弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年12月 6日

ガリレオ裁判

(霧山昴)
著者  田中 一郎 、 出版  岩波新書

  1633年にローマ教会の宗教裁判にかけられたガリレオが、有罪判決を受けた直後、「それでも地球は動いている」とつぶやいたという話は有名です。本当の話だったのでしょうか・・・。
異端審問所がガリレオに下した判決は無期限というものだった。ただし、判決の翌日には減刑された。
ガリレオは、当時、トスカナ公付き首席数学者兼哲学者だった。
ガリレオ裁判に関する書類をナポレオン・ボナパルトがフランスへ持ち帰り、そして相当のものが失われてしまった。
ナポレオン・ボナパルトはローマ教皇朝庁に保管されていたガリレオ裁判の全文書を没収し、フランスに運ぶことを命じた。1801年のことである。輸送費用に60万フランをつかい、3239箱、10万2435巻を運んだ。これにはガリレオ裁判の記録を出版し、科学の進歩を阻んできたカトリック教会の蒙昧さを衆目にさらす目的があった。ルイ18世は、バチカン文書を返還すると約束したが、全部は戻らなかった。
 宗教裁判は、大半が書面でされるもので、異端審問官である検邪聖省の枢機卿たちは、最後の判決を言い渡す瞬間まで被告と顔を合わせることはなかった。実際に被告を尋問するのは、検邪聖省の事務官の役目だった。枢機卿たちは、その報告にもとづいて判決を下した。宗教裁判の目的は、被告に異端思想を招いていることを自覚させるとともに、贖罪のための機会と手段を与える(量刑の確定)こと。正式に裁判が開始されてしまえば、無罪判決はなかった。
 「それでも地球は動いている」とガリレオがつぶやいたという記述は、ガリレオが亡くなったあと18世紀(1757年)に初めて出てくる。
ガリレオは判決のあと、死ぬまで自宅軟禁の処分が解かれることはなかった。外出するのにも許可を要した。カトリックの間違った教義によって、ガリレオの自由は奪われたわけです。ホント、宗教の思い込みって恐ろしいですね・・・。
ヨハネ・パウロ2世は、科学的真理と「聖書」の記述が異なるときには、「聖書」を文字どおりの意味をこえて解釈しなければならないというガリレオの主張を認めた。1979年11月のことである。ようやく、というか、あまりの遅さに改めて驚かされます。


(2015年10月刊。780円+税)

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