弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年8月 1日

銀幕の村

ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  西田 真一郎 、 出版  作品社

 フランス映画は、フランス語を長らく勉強している身として、つとめてみるようにしています。もちろん、みたいと思っても見逃してしまう映画も多くて、残念に思うのが、しばしばなのです。
 この本は、フランス映画の舞台となった田舎町(村)を探し歩いた体験記です。私が行ったことのある映画の舞台も登場しています。2000年公開のアメリカ映画「ショコラ」です。この映画の舞台は、ブルゴーニュの山間にあるフラヴィーニ・シュル・オズランです。私はディジョンから観光タクシーに乗って行き、映画に出てくる古ぼけた教会にたどり着きました。そのすぐ近くにあるレストランで美味しい昼食をとり、少し離れたカフェで赤ワインを一杯のんだのでした。至福のひとときでした。
そして、「プロヴァンス物語・マルセイユの夏」に登場してくるプロヴァンスです。
 私は、エクサン・プロヴァンスに4週間いて、外国人向けのフランス語集中夏期講座を受講したことがあります。「独身」を謳歌したのです。40代前半だったと思います。本当にいい思い出となりました。そして、このエクサン・プロヴァンスには還暦前旅行と称して、それから20年たった59歳のとき妻と2人で再訪し、妻への罪滅ぼしをしました。
 私より一まわり以上年長の著者は、永年、国語科の高校教師をつとめたあと、フランス各地に徒歩の旅を続けているとのこと。なかなか真似できないことです。
フランス映画に関心のある人にはおすすめのオタク本です。
(2015年2月刊。1800円+税)

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2015年8月 2日

平城京の住宅事情

日本史

                              (霧山昴)
著者  近江 俊秀 、 出版  吉川弘文館

 奈良の平城宮跡に立ったことがあります。もう20年ほど前のことになりますが、広大な平地が広がっていました。
 ここが長屋王邸跡という表示も、町なかに見かけたような気がします。そこから大量の木簡が出てきたのでした。
 平城京に住んでいた役人たちは、律令の規定に従って、正一位から少初位まで30に分けられた位階に与えられ、それぞれの役所に勤務していた。
 平城京に住む人の数は5万人から20万人まで、推定の幅は広い。
 木簡に見える役所は、大蔵省とか宮内省とか、現代日本でもついこのあいだまであったものもあります。
 平城京の宅地の3分の1強(37%)が役人に与えられていた。
奈良時代、妻も相続できる場合があった。夫が既に死亡していて、男の子がおらず、死別後も婚家にとどまっているときには妻の相続が認められていた。
 結婚したとき、当然に夫婦の財産の共有にはならなかった。結婚しても、夫の財産は夫個人のもの、妻も妻個人の財産が認められた。その子が相続することによって初めて一つの財産として扱われた。
 財産には、個人の財産とウジの財産の二者があった。個人財産は処分できるが、ウジの財産は管理者であっても勝手に処分はできなかった。
平城京の宅地は、一般的に自由に売買できた。つまり、当時の土地取引は、純然たる売買ではなく、今の借地に近いものだった。
 そして、建物は不動産ではなく、動産として考えられていた。
 平城京での当時の人々の生活の一端を知ることができました。
(2015年3月刊。1700円+税)

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2015年8月 3日

先生、洞窟でコウモリとマナグマが同居しています

生き物

                                (霧山昴)
著者  小林 朋道 、 出版  築地書館

 なんと、この先生シリーズも9冊目です。第1刷は2007年3月に出た『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます』でした。それからの8冊は、このコーナーで全部を紹介させていただきました。
 鳥取環境大学の教授がキャンパスの内外での自然観察を軽妙なタッチで面白く紹介しています。この大学にはヤギ部があります。今や7頭ものヤギが飼われていますので、世話をする学生は大変だろうと推察します。
 ちなみに、ヤギは1歳で成熟し、メスなら子どもを産めるそうです。
 ヤギが出産した状況は、なるほど、人間とはまるで違います。ヤギの赤ちゃんはうまれて1日か2日は母乳を吸わないで生きているようなのです。ええっ、そ、そうなの・・・。おどろきました。そして、赤ちゃんヤギには乳母が登場します。なんと、出産していないのに、乳母のヤギに乳が出るようになるというのです。本当に不思議な現象です。
 先生は、洞窟探検に出かけます。勇気がありますね。私なんか、とてもダメです。お化けが出てきたら、どうしますか・・・。そして、ヘビがいたら、どうするのでしょう。実際、洞窟内には、とぐろをまいたアオダイショウがいました。うひゃあ、こ、怖い・・・。
 そして、洞窟内にいるコウモリを種別に観察するのです。コウモリの顔って、はっきり言ってグロテスクですよね。よくよく見たら、案外、可愛いのかもしれませんが、あまり好きになれそうもありません。
 私が小学校の低学年のころは、なぜかコウモリが夕方になると、家のまわりを何匹も低空飛行していました。長い物干し竿をもって、コウモリをはたき落として遊んでいました。今思えば無用の殺生の典型ですが、子どもの私にとっては単なる面白い遊びの一つでしかありませんでした。
コウモリは、犬のような格好で水を飲む。
 コウモリは、紙にしがみつき、引きちぎり、紙を食べる。
 「先生」は、ヘビは何ともないのです。平気です。ところが、なんとヘビに比べようもない無害そのものの大ミミズが怖いというのです。なんという逆転現象でしょうか。信じられません。
 サルには、ヘビだけに特別強く反応する神経が見つかっている。人の脳も同じような神経を指定する遺伝子があるのではないか・・・。私も、きっとあると確信しています。だって、本能的反応なのですから・・・。
 いつものように写真がたっぷりありますので、生きものたちの自然な姿がよく見え、素直な文章によって理解が深まります。
 「先生」のますますのご健筆を祈念します。
(2015年6月刊。1600円+税)

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2015年8月 4日

アメリカの法曹倫理

アメリカ

                               (霧山昴)
著者  ロナルド・D・ロタンダ 、 出版  彩流社

 Eメールなどのインターネット社会において弁護士の守るべき法曹倫理が新しく追加された第4版が翻訳・出版されました。
 アメリカの弁護士にとって守るべき倫理のほとんどは日本の弁護士にとっても同じく共通するものです。最新の社会環境に照応する法曹倫理として、日本人弁護士にとっても大いに参考にすべきものだと思います。
 依頼者が弁護士の職務怠慢を訴えるとき、真に意味するのは、弁護士が依頼者と十分にコミュニケーションをとっていなかったというところにある。もしも弁護士が依頼者に常時情報を伝えていたならば、依頼者は無為な遅延ではなかったことを知ったであろう。にもかかわらず、弁護士が正当な理由もなく依頼者に情報提供しないまま放置するとき、それは弁護士に対して依頼者とのコミュニケーションを要請する倫理規則に反することになる。
 ここで指摘されているように、弁護士は依頼者へきめこまかな情報伝達(連絡)を欠かすことは許されません。
弁護士は、「弁護士と依頼者との間のコミュニケーションを、それが王冠ではないにせよ、宝石のように扱わなければならない」。
 FAXやEメールの誤送信についても論じられています。
 Eメールは、考えようによっては、封書のような安全性はない。専門知識のある人なら、Eメールをのぞくことができる。それでも、弁護士が依頼者とのやりとりについて、暗号化されていないEメールを使うことは許されているというのが、多くの倫理的見解である。
 「やかましい辞任」という概念があることを認識しました。悪事をたくらむ依頼者に対して弁護士がいかに対処すべきという問題です。
 弁護士は、その通知が依頼者の不正行為への渓谷になる可能性があろうとも、やかましい(Noisy)「辞任通知」を送付することができる。
 依頼者は、弁護士がやかましい辞任することに先立ち、弁護士を解任することによって、それを防げることは許されない。
 「ホットポテト法則」という面白い名前のついたドクトリンがあります。
 もし、ある法律事務所が、同時に敵対する二人の依頼者を別々の訴訟で代理していることに気がついたとき、「ホットポテト」から手を離すように、一方の当事者を軽んじて厄介払いをしたり、新規の依頼者を旧来の依頼者と入れ替えようとしてはならない。
 法律事務所は、依頼者を熱いジャガイモを放り投げるがごとく扱ってはならない。ましてや金銭的に大幅な利益増になる理由をもって依頼者を選択するなど、論外である。
弁護士は、さまざまな業務を秘書、事務員、弁護士補助職員(パラリーガル)にまかせることができる。そして、その弁護士が、かれらの仕事を監督し、最終的な責任をとる限りにおいて、それは無資格法律事務とはならない。
弁護士は、事務所を訪れる依頼者が、いかなる依頼者であれ、受け入れることを要求されるものではない。しかし、不当な理由によって事件の依頼を拒絶するのは適切でない。法律サービスが完全にいきわたるという目標を達成するためには、弁護士は与えられた任務を軽々しく断ってはならない。たとえ、その仕事が弁護士にとって魅力のないものであっても、同じである。
昨今の法律事務所への入所は、現代の結婚に似ている。つまり、終生の契りといえるものは、ほとんどなくなってしまっている。元の法律事務所から、ビジネスを手に入れて成功すると、事務所を去る弁護士がいるという事実は、この新たな現実を反映している。
 依頼者のほうでも、担当していた弁護士についていきたいと思う場合がある。依頼者は商品ではない、だから依頼者は、弁護士が法律事務所を替えれば、その弁護士についていく権利がある。そこには、無視できない言論の自由の問題が横たわっている。
 アメリカでは、弁護士について、直接の電話または対面式勧誘に加えて「リアルタイムの電子的接触」も禁じている。チャットルームに弁護士が参加するのは完全に自由ということはない。
 アメリカの弁護士(法曹)倫理は、一歩遅れてインターネット社会になっている日本人弁護士にとっても大いに参考になることを実感させられる本です。
 沖縄で、今も元気に大活躍している、敬愛する当山尚幸弁護士から贈呈を受けました。当山弁護士自身も前の第3版から翻訳に関わっていますが、本当に頭が下がります。ありがとうございました。ひき続きのご健闘を心より祈念します。
(2015年4月刊。3500円+税)

