弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年1月23日

鯨分限

江戸時代

(霧山昴)
著者  伊東 潤 、 出版  光文社

 江戸時代、鯨をとっていた新宮・太地(だいち)の分限(ぶげん)に育った男の物語です。
 豪快です。『巨鯨の海』に続く、鯨とりの様子が熱く語られています。思わず、手に汗を握る痛快小説です。といっても、かなり史実に即しているので、迫真性があります。
 太地の捕鯨は、10月を年度初めとし、翌年7月半ばまでの10ヶ月間を操業期間とする。 10月から2月までの、南に向かう上り鯨をねらったものを「冬漕(こ)ぎ」、5月から7月にかけての北に向かう下り鯨をねらったものを「夏漕ぎ」と呼ぶ。
 太地では、鯨組の経営全般を担当する太地家当主を大旦那、山見を司る和田家当主を山旦那、船団を指揮する采配役を沖合ないし沖旦那と呼び、この三人が事業と創業の中核を担う。これを太地鯨組の三旦那体制といい、明確に責任範囲が区分されていた。もちろん、最終責任は大旦那の太地家当主にある。
 沖待ちとは、鯨が来る前に流し番と呼ばれる船を四方に出し、いずれかの船が鯨を発見すると、沖待ちしていた船団が、迅速に捕獲態勢に入る漁法のこと。
 日没(まぐみ)になると、つい先ほどまで濃藍色(こあいいろ)だった海面が、黒檀を敷いたように海面が黒々となる。
 物ゆうとは、太地方言で海が荒れること。
 夷(えびす)様とは、大きな富をもたらす鯨に対してつけられた尊称。
 納屋仕事とは、鯨の解体や搾油、鯨船の建造と修理、捕鯨具の製作と保守などを行う部署。勢子船の艪は八丁で、水主は左右4人ずつの8人。
 最後尾の艫押(ともおし。舵取り役)が舵の役割を果たす艫艪(ともろ)を受けもち、取付(とりつき)という雑用係の少年が脇艪という艫艪の相方(あいかた)を担う。
 勢子船の乗員は、刃刺、刺水主(さしかこ)、水主、艫押(ともおし)、取付、炊事係の炊夫(かしき)をあわせて、一艘あたり13人、最多で15人ほど。
 勢子船の側面には、さまざまな意匠が施されている。その絵模様は、一番船が鳳凰、二番船が割菊、三番船が松竹梅、四番船が菊流し、五番船が橧扇と決まっており、一目で何番船か分るようになっている。
 船団の先頭を切るのは、勢子船と比べて速度の遅い網船。網船は三組六艘から成り、それぞれ横腹に一から六の番号が大書きされている。
 十六艘の勢子船が従うのは、四艘の持双(もっそう)船、五艘の橧船、道具船(だんぺい)等の補助船。網船をふくめると、三十余艘、総勢300人が漁に携わる。
 これに陸上勤務の者を加えると、一頭の鯨にかかわる人数は500人をこえる。それでも捕獲に成すると、優に利益が出る。これが鯨漁のうま味である。
 銀杏(いちょう)とは、鯨の尾羽のこと。鯨が潜水するとき、沖旦那が刃刺は、振り上げられた尾羽の微妙な動きから、鯨の進行方向を察して先回りする。
 もおじとは、海面に浮かんでくる水泡のことで、その下で鯨は息を沈めている。
 横一列に並んだ勢子船は、中央の船を基点に内側に折れて、半円形をつくり、その中に鯨を入れて網代にまで誘導する。一番船は、全体の指揮をとるべく、一艘だけ半円陣の前に出る。刃刺の補助役の刺水主が身を乗り出し、砧(きぬた)と呼ばれる木槌のようなもので、舷側に貼りつけられた張木(はりぎ)を叩く。その原始的な音響が、いやか上にも気持ちを高揚させる。それは鯨にとって極めて嫌な音らしく、先ほどまで悠然と泳いでいた鯨が、とたんに泳速を上げる。
 潮声とは、息を吹き出すときに鼻から漏れる音のこと。怒ったり、慌てたりしているときには、天地を鳴動させるほど大きくなる。
 漁の最中に水主たちが会話するのは厳禁。刃刺の声が聞こえなくなるから。
 鯨油は食用と灯火用だった。灯火用につかうと、木蠟よりも鯨蠟のほうが臭いがきつくないので好まれた。
 明治の世まで生きていた太地の鯨とりのスケール大きいお話です。感嘆、驚嘆しました。

(2015年9月刊。1700円+税)

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