弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2015年10月 1日
軍艦島の生活
社会
(霧山昴)
著者 西山夘三記念すまい文庫 、 出版 創元社
長崎の無人島、端島は軍艦島と呼ばれ、今では日本でも有数の知名度を誇っています。
私は行ったことがありませんが、私の家族は行っています。軍艦島ツアーは、今や人気抜群なのです。今では完全な廃墟となっていて、無人島なわけですが、最盛時には、5000人もの人々が住み、小中学校、そして幼稚園、映画館などもあって炭鉱の島として栄えていたのでした。そこに住んでいた人は、当時をなつかしみ、パラダイスだったといいます。
「何もかもあけっぴろげで、住民同士みんな思いやりがあり、おまけに住居費はタダ、光熱費も安く、賃金も悪くない。5年がんばれば炭鉱年金がつく。こんなに住みよい天国のようなところは他にない」
本当にパラダイスだったのか・・・。この本は、疑問を呈し、写真とともに実情を明らかにしています。この島に住むと、外部との電話は「外勤詰所」の公衆電話しかなく、夫婦ゲンカをすると、その日のうちに会社に伝わる。完全な管理社会。会社による労働者の生活管理はズボラ休みを防ぎ、出稼率を上げ、島内の秩序を維持するため、徹底的に行われた。
坑内事故によって、215人の犠牲者も出ている。
水道、ガス、水洗便所、家電や家具の普及は早かった。
水問題は深刻であり、海が荒れると、島はまったく絶縁状態になる。
水洗便所といっても海水を利用するので、十分に腐敗しないまま海に放流することになって、衛生上の問題があった。
部屋に風呂はなく、共同風呂だった。
この本には、1952年と1970年に住宅調査に入った西山調査団による写真がたくさん紹介されていて、軍艦島での人々の生活の様子が生々しく再現されているのが最大の特色です。その意味で、本当に貴重な本だと思いました。
(2015年6月刊。2500円+税)
2015年10月 2日
江戸日本の転換点
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 武井 弘一 、 NHK出版
銅銭を日本へ輸出していた明(中国)に日本から銀が輸入されるようになって、基準通貨が銭から銀へ移行しはじめ、銭の発行・流通が不安定となった。南米産の銀も明(中国)まで銀経済圏になってしまった。これにより、日本では銭の供給が途絶えて、銭不足となった。そこで、安定的に税を確保するため、米で年貢が納められるようになった。
加賀藩では、百姓は毎食でなくても、米を食べていた。百姓が食べていたのは、大唐米というインディカ型(長粒米)の赤米。赤米は、新田におりる稲作のパイオニアの役割を果たしていた。
水田には一種類ではなく、バラエティに富んだ米が育てられていた。百姓は変わり種を選び、各地から新種を導入して試し植えをして、収穫量の多い、病気や虫害に強く、しかも味の良い米を求めた。
ため池は、田んぼに引き込む水が冷たすぎないように、水を溜めて温めていた。
畦(あぜ)で育てられた豆を畦豆(あぜまめ)とよぶ。これで自家用の味噌がつくられるようになった。そもそも畦は、検地の対象外であった。
牛革は良質で加工がしやすい。馬皮は、強靱さや防水などの点で劣る。馬より牛のほうが、皮革の商品価値は高い。結果として乾田化で多くのウシが飼育されるようになって、西日本ではえたが増えた。
肥料は、農業生産力を向上させるだけではない、それを入手できるかどうかが、百姓の経済的な格差をもたらしたのだろう、、、?
江戸時代の米づくりの実情などについて、教えられるところがありました。差別用語は歴史的事実として引用していますので、ご容赦くだい。
(2015年4月刊。1400円+税)
2015年10月 3日
スープを売りたければパンを売れ
社会
(霧山昴)
著者 山田 まさる 出版 ディスカバー
品川区の戸越(とごし)銀座には、東京一長いことで有名な商店街があるそうです。もちろん、シャッター通り商店街ではなく、買物客で活気あふれる地元の商店街です。
そこにある鮮魚店(「魚慶」)は、毎週土曜日に、店内で「お刺身バイキング」を開催しています。
店内に並べてある刺身は20種類以上。客は、順番が来たら、好きなものを好きなだけ注文できる。3点で1000円、4点で1350円(消費税別)。
店は、客から注文を受けてから魚をさばいていきます。それがガラス越しに見えます。作り置きしないのは、鮮度のいい魚を提供し、集客効果を狙ってのことです。客は商品を受けとると、出口付近のレジで代金を支払います。
この「刺身バイキング」を目がけて客が列をつくるというのです。すごい魚屋さんですね、、、。
塩の専門店もあります。日本内外の塩39種類が売られています。デリカテッセンコーナーでは、おにぎりやコロッケなどが売られていて、買った塩で味つけして楽しめるのです。
味の素のクノールスープは、購買量を伸ばすために、「つけパン」「ひたパン」キャンペーンを展開した。スープを主役でなく脇役にし、パンを主役としてスーパーの購買アップを狙ったのでした。大当たりです。この本のタイトルどおりの結果が出たのでした。
子どものためと思われたぬり絵が、今や大人のためになっているのですね。知りませんでした。累計で430万部も売れているそうです。
大人のぬり絵は、色を選び、指先を使うワークが脳の活性化につながり、家族や友人との会話も弾む。創作意欲を刺激し、自己表現を実感できる楽しさがある。
モノを売る現場で、いかに売るかだけでなく、いかにして買った人から喜ばれるようになるか。そのヒントが満載の本でした。
(2015年6月刊。1500円+税)
2015年10月 4日
光とは何か
人間
(霧山昴)
著者 江馬 一弘 出版 宝島社新書
光って、不思議な存在ですよね。そして、色も本当はない、なんて言われると、いったいこの世の中はどうなっているのかと自分の身のまわりを見まわしてしまいます。
色は、この世界に実在するものではない。光の波長の違いを脳が「色」というイメージで認識しているだけのもの。色を実際に「見ている」のは脳であり、色という感覚をつくり出しているのは心なのだ。光(可視光)には、色の感覚を引き起こす性質があるにすぎない。光そのものに色がついているのではなく、特定の波長の光を受け止めたということを、脳は「色」として把握している。
物質の中で電子が振動すると、光(を含めた電磁波)が生まれる。電子が振動すると、振動する電球が生まれて、それが波のように空間を伝わっていく。これが光(を含めた電磁波)である。
電子が振動すると、光が生まれて、周囲に広がる。光を受けると、電子が振動を始める。光は、波としての性質と、粒としての性質をあわせ持つ、不思議な存在なのである。
光は、自分ひとりでは何もできないし、何の現象も起こさない。
光がほかの物質と出会うことで、初めて何かが始まる。光の速さは無限ではない。1秒間に29万9792.458キロメートルの速さだ。そして、逆に、1メートルとは、光が2億9979万2458分の1秒間に進む距離だと定義されている。なんだか、分かったような、とても分からない話ですよね、、、。
光通信に使われているレーザー光は可視光ではなく、近赤外線だ。
近赤外線領域の光は、もっともガラスに吸収されにくいからである。なので、光通信とは、正確には赤外線通信なのだ。
この本の末尾に参考文献として『夜空の星はなぜ見える』が紹介されています。私もずいぶん前に読みましたが、とても素晴らしい本ですので、ぜひご一読ください。
夜空にたくさんの星が出ています。でも、星は無数なのですから、本当は、満天がすべて星だらけになっていないとおかしいはずです。でも、そうなっていません。どうして、、、?
また、ひとつひとつの星はあまりにも小さくて、人間の網膜に届くとは思えません。ところが、何万光年先の星を地上の私たちは見ている。なぜ、、、?