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2015年8月 5日

カジノ幻想

社会

                (霧山昴)
著者  鳥畑 与一 、 出版  ベスト新書

 世界一のパチンコ普及率であり、ギャンブル依存症が蔓延している日本へ、今度はカジノ産業を誘致して日本経済を復興させようという人たちがいます。カジノ法案を推進する議員連盟の多くは、安保法制法案、つまり戦争法案を推進する人たちでもあります。
 要するに、金もうけが出来れば、自分さえよければ、他人がどんなに不幸になろうとも、社会不安がひどくなっても、そんなことは知ったことじゃないという我利我利妄者の連中です。悲しくなります。
 アメリカでは、カジノは典型的な「略奪的ギャンブル」と言われ、ビンゴや宝くじといったギャンブルに比べても、ギャンブル依存症に誘導する危険性は非常に高い。
 カジノは、大金を得る快感と失う喪失感を交互に味わわせることで、脳内に物理的依存症と同じ状態をつくり出す。
 イギリスでは、カジノは長く会員制が原則だったし、カジノに認められるテーブルの数やスロットマシンの数は、きびしく規制されていた。ところが、IR型カジノは高収益の確保を必須とするので、このような規制は考えられない。
 カジノは、客がほとんど負けて終わるように商品設計されたギャンブルを提供するビジネスである。地方都市にカジノが出来たら、その客はほとんど国内顧客で占められることになる。
 すでにアジア市場でカジノは飽和化がすすんでいる。したがって、中国北部のギャンブラーが韓国・台湾を飛び越して大挙押し寄せるというのは、ほとんど期待できない。
 結局、日本にカジノが出来たら、そのほとんどは国内客だのみにならざるをえない。
 カジノ・ギャンブルは、客が負けるほど収益が増大するビジネスである。それは、地域の経済を衰退させ、ほとんどの客を負けに追い込むことで顧客を貧しくするビジネスなのだ。
 そのうえ、ギャンブル依存症という病を中心に、大きな社会的犠牲とコストを地域社会に押しつけるものである。
 現代のスロットマシンは、コンピュータプログラムで、長くプレイするほどカジノ側がもうけ、顧客側は必ず負けるように設計されている。いま、アメリカのギャンブル収益の80%以上はスロットマシンからである。
カジノにおける「もうける力」とは、より多くの顧客を負けさせる力のことである。
 カジノの「もうける力」の追求とカジノの厳格な規制は相反する。
 日本をこれ以上ギャンブル依存症患者の多い国にしてはいけません。日本にカジノはいりません。
(2015年4月刊。840円+税)

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2015年8月 6日

キラキラネームの大研究

社会

(霧山昴)
著者  伊東 ひとみ 、 出版  新潮新書

 光宙と書いて、ぴかちゅうと読む。
 近ごろ子の名前は、本当に読めません。私は、いつも、相談を受けるときに家族(子ども)の名前の読みかたを教えてもらっていますが、いつも驚きの読み方です。
 1993年(平成5年)に我が子を「悪魔」と名づけようとした親がいて裁判となったのは有名です。ちょうどそのころ、私は「飛虎」という名前をつけようとした子どもの祖父から相談を受けました。ヒトラーを崇拝した暴走族の兄ちゃんが父親になったのです。
 ヒトラーは、ご承知のとおり日本人をふくめて黄色人種を劣等民族としていました。そんな人物を命名するなんて、間違っています。幸い、このときには町役場が受け入れず、また裁判にもなりませんでした。
 最近のキラキラネームは、フリガナがないと読めないし、フリガナがあっても読み方に違和感が残るものがほとんど。
 女の子の名前は、かわいらしさと呼びやすさから「ゆい」「ひな」「ゆあ」のように二音するのが流行。やわらかくて易しい響きがある。音の響きに、最近の親は、かなりこだわっている。
 徳川家の最後の将軍である徳川慶喜は、「よしのぶ」と思っていました。「けいき」とも読みますが、実は、「よしひさ」という読み方もあるそうです。知りませんでした。
 忠臣蔵で有名な大名内蔵助良雄は「よしお」ではなく、「よしたか」また「よしかつ」とも読むそうです。
 明治の初めまで、日本では個人の名前は、ころころ変わるものだった。
 典型的な一人として徳川家康が紹介されています。幼名は竹千代、そして人質のころは松平元信。それから、松平元康。そして徳川家康となった。通称は、二郎三郎。官職は、いろいろついて、将軍を引退したあとは、大御所様。没後は、「神君」(しんくん)。神号としては、「東照大権現」。
江戸時代にも、難読名乗りがブームになっていて、本居宣長が嘆いた。
 古く、日本人は実名を他人から呼ばれると、もともとの実名がもっていた神秘的な呪術性が失われてしまうと考えていた。だから、容易には読まれないようにする意図があった。
 仮名(けみょう。通称)は、実名ではないから、他人に知られ、万一、呼ばれても安心だと考えられた。
古代の女性にとっては、相手の男性に自分の名前を教えることは、身を許すことと同義であり、名前を知られることは、文字どおり相手の支配下に置かれることを意味していた。だから、そうそう簡単に教えるわけにはいかなかった。
この世で一番短い「呪」とは、名前なのである。それは、親から子への最初のプレゼントだが、その名前は子どもに生涯つきまとい、その子の運命をも左右する。
昔から、日本人は、他人が他称の違和感を覚えようとも、子どもの名前はこの音の響きでなければならない。他人には読みにくくても、この漢字で表記しなければ・・・。そんなやむにやまれぬ衝動は、現代のキラキラネームをつける親の心理に直結している。
 漢字で書くからこそ表せる意味の世界と、さまざまに読むことのできる多様な音訓。このズレのなかで名前を付けてきたのだ・・・。
 キラキラネームが、単なる一過性のブームではないことがよく分かりました。
(2015年5月刊。780円+税)

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2015年8月 7日

穏やかな死に医療はいらない

人間

                                (霧山昴)
著者  萬田 緑平 、 出版  朝日新書

 医師や病院に任せきりにしている限り、自分らしい最期を迎えることはできない。自分らしく死にたいと思ったら、病院を出て自宅に帰るのが一番。
 外科医だった医師が、今では在宅緩和ケア医に転身して5年の経験をふまえて、このように断言しています。なるほど、なるほど、そう思いながら一気に読みすすめました。
治療を諦めるのではない。治療をやめて自分らしく生きる。治療をやめることで、穏やかに、自分らしく生き抜いて、死ぬことができる。もちろん、治る病気は治したほうがいい。
著者は43歳のとき、それまでの外科医から在宅から、在宅緩和ケア医へ転身しました。
食べることが苦痛だったら、それは食べないでくれという身体のサイン。上手にやせていくのがいい。亡くなる直前まで歩いている人は、やせてがりがりの身体になれた人たち。
 上手にやせていき、そのまま「老衰モード」にもちこめたら、なお、あっぱれ。
ほとんどの医療者は、自分や自分の家族なら胃ろうはしないと考えている。胃ろうを安易にしてはいけない。場合によっては、途中でやめることも必要。
 高齢になったら、安易に病院に行かないことを勧める。年寄りが入院すると、体力、筋力、ものを飲み込む力があっという間に奪われてしまう。
発熱しても、時期が来れば自然に下がることは多い。本人が食べないときには、「栄養のため」といって、無理に食べさせないこと。無理に食べさせずに我慢していると、また食べられるようになるもの。
抗がん剤治療は、がんとの戦いというよりも副作用との戦い。身体中に毒ガスをまくようなもので、がんだけでなく正常な細胞もやっつけてしまい、患者の身体は激しいダメージを受ける。
 抗がん剤の治療を受けて1~3ヶ月後の効果判定で効果が少なければ、さっさとやめたほうがいい。抗がん剤は、治療中止のタイミングがよければ、最大の延命効果がある。
 具体的な余命の数字を言うことはない。それは非常にむずしいことだし、患者がそれを知って、ひとつもいいことはない。むしろ、ウソをつかないで、状況を悟ってもらうことのほうが大切。
とても実践的な本だと思いました。私も、がんになったときには、抗がん剤で、あまり苦しみたくはないと考えています。といっても、悟りきれずに、じたばたするのかもしれませんが・・・。その可能性は、大です。
 がんに関心のある人に、広く一読をおすすめします。
(2015年2月刊。760円+税)

