弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年8月28日

朝鮮王公族

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  新城 道彦 、 出版  中公新書

 1910年、日本が韓国を併合したとき、天皇は詔書を発して「王族」、「公族」を創設した。大韓帝国皇室の人々についての身分である。これは、戦後の1947年まで存続した。
 日本が1910年に韓国を併合して以降、補助金が不要だったのは1919年の1年のみで、あとは、ずっと赤字だった。台湾は、日本の編入からわずか10年で補助金を辞退するまでに経済的に発展し、宗主国(日本)に金銭的な利益をもたらした。韓国とは、まったく対照的だ。日本の財界や言論界では、韓国併合による財政負担増を非難する声が少なくなかった。
 それでも、経済性を度外視して日本が韓国帝国を支配下に置こうとした目的は、国防にあった。危機意識があった。とくに北方にはロシアという明確な仮想敵国が存在していたので、朝鮮半島の確保は急を要する課題だと考えられていた。
 大韓帝国では、1903年ころ経済支出の43%を軍事費が占めていて、財政紊乱(びんらん)の原因となっていた。そのうえ、兵員は1万人にみたなかった。
 朝鮮貴族令が定められ、朝鮮貴族には日本の華族と同一の礼遇が保障された。ただし、朝鮮貴族のなかに、公爵になった者はいない。
 日本の皇族が朝鮮の王公族に嫁いでも、めとることはできなかった。朝鮮人の血を皇族に入れないという考えが宮内省にあった・・・。
 日本の首相として韓国併合を成立させた桂太郎が国葬にならなかったのに、併合された側の李太正が国葬になった。なぜか? この答えは単純であり、朝鮮人を懐柔するためだった。
 李太正の国葬のとき、寂寞たる国葬に比べて、内葬は盛況だった。1万5000人以上の人々が集まった。国葬の会場では、朝鮮人のほとんどがボイコットしたため、会席は空席だらけになった。国葬を押しつけたのは失敗だった。
 どこの国だって、他民族から支配されたとき、独立を目ざしてがんばるものですよね。生半可な日本の懐柔策は朝鮮の人々を完全におさえこむことは出来なかったわけです。そりゃあ、そうですよね。
 帝国日本に準皇族の身分が存続していたなんて、ちっとも知りませんでした。
(2015年3月刊。840円+税)

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