弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年1月30日

芥川賞・直木賞をとる!

社会


(霧山昴)
著者  高橋 一清 、 出版  河出文庫

 モノカキを自称している私の野望は何か一つの文学賞をとることです。
 この一年は、40年前の司法修習生の生態を描く小説に挑戦してきました。
 今ようやく最終校正を終えて、編集者に手渡そうとしています。これから編集のプロから見て不要な叙述を削ったり、足りないところを加筆する作業を経て、春には出版にこぎつけたいと願っています。文庫本となった「法服の王国」に刺激を受けての小説です。ぜひ、本になったときにはお読みください。
 私の本の話はさておき、この本は、芥川賞や直木賞をとらなくても本を書くことの意味と、本を書くときの心得をきっちりおさえていて、大変参考になりました。
 芥川賞は、時代の歯車をまわす作品に与えられるもの。直木賞は、あとあとまでエンタテイメント作家として作品を生み出し、世の中に楽しみを与えてくれる作家の作品に与えられるもの。
 うむむ、こんな違いがあるのですね・・・。 知りませんでした。
 最後の一字まで書き込み、読みこむ作家であること。やっぱり、手抜きはいけないのですよね。推敲に推敲を重ねなくてはいけません。
 作家は創作の現場を見せたりはしない。
 土日必死で書く「土日作家」ほど、生活のための正業には、ちゃんと向かい合っている。
 松本清張は、1日に3時間、電話に絶対に出ない時間をつくっていた。その間、本を読んでいた。旺盛な執筆をしている作家ほど、読書をしている。
小学校、中学校の教師と作家を両立させている人は非常に少ない。具体的な言葉のもちあわせは、作家の読書量と正比例する。語りを豊かにするのに、類語辞典にまさるものはない。これは、大いに反省しました。今度、私も買ってきましょう。
 作家として、生かせない経験はない。作家にとって、ムダなものは何ひとつない。
 私の知らないことが書いてあると読者を喜ばせるのがエンタテイメント小説。今日を生きている者の愛と苦悩を書き、まるで私のことが書いてあるみたいと読者を共感させ喜ばせてほしいのが芥川賞と純文学
多くの作家がペンネームを用いているのは、親がつけた名前とは違う名前を名乗ることによって、自分ではない何者かになり、存分に筆をふるうため。
私もペンネームは高校生のころをふくめて、少なくとも四つはもっています。想像力を自由に働かせたいからです。ペンネームは必須です。
出し惜しみしている作品は弱い。そこに書き手の全てが込められている必要がある。
私もモノカキを脱出して作家になりたいと思い、こうやって毎日、書評を書いて日々精進しているつもりなのですが・・・。


(2015年12月刊。760円+税)

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