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2015年8月 8日

豊臣秀次

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  藤田 恒春 、 出版  吉川弘文館

 かの秀次について、著者は次のように評しています。
 戦いの場における獅子奮迅の活躍もなければ、一領主として領地支配に専念した形跡もなく、といって秀吉の影法師的役割を果たせたわけでもない。要するに、至って凡庸なる青年にすぎなかった。
 秀次28歳の人生をかえりみると、操り人形のごとく操られていたとはいえ、秀次なりに公家たちへの学問の奨励をとおして、自らも漢和連句などに関心を見出し、また古典の蒐集などへも関心を示し、それが軌道に乗り始めたと思う矢先に降って湧いたような事件に巻き込まれてしまった。志半ばにして、汚名を着せられたまま葬り去られたことは、無念だったろう。
 秀次は、生前から悪者に仕立てられてきたきらいがある。本人の行状に帰するところでもあるが、秀次が書き残した書状には、世評とは別の細やかなる心をもちあわせた青年の一面をのぞかせている。不出来の甥子が叔父(秀吉)になんとか気に入ってもらおうと努力はしていたのである。
 いずれにしても、秀次を葬り去ることによって一番の痛手を蒙ったのは、ほかでもなく、当の秀吉本人だった。
 これは、まったく同感です。我が子(秀頼)が可愛いばかりに甥をばっさり冷酷・無惨に殺してしまったら、その一家に未来はありえません。
秀吉は、家康との小牧・長久手の合戦のとき、みじめに敗退した。そのときの秀吉側の大将が秀次だった。
秀次は、剣術や射術へ人並み以上に関心をもち、腕前も人並み以上だった。それは、秀次の失態に激怒した秀吉が、鍛錬のために、それぞれの武芸者を秀次につけた成果と考えられる。
 中納言秀次は、ひと月のあいだに、秀吉が体現していた関白職を、みずから望むことなく譲られた。秀吉は、みずから天下人として関白職を体現していたが、秀次には、その度量も器量もないままで関白職を継職したことになり、ここに秀吉の理解しえないムリがあった。
 禁裏内の手練手管に富んだ年上の公卿たちを相手の矢面に立たされたら、何人といえども、気が滅入ってしまうだろう。武士としての実績も少なく、叔父の秀吉に担ぎ出されただけの、しかも年若の秀次には、あまりにも重すぎる荷であったろう。
 秀次は切腹させられ、その秀次の首を前にして、秀次の妻妾30数人がことごとく首をはねられた。この秀吉のとった行動は、「悪魔の仕業」以上のものだったが、次第に秀吉の行為は問われることなく、秀次のみ「殺生関白」の異名が定着・形成していった。しかし、秀次の武将たちがほとんど処罰されていないことは秀次事件が冤罪であったことを裏付けている。
なるほど、なーるほど、そうだったのか、そうだよね・・・、と思いながら、一気に読み通しました。
(2015年3月刊。2200円+税)

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2015年8月 9日

馬と人の江戸時代

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  兼平 賢治 、 出版  古川弘文館

 馬は、戦前、筑後平野にもたくさんいました。亡き父の実家(大川市です)でも戦前、馬を飼っていて、写真が残っています。この本は、主として東北地方の人々と馬の結びつきをテーマにしています。
 軍事権を兵馬の権(へいばのけん)と呼んだ。武芸を職能する武士にとって、馬は武威と武芸を象徴する存在だった。良馬を確保して乗りこなすことは、軍事力の優位さと、武芸の技量が秀でていることを周囲に知らしめた。馬は武士そのものを象徴する存在だった。
江戸幕府は、東北の馬、とくに南部馬を求めて馬買役人を派遣していた。いや、幕府だけではなく、全国の大名や旗本も派遣していた。
 公儀御馬買衆(こうぎおうまかいしゅう)に対して、馬買、御馬買、脇馬買(わきうまかい)と呼んだ。
 東北の馬を「奥馬」(おくうま)と呼んだが、奥馬は体格が大きく、性格は穏やかで、人によく馴れた。
 南部馬は、軍馬・常用馬として、実際の利用に適した馬であった。
 牛皮は使い勝手がいいため利用されていたが、馬皮は積極的に利用されていた形跡はない。それが19世紀に入ってから変わった。馬の尾の毛は、甲冑の飾りや、筆の材料として、また、川釣りの糸、刷毛(はけ)や、うらごし器の網などに使われた。
 馬への親しみの情から、今なお馬肉を食べるのを避ける地域がある。
 馬肉を食べる地域として有名なのは長野と熊本ですよね。熊本ではスーパーでも普通に馬肉が売られています。隣接する福岡のスーパーには見当たりませんが・・・。
 日本の在来馬は小柄だった。現在のサラブレッドは160センチほどの長身の馬だが、日本の在来馬は、140センチほど。これは、当時の平均的日本人の身長が160センチをこえていなかったことを考えたらマッチしている。
 南部曲屋(なんぶまがりや)は、人馬がひとつ屋根の下で共に暮らしていたことを如実に示している。
 岩手のチャグチャグ馬コは、さすがに戦争中は中断したそうですが、今は復活しています。3.11事故のあとも復活していますよね。
 この本には登場してきませんが、昔は炭鉱内でも馬が活躍していました。死ぬまで地底で働かされていた馬がいたのです。人間と馬とのかかわりを考えさせてくれる本でした。
(2015年4月刊。1700円+税)

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2015年8月10日

パティシエ世界一

人間

                       (霧山昴)
著者  辻口 博啓・浅妻 千映子 、 出版  PHP文庫

 いちど、私も自由が丘のお菓子屋さんに行ってみたいと思います。
 今から40年以上も前、私が大学生だったころ、東横線の自由が丘駅周辺は完全な住宅街で、寂しい雰囲気でした・・・。
 和菓子屋の息子として育った著者は、今やフランス菓子の世界的な第一人者です。
 世界的なお菓子のコンクールで何回も優勝しています。たいしたものです。
 コンクールに強いのは、食べていくため、成り上がるため、生活をつかみとるため、そういう明確な目的をもって取り組んできたから。「餓える」ことが、どんなに恐ろしいことか身をもって分かっていたから、必死だった。
 さすがに、第一人者は材料をよく選んでいます。
 つかっている卵は、秋田の比内鶏が産んだもの。
 バニラビーンズは、タヒチ産。牛乳は、低温殺菌。
 頭のなかにあるのは、基本的にお菓子だけ。お菓子づくりは仕事であると同時に、趣味でもあるし、遊びでもある。何を見ても、何を話しても、お菓子に結び付いてしまう。
 自由が丘に店を構える前、日本に帰ってから一文なしになっていたところ、スポンサーになってくれた女性から、1億5000万円を渡された。
 「これで、自分のつくりたいものがつくれる店をやってごらんなさい」
 すごい人が、世の中には、いるものなんですね・・・。今では、自由が丘駅から、この「モンサンクレーム」まで、人通りが絶えないというのです。
店で好きな菓子を選びたいんだったら、台風が直撃していたり、大雨のときに来店するようにすすめています。いやはや、すごいことです・・・。
店の面積は53坪。そのうち厨房が半分を占める。厨房のデザインは自分で手がけた。涼しいこと。2台の強力エアコンを入れた。そして乾燥厨房にした。床をホースで水をまかず、モップで拭いて汚れをとれるようにした。
 スタッフ同士はテーブルをはさんで対面で仕事をする。客は、半円形の窓から厨房でパティシエが働いている姿を見ることができる。
 毎朝、9時半にミーティングをする。15分から30分間。
 厨房のなかではムダなおしゃべりはなく、緊張した空気。
 スタッフの男女比は半々。
 さすが一流のパティシエの言うことは違います。フランス料理の楽しみの一つが、色と形と味の良さで驚嘆させるデザートです。
 ぜひぜひ、いちど、食べてみたいものです、著者のケーキを・・・。
(2015年4月刊。640円+税)

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2015年8月11日

テキヤと社会主義

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  猪野 健治 、 出版  筑摩書房
 
 テキヤのなかに社会主義者がいただなんて、信じられませんよね。
 この本は、テキヤの生態を紹介するとともに、社会主義者やアナキストとの関わりを教えてくれます。
 なかでも私が注目したのは三宅正太郎判事の行動です。今の時代にはとても考えられない行動を裁判官がとったのでした。
香具師(やし。てきや)の社会は、今や崩壊の危機にある。トランク一つをぶら下げて、どこにでも行く、「寅さん」のような自由な空間は存在しない。香具師の社会には、次の厳守事項があり、これを破ると「破門」される。それは全国の同業者に回状がまわされ、業界から締め出される。
 バヒハルナ・・・おカネをごまかすな。
 タレコムナ・・・警察そして部外者に身内や内輪のことを漏らすな。
 バシタトルナ・・・仲間の妻女や交際相手に手を出すな。
 香具師の社会は閉鎖社会なため、内部のことは部外者にはうかがい知れない。
 バイネタ・・・商品。ロクマ・・・特殊な才覚、技術がないとできないもの(街頭易者)
 大ジメ・・・口上で人を多数集めて商売すること。
 ギシュウ・・・主義者。社会主義者や無政府主義のこと。
 香具師の稼業は、毎日が修行なのだ。その積みかさねで、不退転の度胸と根性が磨きあげられていく。警察との駆け引きも自然に上達する。
 香具師の世界には、「メンツウ」の習慣がある。面通。初対面の挨拶。
 「寅さん」のような純粋な一匹狼は、実は存在しない。どこかの一家に所属していないと、香具師としての商売はできない。
 てきやは一家とか組を名乗っているが、それはヤクザ組織を意味するのではない。本来は単なる稼業名であって、商売の「屋号」のようなもの。
 「友だちは5本の指」という言葉が香具師の世界にある。同じ青天井の下で商売をやっているのだから、みんな仲間だという意味。同類意識は非常に強い。ただ、そこでも、兄弟分の関係や親分子分関係は重視される。
 昭和61年に91歳でなくなった高嶋三治は、アナキストであり、香具師の世界に君臨した大御所である。アナキストたちは、関東大震災のさなかに軍部によって虐殺された大杉栄夫婦と一緒に殺された橘宗一少年までもが軍によって殺害され、古井戸に遺体が投げ込まれたことに激昴した。その復讐戦にたち上がったのが、アナキスト団体ギロチン社だった。
 ギロチン社のテロ行動がことごとく失敗するなかで、高嶋三治は、いきなり警察に逮捕された。強盗殺人島の罪で・・・。まったく自分の身には覚えがない高嶋は真相を究明しようとした。一審の名古屋地裁は無罪。検察控訴がなされ、高裁の審理が始まる前、突然、三宅正太郎・裁判官が高嶋の独房にやってきた。
 「私は、高裁の三宅正太郎だ。きみは間違いなく無罪だと思う。しかし、私がきみを無罪で釈放しても、警察は、次々と新しい手をつかって、きみを逮捕するだろう。一生を鉄格子のなかで過ごしていいものか・・・。やたら若い命をそんなに、空しく燃やし尽くしていいのか・・・。私が生きている間だけでも、アナーキストであることを読みとどまってほしい。シャバで自由に生きてみろ。必ず世の中の人のために役立つ男になれる。私は、きみに賭けてみたい」
 三宅正太郎は、高嶋の過去の調書を見て、この男は骨がある。ぜひ会ってみようと思ったのだろう。そして、高嶋を博徒(ばくと)である本願寺一家の高瀬総裁に預け入れた。
 昔の裁判官のなかには、このように留置場のなかにいる被告人のところへ押しかけ、将来展望を語ったというのです。今では、とてもそんなことは考えられませんね。この三宅正太郎は、「裁判の書」という、昔から有名な本を書いています。
(2015年2月刊。2000円+税)

