弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年4月12日

矩(のり)を踰(こ)えて

司法(明治)

(霧山昴)
著者  霞 信彦 、 出版  慶應義塾大学出版会

明治時代につくられた司法制度について認識を深めました。
明治初年、新律綱領は、不倫は杖で70回たたくと決めた。しかも、夫ある妻の不倫は「徒3年」。これって懲役3年っていうことですね。重すぎるし、不公平な差別ですよ・・・。
そして、明治6年の改定律例には、男性同士の性的関係を刑事罰の対象とした。懲役90日。
賄賂については、収賄者だけを処罰の対象とし、贈賄者を罰しないと定められていた時期がある。収賄罪の立証を容易にするためというのが理由。
大審院は、明治15年から41年に至るまで、刑法の規定どおり、贈賄者を処罰しなかった。
江藤新平は初代の司法卿になって、各府県がもっている司法権を中央国家に引き上げようとした。府県に専属していた司法権を中央政府、それも司法省の一手専売にしようとしたのである。府県に専属ということは、江戸時代までの藩自治がなお尾を引いて生きていたということですね。
各県バラバラの司法判断というのでは、たしかに困りますね。もっともアメリカでは、州ごとに法律が異なるのはあたりまえのようです。
日本でいうと、条例の違いということなのでしょうか・・・?
解部(ときべ)という職名が裁判所にあったそうです。人的また物的取り調べにより得られた情報をまとめ、判決書作成資料を供することを主たる役割とする、法曹の一員。この解部は、今の判事補にあたるようです。
知らなかったことが、いくつもありました。

(2007年11月刊。2000円+税)

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