考えてみれば、この世の中、不思議なことだらけですね、、、。
憲法違反の安保法制法を無理矢理に成立させたアベ政権の支持率がまだ3割を下まわらないというのも、私にとっては理解しがたい、不思議な話でしかありません。
(2014年7月刊。900円+税)
2015年10月 5日
英語の害毒
社会
(霧山昴)
著者 永井 忠孝 、 出版 新潮新書
私は、自慢するつもりはまったくありませんが、英語は話せません。読むほうなら、少しは読めますが、話すほうはまるでダメです。英語ではなく、フランス語のほうなら、やさしい日常会話程度ならなんとかなります。フランスに行ったら、駅でもホテルでも、ちゃんと用を立せる自信があります。なにしろ、弁護士になって以来、40年以上もNHKラジオのフランス語講座を聞いています。目下、挑戦しているのは、フランス語のラジオ放送についての聞きとり、書きとりです。
小学校4年生から塾に通って英語を学びはじめました。大学受験のときは、文系ですし、英語が不得意というわけにはいきませんでした。分厚い英語の辞書を、全前、頁まっ赤になるまで読み尽くしました。おかげで英文は怖くなくなりました。それでも英語は話せません。
ところが、ユニクロとか楽天などで、社内公用語を英語としているというのです。私にとっては地獄のような話です。だから、幼児英語教室が流行るのです。でも、本当にそれでいいのでしょうか・・・。
そんな私の疑問に答えてくれるのが、この新書です。
語学学者である著者は、英語万能視はよくない、話すのはニホン英語で十分だと強調しています。我が意を得たり、です。
英語には、植民地支配の道具という傾向がある。日本の学校での英語教室は、植民地教育ではないのか・・・。英語は、中国語、スペイン語に次いで世界第三位のコトバにすぎない、母語話者の人数です。
機械翻訳は、実用的につかえるものにまでなっている。
中途半端に小学生に英語教育をはじめると、日本語も英語も、最低水準に達しなくなる危険がある。
小学校で英語を教えると、算数や理科などの教科の比重が低くなり、国力をそれだけ低下させる危険がある。
考える力を身につけるためには、日本人にとって日本語で考えることをもっと大切にすべきだと私も痛感しています。
(2015年6月刊。720円+税)
2015年10月 6日
ヒトラーとナチ・ドイツ
ドイツ
(霧山昴)
著者 石田 勇治 出版 講談社現代新書
日本の国会で、首相が平然とウソをつき、与党が拍手かっさいして、大手マスメディアがそれを無批判にたれ流して、世論を操作しようとしています。
憲法違反の安保法制法が「成立」してしまいました。今の日本では、憲法が改正されてもいないのに、憲法に明らかに反する法律によって安倍政権は世の中を動かしていこうとしてます。 こんなとき、ヒトラーの手口に学べばいいんだという元首相(副首相)のコトバが「生きて」きます。本当にとんでもない世の中になりました。
「おかしいだろう、これ」。新潟県弁護士会会長の一口コメントに、多くの共感の声が上がったのも当然です。
この本は、ヒトラー台頭からナチス・ドイツが残虐の限りを尽くしたうえで自滅していくまでを、とても分かりやすくたどっています。
ヒトラーはオーストリア生まれ。父親は、非嫡出子だった。ヒトラーは、このことを生涯ひた隠しにした。母親は乳がんのため苦しくて亡くなった。
大都会ウィーンでヒトラーは青年時代を過ごしたが、貧しかったわけではない。徴兵検査・兵役を逃れるため、ヒトラーはホームレスの一時収容所に入っていたこともある。
第一次世界大戦が始まると、25歳でドイツ帝国陸軍に志願兵として入営した。ヒトラーは危険な前線にはいかず、比較的安全な後方勤務に就いた。
ヒトラーの演説は、すべて巧みな時事政談だった。
世界を善悪二項対立のわかりやすい構図におきかえ、情熱的に語る。
聴衆の憤りは、おのずと悪に向かう。その悪の具現者こそ、ユダヤ人、マルクス主義者、そしてワイマール共和国の議会政治家だった。
ヒトラーは、ナチ党の実権を握ると、独裁権力を行使した。
ヒトラーがナチ党の党首となったのは、優れた演説家であり、宣伝家であったから。集会活動に力点をおくナチ党にとって、ヒトラーのたぐいまれな観客=聴衆動員力は、ナチ党を他の急進右派勢力から際立たせると同時に、ヒトラーをカリスマと感じる人々に根拠と確信を与えた。
ナチ党には、党の意思決定の場としての合議機関は存在せず、党首を選出する規則も任期も定められていなかった。入党条件は、ヒトラーに無条件に従うことだった。
ヒトラーの肖像写真を撮ることを許された唯一の写真家がいた。その名は、ハインリヒ・ホママン。
ヒトラーの「我が闘争」(1925年)は、獄中でヒトラー自らタイプライターをたたいて執筆したもの。ヒトラー自身は、「嘘と愚鈍と臆病に対する四年半の戦い」というタイトルを望んでいた。この本は、累計1245万部も売れた。「我が闘争」は、虚実とりまぜて語るヒトラー一流のプロパガンダの書である。
この本が売れたため、首相としての給料はヒトラーにとって不要なほどだった。
ナチ党は、全国進出にあたって弁士不足という問題に直面した。そこで、1929年6月、ヒトラー公認の弁士養成学校を開校した。開校してから1933年までに6000人の全国弁士を送り出した。
ナチ党躍進のカギは、国民政党になったことにある。すべての社会階層にまんべんなく支持される大政党になった。
1933年1月30日に、ヒトラーはヒンデンブルグ大統領によって首相に任命された。このころ、ナチ党は得票数をかなり減らし、党勢は明らかに下降局面に入っていた。
1932年7月の国会選挙で第一党になかったが、同年11月の選挙では200万票も失い、議席数も196と後退していた。このとき、ドイツ共産党は躍進していた。その一審の原因は、ヒトラーのカリスマ性の限界だった。ヒンデンブルグ大統領が1月に成立させたヒトラー政権は、国会に多数派の基盤のない「少数派政権」だった。
ヒトラーは首相になってすぐ、ラジオで演説した。このときは穏やかで信心深い政治家を装った。そして、ヒトラーは3月に選挙を行った。機能不全に陥った国会をよみがえらせるためではなく、終わらせるために・・・。
1933年2月27日夜、国会議事堂が炎上した。翌日には、共産党の国会議員などを一網打尽に逮捕した。非常事態宣言、大統領緊急令によるものだった。
そして、1933年3月、授権法が成立した。これによって、国会は有名無実になった。このとき反対したのは、社会民主党の94人の議員のみ。4年間の時限立法のはずだったのが、1945年9月まで効力があった。授権法は、国会と国会議員だけでなく、政党の存在理由も失わせた。共産党の議員はすでに逮捕されていたが、続いて社会民主党も非合法化された。こうして、14年間続いていたワイマール共和国の議会制民主主義は、わずか半年でしかも合法性の装いを保ちながら、ナチ党の一党独裁体制にとって代わられてしまった。
この本は、なぜ文明国ドイツで、こんなヒトラーのような野蛮な独裁者にみんなが従ってついていったのかと問いかけ、その謎を解明しています。国民の大半が、あきらめ、事態を容認し、目をそらした。様子見を決め込んで動かなかったものが大勢いた。甘い観測と、安易な思い込みがあった。教会も、学者もヒトラー支持をうちだしたことも大きかった。そして、ヒトラーは既成エリートとの融和をすすめた。
いまの日本は安倍政治によって危険な曲がり角に立たされています。このとき、誰かが何かをしてくれるだろう。安倍政治はいずれ行き詰まるだろうから、もう少し様子を見ておこうなんて言っているときではないと私は思います。今こそ私も、あなたも黙っていることなく、声を上げるべきなのではないでしょうか・・・。
この本を読みながら、そのことを私はひしひしと痛感しました。
(2015年6月刊。920円+税)
2015年10月 7日
「走れ、走って逃げろ」
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 ウーリー・オルレブ 、 出版 岩波少年文庫
第二次大戦前、ポーランドに住んでいたユダヤ人の少年が苛酷すぎる状況を生きのびていく実話です。私は、この本を読む前に、映画『ふたつの名前を持つ少年』をみていました。
ひとつの名前は愛を、もうひとつは勇気をくれた。
1942年、ポーランドのワルシャワにあったゲットー、ユダヤ人の居住区から8歳の少年が逃げ出した。どこへ行けば安全なのか・・・。
ユダヤの少年は、本当の名前スルリックからユレク・スタニャックというポーランドの名前に変える。そして、キリスト教徒らしく祈りの作法を教えてもらう。それでも、ユダヤ人の割礼は隠せない。裸になったときに、それを見せられて、通報される。そして、逃げる、逃げる。森へ逃げて、子どもたちの集団に入り、また一人きりで生きのびる。
わずか8歳か9歳の少年が、森の中で一人きりで過ごすという状況は、信じられません。
助けると思わせてゲシュタポ(ナチス)に連れ込む農民がいたり、重傷の少年をユダヤ人と知ると手術もせずに放置する医師がいたり、ひどい人間がいるかと思うと、なんとかして少年を助けようとする大勢の善良な人々がいるのでした。そんなこんな状況で、ついにユダヤの少年は戦後まで生きのびることができました。でも、右腕を失っていたのですが・・・。
少年役が、ときどき表情が違うのに、違和感がありました。あとでパンフレットを買って読むと、なんと性格の異なる一卵性の双子の少年を場面に応じてつかい分けていたというのです。なーるほど、と納得できました。
いかにも知的で可愛らしい少年ですから、本人の生きようとする努力とあわせて、視た人に助けたいと思わせたのでしょうね・・・。
逆にそう思われなかったり、チャンスを生かせなかった無数の子どもたちが無惨にも殺されてしまったのでしょう。戦争は、いつだって不合理です。安倍首相による戦争法は本当に許せません。
この本は、映画の原作本です。もっと詳しいことが判りますし、子ども向けになっています(団塊世代の私が読んでも面白いものですが・・・)。
なにしろ、森の中で、どうやって生きのびろというのか、私にはとても真似できそうもありません。子どものうちに、こんな本を読んだら今の自分の生活がぜいたくすぎることを少しは反省するのでしょうか・・・?
でも、戦争を始めるのは、いつだって大人です。子どもは、その犠牲者でしかありません。
(2015年6月刊。720円+税)
2015年10月 8日
国際指名手配
ロシア
(霧山昴)
著者 ビル・ブラウダー 、 出版 集英社
プーチン大統領とロシアという国が司法を思うように操っていることがよく分る本です。
私は、アメリカの民主主義も、口で言うほどすばらしいものではなく、強大資本が国政を思うままに操っていると考えています。それでも、アメリカには、形ばかりになっても民主的手続きというものが厳然とし存在しています。ところが、プーチンのロシアでは、むき出しの暴力、国がからむ詐欺事件が横行しているようです。そのすさまじさには、腰が抜けそうになります。
共産主義体制の崩壊以降、ロシアでは、20人ほどの寡頭政治家が国の資産の39%を盗み、一夜にして大富豪になった。
著者の父の父(祖父)アール・ブラウダーは、戦前のアメリカで1936年と1940年の2回、共産党から大統領選に立候補している。戦後は、マッカーシズムにより迫害を受けた。
著者の父は、16歳でMITに入学し、20歳のとき、プリンストン大学大学院で博士号を取得した。ユダヤ人って、本当に頭の良い人が多いのですね・・・。
著者の家では、神童でなければ、家族の中に居場所がなかった。凡人に生まれたら、悲劇になるんですね・・・。そこで、著者は、若くしてスーツにネクタイを締めた資本主義者になると決めたのです。
祖父は、アメリカでもっとも有力な共産主義者だった。東ヨーロッパの混乱している状況を見て、著者は東ヨーロッパでもっとも有力な資本主義になることを心に決めた。要するに、お金もうけに徹底するのを人生の目的にしたのです。
70年にわたってKGB(ソ連国家保安委員会)の支配を経験し、強い疑心暗鬼が今なお消えずに残っているロシア人は、情報を守ることに関して用心深かった。ロシアでは、誰かに真実の情報を伝えると、悪いことしか起こらないというのが、一般通念だ。
ロシアの行動は、国益で決まるのではなく、金で決まる。それも、役人が犯罪行為で手に入れたお金だ。
「ソーセージと法律は、その作り方を知らないほうが安心して眠れる」
プーチンはめったに腹の中を見せない。これほど得体の知れない指導者も珍しい。予想させないのが、プーチンの手口なのだ。態度決定を保留しておきながら、戦いから逃れることも、弱みを見せることも決してない。
ロシアにおいて政府側の人間が非公式に会いたいと言うときの目的はただ一つ、賄賂の要求だ。それを拒絶したら、どうなるか・・?
