弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年12月28日

第二次世界大戦1939-45(上)

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  アントニー・ビーヴァ― 、 出版  白水社

  本書について、半藤一利氏が、「東西の戦史の全容を網羅した決定版」だとオビに書いていますが、読んだ私もそう思いました。
  正しい「歴史認識」のために必読書なのです。アベ首相も読むべきです(どうせ、読まないでしょうし、読んでも理解できないのでしょうが・・・)。
  なにしろ第二次世界大戦を上・中・下の3巻にまとめていて、上巻だけで530頁もあるのです。とても全容を紹介することはできません。ヨーロッパ戦線から、日本をめぐる戦線までトータルに紹介しているのです。
  著者の戦史ものは、「ノルマンディー上陸作戦」「パリ解放」など、いくつもあり、それなりに読んでいますが、いずれも本当に読みごたえがあります。
  ヤン・キョンジョンという人物がいます(いました)。戦前、18歳のとき、朝鮮人のヤンは大日本帝国に徴兵され、満州の関東軍に配属された。ノモンハンの戦いでソ連赤軍に捕えられて収容所に入れられた。そして、対ドイツ戦の戦力補充のためソ連赤軍の兵士として、ハリコフの戦いに投入された。そこで、ドイツ軍の捕虜となり、今度はドイツ軍の「東方兵」の一員としてノルマンディー上陸作戦のときにはドイツ軍の守備隊の一員になった。そして、連合軍のノルマンディー上陸作戦が成功すると、アメリカ軍の捕虜となって、ついにアメリカへ渡った。アメリカで1992年、72歳で亡くなった。本当でしょうか・・・。実際、彼の半生を描いた映画をみた覚えがあります。信じられないほど劇的な人生ですよね・・・。
  ヤンが24歳のとき、ノルマンディーで捕虜になったころの写真があります。ふてぶてしい顔は、歴戦の勇士とは、こんな顔をしてるのかと思わせます。
  ヒトラーとナチ党は、ユダヤ人を孤立させる施策を講じ、一般市民の圧倒的多数を説得することに成功した。それ以降、人々はユダヤ人の運命に関心をもたなくなっていった。それがあまりにも簡単だったため、その後は、多くの人々がユダヤ人の家財の略奪、アパートの巻き上げ、ユダヤ系企業の「アーリア化」に狂奔した。
  イギリスのチェンバレン首相は、虫垂が走るほど共産主義者が嫌いだったので、スターリンと交渉する気になれず、またポーランドの力量を過大評価していた。
  要するに、イギリスはヒトラーとナチスをあなどっていたのです。ナチス・ドイツはスターリンとの協定によって多大なる恩恵をうけた。穀物・石油・マンガンはソ連が提供した。そしてゴムはありがたかった。
  ソ連赤軍は、ポーランドに進入すると、ポーランド、ナショナリズムの延命に貢献しそうな人物、すなわち地主・法律家・教師・聖職者・ジャーナリスト・将校などをすべて摘発し、処刑した。階級闘争と民族去勢の同時達成が企図された。
  フィンランド軍は15万人、しかも予備兵役と若者が占めていた。しまし、この15万人の兵士が100万人をこえるソ連赤軍に立ち向かった。赤軍の司令官は、粛清の恐怖におびえ、やみくもに将兵を前線に駆り立て、死なせていった。
  日本軍は、1937年12月、すべての捕虜を殺せとの命令を受けて南京城内に入った。第16師団のある部隊だけで1万5千人の中国人捕虜を殺害した。南京事件の被害者は20万人近い。  
  その構成員から人間性を奪っていく帝国陸軍の矯正プロセスは、日本人兵士が中国に致着した瞬間から、さらに一段と強化される。
  日本軍と戦っていた中国の国民党軍は、ソ連から500機の軍用機と150人の「志願」パイロットを受けとっていた。中国で常時150~200人のソ連パイロットが活動していて、2000人のソ連人が中国の空を飛んでいた。
  ダンケルクの撤退戦において、イギリス海軍本部は、せめて4万5000人は救いたいと考えていた。しかし、現実には、33万8000人をイギリス本土へ運ぶことができた。うち19万3000人がイギリス人で、残りはフランス人だった。8万人のフランス人兵士が置き去りにされた。
  ヒトラーがドイツ軍の進撃を停止させたのは、手持ちの装甲部隊が担当劣化していて、ここで虎の子を使い果たしたくなかったから。
  バトル・オブ・ブリテンは、イギリス軍とドイツ軍との空軍同士の戦いだった。このとき、イギリス空軍は723機を失った。しかし、ドイツ空軍は2000機も喪失した。ドイツ空軍はイギリスを夜間爆撃して2万3000人が亡くなった。しかし、イギリス国民の戦意は喪失するどころか、高まる一方だった。
  よくぞ調べあげ、まとめたと驚嘆するばかりです。

(2015年9月刊。3300円+税)

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