弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2015年8月26日
クリミア戦争(上)
ロシア
(霧山昴)
著者 オーランドー・ファイジズ 、 出版 白水社
1854年にはじまったクリミア戦争についての詳細な研究書です。
第一次世界大戦前の時代に生きていた人々にとってはクリミア戦争は19世紀の一大事件だった。損失は膨大だった。少なくとも75万人の兵士が戦死傷者となった。
ロシア軍は50万人の兵士が亡くなり、フランス軍も10万人の兵士が死んだ。イギリス軍の死者は、2万人だけ。
クリミア戦争は兵代戦の最初の例だった。新型のライフル銃、蒸気船、鉄道、近代的な兵站、電報、革新的な軍事医学など動員された総力戦だった。同時に、クリミア戦争は、古い騎士道精神に則って戦われた最後の戦争でもあった。戦闘の最中に敵味方の話し合いがもたれ、戦場から負傷者と死体を収容するための一時的休戦が頻繁に実現した。
このクリミア戦争には、ロシアの文豪トルストイが青年士官として従軍している。
ロシアの正教会の支配するロシアにとって、パレスチナの聖地は、熱烈な宗教的情熱の対象だった。ロシア人とは、すなわちロシア正教の信者だった。
ロシア帝国は、当時の列強諸国のなかで、もっとも宗教性の強い国家だった。ロシア帝国ツァーリの支配体制は、臣民の信仰を束ねるという形で組織されていた。
ロシア帝国は、国境問題であれ、外交関係であれ、ほぼすべての問題を宗教のフィルターを通じて解釈する宗教国家だった。
当時29歳のニコライ一世は、「軍人タイプ」の人物だった。身近なサークルのなかでは礼儀正しく、魅力的な人物だったが、外部の人間に対しては冷淡で峻厳であり、短気で怒りっぽい性格、無分別な行為に走り、怒りから我を失う場面多くなっていった。
ニコライ一世は、常に暗殺される危険にさらされていた。
ロシア帝国の軍隊にとって、膨大な損耗率は、決して異常な事態ではなかった。農奴出身の兵士たちの健康や福祉がかえりみられることはなかった。
ロシア軍は基本的に農民の軍隊だった。兵士の圧倒的多数は農奴が国有地農民の出身だった。ロシア軍は、その規模からいえば、群を抜いて世界最大だった。100万の歩兵、25万の不正規兵(主としてコサック騎兵)を擁している。加えて、75万の予備兵力がある。
しかし、ロシア軍隊は、他のヨーロッパ諸国に比べて大きく立ち遅れていた。兵士はそのほぼ全員が読み書きの能力をもっていない。貴族出身の士官たちは、わずかな手柄を立てるために膨大な数の兵士の命を惜し気もなく、犠牲にした。
これに対するトルコ軍は、さまざまな民族からなる混成部隊だった。アラブ人、クルド人、他タール人、エジプト人、アルバニア人、ギリシア人、アルメニア人など、多数の民族が参加していた。
オスマン帝国の典型的な軍人は、軍事的能力よりも、スルタンの個人的寵遇によって昇進は決まっていた。トルコ軍の指揮官のほとんどは、戦場で役に立つ実践的な指揮能力を備えていなかった。兵士の給与を比較すると、イギリス134ルーブル、フランス85ルーブル、プロイセン18ルーブル、オーストリア兵は53ルーブル、ロシア兵は32ルーブル、プロセインは60ルーブル、フランスは85ルーブル、プロセインは60ルーブルだった。
イギリスのパーマストンは、単純な言葉で大衆に訴えかける必要があり、そのために新聞を活用することを心がけた。
パーマストンに反対して戦争への流れを押しとどめようとする者は、誰であれ、愛国主義的なジャーナリズムによって袋叩きにあうような社会的雰囲気だった。
新聞は、販売部数を伸ばすために、戦争へあおりたてた。
まるで、いまの安倍内閣と一部のマスコミの情けない姿そのものですよね。
クリミア戦争について、イギリスとフランス連合は、それほど目的は明確ではなかった。多くの戦争がそうであったように、今回の東方遠征も、わけが分からないうちに始まってしまった。
なんとなく戦争ムードがかき立てられ、止められないうちに戦争に至ってしまうのですね。今の日本をみていると、本当に怖いです。
クリミア戦争の真の目的は英仏両国の利益のためにロシアの領土と影響力を削減することにあると明記されるべきだった。ロシア軍の敗北の最大の原因は兵士が戦意を喪失したことにあった。近代戦において勝敗を分ける決定的な要因は、兵士の士気を維持できるかどうか、だった。
戦争に至る道筋が解明されている本です。そして、実際に始まった戦争の悲惨な実情も刻明に紹介されています。憲法9条の空文化を目ざす自民・公明のアベ政権は本当に許せません。
(2015年6月刊。3600円+税)