その答えを著者は体験したのです。しかも、それはきわめて過酷な体験でした。警察が会社を捜索し、書類を押収していった。そのとき会社のハンコや書類を使って、契約書がねつ造された。ロシアのどこかの裁判所で、著者は途方もない金額を支払えと命令された。
なんと恐ろしいことでしょうか・・・。
モスクワでは、救急車が人を乗せて料金をとるのは珍らしいことではない。通りを走る車は、すべてがタクシー代わりになる。個人の車も、ごみ収集車も、警察の車両も、誰もが少しでも稼ぎを得ることに必死で、何に対しても料金をとる。
ロシアの人々は、自分を守るために、できるだけ目立った行動を避け、誰にも目を止められないことを願うようになった。
ロシア人が直接的な質問に対処する最善の方法は、何時間も意味のない話をして、問題をはぐらかすこと。
ロシアにおけるビジネス文化は刑務所文化と同じだ。刑務所の中では周囲からの評価がものを言う。苦心して手に入れた立ち位置は簡単には手放せない。やられる前に相手をつぶさなくてはいけない。さもないと、たとえ相手の攻撃を切り抜けたとしても、弱いとみなされてしまう。あっという間に敬意は失われ、襲われる。これが、ロシアのオリガルヒ政治家のやり方だ。ロシア政府がいったん攻撃の矛先を向けたら、手加減はしない。徹底的にダメージを与えるまで攻撃する。
著者の弁護をしていたセルゲイはまだ36歳だった。ロシアの現実ではなく、ロシアの理想に目を向けていた。そのためセルゲイは気づかなかった。ロシアは法が支配する国ではない。人が支配する国なのだ。しかもその人とは悪人だった。
結局、セルゲイ弁護士は警察に捕まり、暴行され、虐待され、ついに死に至った。拘置所で発症した病気すら、意図的に治療しないことで、セルゲイに対する拷問の道具として利用した。さらに、ロシアは、セルゲイの死後、著者とセルゲイに対して脱税の罪で有罪を宣告し、懲役9年を言い渡した。死者に対して、死んでいるのが分かっているのに懲役刑を課すとは、信じられません。
それは、すべてショーであり、見せかけの裁判でしかなかった。堅苦しい法廷を取り仕切るのは、汚職判事であり、警護する守衛は命令どおりに動くだけの存在でしかない。弁護士は本当の裁判らしく見せかけるためにそこにいるだけで、檻の中には被告人さえいない。そこは嘘が支配する場所だった。
司法の独立なんて、まるで縁遠い世界の話のようです・・・。
(2015年6月刊。2200円+税)
2015年10月 9日
チャップリンとヒトラー
ドイツ
(霧山昴)
著者 大 野 裕 之 出版 岩波書店
チャップリンとヒトラーは、まったく同世代なのですね。やったことはまるで正反対。一方は人々を大いに笑わせ、そして笑いながらも人生と政治について深く考えされてくれました。もう一方は、多くの人々を騙し、殺してしまいました。
1889年4月、20世紀の世界でもっとも愛された男と、もっとも憎まれた男が、わずか4日違いで誕生した。なんという偶然でしょうか・・・。
チャップリンは極貧の幼少時代を過ごした。チャップリンはユダヤ人ではない。父方の祖父の妻がロマ(ジプシー)なので、チャップリンは、ロマとのクォーターだというのを誇りにしていた。
ヒトラーは中流家庭の出身。ヒトラーは、若いころは「引きこもり」だったが、ドイツ軍に入って、なんとか兵長にまでは昇進した。
チャップリンは、5歳のときミュージック・ホールで芸をするようになり、24歳まで働いた。短時間のうちに少人数の舞台で客の心をつかむ演技術を鍛えあげた。舞台女優だった母親がチャップリンにユーモアにみちた笑いと人間味あふれる愛を与えてくれた。それによって貧苦という現実とチャップリンはたたかうことができた。
ヒトラーは長年にわたって兵役逃れをしていた。チャップリンには兵役のがれをした事実はない。チャップリンは体重不足で兵役不適格となったのである。
二人とも25歳になるころ、お互い知らずに、同じちょび髭をはやした。
1919年10月、30歳のヒトラーが公開の集会で初めて演説した。ドイツ労働者党の集会だった。それまで、人前で話すことはおろか、他人と接触することすら稀だった30歳の男の鬱屈した人生で積りに積もった怨念が、堰を切ってとめどもなくあふれ出し、爆発した。このとき、希代の演説家ヒトラーが誕生した。30歳にして表舞台に躍り出た天才演説家は、当時のドイツの時流に乗った。
ヒトラーは皮肉なことに、東欧移民のユダヤ人4人兄弟の率いるワーナーブラザーズが発明し、ユダヤ人の天才エンターテイナーであるアル・ジョルソンの主演作で初めて導入された技術であるトーキーを駆使して、権力を手に入れた。
チャップリンの長い映画人生を通して、公開時に損失を出したのは『殺人狂時代』(1947年)のみ。株価大暴落の直前にもっていた株式を全部売って利益を確保した。チャップリンは天才的な経済センスの持ち主でもあった。
チャップリンは、こう言った。「わたしは愛国者ではない。・・・600万人のユダヤ人が愛国心の名によって殺されているとき、誰かがそんなものを許せるか」
チャップリンの映画を、ヒトラー政権下のドイツは徹底的に批判し、上演を禁止した。チャップリンは、ナポレオンを主人公とした映画を構想した。しかし、その構想は日の目を見ず、次第にヒトラーをモデルとする『独裁者』のほうへ関心が移っていった。
チャップリンは、どれだけいいギャグであっても、単に世相を反映させただけのギャグや、本筋と関係のないギャグは捨てた。問題の本質に近づいていくためだ。
チャップリンが『独裁者』の制作をすすめている途中、イギリスは、公的機関や政治家などを使って、国をあげて徹底した妨害工作をすすめた。イギリスにとって、当時のドイツは同盟国だったからである。
うむむ、なんということでしょうか・・・。ヒトラーを擁護する立場でイギリスが行動していたとは、許せませんよね。
イギリスのメディアとナチスのメディアは、完全に歩調をあわせていた。1939年5月ころのことである。
そしてアメリカ。アメリカでも『独裁者』の妨害キャンペーンが大々的にすすめられていた。なぜなら、当時のアメリカでは、反ユダヤ主義の風潮が90%をこえ、財界はナチス政権に多額の投資をしていたから。当時のアメリカは親ファシズムとも呼べる国だった。映画づくりを止めさせようとアメリカの一般大衆からチャップリンに対して多くの脅迫の手紙が届いた。
これは、ナチス・ドイツでありアメリカであれ、戦争へと突きすすむなかで、いかに人々が冷静さを失っていくかを如実に指示している。
チャップリンは、手に入る限りのヒトラーのニュース映画をみた。そして、こう言った。
「やつは役者だよ」
チャップリンはヒトラーの演技に心から感心していた。
『独裁者』の最後のシーンでチャップリンは6分間もの長広告をふるう。周囲の人々がそんなことをしたら興行収入が100万ドルは減るから、やめるように忠告した。それに対して、チャップリンはこう言って反論した。
「たとえ500万ドル減ったところで、かまうものか。どうしても私はやるんだ」
ヒトラーがパリに入場したのは1940年6月23日。その翌日、チャップリンは、たった一人でラストの演説の撮影にのぞんだ。この演説の部分だけで、4日間をつかった。
公開の日。1940年10月、ニューヨーク。劇場にはなだれ込む大群衆で、もはや制御不能だった。左派からは共産主義的だと攻撃され、右派からは生温センチメンタリズムと批判された。映画批評家は、キャラクターにあっていないと、この演説は酷評された。しかし、観客は、そのシーンに毎回、耳が聞こえなくなるほどの拍手を送った。演説は大衆の愛する名文句となった。
ヒトラーの恐怖のまっただ中にいるイギリスでは、「ドイツは、これを見ろ!」と。『独裁者』こそ、ナチスへの武器だと国民が待ち望んでいた。
笑いこそヒトラーがもっとも恐れる武器であり、それは一個師団以上の力なのだ。
1941年2月までに世界中で3000万人が見たという世界的大ヒットとなった。しかし、戦前の日本では『独裁者』は公開されていない。
笑いこそ、独裁者とよくたたかう武器になるというのは、本当のことです。例の安倍なんか、笑いでぶっとばしてやりましょう。チャップリンの不屈の戦いがよく分る、興味深い本です。改めて『独裁者』を私もみてみたくなりました。
(2015年6月刊。2200円+税)
2015年10月10日
遠山金四郎の時代
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 藤田 覚 出版 講談社学術文庫
ご存知、遠山の金さんの実像を探った本です。なるほど、そうだったのかと膝を打ちながら読みすすめました。江戸時代の社会的状況を明解に説明していますので、背中に桜吹雪の名奉行がなぜ世間に大受けしてきたのか、よく分かります。
江戸時代の名奉行として有名なのは、大岡越前守(えちぜんのかみ)忠相(ただすけ)と遠山左衛門尉景元(さえもんのじょう・かげもと)の二人。大岡越前守は八代将軍吉宗の時代。そして、遠山景元は水野忠邦による天保の改革のころの町奉行。
「大岡政談」は、実際の大岡とは関係のない創作だということが判明している。しかし、遠山の金さんにはタネ本はない。
遠山の金さんの場合は、天保の改革という厳しい政治改革をすすめていた老中・水野忠邦と、その下で活躍した町奉行・鳥居燿蔵という敵(かたき)役がいてこそだった。
刺青(分身、入墨)は、天保13年(1842年)には、幕府が禁止令を出さざるをえないほどに流行していた。
遠山景元は、町奉行在職はのべ12年に及んだ。在職当時から名奉行として評判が高かった。12代将軍・家慶(いえよし)は遠山景元を公の場でほめ、将軍のお墨付きを得た。
この遠山景元は、天保の改革をすすめようとする老中・水野忠邦と意見が合わなかった。
その前提には、江戸の町の深刻な不景気があった。遠山景元は、身分不相応のぜいたくはいけないが、江戸の町はにぎやかで繁栄させるべきで、さびれさせてはいけなと考えた。これに対して、老中・水野忠邦は、ぜいたく禁止を徹底すべしと考えた。
このころ、江戸の町には、なんと233ヶ所もの寄席があった。老中・水野忠邦はそれを全廃せよと迫った。遠山景元たちの必死の抵抗で全廃は免れたものの、わずか15ヶ所だけ残った。
寄席は、入場料が安く、下層町人にも楽しめる大衆的娯楽施設だった。入場料は銭20文前後、いろいろあわせて銭50文で一夜を楽しめた。奉公人などが、男女、年齢を問わず、寄席に詰めかけて楽しんでいた。
天保の改革が失敗したあと、寄席はたちまち復活し、700軒にまで増えている。
遠山景元のせりふとして次のように言わせている。
