弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年10月26日

作家という病

人間

(霧山昴)
著者  校條 剛 、 出版  講談社現代新書

 21人もの作家の業(ごう)を編集者の立場で赤裸々に暴いた本です。作家という存在のすさまじさの一端を知ることができました。モノカキを自称し、毎日毎日、こうやって書いている私ですが、とても「作家」にはなれそうもないと思ってしまいました。
 ちなみに著者の名前は「めんじょう」と読みます。同じ団塊世代ですが、私よりも少し年下になります。
作家であるということは、ある恍惚感をともなう。
 作家であり続けるために、自然と、自らに常人の感覚から外れた習慣や義務を課することになる。この作家という職業がもたらした特殊な習慣や傾向、それを「作家という病」と名づける。
 渡辺淳一は「鈍感力」と言った。それは、無神経で単なる鈍感というものではない。苦しいこと、辛いこと、失敗することにあっても、そのまま崩れず、明るく進んでいく力のこと。すごいですね。見習いたい、身につけたい力です。
 「いい人」と評価されるだけの作家だったら、恐らく読者に面白い小説を提供することは出来ない。作家には、必ず奇妙な癖と呼べるような資質を内に秘めているものだ。
作家は、他人の目をきにする必要のない普段の生活では想像の世界に常時入り浸っている。
 モノを書く、とくに小説を書くということは、とてつもなく心身の集中を要求される。
 井上ひさしは、単に謙虚で優しい人柄ではなかった。この作家の心の底には確固たる自信と完璧性への激しい要求が横たわっていた。仕事に取り組むときには、世間の常識や気兼ねを一蹴りしてしまう激しさが水面下から姿を現す。
 井上ひさしには、常識より優先すべき信条がある。完全な作品を提供しなければならないという掟である。その固い決意は誰にも動かすことができない。
 妥協というこの二文字は、井上ひさしがもっとも嫌だった言葉だ。井上ひさしは締め切りに遅れても昂然たる態度をとる。コトバは「すいません」だが・・・。
 いやはや、なんという非情かつ、非常識な世界なのでしょうか・・・。心やさしき私などは、ついつい恐れをなして尻込みするばかりです。と言ながら、私は目下、小説を書きつづっています。
 乞う、ご期待です。

(2015年7月刊。880円+税)

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