弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年1月27日

兵士たちの戦場

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  山田 朗 、 出版  岩波書店

 この本は、851点もの戦争体験者の回想録(単行本)のうち100人ほどの兵士の体験などを再構成したものです。
 全体像は分からなくても、戦場のリアルはひしひしと伝わってきます。戦争というのが、いかに理不尽なものか、不合理の極致であることがよくよく分ります。
 1937年に始まった日中戦争は、1938年に入っても、終息の兆しは見えなかった。日本の政府も軍当局も、国共合作にまで至った中国軍民の抗日意識の高揚を見誤っていた。
 日本が中国に深く侵入すればするほど、中国だけではなく、欧米諸国との対立を強め、諸国の対中国支持を増大させた。そして、そのことが、ますます戦争を泥沼化させるという悪循環に落ち込んだ。日中戦争中といえども、列国の権益である上海の共同租界に日本軍は踏み込むことも出来ない。
 1939年当時の中国にいた日本軍は70万人。ただし、日本軍は分散配置されて、広大な占領地を維持するのが精いっぱいの状態だった。これに対して、中国軍は1939年11月ころから全戦線において冬季攻勢を展開した。 中国大陸に日本軍が70万人いたと言っても、蒋介石軍と組織的な戦闘を支えているのは、全体の半分ほど。残りの半分は、占領地の警備兵だった。これを日本軍は、高度分散配置と呼んだ。太平洋の孤島にばらまかせた守備隊と同じような状態だった。
 1949年8月から12月まで、中国の華北で、105個団(連隊)、40万の大兵力で三次にわたって「百団対戦」と呼ばれる大攻勢をかけてきた。「百団大戦」において、日本軍が恐れたのは、八路軍の迫撃砲の集中射撃、兵士の密集突撃、正確な狙撃だった。
ゼロ戦は航続力と攻撃力は強大。しかし、パイロット用の防弾鋼板や燃料タンクの防弾装置を欠いていた。 
 日本軍は、中国で偽札を使った経済謀略戦をすすめた。このとき、45億円(45億元)の偽札が印刷され、30億元が中国で使われた。大半は、中国での日本軍の物資購入のときに使われた。ところが、インフレをねらった偽札が、インフレによってほとんど無価値になってしまった。
 中国戦線において長期の警備駐留は、日本軍将兵の軍紀を次第に頽廃させていった。
 中隊長から事実上の死刑宣告を受けた軍曹は思い余って、その日の夜、中隊長室に手榴弾を投げこみ、中隊長を即死させた。軍曹は軍法会議で死刑となり、銃殺された。
 別の中隊では、中隊長の大尉が微発した物資を中国人商人に売り払って大金を貯め込んでいた。この大尉はついに、不法蓄財を追及され、陸軍一等兵に降格されたあげく、自決を強要された。
 私も亡き父の戦争体験談を生前に少し聞いて活字にしたことがありますが、聞き手のほうが当時の状況をよく調べておかないと、話がかみあわないと思いました。それでも、聞き出さないよりはましなのですが・・・。
 過酷すぎる状況は、思い出したくないということもあって、話がはずまないのです。その点、この本は、よくまとめられていて、さすがは学者だと感嘆しました。
 日本の自衛隊が海外へ行ってアメリカ軍の下働きさせられて「戦死」させられようとしています。戦後が終わり、戦前になろうとしているのです。その意味で、本書は戦争の悲惨な状況を知るという点で意味があります。


(2015年8月刊。2800円+税)

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