「江戸ほどの大都会には、相当の遊山場(ゆさんば)がなくてはならぬ。いかに御倹約の世の中でも、人間は牛馬のように働いてばかりはいられまい。それ相当の休息もせねばならぬ、それ相当の物見遊山もせねばならぬ。吉原通いをするよりは、まだしも芝居見物のほうがましではあるまいかな。いかなる御政道も、しょせんは人間を相手のことだ。人間が楽しく働いて、楽しく暮らされるようでなければ、まことの御政道とは申されまい」
遠山の金さんら名奉行の主張の背景として、天明の江戸打ちこわしのような下層民衆の蜂起騒動への恐怖が存在していた。営業と生活が成り立たないような状況に追い込まれれば、事態を打開するために蜂起し、騒動を引きおこすことによって、幕府に手痛い打撃を与えることができるほどに、江戸の民衆は政治的に成長していた。
名奉行の陰には都市下層民衆あり、だった。そして、天保の改革という、江戸民衆に苛酷な政治改革を強引にすすめていった水野忠邦や鳥居熠蔵という敵侍がいてこそ、名奉行、遠山の金さん物語が生まれたのであろう。
なーるほど、よくよく分かりました。
(2015年8月刊。900円+税)
2015年10月11日
下山事件
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 柴田哲孝 、 出版 祥伝社
1949年(昭和24年)7月5日、初代国鉄総裁である下山定則は出勤前に日本橋の三越本店に立ち寄ったあと、そのまま消息を絶った。これが下山事件の始まりである。
そして、翌7月6日未明、足立区五反野の常磐線の線路付近で遺体となって発見された。
この本は、下山殺害の犯人をアメリカ軍の下にいた謀略部隊として話を展開しています。
下山定則は、国鉄総裁を辞めたあとは、国政選挙に出て代議士になるつもりだった。つまり、自殺するような動機はまったくなかった。
下山を三越本店に呼びつけたのは、計画的に拉致する目的からなされたこと。ただし、拉致したあと、殺害するしかないと考えていたグループと、下山の考えを改めさせればよいと考えていたグループの二つに分かれていた。
GHQのなかにも、国鉄の利権で甘い汁を吸っているグループと、それほどでもないグループがいた。利権派は、下山を役人としてクリーンすぎる、コミュニストに寛容だし、国鉄の電化に反対しているとして嫌っていた。
GSのケーディス大佐を失脚させたのは、吉田政権であり、旧内務官僚と日本の警察関係者だった。スキャンダル(女性問題)を騒ぎたてたのだ。
下山は、アメリカ軍(GHQ)了解の下で、日本の特殊機関の連中から血を抜かれて死亡し、現場に運ばれて列車からひかれた。だから、血が少なかったし、身につけていたはずのものが、いくつも見つからなかった。
これらは自殺だったら、ありえないこと。ところが、法医学教室の鑑定も結論が「まちまち」だった。強引な「自殺」説に符丁をあせた「鑑定」書が出されたのだ。
戦後まもなく日本では謀略がまかり通っていたのですね・・・。
中国大陸で何人も人を殺してきた体験者が下山殺害の実行犯だったようです。
小説(フィクション)だからこそいろいろ書けたようで、勉強になりました。
(2015年6月刊。2000円+税)
2015年10月12日
平泉
日本史(平安時代)
(霧山昴)
著者 斉藤 利男 出版 講談社書選書メチエ
中尊寺とは、清衡による奥六郡支配の最初に、奥州の中心に位置することを意識して創建された寺院だった。奥大道を通行する人々は、金色堂以下の壮麗な伽藍を間近に見る仕掛けだった。中尊寺は、すべての人々に開かれた「公の寺」だった。
奥州藤原氏は、「北奥政権」にとどまっていなかった。平泉開府の最大の意義は、衣川を越えて、「俘囚の地」奥六郡の南へ出たことにある。そして、清衡の目は、奥羽南部から関東・北陸、さらに首都京都を越えて、西国九州に達し、博多の宋人商人を介して、寧波(ニンポー)、中国大陸に及んでいた。
初代清衡は、大治3年(1128年)7月に73歳で病死した。
清衡の死は、わずか2週間後に京都の貴族に死んだことや年齢まで日記に書かせた。この日記が今も残っていることから、さらに多くのことが解明できたのでした。
平泉は、海のシルクロードの東の終点に位置する都市である。それは、院政期仏教美術の直輸入ともいえる中尊寺の仏像、仏具類、海外産の材料(夜光貝)象牙、紫檀材など。都の一流の匠・工人に依頼することなしでは、建立不可能だった中尊寺金色堂。
そして、ここには中国・海外産の経典・宝物などもある。
平泉・中尊寺は私も何回か行きました。その金色堂の見事さには、言葉が出ないほどの衝撃を受けたものです。
(2014年12月刊。1950円+税)
2015年10月13日
失われゆく、我々の内な細菌
人間
(霧山昴)
著者 マーティン・J・ブレイザー 、 出版 みすず書房
1850年のアメリカでは、生まれた赤ちゃんの4人に1人が、1歳の誕生日を迎えることなく死亡した。今では、1000人のうち1歳になる前に亡くなる赤ちゃんは、わずか6人のみ。
1990年には、アメリカ人の12%が肥満だった。2010年には、30%をこえた。
2008年の世界人口のうち、15億人の成人が過剰体重。うち2億人の男性と3億人の女性が肥満。このわずか20年ほどの間に世界的な体脂肪の蓄積が起きた。
近年の喘息発祥の増加も異常だ。2009年には、12人のうち1人、2500万人のアメリカ人が喘息をもつ。これは人口の8%。そして、子どもの10%が花粉症に苦しんでいる。
ピロリ菌は、ある種の成人には病気を引き起こす。しかし、多くの子どもたちに利益をもたらすものでもある。ピロリ菌の根絶は、利益よりも、より大きな健康被害を人類にもたらすかもしれない。
ヒトの体は、30兆個の細胞よりなる。そして、ヒトは、100兆個もの細菌や真菌の住かでもある。
母親は赤ん坊の臭いを知っているし、赤ん坊は、母親の臭いを知っている。臭いは重要である。それは、たいてい微生物に由来する。
ある種の細菌は、ビタミンKを産生する。ビタミンKは血液の凝固に必須なビタミンであるが、ヒトはそれを産生できない。ヒトの細菌は、内在性の「バリウム」さえ産生する。
細菌叢のもっとも重要な役割は、免疫の提供。ヒトの体内細菌は、数百万個の独自の遺伝子をもっている。
抗生物質は効果がてきめんで、明らかな副作用はないと思われてきた。問題は、私たちの子どもの世代だ。子どもたちは、今の私たちが予想もできないような脆弱性を抱えることになる。抗生物質過剰使用のもっとも明らかな例が、上気道感染症として知られる疾患だ。
ところが、抗生物質の使用量は膨大であり、毎年、伸び続けている。抗生物質の過剰使用と耐性菌の出現によって、製薬会社の新薬開発が耐性菌の出現に追いつかないという危機が生まれた。抗生物質を使えば使うほど、耐性は出現しやすく、抗生物質の有効期限は短くなっていく。
アメリカで生産される抗生物質の大半は、巨大な飼育場で使用される。ブタやニワトリ、七面鳥なのである。抗生物質は太らせるために使われている。食肉生産の最大化が目的だ。
2011年、アメリカの畜産農家は3000万ポンドの抗生物質を購入した。これは、史上最高だ。これを、日本人の私たちも知らないうちに食べているわけです。
糞便移植という治療法が何年も前から実践され、効果をあげてきた。
ある人から別の人へ、糞便を計画的に移植する、健康な人から、新鮮な糞便を手に入れ、食塩水で便の懸濁液をつくる。生じた不透明な茶色の液体から、管や経鼻的に十二指腸内視鏡を通して、胃に、あるいは逆方向を直腸から大腸内視鏡によって投与される。
すなわち、腸内・生態系が破壊された人に対して、失われた細菌を戻してやるのは、有効な医療でありうるということ。
人類は、細菌が人体内で機能する機構を解明しきれていないのだ。
生長促進を目的として家畜へ抗生物質を使用するのは直ちに禁止すべきだと思いました。
ヨーロッパでは既に禁止されていますが、アメリカではまだです。日本はどうかというと、この分野でも、アメリカにならって全面禁止にはなっていません。問題ですよね。
私がマックやケンタを食べないのは、そのせいでもあります。
(2015年7月刊。3200円+税)
2015年10月14日
「北支」占領、その実相の断片
(霧山昴)
著者 田宮 昌子 、 出版 社会評論社
三重県出身の3人の兵士の日記・手紙と写真によって、日中戦争の断片を新幹線内でガソリンをかぶって焼身自殺した71歳の男性がいました。51歳の女性がそのあおりをくらって亡くなられました。本当に痛ましい話です。
私は安倍内閣が強引に成立させようとする安保法制法案が成立したら、日本国内の至るところで、自爆テロの危険があるようになることを今から心配しています。
イギリスでもフランスでも地下鉄や新聞社などで自爆テロが発生しました。
アメリカと一緒になってイラクやアフガニスタンへ日本の自衛隊が出かけていったとき、その報復として日本が自爆テロ攻撃の対象とされないなんて考えるのは甘すぎるでしょう。身内が理不尽に殺されたら、仕返しをしたくなるのが人情というものです。
政治は、そんなことを防ぐためにあるはずなのですが、自民・公明の安倍内閣は戦争してこそ平和が得られるというのです。まるで間違っています。
この本は、アルジェリアでイスラム原理主義勢力がはびこるのを嫌って、イギリスへ渡った男性が無意味な殺し合いをやめさせるためにフランス、そしてイギリスの諜報機関のスパイになったという実話を紹介しています。このアルジェリア人の男性は何回も殺されかかっていますが、テレビで顔を出していますから、今も生きているのが不思議なほどです。
モスクでは、ビデオを見せられる。激しい戦闘の様子や、イスラム戦闘員の遺体が写っている。
「こうやって殉職者になって天国に行くんだ。きみたちも、欧米の不信心者と戦えば、天国が拘束されている」
「きみたちの今ある生命は本当の命ではない。ジハードで死んだあとに、きみたちの本当の命が息を吹き返し、そこから人生が始まるのだ」
「殺せ、不信心者を殺せ。アルジェリア兵を殺せ。アフリカ人を殺せ。殺せば、おまえたちは天国に行ける」
メッセージは明確だ。生き方に迷っている若いイスラム教徒にとって、「おまえの進むべき道はこっちだ」とはっきり指示してくれる人間が必要だった。言い切ってくれることで、迷いが吹き飛ぶ。
モスクは、ありあまるエネルギーに火をつけてくれる刺激的な場所だ。イスラム信仰心にあつい者は酒も麻薬にも手を出さない。恋人をつくったり、酒に酔って夜のパーティーに出かけることもしない。ひたすらコーランを読んで、それを実践しようと心がける。
酒に酔って、パーティーに明け暮れる西洋文明は、腐り切った汚れた社会だ。
ビデオを見て、洗脳されて若者の心を「戦って天国に行け」という訴えが射貫いた。若者は、やがて自分も欧米人を相手に実践に参加して、殉職者になることを夢見るのだ。