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2015年8月12日

流(りゅう)

中国

(霧山昴)
著者  東山 彰良 、 出版  講談社

 著者は台湾に生まれ、9歳のときから日本に移り住んでいます。
 著者が台湾で生まれたとき、私は大学2年生で、東京にいました。大学紛争に突入した年のことです。
 この本の主人公は、著者よりひとまわり上の世代、すなわち父親の歩みを追っています。
 1975年4月、蒋介石総統がなくなったとき、主人公は高等中学校(日本の高校です)の2年生、17歳だった。
 反共教育を学校で徹底してたたき込まれていたから、共産党は殲滅すべき憎き悪であり、毛沢東の頭には角が生えていると信じこんでいた。
 そして、主人公の祖父がある日、無惨な姿で殺されているのが発見された。物盗りより強盗殺人は考えられず、顔見知りによる犯行説が浮上した。なぜ祖父は殺されたのか。いったい祖父は戦前、どこで何をしていたのか、それが次第に明らかにされていきます。
主人公は軍隊に入らなくてすむよう画策しますが、ついに軍隊に入ります。
 規律や愛国心、厳しい上下関係をたたき込むために、陸軍軍官学校では先輩による後輩いびりが日常的に行われていた。この学校で学ぶのは、絶対服従の精神、ともにいじめを耐え抜いた仲間たちに対する連帯感と帰属意識だ。
 そして、次の世代へと受け継がれるのは、怒りの鉾先を何の恨みもない人たちへとすりかえる、その巧みな自己欺瞞である。進級したら、次は、後輩をいたぶる側にまわる。
日本の防衛大学校でも、実は、ここに書かれているのと同じ理不尽ないじめが確固たる伝統として根付いているそうです。防大のいじめ裁判を担当した弁護士から教えてもらいました。もし、それが本当なら、防衛大学校なんかに私の身内は絶対に行かせたくありません。
 主人公は、腹にめりこむ軍靴や容赦ない平手打ち、えんえんと終わらない腕立て伏せに辟易してしまったことから、半年で自主退学することにした。
なんたる人生のムダづかい。とてもじゃないけれど、耐えられなかった。
今も徴兵制のある韓国では、同じように考えている若者と親世代が多いようですが、なかなか徴兵制は廃止されません。残念です。徴兵制って、柔軟な思考力を型にはめ、自分の頭で考えないように訓練するというのですから、国の発展力がそがれてしまいますよね。
 そして、祖父のいた中国大陸へ主人公は出かけていき、そこで終戦直後に何が起きていたのかを知り、殺人事件の真相にたどり着くのでした。
 圧倒的な筆力によって、ぐいぐいと引きずり込まれてしまいました。さすが全員一致で直木賞を受賞しただけはある本です。中国大陸の国共内戦、そして台湾独立後の国民党支配に至って、それが安定するまでの歴史状況をふまえた推理小説というべきものでしょうか・・・。
(2015年7月刊。1600円+税)

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2015年8月13日

なぜ書きつづけてきたか・・・

朝鮮(韓国)

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー

 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

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2015年8月14日

正楽三代

社会

(霧山昴)
著者  新倉 典生 、 出版  インプレス

 寄席・紙切り百年というサブ・タイトルのついた本です。高座にかしこまって座っていながら、身体をゆっさゆっさ揺らしつつ、紙を動かしてはさみで器用に切っていく。紙切りは、本当に芸術だと見とれていました。
 この本は、初代、二代そして三代正楽の生きざまを刻明に追っています。
 高座で切り抜いたものを、その場で客に見せ、見せた瞬間に客をうならせるものでなければ、寄席芸にはならない。
 絵心はないほうがいい。紙切りは、見てすぐ分かるのがいい。一目見て分かるように切る。それが寄席の紙切り。
 短い時間で、いかに客を感嘆させる一枚を切り抜くか、いわば時間との勝負でもある。熟練の域に達したら、ひとつ切り抜くのに2~3分。客に見せた瞬間はもちろん、あとでじっくり鑑賞するのにも耐えてくれる作品に昇華させるのが理想的なのだ。
 上手く切ることよりも、客を喜ばせること、これは寄席芸の鉄則。寄席の紙切りは、高座に上がってから降りるまでが芸である。切った作品の良し悪しもさることながら、切っている姿も、また切った作品を客に見せる瞬間を演出するのも芸のうち。
 ちょっと身体を揺らすと、紙も揺れて、途中経過が分からなくなる。途中経過を見せないほうが、出来あがりを見たとき。客の感動は大きくなる。身体を揺らすと、躍動感が出る。
ふつうの人が紙を切るときは、ハサミの股の部分で切る。紙切りはもっと刃の先のほうで切る。ハサミのネジをゆるめて、刃の動きを自由にして、切るときの支点を刃先に近づけていく。紙との接点も刃先に近い。そして、その支点を微妙に変えながら、ハサミではなく、紙を動かすことで切っていく。いや、切れていく。
 初代の正楽は、ハサミを使うときに出来るタコが出来たが、しばらくして、すっかり消えてなくなった。ハサミを使うのに、力がいらなくなったからだろう。
線を引いてから切る癖をつけると、一人前の紙切り師にはなれない。
 世間が知っている世の中の物事を常に仕入れ、デザインを考え続け、高座で優雅に身体を揺らしながら、いとも簡単に注文にこたえる。しかし、その裏には、病気療養中でも、1日に30~40枚は切って勉強(練習)を欠かさなかった。そして、高座で失敗しないように、若いとき酒は飲まなかった。
 芸人の厳しさが、ひしひしと伝わってくる本でした。
(2015年4月刊。2100円+税)

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2015年8月15日

化け札

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  吉川 永青 、 出版  講談社

 真田昌幸を描いた小説です。面白く、一気に読み通しました。
 境目の者、敵との最前線にある者は向背勝手、つまり危うくなったら寝返りも致し方なしとみなされる。武士だけではない。百姓も自らの身を守るため、双方の勢力に年貢を半分ずつ納めることが認められていた。戦乱の世ならではの習いである。
 岩櫃や沼田は真田昌幸が武田勝頼から引き継いだ地である。その武田を見限って北条に擦り寄り、織田軍が兵を向けたと知るや、そちらになびいた。織田信玄が横死すると上杉に付き、上杉の苦境を知って北条に帰順する。そして、真田は徳川に鞍替えした。実に5度目の寝返りだ。
武田を見限って、北条、上杉、そして徳川、果ては豊臣に付き、付いては離れ、騙し化かしてきた。それでも兵や政は武田流を貫いている。
 軍においては無駄口をきかず、戦においては敵の出鼻をくじき、勢いありと見れば一気に叩く。
歌留多札には幽霊が描かれているものがある。化け札、鬼札、幽霊札、いろいろの呼び方がある。ほかの全ての札に変えて使える。相手を化かす札である。
 「ならば、この真田昌幸、化け札になってやる」
 巷間にそしられることを承知で、真田家のため、民百姓のために武田を見限るのだ。誰に分かってもらえずとも構わない。だが、本領の安堵のみ、生き残りのみに汲々とするのみでは終わらせない。
 北条が、織田が恐れる真田は、そこまで安くない。真田一族が、北条、上杉、武田、徳川、そして織田、秀吉という大勢力のなかでしぶとく生きのびていく様を見事に描いていて、読ませる本です。
(2015年5月刊。1850円+税)

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2015年8月16日

吾輩は猫画家である

イギリス

(霧山昴)
著者  南條 竹則 、 出版  集英社新書

 夏目漱石の「吾輩は猫である」は、この猫マンガを見て着想を得たと指摘されています。なーるほど、なるほど、と納得できました。
 イギリスのルイス・ウェインという猫画家について、その描いた猫の絵とともに紹介されている本です。
 夏目漱石がロンドンに留学したのは、1900年から1902年にかけてのこと。当時、イギリスではルイス・ウェインが人気絶頂で、その人間的でユーモラスな猫たちは、本や雑誌そして絵葉書にあふれかえっていた。
 猫たちが、人間そのものの動作をしていて、ついくすっと笑ってしまいそうになる楽しい絵のオンパレードです。
 絵は独立独歩を好むように見えながらも、その実、社会的な動物でもある。屋根の上だの原っぱだのに集まって、人知れず集会をしている。猫の夜の集会を撮った写真をのせた本を、このコーナーでも前に紹介しましたが、なんだか不気味な集まりです。
 ルイス・ウェインは、たくさんの猫の絵を描いたものの、絵を売るごとにその版権まで売り渡したため、膨大に増刷された絵葉書から、ほとんど収入を得ることができなかった。まったく利に疎かったのです。おかげで、老後は最貧の生活を余儀なくされていました。それを知った人々がカンパを募って、なんとか救われたようですが・・・。
 猫派の人にとっては、たまらない猫の絵尽くしの本です。
(2015年6月刊。1200円+税)

