニュース番組だって、NHKのアベやモミイにおもねる視点での解説なんて聞きたくもありません。そして、殺人事件など三面記事に出てくる殺伐とした画像で自分の目を曇らせたくはありません。ですから、フジテレビがどんな番組を放映しているのか、前と比べて今はどうなのかというのは、まったく実感のない世界です。でも、この本に紹介されている状況は分かるし、納得できますので、紹介します。
かつての王者だったころのフジテレビは、チャレンジ精神が旺盛だったようです。
1980年代にブレイクしたフジテレビは長らく放送業界のリーディング・カンパニーとして時代を先導してきた。
 ところが、今や、フジテレビは見る影もない。視聴率も営業成績も、ともに、かつてないほどの惨敗を喫し、社内の雰囲気もギスギスしている。かつてのフジテレビは、仲間意識は強いけれど、同調圧力が強いわけではなく、異才や鬼才がのびのびと能力を発揮できる雰囲気があった。ところが、「70年改革」によって、編成というテレビ局の「頭脳」と、制作という「身体」が分断され、その間に深い溝ができ、社内はギクシャクとして暗い雰囲気になった。仲間意識が希薄になり、現場の意欲が大きく減退していった。
 社長が労組を敵対視していたことから、会社全体のコミュニケーション不全が問題化していった。そして、番組制作が守りに入った。経済合理性に主眼を置いた組織改革は失敗した。視聴者に楽しんでもらうためには、制作者が自ら楽しまなければならない。つくる側が楽しんで入れば、自然にその楽しさが視聴者にも伝わっていく。
フジテレビは1997年、お台場に社屋を移転した。旧社屋にあって、新社屋にないもの。その一つが「大部屋」。熱エネルギーの発生源であり、関係者に一体感をもたらしていた「大部屋」がなくなった。
そして、成果主義の社員評価がとりいれられると、同僚が助けあう「仲間」から、争って負けるわけにはいかない「敵」に変わってしまう。社員が「勝ち組」と「負け組」にはっきり色分けされてしまった。番組制作上の上司の裁量が大きくなるのに反比例して、若手の自由度は低下していった。
このように分析されると、なんとなく分かりますよね。成果主義によって、目の前の視聴率で競争させられたりしたら、バカバカしくなってしまいます。自由にのびのびと、たまに経営者ともケンカできる。そんな雰囲気の職場こそ、良い番組がつくれるんだろうと門外漢の私も思ったことでした。
(2016年4月刊。740円+税)

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