これは、戦前の日本の軍国少年育成と同じ話ですね・・・。
宗教を盲信してしまうことによる恐ろしさ、殺し合いが日常化してしまったときの怖さが、じわじわと身に迫ってきました。そんな世の中にならないように、日本はもっと恒久平和主義を世界にアピールすべきなのです。
安倍政権の積極的「戦争」主義は根本的に間違いです。この本を読んで、ますます私は確信しました。
(2015年5月刊。1800円+税)
2015年10月15日
三くだり半と縁切寺
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 高木 侃 出版 吉川弘文館
明治のころ、日本は男尊女卑だったから、江戸時代はもっと男尊女卑は徹底していたに違いない。実は、これは、まったくの誤解なのです。
明治中期ころ以降、男は勝手な理由で気に入らない妻を追い出し、離婚していた(夫の専権離婚)。しかし、江戸時代の離婚の多くは、「熟談離婚」だった。
江戸時代にも姦通罪はたしかにあった。しかし、それは単なるタテマエでしかなかった。
ところが、明治時代以降には、実態(ホンネ)として強制されるようになった。
江戸時代の『女大学』は、一種の絵空事(えそらごと)であり、現実を反映したものではなかった。
「世に女房を養う顔をして、女房に養われる亭主多し」
武士の離婚率は高く、10%をこえ、しかも、離婚後の再婚率は50%に及んでいた。再婚へのためらいはなく、とくに夫の死亡後は再婚していた。
離婚したら、夫は妻の持参金を返還する必要があった。
女性は、未婚・既婚を問わず、家族内で重要な役割をになっていた。労働を支えていた妻は、夫と対等だった。
当時の妻は、破れ草履(ぞうり)を棄てるように、いとも簡単に夫の家から飛び出てきた。きらいな夫、生活力のない夫の元をいつでも妻が飛び出すことができたのは、その労働力が期待され、すぐに受け皿としての再婚先があったから。
庶民の離婚率は高く、8割以上が再婚した。そして、明治前期の離婚率もきわめて高い。これは江戸時代の高い離婚率の名残だ。それが、明治31年の民法施行によって激減した。
三くだり半は、再婚許可状だった。そして、この三くだり半は再婚免状であるから、具体的な離婚理由は記載されなかった。
夫が親族等の意思を無視して、恣意に妻を離婚することはできなかった。
三くだり半の実物に照らして論述されていますので、強い説得力があります。
江戸時代の縁切寺は、鎌倉・松ケ岡の東慶寺と上野国の満徳寺の二つの尼寺だけ。妻からの離婚請求はかなり認められていた。東慶寺へ駆け込んだ女性は江戸末期の150年間に2000人をこえた。
離婚に際しては、別れたい方が、お金を支払わないといけない。1992年に出版された本のリバイバルですが、補論がついています。
夏目漱石の父・小兵衛は江戸牛込馬塚下横町の名主だった。知りませんでした、、、。また、井上ひさしの『東慶寺、花だより』も紹介されています。
日本の女性を視る目が180度変わる本です。
(2014年12月1日。2400円+税)
2015年10月16日
新・自衛隊論
社会
(霧山昴)
著者 自衛隊を活かす会 、 出版 講談社現代新書
自公政権のゴリ押しで安保法制法が「成立」しました。憲法違反の法律は無効なわけですが、アベ政権は来年にもアフリカ(スーダン)へ自衛隊を派遣しそうです。
政府があるのか分からないような国、コトバも通じない国へ、アメリカの言いなりになって自衛隊を派遣したら、しかも今度は民生支援ではありませんから、「戦死者」が続出するのは必至です。
「日本の平和のための抑止力」なんて、とんでもありません。アベ首相の嘘によって日本人が殺される(現地の人を殺す)なんて、本当にとんでもない事態が生まれようとしています。
この本は、11人の元幹部自衛官と安全保障論の専門家が日本の国を本当に守るためにはどうしたらよいのかを論じています。説得力があります。
いま守るべきなのは、ながく大切に守ってきた「非戦のブランド」だという点には、私もまったく同感です。
今のアメリカと中国の関係は、最大の貿易相手国、投資の対象国、国債保有国というものです。
今朝(9月23日)の新聞には、アメリカのカリフォルニア州の高層ビルや豪邸を、中国人が次々に買収し、建築しているという記事がありました。豪邸のほうは平均1億円、それを中国人が即金(現金)で買うというのです。恐るべき状況です。
ですから、アメリカも中国も、お互いに戦争するなんてことはまったく考えていないし、ありえないのです。日本人だけが、アベ政権のあおりたてる「中国脅威論」を素直に信じ込まされてます。
日本の安全には、アメリカだけでなく中国の関与が欠かせない。中国の安全にも、日本やアメリカの関与が欠かせない。国の安全は、政治体制の違いを超えて、一国だけで成り立つものではなくなっている。
北朝鮮は、たしかに危険だ。たいした力は持っていないが、追い詰めると何をするか分からない。追い詰められたときに怖いのは、核ミサイルと十何万人の特殊部隊。日本の原発が特殊部隊のテロ攻撃・自爆攻撃にやっれてしまったら、日本はもの破滅です。それは防ぎようのないことです。
日本が北朝鮮の敵基地を攻撃するなんて、口で言うのは簡単だけど、実際には不可能。そもそも敵の基地がどこにあるのか、日本の自衛隊はまったく把握していない。敵の基地は動きまわるし、地下にあるから把握しようがない。
海外で抑留された日本人の救出作業を自衛隊がするといっても不可能なこと。アメリカ軍のスペシャルフォールに出来ないことが、日本の自衛隊に出来るはずがない。アメリカ軍の救出作戦はこれまで一度も成功したことがない。日本の自衛隊には情報がなく、情報収集手段がなく、訓練もしていない。訓練していないことが出来るはずはない。
中国の指導部にとっては、国内社会が不安定化することこそ、もっとも恐ろしいこと。
中国には空母が一隻しかないが、それはロシアから購入した中古船であり、動いているのが奇跡というような艦船。発着艦訓練もできておらず、まったく実戦用ではない。
日本の陸上自衛隊は、用意周到動脈硬化。海上自衛隊は、伝統墨守唯我独尊。
航空自衛隊は、勇猛果敢支離滅裂。
日本は国土全体を守るのがとても困難であり、また長期にわたる消耗戦にはまったく向かない地政学的特徴がある。だから、日本にとって大切なことは、紛争を未然に防ぎ、万一、紛争が起きたときには、それをできるだけ局地的なものに限定しつつ、早期に収拾すること。
日本と世界の平和を武力によって守ろうとか、抑止力を強めて日本を守るなどというのが、まったくの夢物語であり、危険なものだということがよく分かる本です。
ぜひ、あなたもご一読ください。
(2015年6月刊。900円+税)
2015年10月17日
太陽の草原を駆けぬけて
ロシア
(霧山昴)
著者 ウーリー・オルレブ 出版 岩波書店
ユダヤ系ポーランド人の子どもが厳しい環境のなかで生きのびていった話です。
1936年生まれですから、ナチス・ドイツがポーランドに侵入してきたときは5歳。そして、ユダヤ人の両親とともに、ソ連の東方へ逃げます。落ち着いた先は、はるか彼方のカザフスタン。キルギスにほど近いジャンブールの郊外です。
きびしい自然環境のなか、快活で知恵のまわる少年らしく、地元の子どもたちとまじわって遊ぶようになり、牛糞を燃料にするやり方、そこで小鳥(カッコウ)を取って料理するやり方、そして凍った湖で魚をとるやり方などを身につけて、母親や姉たちを心配させながらも肉などを持ち帰っては喜ばれるのでした。
そのありさまが実に詳しく生き生きと描かれていて、『二つの名前をもつ少年』のように一人で森で生きるよりは、母親や姉たちとともり一家で住めるだけ救いもある話です。
しかも、音楽の教師をしていた母親は、お祝いの席でバラライカを演奏してお礼として食料をもらったりするのです。まさに芸は身を助ける、というものです。
ユダヤ人の父親は共産主義者であり、スターリンを崇拝していました。ですから、ナチス・ドイツの侵攻を予期していなかったし、すぐに撃退してくれると思っていたのです。ところが、敗退に次ぐ敗退。
そして、ついにはスターリンの粛清にあって父親は生命を落とすのでした。母親は新しい伴侶を見つけますが、主人公の男の子は、それが不満です。
そして、一家は、戦後、ついにイスラエルへ移住するのでした。
冒険話が面白くて、ついつい引き込まれ、一心に読みふけってしまいました。
(2014年12月刊。1700円+税)
2015年10月18日
常識外の一手
人間
(霧山昴)
著者 谷川 浩司 出版 新潮新書
定跡(じょうせき)。定跡を指しているだけでは、プロ棋士の世界で勝ち抜くことは出来ない。また、最新の棋譜を追いかけて研究しているだけでも勝てない。
なぜか、、、?
本筋しか指せない人は一流にはなれない。つまり、定跡、常識に沿っているだけでは、プロの中で頭角をあらわすことはできない。本筋をわきまえたうえで、さらに「常識外の一手」を指せるかどうか、ここが重要だ。
どれだけの選択肢があるか、、、。オセロは10の60乗。チェスは10の120乗。将棋は10の220乗。そして囲碁はなんと10の360乗。
正しく先を読むためには、直観こそが重要。日々、研究にいそしんでいるのも、実戦で正しくこの直観が働くようにするため。多くの可能性があっても、その9割以上は直観で捨てて、残りの1割をより掘り下げて検討している。
直観を養うために必要なのは、知識、経験、個性、そして流れ。
初心者と達人は紙一重。深い修練の先にこそ「常識外の一手」がある。
コンピュータと対局するときには、事前に長い時間をかけて、コンピュータの指し手を研究しなくては勝利を望むことはできない。
若いころは、一直線の手順は詰めても、手広く読むことができない。逆に年齢が上がると先まで読む力は落ちるが、経験によって大局観が鍛えられて、深く読めない代わりに広く手を読むことができる。若いころは「狭く深く」、年齢を重ねるほど「浅く広く」考えるようになる。
勝負にかかわる環境や条件をすべて味方につけて、自分の力を最大限に発揮できるのが本物の勝負師といえる。
プロ棋士であれば、自分の感情をうまくコントロールできるのは当然として、勝負事では相手を威圧するような迫力も大切である。
気合十分の棋士は全身から闘志があふれ出るように感じられる。
プロ棋士のすごさを知ることのできる新書でした。
(2015年6月刊。700円+税)
2015年10月19日
鏡映反転
人間
(霧山昴)
著者 高野 陽太郎 出版 岩波書店
鏡に映ると左右が反対に見える。なぜか、、、。上下は反対にならないのに、なぜ左右だけが反対に見えるのか?
