弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年3月24日

初日への手紙Ⅱ

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  井上ひさし 、 出版  白水社

 圧倒されます。そして、ぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 時がたつのを忘れます。読みおえたとき、胸が熱くなっています。今日は、すごいいい本に出会えたな、そう思って感謝の気持ちで一杯になります。
 新国立劇場のこけら落とし(初演)の作品として井上ひさしは新作を目ざします。いつものように、凝りにこった台本です。戦前の日本史、天皇の言動、軍部の動向、そして被爆死してしまった演劇人のことなどを徹底して調べあげ、見やすい年表をつくり、そして登場人物の人形を机の上に並べてストーリーを考えに考え抜いて文字にしていくのです。
 まさしく身(生命)を削る必死に作業です。10日間、お風呂にも入れないほど、一刻一秒も惜しんで、睡眠時間を削って、それでも開演初日まであとわずかというのに、台本はまだ完成していません。遅筆堂として有名でした。
 しかし、出来あがった台本の素晴らしさは観客の心を大いに揺さぶります。だけど、これでは演じる役者はたまりませんよね・・・。
そんな舞台裏が井上ひさしの送ったFAXを通じて明らかにされています。
「状況はますます切迫してきましたが、命がけでやっているのですから、きっと活路は見つかるはず・・・。そう信じて続けます」
 「連日、4時間しか眠れません」「今夜、久しぶりに普通のごはんを食べました。ストレスで胃をこわして体力を失くしたのが夏バテの原因です」
 「小生の基本は、やはり半分は小説家のせいか、文字で読むものとして戯曲を書いています。文字で意味を、ルビで音を、が基本になっています」
 「戸倉 役者なんてものはね、真っ当に働いている世間様のお情けにすがって生きている屑、人間の屑だ。なんか悲しくて、そんなものに成り下がれるというんだよ。
  丸山 俳優は百姓になる、漁師になる、仕立て屋になる、キコリになる、大工になる、鉄道員にも商人にも軍人にも巡査にもなれる。
      俳優は、この世に生をうけたありとあらゆる人間を創り出すことができるんです。
      人間の屑にそんな神様のようなことができますか。人間の中でも宝石のような人たちが俳優になるんです。なぜなら、心が宝石のようにきれいで、ピカピカ輝いている者でないかぎり、すなおに人の心の中に入っていって、その人そのものになりきることができないからです」
 いやあ、いいセリフですね。こんなセリフを私も自分の本のなかに書いて生かしてみたいです・・・。
 「ある程度は観客に挑戦する。観客の期待への挑戦。期待の上を行く」
 「短いセリフ(台詞)には笑いを、長いモノローグには涙を」
 「コトバは世界を認識する枠組みです」
 「人間のドラマは、人間の内面に起きる、外面の表現ではない」
 「スパイは必ず二重スパイになる。そういう運命である。そしてスパイは、相手からもっとも信頼された瞬間に裏切る」
 「お二人を前に、頭の中でスシ詰めになって混乱していたアイデア群をしゃべっているうちに、芝居の全貌がくっきりと見えてきました」
 そうなんですよね。いくらかのアイデアがある時点で、それを理解しあえる人に話していくと、それが具体的に固まり、生き生きとして発展していくものなんですよね。最後に、井上ひさしの言葉を紹介します。
 「劇場は、人間が連帯しあうことだけを体験するところです。劇場は、人間がいったん死んで、つまり無になって、いっしょになって生まれ買われるところです。劇場に神様がいると明らかに思うときがあります。その神様は、突然いるというのではありません。俳優とお客が一緒になったとき、現れてる演劇の神様がいる。これはみんなでつくる神様です」
 いい本です。井上ひさしの汗と温かい体温を感じさせてくれる本でもあります。このところ疲れたなと感じているあなたにおすすめの一冊です。

                  (2015年10月刊。3400円+税)

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