弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2015年9月17日
生きて帰ってきた男
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 小熊 英二 出版 岩波新書
著者の父親の伝記です。さすがに社会学者だけあって、裏付け調査がすごいのです。父親の語る話が細かいところまで具体的なのには驚かされます。この親にして、この子あり、という気がしました。よくぞ、ここまで調べ尽くしたものです。
実は、私も父の聞き書きをもとにして、同じような伝記を完成させたことがあります。父が病気(癌)のため入院しているときに、テープレコーダーを病室に持ち込み、その生い立ちを語ってもらい、あとでテープ起こしをし、また、私なりに歴史を調べ、父が語った事実を裏付けていったのです。
たとえば、私の父は「三井」の労務係の一員として、朝鮮半島に徴用に行っています。朝鮮人の強制連行は炭鉱でひどかったのですが、化学工場では無理でした。勤労意欲のない人を、精密な化学工場で無理に働かせても、まともな商品はつくれなかったというのです。なるほど、と私は思いました。強制労働は単純肉体労働でしか役に立たない、このことを父からの聞きとりで理解しました。
この本は新書版で390頁もある、大変な労作です。最後に紹介された言葉がいいです。さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを訊いた。
父親はシベリアに抑留され、また戦後の日本で結核療養所に入っていた。未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか?
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
この答えだけでも、本書はここに紹介する価値があると思いました。
著者は、最後に、こう書いています。
父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし、父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである。
なるほど、そうなんですよね。団塊世代の私たちは、みな定年退職してしまっていて、自分を振り返っています。先日、私が母のことをまとめた本(こちらも新書版)をネットで知ったとして、私の見知らぬ人から手続をもらいました。なんと、私と同じ年に生まれ、同じ年に東大に入った人でした。母の異母姉の夫の孫にあたる人ですから、私とまんざら縁のない人ではありません。世の中は狭いものだと痛感しましたし、ネットの威力を改めて思い知らされました。
1937年12月、南京が陥落したとき、「提灯行列」があった。下のほうは冷めていた。戦争について、勝った話ばかりが伝わってきて、そのたびに日本軍が占領した場所に地国の上に旗を立てる。ところが、いくら旗を立てても、戦争が終わらない。
なるほど、こんな冷めた見方が当時もあったのですね。
旧制中学の国語教師は、乃木希典について、こう言った。
「乃木さんは、日本では偉いことになっていますが、外国では、軍人としては能力不足で、そのため多くの犠牲者が出たと言われている」
ホント、そうなんですよね、、、。
サイパンで日本軍が「玉砕」し、東京が空襲されるようになって、日本の敗北が論理的に考えると必至になった。このとき、人々は、それ以上のことは考えられなかった。考える能力もなければ、情報もなかった。考えたくなかったのかもしれない、、、。人間は悪いことは信じたくない。 いつでも希望的観測をもってしまう。
シベリア抑留で、日本人が次々に死んでいった。おそらくロシア人は、日本兵がこんなに寒さに弱くて、犠牲者が続出するとは思っていなかったのだろう。
栄養失調になると小便が近くなる。もう少しひどくなると、下痢になる。夜中に、みんな頻繁に起きて小便に行っていた。便所で尻を出しても、尻は丸いから凍傷にはならない。凍傷になるのは、鼻とか指だ。鼻が赤くなっていたら、気をつけてゆっくり暖めないと、鼻が落ちる。誰もが、他人の消息を気づかうような、人間的な感情が失せていた。
戦前、「生きて虜囚の集めを受けず」という戦陣訓を教え込まれていた将兵は、自決に失敗した東条英機を軽蔑したし、昭和天皇は終戦の責任をとって自決すると思っていた。
著者の父親は、日本に帰ってきた昭和26年から4年間、結核のために療養所生活を余儀なくされた。
淡々と、体験した事実を具体的かつ詳細に語っていくのには、言葉が出ないほど圧倒されてしまいます。でも、こうやってフツーの日本人の戦前・戦後の歩みが語られ、明らかにされるのは、とてもいいことだと思いました。そこには「自虐史観」というナンセンスな非難は存在する余地がありません。
(2015年6月刊。940円+税)
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