あまりにもあたりまえの現象なので今さら、なぜと問われても、、、。
実は、これって昔から難問であり続け、今も正解の定説がない。ええーっ、そ、そうなの、、、。
鏡映反転は、じつは、「左右が反対に見える」という単純な現象ではなく、かなり複雑な現象なのである。
鏡映反転というのは、物理の問題ではなく、認知の問題である。すなわち、鏡のなかでは、物理的には左右が反転しないにもかかわらず、人間が左右反転を認知するのはなぜかという問題である。
この難問を説明すべく、昔からいろんな仮説が提唱されてきたが今なお、定説というものはない。うひゃあ、そうなんですか、、、。
著者は、その説明のために「多重プロセス理論」を提唱する。これは、鏡映反転は、ひとつの現象ではなく、複数の現象の集まりだとする。視直反転、表象反転、光学反転の三つから成る。
文字の鏡映反転はすべての人が認知するのに対して、自分自身の鏡映反転は2~3割の人が認知しない。つまり、この二つの反転は、別の原理で生じている、別の現象なのである。
多重プロセス理論によれば、人体の鏡映反転を生み出しているのは、視点変換と光学変換である。したがって視点変換をする人は、鏡映反転を認知し、視点変換をしない人は、鏡映反転を否認する。
鏡映反転は、見かけとは裏腹に、非常に複雑な現象である。
うむむ、なんと、そういうことなんですか、、、。鏡の前に立って、左右あべこべに見えてるのに解けない謎があるなんて、考えたこともありませんでした。
その謎を解明しようとする本ですが、やや私にとっては高度すぎる内容ではありました。
(2015年7月刊。2700円+税)
2015年10月20日
勝者なき戦争
社会
(霧山昴)
著者 イアン・J・ビッカートン 出版 大月書店
アベ内閣がすすめているのは、日本を再び戦争する国へつくり変えること。戦前の軍国主義ニッポンを美しい国だなどとごまかし、日本の若者を大義なき戦場へ駆り出そうとしています。この本は、戦争とはどういうものなのかを冷静に考えるうえで参考になる実例をたくさん提供しています。
戦争を始めることは、その目的達成を不可能にしてしまう、リスクの髙い行為である。
戦争における勝利は、それに見合った好ましい結果をうむことはなく、戦争の犠牲はあまりにも大きすぎる。
現実には、戦争による犠牲は、過去にも現在も、払うに見合う価値はない。戦争は、降伏式典や紙吹雪が舞うパレードによって終わることは決してない。
戦争とは、すべてが曖昧な混乱のなかで終わるものであり、獲得したものよりも失われたものを認めるほうが、はるかに容易だ。
戦争における勝利の笑顔は、偽りであり、それは仮面にほかならない。勝利の顔は、結局敗北の顔と同じく「死に顔」であり続ける。
陸軍大将、海軍提督そして空軍司令官は明らかに戦争での勝利から恩恵を受けてきた。名誉と称賛を得て、感謝する大衆や国民によって政治家としての道が開かれる。しかし、一般兵士のほうは、恥や不名誉を感じることはあったとしても、報酬を受けることはめったにない。
戦争は国家を破綻させるか、あるいは経済的苦境を生み出し、大部分の人々を悲惨な状況に追いやる。
戦場での勝利が、持続的な恒久的な平和に導くことはない。戦場での勝利は、戦闘の短期的停止という、わずかな政治的機会を勝利者に与えるにすぎない。戦場で勝敗を決した戦争は、これまで存在していない。
戦争においては、「純粋に」軍事的な勝利という結果は存在しない。
戦争のもたらす結果とは、殺戮と破壊にほかならない。戦時においては、何千、何万、何百万もの人々が、戦闘員か非戦闘員であるかを問わず、殺害され、傷つかられ、暴行される。無数の家々や村、町、都市が破壊され、農業や産業基盤が大損害を受ける。戦勝が卑しむべく独裁者を排除するために戦われることは、まったくない。
戦争は、より一般的には領土的、経済的膨脹という欲望を偽装するイデオロギー上の理由のために戦われる。
戦争は、指導層の少数集団によって計画的な計画的になされた決定による結果である。恐怖、名誉、利害という三つの要素に駆り立てられた結果である。すべての戦争は、地位、栄誉、称賛の計算を含んでいる。
戦争は、想像力の欠如であり、戦うために召集された人々の生命を恐ろしいくらいに軽視する。
戦争をヒロヒト個人の責任にしてしまえば、あまりにも単純化してしまう。
戦争を個人の責任に帰すると、戦争を過度に単純化することになる。
戦争によって失われた生命は、ほとんど省みられることはない。
勝敗にかかわらず、戦争は戦争当事国の社会に十分な民主主義的な経験を提供しない。
庶民にとって戦争はまったく割りの合わないものだと言うことが分かりやすく解明されています。
(2015年5月刊。3600円+税)
2015年10月21日
オープンダイアローグとは何か
人間
(霧山昴)
著者 斎 藤 環 出版 医学書院
統合失調症について、フィンランドですすめられている画期的な治療法を紹介した本です。それが、あまりにもシンプルな内容なので、本当に治療法として有用なのか、いささか心配になりますが、まずは紹介してみます。
このオープンダイアローグを導入した西ラップランド地方における統合失調症の入院治療期間は平均して19日間も短縮された。この治療によって、服薬を必要とした患者は35%。2年間の予後調査で82%は症状の再発がない。再発率は24%にすぎない。いわば、これは魔法のような治療なのである。
オープンダイアローグは、急性期精神病における開かれた対話によるアプローチとも呼ばれる。主たる治療対象は、発症初期の精神病。
最初に相談を受けた人が責任をもって治療チームを招集し、依頼から24時間内に初回ミーティングを行う。治療チームの源流は、家族療法である。
ミーティングには、対話を先導したり、結論を導いたりする「議長」「司会者」はいない。そして、専門家が指示し、患者は従うだけという上下関係はない。本人を抜きにして、いかなる決定もなされない。ミーティングは、1時間半程度で終える。
オープンダイアローグでは、はじめから診断がなされることはない。あいまい。
このあいまいな状況に耐えながら、病気による恐怖や不安を支えていく。不確実性への不安を支えるのが、繰り返されるミーティングと継続的な対話である。
オープンダイアローグでは、参加者全員が尊重される。平等で自由な「空気」をつくり出し、何かを決定するのではなく、対話の継続それ自体が目的であるような対話がなされる。
ミーティングでは、全員がひとつの部屋で車座になって座り、その場で自由に意見交換する。
同じチームが一定期間がかかわりを持ち続けることが、とても大切なこと。
オープンダイアローグにおいては、聴くことは質問することよりも重要。意見がくい違ったときに大切なことは、正しいか間違いか、白黒をはっきりさせることではなく、すべての声が受け入れられ、傾聴とやりとりが促されること。
精神病的な反応があったら、それは患者が自分の経験したことをなんとかして意味づけようとする試みとして理解すべき。
ミーティングにおける治療チームの重要な仕事は、患者との関係者が対話の主導権を握れるようにもっていくべきこと。
ミーティングのプロセスをゆっくりと進めることが、ことのほか重要。
ダイアローグ(対話)は、モノローグと異なり、他者を受動的な存在とみない。
治療チームは、早口で話したり、結論を急いだりすることがないよう用心する。
精神病患者の幻覚には、トラウマ体験が隠喩的な形で取り込まれている。
人は、自分の言葉がきちんと聞いてもらえていることが分れば、自身も他者の経験や意見に耳を傾けて、関心を持つようになる。
とても分かりやすい本でした。でも、本当に治療法として大丈夫なのか、いささか心配になったのも正直なところです。
(2015年8月刊。1800円+税)
2015年10月22日
集団的自衛権はなぜ違憲なのか
社会
(霧山昴)
著者 木村 草太 、 出版 晶文社
テレビにもよく登場している若手の憲法学者です。その爽やかな語り口が人気を呼んでいるのでしょう。
安保法制法が自民・公明の安倍政権のものでゴリ押し成立しました。委員会採決など、あっていないのにあったとするゴマカシは見るに耐えないものがあります。日本の民主主義を根本から損なってしまった国会議員は落選させるしかありません。
法の成立は、もちろん大きな出来事だ。しかし、法律は実際に適用されなければ、ただの言葉に過ぎない。憲法違反の法律ができたからといって、政府が直ちに憲法違反の行動をするわけではない。これから大切なのは、国民がしっかりと政府の監視を続けることだ。
政府が憲法に反する自衛隊の活動を実現しようとしたときには、「それは憲法違反ですよ」と政府に毅然と突きつけること、それが立憲主義である。
違憲な法律は無効であって、それにもとづく行動は許されない。
これから安倍政権は、巨大な訴訟リスクを抱え込むことになるだろう。もちろん、判決が出るまでには時間がかかる。しかし、だからといって、タイムラグを利用して、違憲違法な行為をやっていいということにはならない。国内政治は明らかに不安定になるだろう。
自衛隊員のなかにも疑念が生じ、自衛隊の活動の正当性への疑念が高まる。自衛隊の規律は乱れ、関係国にも自衛隊員にも計り知れない迷惑をかけることになるだろう。
そして、憲法も世論も無視して独断で活動する日本政府に対して、国際社会は疑念を生じるはずだ。私も、本当に、そう思いますし、それを心配します。
憲法とは、一言でいえば、国家権力を統制するための法典である。
憲法を燃やすことは、国家を燃やすことである。
立憲主義というのは、結局のところ、まったく異なる価値観・考え方をする人たちが、互いに排除することなく、共存するための工夫である。
今回の解釈改憲を通じて見えてくるのは、単に、「とにかく変えたいんだ」という欲望だけ。改憲が自己目的化している。何かのために改憲するのではない。今の憲法に憎悪のような感情を抱いている。
安保法制法はまだ実施、発動されていません。今のうちに、一刻も早く廃止させましょう。そのためには国会の構成を変えるしかありません。そして、今の小選挙区制という、民意を反映しないイビツな制度をとりあえず元の中選挙区制に戻しましょう。
(2015年9月刊。1300円+税)
2015年10月23日
生きる。劉 連仁の物語
社会
(霧山昴)
著者 森越 智子 出版 童心社
日本人って本当に悪知恵に長けているのですね、、、。アベ内閣のごまかし工作に憤慨した夏でしたが、戦前の日本政府もひどいごまかしで中国人を日本へ無理矢理に連行して、日本各地の炭鉱で働かせていたのです。九州にも、そして北海道にも。
日本へ「移入」する中国人労働者は、実際には強制的な労働力の「移動」であるにもかかわらず、表向きは「募集または斡旋」により自分の意思で労働契約を結んだ労働者、または訓練した捕虜や帰順兵としていた。実際には農民として働いていたのに、ただの「遊民」と扱われた。
軍服に着換えさせられ、一人ずつ写真を撮られ、顔写真の貼られた手帳に指紋を押させられた。この軍服も写真も指紋も、「人狩り」によって無差別に拉致されたのではなく、あくまで日本軍が捕えた中国の捕虜兵であり、かつ雇われた労工であることを証明するための偽装工作だった。
日本人って、こんなに細かな偽装工作までして強行連行を「合理化」したのです。恐れいりますね。そして、これが、戦後の日本で、政府答弁に「生きて」くるのです。強制連行でなかった証拠として、、、。ひどいものです。