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2015年8月17日

羽生善治・闘う頭脳

人間

(霧山昴)
著者  羽生 善治 、 出版  文春ムック

 私は囲碁も将棋もやりませんし、出来ません。それでも、名人の話は聞いてみたいと思って読んでみました。さすが名人の語りには学ばされます。
スケジュール調整は半年先まで進めている。しかし、将棋の戦術的な面は、日進月歩、ほんの2週間くらいで更新されて進化していくので、数ヶ月先の大局をいま考えても仕方のないこと。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。日進月歩とは、恐れ入りました。
 30年間、ずっと棋士を続けてきた理由は、将棋の全容を少しでも解明したいから。
 将棋の局面の可能性は、10の220乗通りもある。そのうち、この目で見ることができるのは、0.1%もない。
 将棋の戦術の「賞味期限」は、かなり短くなっている。昔のように独自の研究成果を秘密兵器として、ここ一番の大局にぶつけてやろうというやり方は、今では不可能に近い。
 「今日は長くなりそうだな」くらいの心持ちで、先のことを考えずに自然にたたかっていると、時間のたつのを忘れていて、気がつくと夜中になっていたということがある。時間を忘れるくらい、集中できていること。
先のことを思い悩まない、深く考えすぎないということが、将棋の場合、集中力を高めるために、とくに大切だ。
 勝負にミスはつきもの。そう覚悟して、ミスを少なくするように努力していくしかない。
局面を「読む力」は、若いころのほうがあった。しかし、「読まない力」「大局観」は経験を経るごとについてきている気がする。
 勝負を決めているのは、実は、知識でも頭の回転でもなく、最後は「負けたくない」と思う気合いや、努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性といった、泥臭い能力が大きい。
 一回の大局で、水を2リットルくらい飲む。
 日本の将棋の今のルールは、江戸幕府ができたころに確定した。
 「持ち駒の再利用」というのは、世界のどこにも例をみない、日本の大発明。
 今のコンピュータ将棋は、人間の指す将棋とは明らかに異質。棋譜を見たら、人間が指しているのか、コンピュータが指しているのか、すぐに分かる。それは、将棋という一つの題材に対するアプローチの仕方がまったく違うから。
 すごいですね、さすがは名人ですね、コンピュータ将棋がどうかすぐに分かるだなんて・・・。
(2015年3月刊。1000円+税)

 お盆休み、久しぶりに大雨が降りました。庭の手入れができます。コチコチに固まっていた土を掘り起こします。午後、まだ陽は高く、熱中症にならないように用心しながら、なるべく深く掘り上げ、そこにコンポストの枯草や生ゴミ(EM菌をふりかけているので臭いはしません)を埋め込むのです。
 いつにもなく、ヒヨドリがすぐ身近にやってきて、うるさく鳴いています。目の前の枝に止まったヒヨドリは口にエサの虫をくわえています。スモークツリーの木をヒヨドリが2羽しきりに、甲高く鳴きかわしながら、ぐるぐる2羽ともまわっています。今ごろが交尾の時季なのかな。求愛ディスプレイなのだろうか。
 枯れ草投入をしばし中断し、椅子に腰かけて眺めていました。それでも、2羽のヒヨドリはうるさく鳴き、せわしく木の枝を縫うようにして飛びかっています。求愛ダンスには長すぎるな・・・。
 しびれを切らして穴掘り、枯れ草埋めを再開します。
 娘が庭に顔を出して、スモークツリーの木の上のほうにヒヨドリの巣があるのを発見しました。初めてのことです。たしかに、葉にかくれるようにして巣がありました。
 巣があるのに、ヒヨドリが騒いでいる。まさか・・・。

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2015年8月18日

戦争ごっこ

朝鮮(韓国)

(霧山昴)
著者  玄 吉彦 、 出版  岩波書店

 済州島四・三事件を子どもの目を通して自伝的小説です。
 戦前、数えで7歳になって小学校に入った。牛をたくさん飼っているので、村の人たちからは金持ちの家だと言われている。
 叔父は、漢文の本をたくさん読んだ長老として尊敬されている。
 叔父に召集令状がきた。家の中に雰囲気が一変した。ぼくは、叔父が兵隊になるのがこの上もなくうれしかった。ところが、他の人はそうでもないのが不思議だった。
 ぼくたち子どもは、戦争ごっこをした。日本兵と米軍とに別れて戦う。戦いは、いつも日本軍が勝った。
 ぼくは、日本の兵隊も死ぬということが理解できなかった。銃もある。刀もある。大砲もあるのに、死ぬなんてバカなことがあるものか。
 5歳上の兄がぼくの頭にげんこつを喰らわして叱った。
 「兵隊になるって?人を殺す兵隊になるというのか。このバカ!」
 叔父が戦死した。叔父は米軍のやつらと戦って死んだ。本当に立派で勇敢な人だと心から思った。
日本が戦争に負け、われわれが植民地支配から解放されたその時、ぼくは数えの8歳だった。それまで、学校では日本語ばかり勉強してきたので、ハングルはまったく知らなかった。
父は町長になった。ある晩、若い男たちがやって来て、父を連れ出した。父は帰って来なかった。二日目、村はずれの海岸の崖下の岩のあいだに死体で発見された。両手をしばられたままだった。
 パルチザンの襲撃で家を失った村人たちは、焼け跡に急場しのぎの風よけをして数日をすごした。やがて、派出所と小学校を中心にして、石で城壁を築きはじめた。
 山から下りてきたパルチザンは村を襲撃し、おおぜいの村人を殺した。討伐隊にとらえられたパルチザンザンたちは、学校や村はずれの海岸で処刑された。
 ぼくら子どもたちは、またもや戦争ごっこに熱中した。ゲリラを捕まえて処刑する戦争ごっこは、1年生にのときにやっていた米軍と日本軍の戦争ごっこより面白く興味をそそった。ぼく自身が父を殺されてパルチザンに憎しみをもっていたからだ。
 パルチザンは、本当にぼくの敵だったから、遊びといえども、やつらと戦って勝つと、気持ちがよかった。共産ゲリラによって家を失い、家族を失った子どもたちは、ゲリラを討伐する戦争ごっこに熱中した。ぼくらの戦争ごっこは、実際に起こりうる事件だった。
 「戦争って、だれが起こすのかしら?」
 「人間だろう」
 ぼくは、ためらうことなく答えた。
戦争中には、ぴりぴりして、浮き足立っている人々がいた。
 戦争に行った叔父やそれを見送った村の人たち、四・三事件のときの近所の人たちの目つきもそうだった。人が起こした戦争で人が死に、家を失い、故郷を去り・・・。
 戦争が、どのような状況で起きるのか、そして進行していくときの社会状況を生々しく再現した小説です。いま、安倍首相と自民・公明の両党は日本と世界の平和を守るためと称して、嘘八百を平気で並べ立て、国民をだまして戦争へ駆り出そうとしています。
 弁護士会は、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局元長官などとともに、この憲法違反の安保法制法案の廃案を目ざしてがんばっています。ぜひ、一緒に声をあげてください。
(2015年3月刊。2700円+税)

巣から何かが落ちてきました。
 ヒヨドリの幼鳥です。あっ、子育て中だったんだ、何があったのか。幼鳥は、地上の草むらで鳴いている。どうしよう・・・。
 まだ2羽のヒヨドリはうるさく鳴いている。あれれ、巣からヒモがぶら下がってきた。えっ、ヘビだ。ヘビ。ヘビが木の枝にぶら下がって、口には、もう1羽の幼鳥をくわえている。緑っぽい、白いヘビ。そして、揺れたあげく、どさっと落ちた。
 きっとアオダイショウだ。あーあ、2羽目の幼鳥は食べられてしまったな。
 一羽目の幼鳥が地上で鳴いているのを見つけた2羽のヒヨドリは、近くを飛びまわる。
 このままにしたら、2羽ともヘビに食べられてしまう。それも可哀想。とりあえず、ダンボール箱にその幼鳥を入れてみた。
 すると、ヘビが落ちた草むらで何かが動いた。もう一羽も助かったのだ。

 

