弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年6月 5日

ベトナム・勝利の裏側

ベトナム

(霧山昴)
著者  フィ・ドゥック 、 出版 めこん 

 「アメリカのベトナム侵略戦争、反対」
このスローガンを大学生のころ、何度叫んだことでしょうか・・・。私の大学生のころは、世界を見渡せば、ベトナム侵略戦争まっさかり。そして、中国では文化大革命が深く静かに(不気味に)進行中でした。
中国の文化大革命は、その名前に日本でも騙された人が少なくありませんでしたが、結局、毛沢東のひとりよがりな、勝手気ままな独裁政治を貫徹するための陰謀に多くの人々が騙され、傷ついてしまったのです。その正確な実情と本質が解明されたときには、私は弁護士になっていました。
ベトナム侵略戦争が終結したのも、私が弁護士になって2年目のことでした。メーデーの日に参加した会場で知り、とてもうれしく思ったことを今もはっきり覚えています。
サイゴンの首相官邸(独立宮殿)にベトナム解放軍の戦車が突入していく映像を見ました(と思います)。ところが、このときの戦車は、実は中国製のT59型戦車だったのに、マスコミに公表されたときにはソ連製のT54戦車とされていた。
この点は、その場にいたフランス人ジャーナリストのとった写真で明らかにされた。20年たった1995年のことである。
この本によると、ベトナムの大学生は、ベトナム戦争にまったく関心を示さないとのこと。政府の教えるストーリーを小学校以来、ずっと聞かされて、うんざりしているといいます。
この本の著者は、ベトナム解放戦争の裏側で起きていたこと、そして、勝利したあとの苦難な国政運営の現実、また中国やカンボジアとの「戦争」について、政府見解ではなく、独自の取材によって論述していますので、なるほど、そういうことか、そうだったのかと読ませます。
4月30日の時点で、南ベトナム軍の50万人もの士官や兵士は基地で待機していた。自宅には戻っていなかった。
5月1日、北ベトナムは、南に「3派連合政権」は許さない方針をうち出した。政府のメンバーに「アメリカの手先」が入るのは許さないとした。
4月30日の時点で、サイゴンにいた共産党員は735人のみ。ところが、5月末までに6553人となった。
サイゴンに入ってきた北ベトナム軍の兵士は、ほとんどが貧しい農村の出身で、水洗トイレも見たことがなかった。
サイゴンでは3万世帯近くの資本家世帯が改造の対象となった。
全国の華人人口は120万人。うち100万人が南部に住み、ホーチミン市(サイゴン)に50万人以上がいた。
中国がベトナム戦争においてベトナムを支援したのは、ベトナムがアメリカを喰いとめて、中国の近くまで進攻できないようにするという狙いからだった。
1979年1月、中国軍は、ベトナムとの国境付近に45万人の兵力を集結させ、20万人を投入した。精鋭60個師団でベトナム軍を攻撃した。ところが中国軍は、長らく戦場を経ていない軍隊の弱さをさらけだした。中国は「ベトナムに教訓を与える」としたが、現実には、ベトナムこそが中国に教訓を与えた。このようにマスコミは論評した。
そして、3月上旬、中国は「勝利」宣言を出し、ベトナムから撤退した。
ベトナム政府のドイモイ政策に至るまでの苦難な歩みをたどっています。とりわけ実情を無視した北部式の経済政策は悲惨な結果を南部にもたらしたようです。
ベトナムのジャングルでたたかうよりペンによる経済政策の立案・実施のほうがよほど難しいのですね。資本家のやり方に学ばなければならないとされた。
ベトナムには一度だけ行き、ハノイとホーチミンの両方をみてきました。若々しい国です。経済政策では大きな誤りもしたようですが、これから大いに発展するのではないでしょうか・・・。
(2015年12月刊。5000円+税)

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