194年から45年までの3年間に、4万人もの中国人が日本へ連行された。日本政府の政策であり、国内の労働力不足を補うためのものだった。「労工狩り作戦」「うさぎ狩り作戦」とも呼ばれた。
日本行きの貨物船に乗せられた中国人4万人のうち、最年少は11歳、最高齢は78歳。日本全国135ヶ所の事業所に到着する前に812人が亡くなった(船中の死亡564人)。疲労と飢えと寒さ、そして暴力によって命を落とした。
劉連仁は、北海道の炭鉱で働かされるようになったのです。苛酷な労働環境から逃れるため、ついに収容所を脱走します。便所の便槽にもぐり込んでの脱走でした。同じように脱走した仲間と5人で山中での生活に入ります。
北海道の雪深い冬をどうやって過ごしたのでしょうか、、、。よくぞ生きのびたものです。
仲間は次々に発見され、劉連仁は一人になって、北海道の山中を転々とします。31歳から45歳になるまでの14年間を、北海道の山中で一人で生きのびたのです。
雪山で発見されたときの劉連仁の顔は、絶望の表情しかなかった。それほど日本人は恐ろしい存在だった。
旭川市の近くの炭鉱を終戦直後の1945年7月に脱走し、稚内の方へ行き、網走へ、釧路へ行き、帯広から再び旭川の方へ戻り、札幌、小樽を通って当別町付近の山で発見された。この脱走経路は1400キロもの道のりになる。
ところが、日本政府は、劉連仁について、不法入国者、不法残留の疑いがあるとした。
そして、日本政府に対して損害賠償を求めた裁判で、東京地裁こそ劉連仁の請求を認めたものの、結局、東京高裁も最高裁も国の責任は問えない、なんていう訳の分からない理屈で請求を認めませんでした。ひどいものです。日本の司法も本当に間違っています。
劉連仁は、2000年9月、87歳で亡くなった。
日本政府が国策で中国人を強制連行してきて、日本全国で無理に働かせていたことは歴史的な事実です。その責任を認め、日本が国として正当な賠償をするのは当然のことだと思いませんか、、、。
(2015年7月刊。1600円+税)
2015年10月24日
代官の日常生活
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 西沢 淳男 、 出版 角川ソフィア文庫
江戸時代の舞台や映画には「悪代官」がしばしば登場してきます。本当に、あんな悪代官がいたのでしょうか、、、。
この本によると、悪代官は実際に存在していたようです。綱吉将軍の29年におよぶ治政下で、51人もの代官が処分されています。職務怠慢、勤務不良、年貢滞納、年貢流用などが処分理由とされています。処分された代官たちは、免職だけではすまされず、負債の弁済はもちろん、切腹、流罪、改易にも処せられています。そして、その子弟は、もはや代官職には就けなかったというのです。
ところが、農民もしたたかであって、自分たちに都合のよい代官ではないとみてとると、排斤運動を起こした。そんなとき、責任を代官に転嫁して、「悪代官」係を仕立てていった。
なるほど、世の中は簡単ではないのですよね。
逆に名代官と言われる人も、実は少なくはありませんでした。
赤ん坊の間引きを禁止し、育児養育金制度をもうける。出生したら金一分、翌月から5歳まで、月に金二朱を支給する。これって児童手当ですよね。江戸時代にもあったなんて、すごいことです。
そして、赤子が成長して15歳になると、男子には鍬と万能を1挺ずつ、女子には糸を巻き付ける道具(框)一挺を支給し、農村への定着を図った。これを受けとった人はのべ3200人にもなった。
代官は旗本のなかから任命された。役高は年々150俵、旗本としては最下層の役職になる。
江戸時代の代官職の実情に迫った、手頃な文庫本です。
(2015年5月刊。920円+税)
2015年10月25日
恐竜は滅んでいない
生物
(霧山昴)
著者 小林快次 、 出版 角川新書
とっくに絶滅したはずの恐竜が、今も私たちの身のまわりに存在しているなんて言われたら、びっくりしますよね。アベ首相のようなウソを言う。と、叫びたいところですが、実は、こちらはウソではないのです。
今も生き続けている恐竜とは何か・・・。それは鳥なのです。
私の庭には、朝からいろんな小鳥がやってきます。大きいのは、カラス、カササギです。春には、うぐいすも鳴いてくれます。
恐竜の定義は・・・。
「トリケラトプスと鳥類(イエスズメ)のもっとも近い共通祖先から生まれた子孫すべて」
これじゃあ、まるで、何のことを言っているのか、さっぱり分りませんよね・・・。
恐竜の化石から、恐竜の羽毛の色が知られるようになった。それは、古代イカの化石を調べるとき、イカスミの研究をしていた大学院生が技術を応用して分かったこと。
始祖鳥には、竜骨突起がない。また、肩の関節も、現在の鳥のようには動かせない構造だ。これでは飛ぶのは不可能だ。
ティラノザウルスの化骨を調べると、痛風を患っていた形跡がある。
戦国時代に日本にいたルイス・フロイスは、日本に痛風がないことを驚いている。明治になって日本の痛風患者が増えはじめ、10年前に87万人の患者がいて、今や500万人もの予備軍がいる。
福井県には有名な恐竜博物館がありますので、ぜひ一度いってみようと思います。
九州には、天草にあるそうですが、まだ行けていません。
(2015年7月刊。900円+税)
2015年10月26日
作家という病
人間
(霧山昴)
著者 校條 剛 、 出版 講談社現代新書
21人もの作家の業(ごう)を編集者の立場で赤裸々に暴いた本です。作家という存在のすさまじさの一端を知ることができました。モノカキを自称し、毎日毎日、こうやって書いている私ですが、とても「作家」にはなれそうもないと思ってしまいました。
ちなみに著者の名前は「めんじょう」と読みます。同じ団塊世代ですが、私よりも少し年下になります。
作家であるということは、ある恍惚感をともなう。
作家であり続けるために、自然と、自らに常人の感覚から外れた習慣や義務を課することになる。この作家という職業がもたらした特殊な習慣や傾向、それを「作家という病」と名づける。
渡辺淳一は「鈍感力」と言った。それは、無神経で単なる鈍感というものではない。苦しいこと、辛いこと、失敗することにあっても、そのまま崩れず、明るく進んでいく力のこと。すごいですね。見習いたい、身につけたい力です。
「いい人」と評価されるだけの作家だったら、恐らく読者に面白い小説を提供することは出来ない。作家には、必ず奇妙な癖と呼べるような資質を内に秘めているものだ。
作家は、他人の目をきにする必要のない普段の生活では想像の世界に常時入り浸っている。
モノを書く、とくに小説を書くということは、とてつもなく心身の集中を要求される。
井上ひさしは、単に謙虚で優しい人柄ではなかった。この作家の心の底には確固たる自信と完璧性への激しい要求が横たわっていた。仕事に取り組むときには、世間の常識や気兼ねを一蹴りしてしまう激しさが水面下から姿を現す。
井上ひさしには、常識より優先すべき信条がある。完全な作品を提供しなければならないという掟である。その固い決意は誰にも動かすことができない。
妥協というこの二文字は、井上ひさしがもっとも嫌だった言葉だ。井上ひさしは締め切りに遅れても昂然たる態度をとる。コトバは「すいません」だが・・・。
いやはや、なんという非情かつ、非常識な世界なのでしょうか・・・。心やさしき私などは、ついつい恐れをなして尻込みするばかりです。と言ながら、私は目下、小説を書きつづっています。
乞う、ご期待です。
(2015年7月刊。880円+税)
2015年10月27日
安倍首相の「歴史観」を問う
社会
(霧山昴)
著者 保阪 正康 、 出版 講談社
安倍首相の国会における答弁は本当に国民をバカにしています。野党の質問に対してまともに答えようとしません。聞いていて、気が滅入ってしまいます。そのくせ、汚い野次を飛ばすのです。安倍首相をはじめ、政権与党の政治家って、どうして、こんなにウソを平気でつけるのかと呆れてしまいます。
ところが、安倍首相は学校での子どもたちへの道徳教育には異常なほど熱心です。
自らは国会で堂々と、平気でウソをつきながら、学校では子どもたちに、大人を敬い、国を愛して行動せよという倫理を押しつけようとするのですから、この日本がおかしくなるのは必至です。
安倍首相は、相手方の質問に真正面から答えるのではなく、相手の言葉尻をとらえて開き直り、その一方で、「問題を整理すると」とか、「一般に」と言って、論議そのものを避けているのが特徴だ。相手に丁寧に説明しようとする姿勢がまったくない。
安倍法制法案の国会審議のとき、安倍首相は二つの論理で答弁していった。その一つは、「国民の生命と財産を守るのが首相である私の役目」、もうひとつが、「国家の安全を揺るがす事態か否かは首相の判断」。この二つは、いずれも「私が中心」という発想である。首相が中心になることにより、行政府の責任者が統帥権を自在にふるうことが出来るといった錯誤がここにある。
安倍首相の答弁は、戦前の日本の軍事指導者たちの体質と類似している。軍服を着たと想像して安倍首相を見たとき、「わが軍は・・・」という言い方は決しておかしくないし、正直な言辞である。
安倍首相が強行した集団的自衛権とは何か。つまりは、日本人が兵隊として戦場へ行くということ。そのとき、戦って死ぬのは誰か。安倍首相とその仲間たちの息子が戦場に行くことはない。そういうシステムをつくりあげる。戦争政策を決める最上位の軍事指導者の子弟は死なない。徴兵制の例外をいくつもつくるからだ。
戦前の日本では皇族を最前線に行かせることは許されなかった。それを認めると、自分たちの子弟まで前線に行かなければならなくなるから・・・。
なんということでしょう。そんなシステムがあったのですね・・・。
戦前の日本には、軍事があって政治がある。つまり、政治など、まったくなかった。だから、死ぬまで戦うことになった。軍事を政治の上にのせてはいけない。軍事を先行して戦争を行ってはならない。
旧軍人は、日本人だから天皇のために生命を捨てるのは当たり前だと高言していた。ところが、表向き正論を言いながら、裏ではひどく腐敗したことを平然としていた。昔も今も、軍人とは、汚いことを平気でするものなのですね、、、。
安倍政権の危険なウソを野放しにして垂れ流し、その危険さを見破ろうとしない大マスコミが存在するなかで、著者は大いに頑張っています。軍事に詳しいだけに、黙っていられないという心境なのでしょうね・・・。
(2015年7月刊。1600円+税)
2015年10月28日
勁草
社会
(霧山昴)
著者 黒川博行 、 出版 徳間書店
「オレオレ詐欺」、「振り込め詐欺」、最近は、特殊被害詐欺として一般化されています。振り込めではなく、現金を授受したり、郵パックで現金を送らせる手口が主流になっているからです。
この本は、その欺す側の内情を暴いています。警察の捜査能力の上を行くような悪賢さです。しかし、悪は滅びるものなのです。欺しとった大金をめぐって仲間割れが起こり、犯罪の連鎖を止めることができません。
タイトルからは本の内容を予測できません。表紙裏の解説によると、人のしぶとさ、したたかさを表したとのことです。この本を読むと、欺す側のしたたかさを描いたのかな、と思えます。
老人を騙してお金をとる。そこに罪悪感はないのか?