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2015年8月21日

女たちの平安宮廷

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者  木村 朗子 、 出版  講談社選書メチエ

 「栄花物語」によむ権力と性、というのがサブタイトルについている本です。
 平安時代、女性は政治のうしろにいて、表舞台にあらわれていませんでしたが、その実、政治を動かしていたのは女性だった。それを実感させてくれる本でもあります。
 平安時代の摂関政治の最大の関心事は、閨事(ねやごと)、つまり男と女の性の営みにあった。
 摂政関白という地位は、天皇の外祖父が後見役になることで得られるものだから、大臣たちは次々に娘を天皇に嫁入りさせ、親族関係を築いていた。
 摂関政治は、結果として、一夫多妻婚を必然とした。後宮に集う女たちは、天皇の籠愛をえるために、そして天皇の子、とりわけ次代の天皇の寵愛を得るために、次代の天皇となる第一皇子を身ごもるために競いあった。
 摂関政治は男たちの権力闘争だった。そして、それを実際に動かしていたのは、いくつものサロンの抗争、女たちの闘争だった。そのことを細やかに伝える書物が藤原道長の栄華を描いた歴史物語「栄華物語」である。「栄花物語」は、物語の形式をとりながらも史書として企図されたものであった。
当時の女たちが漢字漢文を使わないのは、使えないというのではなく、知らないふりをすることが、女たちのたしなみであったから。その証拠に、「枕草子」にも「源氏物語」にも、漢詩が引用されている。
 天皇を中心として宮廷において、多くの女たちが天皇の后候補として、あるいは女房として参内(さんだい)し、後宮を形成した。その後宮を支配するのは、当の天皇ではなく、摂関家であった。
 天皇の系を存続させながら、そこに寄生することで、権力を得た摂関政治にとっては、性そのものが直截(ちょくせつ)に政治であった。
 摂関政治においては、后の位を強化するより、むしろ、出産によって次の天皇を生み出すことに権力闘争の中心があった。天皇家との婚姻関係だけでは権力は生み出されなかった。天皇のこの誕生と闘争の地点をずらすことによってのみ、藤原氏は、家格として「正統」となりえた。
 藤原氏だけが天皇の孫、つまり二世の女王と娶る(めとる)ことができた。藤原氏の優位性は、実質的な権力に依存しながら、天皇の皇女を得ることによって強化された。
 天皇の父になることはできないが、天皇の母になることはできた。
 そして、子育てをするのは、母親ではなく、雇われた乳母(めのと)であった。そうすることによって、母親をすばやく次の出産態勢に戻し、多くの子どもを抱えることを可能とした。
桓武天皇の詔以来、天皇の娘は藤原氏に独占的に与えられてきた。
 後宮においては、誰の娘かということで女たちは序列化されていた。娘たちの入内(じゅうだい)は家格によって序列化されており、その家格は、天皇の娘がどのように分配されているかという問題にかかわっている。
 天皇の子でありながら、臣下である藤原氏は、政界で優遇されることによって、その不均衡を埋め合わされていた。他方、藤原氏は、外威という形でしか天皇の系にかかわることができない。
 摂関制度という、藤原氏に有利な制度は、律令に定められた親王優位の制度をいかに骨抜きにするかということに賭けられていた。
 次代の天皇を争う摂関政治の制度は、立后を切り札としてしまいはしなかった。天皇が一人であるのに対して、后は複数存在したからだ。后になること自体は、権力奪取に実質的な意味を持ち得なかった。
 后のなかの后たるものは、母であらねばならない。国母(こくも。天皇の母)のほうに価値が転換された。
 権勢家は、娘が天皇に入内し、男子を生んだとなれば、いきおいその男子の即位を急ぐ。
 父と子が、同じ女性とのあいだに子をもうけるということは、正妻格にはありえないが、女房格にはあった。
 女房の性は、正妻とちがって、囲いこまれているわけではなかった。だから、誰の子であるかは、父側にとって不確かな要素を常にもっていた。子の誕生には、不確かさが入り込んでいた。それは、一夫多妻的な関係が同時に一夫多妻的な関係であったからである。
 平安時代の貴族政治を女性の視点でとらえ直している興味深い本です。
(2014年10月刊。860円+税)

 
  夕方、外出先から戻って庭に出てみると、別の木にヒヨドリが止まってしきりに鳴いている。そこに幼鳥がいるようだ。鳥カゴを見るとなかは空っぽだ。
 その木の下にいってみると、ヘビがいた。そしてヘビの腹がぷっくり太っている。あーあ、幼鳥は食べられてしまったんだ。親鳥は、それでも、夕方まで、木の上でずっと鳴いていた。
 ヒヨドリは、ヘビを発見したとき、うるさく鳴きかわし、ついには人間にまで知らせて、何とかしてくれと言いたかったようだ。しかし、スモークツリーの木のある巣はとても高くて、ヘビをはたき落とせるような位置にはない。
 結局、2羽とも幼鳥はヘビに食べられてしまった。残念だが、仕方がない。これも自然の植物連鎖だとあきらめるしかない。

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2015年8月22日

織田信長「天下人」の実像

日本史(戦国)

(霧山 昴)
著者  金子 拓 、 出版  講談社現代新書

 織田信長の実像に迫った新書です。
 信長は、秀吉とちがって、全国統一をかかげて権力をふるおうとしていたとは考えられない。信長の行動基準は、あくまでも天下静謐の維持という点にあった。
 信長においては、官位によって彼の「天下」の外にあって好意的・従属的な関係を結んでいる諸大名までをも統一的に秩序づけようという考え方はまったくもっていなかった。
 しかし、将軍推任を受け、信長は、それまでの天下静謐の維持という大義名分を自己否定するかのように、征服欲をむき出しにしたいくさを中国・四国方面に仕掛けるという最終決断をしたのではないか。
 だから、光秀が、それまで一貫していたはずの天下静謐のための戦いという目的から逸脱しつつある信長の動きを頓挫させようとしたのではないか。となると、天下静謐を根底から揺るがせたのは、光秀ではなく信長だったことになる。
 本能寺の変の直後、朝廷は光秀を天下人とみなして、京都の安全保障を要請する使者を遣わすなど、謀叛人扱いをせず、それなりの対応をしている。基本的に朝廷は、自分たちを保護してくれる人間であれば誰でもよく、武家権力者が誰であるべきだという理念を前提として動くことはなかった。
 信長が印章につかった「天下布武」(てんかふぶ)というのは、将軍を中心とする幾内の秩序が回復することを指す。戦国時代の室町将軍において、維持すべき支配領域とは京都中心の「天下」であった。それは、日本全国を意味していない。
 信長は、天下静謐を維持することを自らの使命とした。信長の勢力拡大は、天下静謐に歯向かう敵と戦った結果として生じた。
 信長は官位に対してみずから選択するほどの知識はなかったし、また執着心もなかった。
 信長は積極的に左大臣任官を希望していない。
 譲位についての天皇の頑張な拒否があり、逆に積極的な譲位推進の思惑もない。信長は、どうにかして左大臣を辞退しようとしたものでもない。任官がないことを承知のうえで、信長は天皇の譲位延期を受けいれたはず・・・。
 信長の実像を明らかにしようという、意欲的な内容にあふれた新書です。
(2014年8月刊。880円+税)

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2015年8月23日

若冲

日本史(江戸)

(霧山 昴)

著者  澤田 瞳子 、 出版  文芸春秋

 京都の錦高青物市場に店を構える老舗の「枡源」の四代目の店主は、商売そっちのけで絵を描くばかり。稼業は弟たちにまかせっきり。
江戸時代、対象をじっくり観察して描く生写は、画家には必須の素養だった。粉本(ふんぽん)模写を基本とする狩野派ですら、これは同様で、長崎からもたらされた動植物の生写や、将軍の鷹狩や社寺参詣に際しての行列図作成は、御用絵師たる狩野家の重要な任務の一つだった。
 加えて、国内屈指の学問興隆の地である京都では、本草学の隆盛にともない、動植物の詳細な写し絵が多く求められた。それゆえ、京の画家は、生写の腕こそが画技を左右すると見なし、みな懸命研鑚を重ねていた。
 そう、ところ狭しと掛けまされた鮮麗な絵には、一つとして生きる喜びが謳われていない。そこに描かれるのは、いずれ散る運命に花弁を震わせる花々、孤立無援の境遇をひたすらかみしめるばかりの鳥たち。身の毛がよだつほどの孤独と哀れみが、極彩色の画軸から滔々とあふれ出している。
 若冲の絵って、本当に、そんな印象を与えていますよね・・・。
 見る者に鮮烈な印象を与える若冲の絵に秘められた奥深い情念を、あますところなく文章で表現した本でした。圧倒されました。
(2015年6月刊。1600円+税)

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2015年8月19日

ものいわぬ人々に

社会

(霧山昴)
著者  塩川 正隆、 出版  朝日新聞出版

 なつかしい名前が登場してきます。
 故國武格(くにたけいたる)弁護士です。久留米大学の顧問弁護士でした。「温厚な性格で、大学の不当労働行為を訴えた事件でも、嫌らしい質問は一切いなかった」とありますが、まさにそのとおりの人物でした。
 國武弁護士は「組合が正義ですよ」と言ったそうです。その労働組合の中心人物こそ、この本の著者なのです。
 当時の久留米大学には、労働組合つぶしのために文部省官僚だったY氏が理事長として送り込まれてきて、労使紛争が絶え間なく起こっていたのです。物言わぬ労働組合をつくりあげると、当面はいいかもしれません。表面的には「正常化」するでしょう。ところが、その水面下では、従業員のやる気が損なわれ、企業(組織)は停滞し、活性化しなくなるのです。
独断専行のY氏は、まさに紛争を多発して組織の活性化の重大な阻害要因となったのでした。
 Y氏が理事長を退陣したとき、著者も大学をやめました。なかなか真似のできない英断ですよね。
この本には、沖縄で32歳の若さで戦死した父親の遺骨を探すために、150回をこえて沖縄に通っていること、そして、叔父(父の弟)が戦死したレイテ島へ遺骨を探しに行っていることも記されています。
沖縄の父親からは、戦時中に来た軍事郵便が30通も残っているとのことです。ところが、沖縄のどこにいたのかまでは書かれていません。軍歴簿には「昭和20年6月22日、沖縄本島米須 戦死」と書かれているだけ。
また叔父の遺骨を探しに、著者はレイテ島に何回も渡っています。
 実は、私もレイテ島には日弁連の公害現地調査で行ったことがあります。タクロバンにも泊まりました。かつての激戦地跡には原生林がなく、みな戦後になって植林したと聞きました。うっそうと茂ったジャングルは今はないのです。
 父親は、著者が生まれて1週間後に兵隊にとられています。我が子に会いたいというのが毎回のハガキに書かれていますが、その気持ちは本当によく分かります。
 戦争こそ最大の人権侵害。著者は、安倍政権の戦争法案の廃案を強く訴えています。
 著者の裁判も担当した福岡の川副正敏弁護士より贈呈を受けました。いい本を、ありがとうございました。
(2015年8月刊。1389円+税)


