弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年8月13日

なぜ書きつづけてきたか・・・

朝鮮(韓国)

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー

 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

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