まったくない。これはゲームだ。いまの日本で何百万、何千万円とお金を貯めこんでいる老人は勝ち組であり、勝ち組からお金を掠(かす)めとるのは、ある意味で正当な権利だ。
プロの詐欺グループがいて、そのグループを束ねる「番頭」がいる。番頭はグループが稼いだお金を金主に上納し、金主はケツ持ちのヤクザに守り料を渡す。何段階ものピラミッドになった複雑な系図は、下っ端にはまるで分らない。
振り込ませた金融機関から現金を引き出すのか、出し子。被害者に接触してお金を受けとるのか、受け子。掛け子を管理しているのが、番頭。出し子と受け子がお金を持って逃走するのを防止するための見張り。出し子と受け子をスカウトするのが、リクルーター。
闇の携帯電話や架空口座を売るのが、道具屋。多重債務者や株取引経験者、大手企業退職者といった名簿を売るのが、名簿屋。
つかった携帯電は一回きりの使い捨て。5万円以上で売買される。
特殊詐欺の検挙率は、きわめて低い。9か月の認知件数8500件、被害総額338億円というのに対して、検挙率は20%未満。それも、検挙されるのはATMやお金の受け渡し現場にあらわれる出し子と受け子が大半。騙し役の掛け子や掛け子をまとめている番頭に捜査の手が及ぶことはほとんどない。
振り込め詐欺は激減した。それはATMの送金限度額が1回10万円になったことによる。
受け子になっているのは、多重債務者、ネットカフェ住民、ホームレス、生活保護受給者などの社会的弱者。
ある統計によると、7割の老人が非通知であっても電話をとる。老人は寂しいのだ。
騙しのターゲットを標的(マト)と言い、金持ちの標的を金的(キンテキ)と言う。
名簿屋は、証券会社員や介護施設の職員などに成りすまして、マト(金的)の下見をする。家族構成やら資産状況を聞き出しておくのだ。つまり、特殊詐欺は、その前に、資産調査に知らないうちに応じている人が被害にあっているのです。その根は深いわけです。
これをひとつの名簿にまとめてグループに提供する。それは譲渡ではなく、成功報酬を10%とする歩合制だ。
特殊詐欺は、このようにきわめて高度に分業体制が確立していますので、なかなか金主の摘発までたどり着けないようになっています。この本は、その仕組み、カラクリを実に手際よく、分りやすく目の前で展開していきます。
現代日本社会の病癖を端的に示した本でもあると思いました。
欺された奴が悪い、自己責任だと、もし、あなたが考えていたのなら、それが間違いだったことを思い至らせる本だと思います。ぜひ、ご一読ください。
(2015年6月刊。1800円+税)
2015年10月29日
ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 飯島 春光 、 出版 かもがわ出版
「中国では日本人と言われ、日本では中国人と言われる」
「自分は、いったいどこの国の人間なのか、、、」
中国残留日本人が、日本に帰ってきてからの苦労をあらわす言葉です。誤った国策によって中国へ送り出され、心ならずも中国に残ってしまった人たちが少しずつ日本へ帰ってきました。しかし、日本政府は冷遇します。日本の社会だって決して温かく迎え入れたわけではありません。
いま、ヨーロッパではシリア難民の受け入れが大問題となっています。この大量のシリア難民を生み出したのは、果てしない内戦に原因があります。そして、そこには、軍事大国アメリカの政策が大きく影響しています。結局、「抑止力」とか言って、武力一辺倒では、何事も解決することは出来ず、むしろ社会を解体してしまい、国際的な問題を生み出すのです。日本の好戦的な「抑止力」論者は、この現実をしっかり受け止めるべきではないでしょうか、、、。
日本が無理矢理につくった「満州国」に、日本全国から27万人もの満州移民(満蒙開拓団)が送り込まれた。
「開拓」といっても、それは、現地にいた中国人農民を追い出したあとに入植しただけのこと。つまり、典型的な植民地である。
「五族協和」とは、日本を中心として、漢・満州・蒙古・朝鮮の民族が融和した理想の国家。そこに「王道落土」を築くのだと日本の少年たちは教育されていた。「昭和の防人(さきもり)「昭和の白虎隊(全員、死んでしまいましたよね、、、」と大宣伝され、大きな希望と使命感をもって満蒙青少年義勇軍に志願した。
しかし、中国現地の人からすれば、一般の開拓団も青少年義勇軍も、先祖代々の土地を奪って居座る侵略者でしかない。そのことを義勇軍のメンバーである少年たちは、誰ひとり知らなかった。
中国(満州)の富山県では、80%以上の土地が開拓団に取り上げられた。中国農民は、その地に居続け、中国人の地主のもとで働いていたのが、日本人のもとで働くようになった。日本では貧しかった農民も、満州では豊かになり、中国人をいじめたり、欺いたりした。
ここには、日本人の典型的な悪いところがあらわれていますね、、、。弱いものには、あくまで強く。強いものには、どこまでもへいこら服従して逆らわないという弱点です。
それでも、安保法制法案反対に立ち上がったFYMやシールズなどの日本人の若者たちの行動を見ていると、日本にも、まだ救いがあるような、光明を持てる思いをしたような気がします。
(2015年8月刊。1600円+税)
2015年10月30日
融氷の旅・日中秘話
社会
(霧山昴)
著者 浅野 勝人 、 出版 青灯社
南京大虐殺が世界記憶遺産に登録されることになったことについて、日本政府が抗議したという報道が流れました。とんでもない「抗議」です。「南京大虐殺場は幻だった」という妄説を日本政府がとっているということでしょう。この点でも、安倍政権の暴挙を許すことができません。
この本は、NHKの政治記者から自民党の国会議員になったという経歴の著者によるものです。私と意見が一致しているわけではありませんが、南京大虐殺について、著者が次のように述べている点は、まったく共感できます。
南京大虐殺では、軍人だけでなく、戦闘と何らかかわりのない女性や子ども、お年寄りをふくめて殺害された人数が問題になっている。たしかに人数は重要な要素だが、30万人も殺してはいけないが、3000人ならいいのか、300人なら民間人を殺しても許されるのか。人数が問題なのではなくて、非戦闘員を殺したら虐殺だ。大事なことは、被害者が何人だったかについて論争を繰り返すことではない。南京大虐殺を教訓に二度と民間人の虐殺を伴うような武力紛争を起こさせない誓い、平和を死守する強固な意思が大切だ。
本当に、そのとおりだと思います。30万人も虐殺しているはずがないから、南京大虐殺なんてウソだ。そんなデタラメは許されません。これは論理の飛躍をこえています。
日本軍が南京大虐殺を実行したことは、いろんな資料によって歴史的に証明されていることです。それなのに、「30万人」でなかったから、「虐殺」事態をなかったかのように話をすりかえてはいけません。安倍政権は安保法制法の制定過程でも、たくさんのウソとペテンで国民をだまそうとしましたが、同じように騙されてはいけません。
もう一つ、この本は小選挙区制は日本の政治風土になじまないとしています。この点も同感です。わずか4分の1程度でしかない自民党の支持率なのに、自民・公明で3分の2の議席を占めるなんて、ペテンそのものです。
選挙制度の是正は喫緊の政治課題です。
国会の構成はより民意を反映させるものに直ちに変える必要があります。そうすれば、安保法制法は実施される前に廃止できるのです。
NHKと安倍政権の醜い癒着が問題になっていますが、著者も、その先駆けの存在なのでしょう。それでも、保守のなかにもまだ良心をもっている人がいることを知って、少しは救われる思いがしました。
(2015年9月刊。1600円+税)
2015年10月31日
すごいぞ「しんかい6500」
社会
(霧山昴)
著者 山本 省三 出版 くもん出版
「しんかい6500」の建造にあたって、まず課題となったのは、操縦室。6500メートルの深海の水圧は、601気圧以上。それだけの水圧に耐えられる素材は、チタン合金しかありえない。
操縦室の直径は2メートル。そこに3人の乗員が座る。スペースがとれないので、トイレなし。携帯トイレを持参する。女性には辛い。
暖房設備はない。理由は二つ。すべてのエネルギーをリチウムイオン電池にたよっているので、できる限り電力を節約しなければならない。また、船内で呼吸するため、酸素を使用している。酸素が濃くなると、自然に土がついたりするので、熱を出すものは危険。6500メートルの深海の水温は1度か2度。それが操縦室の中にまで伝わってきて寒い。だから、上下がつかなかった。燃えにくい布でできた潜航服を着用する。その下には、真夏でもセーターを着る。
沈むスピードは1分間に40メートル。深さが300メートルをこすと、太陽の光がしだいに届かなくなり、窓の外は夕暮れのように暗くなっていく。
母船とは、声でやりとりする。水の中では電波が弱まるので、音波を使う。音波が水中を6500メートルすすむのに4秒かかるので、海上で聞くのは4秒前の声。
6500メートルの海底に着くまでに、潜航開始から2時間半かかる。海底にいられるのは4時間ほど。
マリンスター。船体に触れたショックで、ぱっと光を放つ発光生物。しかし、写真やビデオにはこの光がうつらない。深海にもぐった人だけが見られる光景。
浮かび上がるときにも、行きと同じ速さで浮かんでいくので、海面まで2時間半かかる。合計すると、8時間の船旅だ。こんな潜航調査を4月から12月にかけて60回おこなう。残りの4ヶ月は、部品の分解やそうじ、修理にかける。
なぜ日本に地震が多発するのか。それは、日本列島が沈んでいくプレートに直面しているからです。
「しんかい6500」は、地上の私たちの暮らしの安全を支える調査の一つを実行しているとも言えるわけです。
写真がたくさんあって、とても分かりやすく、楽しい本でした。
(2012年4月刊。1600円+税)