弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年4月21日

インド

ブッダが説いたこと
(霧山昴)
著者  ワールポラ・ラーフラ 、 出版  岩波文庫

 スリランカ出身の学僧による仏教の基本的な教えを解説した本です。
 薄くて手頃な仏教の本なので読んでみました。60年前に書かれた本のようですが、内容に古臭いところはありません。というか、内容は紀元前6世紀の話なので、超古い話なのですが、まさしく現代世界に通用する教えです。
 ブッダとは、目覚めた人。姓はゴータマ、名はシッダッダ(サンスクリット語ではシッダールタ)。紀元前6世紀に北インドに生きた。父は、シャーキナ王国(今はネパール領内)の支配者だった。
 ブッダは16歳で結婚し、29歳で王国をあとにして、解決策を求めて苦行者となった。
 ブッダは、一人の人間であったばかりでなく、神あるいは人間以外の力からの啓示を受けたとは主張しなかった。ブッダは、自らが理解し、到達し、達成したものはすべて、人間の努力と知性によるものだと主張した。人間は、そして人間だけがブッダ(目覚めた人)になれる。人間は誰でも、決意と努力次第でブッダになる可能性を秘めている。ブッダとは、「卓越した人間」と呼ぶことが出来る。
 紀元前3世紀にインドを支配した偉大な仏教王アショーカは、次のように語った。
 「人は、自らの宗教のみを信奉して、他の宗教を誹謗することがあってはならない。そうではなくて、他の宗教も敬わねばならない。そうすることにより、自らの宗教を成長させることになるだけではなく、他の宗教にも奉仕することになる。そうしなければ、自らの宗教の墓穴を掘り、他の宗教を害することになる」
この寛容と相互理解の精神は、仏教の最初期から、そのもっとも大切な思想の一つである。2500年という長い歴史を通じて、人々を仏教に改宗させ、多くの信者を得て伝播していく過程で、一度たりとも弾圧がなく、一滴の血も流されなかったのは、まさに、この思想のおかげである。仏教は平和裡にアジア大陸のいたるところに広がり、現在5億人以上の信者を擁している。
いかなるかたちのいかなる口実の下の暴力もブッダの教えに背くものである。
宇宙が有限であるか無限であるかという問題にかかわらず、人生には病、老い、死、悲しみ、愁い、痛み、失望といった苦しみがある。ブッダが教えているのは、この先における苦しみの「消滅」である。仏教は悲観主義でも楽観主義でもなく、しいて言えば、生命を、そして生命をあるがままに捉える現実主義である。仏教は、ものごとを客観的に眺め、分析し、理解する。仏教は、人間と世界のあるがままを正確に、客観的に説き、完全な自由、平安、静逸、幸福への道を示す。
 仏教徒にとって人生は決して憂鬱なものでも、悲痛なものでもない。本当の仏教徒ほど幸せな存在はない。仏教徒には恐れも不安もない。仏教徒は、ものごとをあるがままに見るがゆえに、どんなときでも穏やかで、安らかで、変化や災害によって動揺し、うろたえることがない。
 仏教的観点からして、人生における主要な悪の一つは、嫌悪あるいは、憎しみである。この今の生においても、各瞬間ごとに私たちは生まれて死んでいるが、それでも私たちは継続する。貧困は、不道徳、盗み、虚言、暴力、憎しみ、残虐行為といった犯罪の原因である。ブッダは、犯罪を根絶するためには、人々の経済状況が改善されるべきだと提案している。十分な収入が得られる機会が民衆に提供されたら、人々は満足し、恐れや不安から解放され、その結果として、国は平和で、犯罪はなくなる。武器の製造と販売は誤った生計である。帝国の支配者であるアショーカ王は公に戦争を放棄し、平和と非暴力のメッセージを受け入れた。
 力の均衡による、あるいは核兵器の脅威による平和維持は愚かである。武力が生むのは恐怖でしかなく、けっして平和は生まれない。恐怖によって、真正な永続的平和が維持されることはありえない。恐怖から生まれるのは憎しみ、悪意、敵意だけであり、それらは一時的には相手を抑え込めるかもしれないが、いつなんどき暴力として噴出するかもしれない。真実で真正な平和は、恐怖、猜疑、危険から解き放たれたメッター、すなわち友愛の雰囲気の中にしか出現しない。
 さすがに心の洗われる珠玉の言葉が満載の本でした。
(2016年2月刊。680円+税)

 今回の地震はまだおさまっていません(20日現在)。
夜、布団に入って横になっているときに大きな揺れを背中に何度も感じました。まさしく地球は生きているということを実感させられます。大自然の脅威です。
 今回の地震は14日(金)夜9時半ころに強い揺れがあり(熊本で震度7、大牟田は震度4)、あとは余震が少しあるだけだろうと、みんなが油断していたところに、16日(土)真夜中の1時半ころに本震がありました。大牟田も震度5でした。このときは一晩中、強い揺れが続き、これで大災害となったのです。ただ、私の身近に何も気づかずに朝までぐっすり眠っていたという女性が二人もいて、それまた驚かされました。私は、眠れない夜を過ごし、いかにも寝不足、フラフラしながら朝おきました。
 それにしても川内原発が稼働停止しないことに呆れ、かつ私は恐れおののいています。川内原発に何か起きたときの避難方法の一つが九州新幹線の利用ということでした。地震に強いはずの新幹線ですが、復旧の見通しもないまま停まっています。
 原発内で作業している人も怖い思いをしていると思います。地震学者や原発関連の学者に「心配ない」と言う人がいて、政府がそれを口実にして稼働停止を命じないなんて、人命軽視もいいところです。何か起きたときには責任もとれないくせに許せません。

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