幼鳥2羽をダンボールに入れる。ヒヨドリは、かまびすしく周囲を飛びまわって鳴いている。
  どうしよう。2羽もいる。買ってきて、練り餌を与えてみるか、、、。やるだけのことはやってやろう。お盆休みで店は閉まっているかもしれない。心配したが、店は開いている。鳥カゴとペースト状になる幼鳥向けのエサを買う。
鳥カゴの組立は簡単なようで難しい。なんとか組み立て、ダンボール箱から2羽の幼鳥を鳥カゴに移し、ペースト状の練り餌を注射器みたいなもので幼鳥の口に押し込もうとするけれど、なかなかうまくいかない。
幼鳥2羽は、明らかに大きさが異なる。これも自然の掟だな。まずは大きいほうを無事に育て上げるのだ。
ヒヨドリの親がしきりに鳴いているので、鳥カゴのフタをはずして木の枝にぶら下げてみる。

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2015年8月20日

北朝鮮の核心

朝鮮

(霧山昴)
著者  アンドレイ・ランコフ 、 出版  みすず書房

 北朝鮮の金正恩政権がいつまでもつのか、大勢の人が心配しています。もちろん、私も、その一人です。
 張成沢の電光石火の処刑には驚かされましたが、その後も副首相などの処刑が相次いでいるというニュースが流れています。
 いったい、なぜ時代錯誤のような政権が今もなお続いているのか、北朝鮮国内には抵抗勢力はいないのか、不思議でなりません。
 でも、日本も今の自民党を見ていると、同じようなものですよね。多くの国民の意見を無視して戦争法案の成立を強行しようとする安倍首相に対して、あれだけたくさん自民党議員がいるのに、ごく少数の議員を除いて、誰も公然と反対意見を述べれらないのですから。
 北朝鮮だと、それこそ銃殺されるか、強制収容所送りなのでしょうが、日本の自民党議員は自民党公認を得られないかもしれない、だから次は国会議員になれないかもしれないというだけで、安倍首相に文句の一つも言えないのです。情けなさすぎます。
 北朝鮮の指導層は、大国の足並みの乱れを最大限に利用している。理性を欠く国にできることではない。指導層は自分たちが何をしているのか、実際には、完全に分かっている。頭がおかしいわけでも、イデオロギーの虜(とりこ)になっているのでもなく、むしろ冷徹な計算のできる有能な人々である。現代世界で、もっと非情なマキャヴェリ思想の実践者といえる。
 1990年ころ、国内事情の事態が悪化したとき、エリートたちと金一族は改革を避けることにした。国と自民民を支配しつづけるためだ。別の方向に舵(かじ)を切るのは自殺に等しいと考えている。
10万人近い在日朝鮮人が北朝鮮へ「帰国」した。この帰国者たちは、特権を有すると同時に差別されているという奇妙な立場におかれた。1990年代はじめまで、日本からの送金は、北朝鮮にとって、大きな収入源だった。
朝鮮戦争では、平和条約は結ばれていない。1953年に調印されたのは、あくまで休戦協定にすぎない。
 1968年に、北朝鮮は1月と秋に2回、韓国に特殊部隊を送り込んだ。1月には31人が大統領官邸を襲撃しようとした。秋には120人規模で韓国の東海岸に上陸し、失敗した。
 1983年、ビルマのラングーンで韓国の大統領暗殺未遂事件が起きた。
 1987年1月、韓国の旅客機が空中で爆破された。1988年のソウル・オリンピックを妨害する目的だった。
 北朝鮮の社会には、厳然たるカースト制度がある。核心階層、動揺階層そして敵対階層である。この成分は、男親を通じて受け継がれる。
北朝鮮は収容所国家である。2012年の推計によると最大12万人が収容所で生活している。
2008年、北朝鮮の平均寿命は69歳。乳幼児の死亡率が低いのは、政府が個人のプライバシーに踏み込んで全国民を管理しているから。
 北朝鮮のインフラは、植民地時代末期から、ほとんど変わっていない。農業ほど、ひどい打撃を受けた分野はない。
 北朝鮮の平均月給は1995年から2010年まで、2~3ドル。しかし、実際の月収は25~40ドル。庶民の大半は、収入の多くをインフォーマルな経済活動によっている。
中朝間の国境警備は、今ほとんど機能していない。警備兵にリベートを払って、密輸業者が活躍している。
 北朝鮮を脱出して中国に隠れている人々は、常時1万人以上はいるとみられている。
韓国在住の北朝鮮難民の平均所得はわずか1170ドルで、韓国人の平均給与の半分でしかない。
 北朝鮮出身の学生には、韓国の大学で前提とされる基本的な知識やスキルがなく、この点で、韓国人学生に差をつけられている。
 北朝鮮のトップエリートとヤミ市場の流通業者は、根本のところで利害を共通にしている。しばらくのあいだ北朝鮮が分断国家として存続することを望んでいるのだ。
 北朝鮮の指導層は、はじめに危機をつくり出して緊張を高め、危機の生じる前の状態に戻す見返りに交渉相手から金銭と譲歩を引き出す。これに長けている。
 中国政府が何より恐れているのは、北朝鮮に内部崩壊が発生することで引き起こされる情勢不安定。難民の大量流入、大量破壊兵器の拡散である。そして、それは中国国内に何らかの社会不安を誘発する心配がある。
 中国政府の立場では、分断状態が続くことには、いくつもの利点がある。その一つが北朝鮮の鉱物資源を中国企業が安く手に入れることができるということ。
 北朝鮮のエリートは、政権が崩壊したら、敗者として処刑されるか、リンチで殺害されるという恐怖をいだいている。このようなエリートは、家族をあわせても100万人から200万人ほどで、全人口の5~7%にすぎない。しかし、彼らは武器を扱えるし、組織を掌握している。
長い目で見れば、北朝鮮の政権は持続不能だ。統一後の混乱に今から備えておく必要がある。北朝鮮の金一族に協力したことについて、一切を問わないようにしないといけない。   
とても説得力のある本でした。北朝鮮が今にも日本に攻めてくると真面目に心配している人には、ぜひ読んでほしい本です。北朝鮮は、それどころではないことが、よく分ります。
            (2015年6月刊。4500円+税)

鳥カゴのなかの幼鳥は、羽を広げることはできるし、少しは飛べる。あと何日かしたら自由に飛べるだろう。その直前にヘビに狙われて、巣から追い出されたわけだ。
 夕方暗くなるまで、ヒヨドリの親たちはうるさく鳴いていた。幼鳥たちも小さな声で応じている。
 夜は家のそばに置き、フタをしてふろしきで覆った。ヘビもいるけれど、猫が入ってくる。
 朝になった。鳥カゴのフタをはずして庭に置いてやる。親鳥が鳴いているのを聞いて、大きな幼鳥は鳥カゴを飛び出し、スモークツリーの枝にまで上がった。
 小さい方の幼鳥は鳥カゴのなか。親鳥は鳥カゴの中までなかなか入らなかったが、ついに餌を与えた。
 これで、なんとか大丈夫かな、、、、。

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2015年8月24日

心地いい里山暮らし

生物(花)

(霧山昴)
著者  今森 光彦 、 出版  世界文化社

 うらやましい里山生活の日々を写真で紹介している楽しい本です。
 著者は高名な写真家です。生物や自然をたくさん撮ってきました。そして、ペーパーカット作家でもあり、この本にも見事な作品が紹介されています。
 琵琶湖の西岸、大津市の郊外に居を構えたのです。近くには棚田があります。アトリエをつくり、雑木林があり、ガーデニングエリアをもうけました。近くには水田環境もあります。四季折々の花や蝶そして小鳥たちの素敵な写真が紹介されています。私も花の名前を前よりは知っていますが、著者は知識は数段上回ります。
アトリエの庭先にテーブルを出して休憩中の著者の写真が紹介されています。緑ふかいなかで、時間がゆったり流れていくのです。うらやましいほど、ぜいたくなひとときです。
 ガーデニングをも、私とは違って、明確な目的があります。たとえば、チョウの集まる庭づくりです。
幼虫のエサになる食草も、チョウによって異なる。そして成虫となったチョウの好む花も異なっている。アゲハチョウは、ミカン類が好き。カラタチに目がない。エノキは、オオムラサキ、ゴマダラチョウ、ヒオドシチョウに欠かせない。
 そして土づくりにも精を出します。これは私も及ばずながら努力しています。我が家の庭も、黒づんで、ふかふかしています。おかげで、ミミズも大盛況。そして、モグラが生活しています。
著者が私と違うもののひとつが料理です。いかにも美味しそうな料理に挑戦します。もちろん、地元産の食材をつかうのです。
 里山生活には、いろんな不便も実際にはあると思うのですが、こんな素晴らしい四季折々の風景写真を眺めると、里山生活を誰だって堪能したくなりますよね・・・。といっても、私自身も自然のすぐ近くで生活する楽しみを、日々、実感しています。
(2015年4月刊。2000円+税)

