弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年4月17日

昭和の子どもブック

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者  ロコ・まえだ 、 出版  辰巳出版

私と同じ団塊世代の著者が、私たちの子どものころをマンガで再現しています。舞台は北海道の釧路なんですが、九州の私とほとんど状況は変わりません。なつかしさ一杯で頁をめくっていきました。
ぼくが小学校のころは、こんな時代環境だったんだよと子どもたちに教えてやりたいと思って、本屋ですぐ買い求めました。
小学校はオンボロの木造校舎です。一学級50人以上の生徒がいました。中学校に入ると、校舎が足らずにプレハブ校舎まで出現しました。
でも、木造校舎もいいものですよ。少し前に小豆島に行って、映画『二十四の瞳』の舞台となった島の分教場に入って、なつかしく往事をしのびました。
 私はランドセルを買ってもらって得意でした。きっと買ってもらえなかった子もいたのではないでしょうか、そこまで頭はまわりませんでした。それでも、小学生のころには、なぜか午前中の休憩時間に泣いて家へ帰ってしまい、あとで恐る恐る授業中のクラスに入っていったという苦い思い出もあります。いじられっ子ではありませんでしたが、なんとなく人見知りはしていたのです。
ガリ版でテスト用紙をつくる絵があります。私が大学生のころまで全部ガリ版印刷でした。鉄筆でかりかり刻む音がなつかしいですね。私の字も、このガリ切りで、すこしはまともに読める字になりました。
給食はコッペパンに脱脂粉乳です。私はどちらも残さず食べました。このミルクが嫌いだったという人は多いようですが、私は美味しいと思って全部飲み干していました。
昔も今も、ほとんど好き嫌いなんかありません。クジラの竜田揚げなんて大好物でした。
私は、いつだって真面目な生徒でしたので、学級委員長をずっとしていました。クラス討論の時間に、みんなが意見を言ってくれないので困りました。
 休み時間に馬とびをしていましたが、中学校に入ると、なぜか禁止されるのです。それでも一学期はまだ小学生気分ですから、みんなでワイワイやっていて先生に叱られてしまいました。
秋の運動会は楽しみでした。広い校庭に大勢の人がつめかけてきて、昼休みに弁当を食べる場所を確保するのが大変なほどでした。
 父さんの床屋という絵があります。私も男三人兄弟は父がバリカンで頭を刈ってくれました。といっても、バリカンはときどき髪の毛がはさまって痛いので、実は、苦痛のときだったのです。それでも、文句も言わずに耐えました。なにしろ床屋代の節約になるのですから、仕方ありません。
 夏休みのラジオ体操は欠かしませんでした。だって、ほかの選択肢はないのです。ですから、夏休みに絵日記を書こうと思っても、毎日同じことのくり返しなので、書くことがなくて困っていました。
 でも、そんな日々もあっというまに過ぎてしまったのです。しばし、昭和30年代の今思えば幸せな子ども時代を思い出せてくれました。

(2015年9月刊。1200円+税)

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