弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年11月22日

職業としての小説家

人間

(霧山昴)
著者  村上春樹 、 出版  スイッチ・パブリッシング

  私と同じ団塊世代の著者による作家論です。モノカキを自称し、今も小説に挑戦中の私にとって、大いに共感するところが多々ありました。
  小説家の多くは、円満な人格と公正な視野を持ち合わせているとは言いがたい人々である。
  むむむ、法律家の一人として、いつも常識的には・・・と法律相談に来た人に説示している私には、小説家になる資格がないということになるのでしょうか・・・。
作家というのは基本的にエゴイスティックな人種であり、プライドやライバル意識の強い人が多い。
小説家には数多くの欠陥があるけれど、誰かが自分の縄張りに入ってくることには寛容だ。というのも、小説なんて、書こうと思えば誰にだって書けるものだから・・・。
  しかし、リングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではない。小説を長く書き続けること、小説を書いて生活をしていくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業であり、普通の人間にはまずできない。
  小説家であり続けることがいかに厳しい営みであるか、小説家はそれを身にしみて承知している。
  小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である。
  小説を書くということは、基本的に鈍臭い作業であり、やたら手間がかかって、どこまでも辛気くさい仕事である。
  著者は、29歳のとき、自宅近くの新宮球場に野球を見に行った。バットがボールにあたる小気味の良い音を聞いたとき、ふと、そうだ、僕にも小説が書けるかもしれないと思った。これで、著者の人生が一変した。
  言語のもつ可能性を思いつく限りの方法で試してみることは、すべての作家に与えられた固有の権利なのである。そんな冒険心がなければ、新しいものは何も生まれてこない。
  著者は、ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もない。小説が書けなくて苦労したという経験もない。小説というのは、基本的にすらすらと湧き出るように書くものだ。35年間にわたって小説を書き続けてきて、スランプの時期は一度も経験していない。小説を書きたいという気持ちが湧いてこないときには書かない。そんなときには、翻訳の仕事をしている。
  小説家になるには、とりあえず本をたくさん読むこと。そして、自分が目にする事物や事象を、とにかく仔細に観察すること。
  1日に400字詰原稿用紙に10枚書く。もっと書きたいと思っても10枚でやめておく。今日は乗らないと思っても、なんとか頑張って10枚は書く。
長い仕事をするときには規則性が大切だ。朝早く起きて、毎日、5時間から6時間、意識を集中して執筆する。毎日外に出て1時間は体を動かす運動をする。来る日も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返す。
  一人きりで座って、意識を集中して物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要となる。
  忠実に誠実に語源化するために必要とされるのは寡黙な集中力であり、くじけることない持続力であり、堅固に制度化された意識なのである。
  村上春樹は、原発に反対の立場を表明していますが、表だっての行動はあまりしていませんね。
  身体が大切だし、そのためには規則ただしい生活、そして身体を動かす運動する必要があることを強調しています。この点は、私もまったく同感で、それなりに実践しています。
  それにしても、35年間の作家生活で、スランプを一度も経験していないって、すごいことですよね・・・。それほど、たくさんの引き出しを脳内に貯えているのですね。さすがプロの作家です。
私はプロの作家にはなりたくないし、なれそうもありませんが、目下、小説に挑戦中なので、心身ともに充実した日々を送っています。
(2015年9月刊。1800円+税)

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