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2015年8月25日

腹いっぱい生きて

司法

(霧山昴)
出版  角銅立身追悼文集 

 昨年(2014年)6月に亡くなられた角銅立身弁護士をしのぶ文集です。
 角銅弁護士は昭和4年生まれ。敗戦の年の4月、秋田鉱山専門学校採鉱科に入学し、戦後に卒業したあと、古河鉱業に入り、幹部職員へのコースを歩んでいたとき、労働争議に直面します。そのとき、諌山博弁護士が争議団への現地支援に入ってきた姿に感動し、一念発起して司法試験を目ざすのです。
 すごいことですよね。ストライキで会社側職制が労働者側の弁護士の活躍ぶりに接して、自分もそちらの側に移ろうと思って会社を辞めて司法試験を目ざしたというのですから・・・。
 昭和34年に会社を辞職して3年後の昭和37年9月に司法試験に合格。翌38年に司法研修所に入りました(17期)。司法研究所では青法協の議長もつとめ、昭和40年に憧れの諌山博弁護士の事務所(福岡第一法律事務所)に入所します。
 そして、3年後の昭和43年に田川へ移り、飯塚部会に所属します。福岡県弁護士会では、飯塚部会長兼副会長を10年間つとめています。
 社会福祉法人の理事長もつとめるなど、幅広く活動してきました。
 角銅弁護士の旅行好きは有名です。この追悼文集のなかにも、横井久美子(歌手)の「世界ツアー」にリーダー的存在として参加していたことが感動的なエピソードとともに語られています。ベトナム、アイルランド、ポーランド、チリ、ベネズエラ、アメリカ、南アフリカなど、本当に世界各国をまわっています。中村博則弁護士は、このほかキューバ旅行をともにしたこと、日本国内も北海道から沖縄まで旅した思い出が紹介されています。
 前進座の俳優である嵐圭史が葬儀当日、前触れなく参列して、弔辞を読んだという話には感嘆するばかりです。角銅弁護士の度量の深さを如実に物語っています。
タイトルの「腹いっぱい生きて」は、角銅弁護士の口癖であった、「すごいですねぇ」「ゆたかだよねぇ」「ユニークだよねぇ」「イエスバットなんだよ」「やあ」などから、長女のしおり氏(医師)の発案だとのことです。
 角銅弁護士の豊かな人生を偲ぶ心温まる文集になっています。
 角銅先生、どうか安らかにお眠りください。
 と書きましたが、アベ政治はひどいねえ、という角銅弁護士の地声が聞こえてきそうです。そうです。生かされている私たちも、元気にがんばっているとお答えします。
(2015年7月刊。非売品)

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2015年8月26日

クリミア戦争(上)

ロシア

(霧山昴)
著者  オーランドー・ファイジズ 、 出版  白水社

 1854年にはじまったクリミア戦争についての詳細な研究書です。
 第一次世界大戦前の時代に生きていた人々にとってはクリミア戦争は19世紀の一大事件だった。損失は膨大だった。少なくとも75万人の兵士が戦死傷者となった。
 ロシア軍は50万人の兵士が亡くなり、フランス軍も10万人の兵士が死んだ。イギリス軍の死者は、2万人だけ。
クリミア戦争は兵代戦の最初の例だった。新型のライフル銃、蒸気船、鉄道、近代的な兵站、電報、革新的な軍事医学など動員された総力戦だった。同時に、クリミア戦争は、古い騎士道精神に則って戦われた最後の戦争でもあった。戦闘の最中に敵味方の話し合いがもたれ、戦場から負傷者と死体を収容するための一時的休戦が頻繁に実現した。
 このクリミア戦争には、ロシアの文豪トルストイが青年士官として従軍している。
 ロシアの正教会の支配するロシアにとって、パレスチナの聖地は、熱烈な宗教的情熱の対象だった。ロシア人とは、すなわちロシア正教の信者だった。
 ロシア帝国は、当時の列強諸国のなかで、もっとも宗教性の強い国家だった。ロシア帝国ツァーリの支配体制は、臣民の信仰を束ねるという形で組織されていた。
 ロシア帝国は、国境問題であれ、外交関係であれ、ほぼすべての問題を宗教のフィルターを通じて解釈する宗教国家だった。
 当時29歳のニコライ一世は、「軍人タイプ」の人物だった。身近なサークルのなかでは礼儀正しく、魅力的な人物だったが、外部の人間に対しては冷淡で峻厳であり、短気で怒りっぽい性格、無分別な行為に走り、怒りから我を失う場面多くなっていった。
 ニコライ一世は、常に暗殺される危険にさらされていた。
 ロシア帝国の軍隊にとって、膨大な損耗率は、決して異常な事態ではなかった。農奴出身の兵士たちの健康や福祉がかえりみられることはなかった。
 ロシア軍は基本的に農民の軍隊だった。兵士の圧倒的多数は農奴が国有地農民の出身だった。ロシア軍は、その規模からいえば、群を抜いて世界最大だった。100万の歩兵、25万の不正規兵(主としてコサック騎兵)を擁している。加えて、75万の予備兵力がある。
 しかし、ロシア軍隊は、他のヨーロッパ諸国に比べて大きく立ち遅れていた。兵士はそのほぼ全員が読み書きの能力をもっていない。貴族出身の士官たちは、わずかな手柄を立てるために膨大な数の兵士の命を惜し気もなく、犠牲にした。
 これに対するトルコ軍は、さまざまな民族からなる混成部隊だった。アラブ人、クルド人、他タール人、エジプト人、アルバニア人、ギリシア人、アルメニア人など、多数の民族が参加していた。
 オスマン帝国の典型的な軍人は、軍事的能力よりも、スルタンの個人的寵遇によって昇進は決まっていた。トルコ軍の指揮官のほとんどは、戦場で役に立つ実践的な指揮能力を備えていなかった。兵士の給与を比較すると、イギリス134ルーブル、フランス85ルーブル、プロイセン18ルーブル、オーストリア兵は53ルーブル、ロシア兵は32ルーブル、プロセインは60ルーブル、フランスは85ルーブル、プロセインは60ルーブルだった。
イギリスのパーマストンは、単純な言葉で大衆に訴えかける必要があり、そのために新聞を活用することを心がけた。
 パーマストンに反対して戦争への流れを押しとどめようとする者は、誰であれ、愛国主義的なジャーナリズムによって袋叩きにあうような社会的雰囲気だった。
 新聞は、販売部数を伸ばすために、戦争へあおりたてた。
まるで、いまの安倍内閣と一部のマスコミの情けない姿そのものですよね。
 クリミア戦争について、イギリスとフランス連合は、それほど目的は明確ではなかった。多くの戦争がそうであったように、今回の東方遠征も、わけが分からないうちに始まってしまった。
 なんとなく戦争ムードがかき立てられ、止められないうちに戦争に至ってしまうのですね。今の日本をみていると、本当に怖いです。
 クリミア戦争の真の目的は英仏両国の利益のためにロシアの領土と影響力を削減することにあると明記されるべきだった。ロシア軍の敗北の最大の原因は兵士が戦意を喪失したことにあった。近代戦において勝敗を分ける決定的な要因は、兵士の士気を維持できるかどうか、だった。
 戦争に至る道筋が解明されている本です。そして、実際に始まった戦争の悲惨な実情も刻明に紹介されています。憲法9条の空文化を目ざす自民・公明のアベ政権は本当に許せません。
(2015年6月刊。3600円+税)

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2015年8月27日

新・観光立国論

社会

(霧山昴)
著者  デービッド・アトキンソン 、 出版  東洋経済

 日本の観光産業を振興するための積極的提言がなされている興味深い本です。
 国内の観光需要を格段レベルアップするにはまずはゴールデンウィークをなくすべきだというのは、私も大いに賛成です。昔のリゾート開発のときにも、提唱されていましたが、歴代の自民党政権は祝日を増やすことしか考えていません。これでは観光産業を育成することにはなりません。日本人が、もっと仕事を休めて旅行できるようにしないと観光業の発展はありません。ゴールデンウィークは集中豪雨型の忙しさをもたらし、それがすぎると閑散としている、というのでは良質なサービルを提供できるはずもありません。
 日本が観光立国を目ざすなら、ゴールデンウィークは廃止すべきだ。国内観光客が一時期に集中するのは、観光ビジネスにとっては大きな障害となる。ゴールデンウィークの廃止によって国内観光客が均されれば、もっと大胆な設備投資が出来、観光業が産業として成立しやすくなる。
 東京オリンピックを招致するときの滝川クリステルの「お・も・て・な・し」とひと文字ずつ区切って話したのは、良くなかった。あれは、相手を見下している態度と受け取れる。日本人は絶賛したが、ヨーロッパの見方は全然違う。
 うひゃあ、知りませんでした・・・。
 日本に「高級ホテル」がないという指摘には、腰が抜けそうなほど驚きました。
 皇居の周囲にできたペニンシュラなどの一泊40万円とか50万円(本当はもっと高い?)というのは超高級ホテルは泊まったことがありませんし、泊まろうとも思いません。ところが、この本によると、世界のスーパーリッチ層にとっては、安すぎて泊まろうとは思わないのだそうです。
 では、いくらのホテルにスーパーリッチは泊まるのか?
 1泊400万円とか900万円というホテルに泊まるのです。
 いやはや信じられない金額です。そう言えば、東京都内で遊ぶときには、遊園地を「貸し切り」にしてファミリーで遊ぶのです。とても想像できない世界です。
 日本人は、日本という国が観光後進国であることをもっと自覚せよと警鐘を乱打しています。なるほど、と思いました。外国人観光客1300万人というのは少なすぎるのです。
日本人は観光アピールを勘違いしている。
 気候、自然、食事をもっとアピールすべきであって、治安がよいとか電車が正確とか自動販売機が町にあふれているということで外国人が日本に来るわけはない。
 目からウロコの本でもありました。
(2015年7月刊。1500円+税)

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2015年8月28日

朝鮮王公族

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  新城 道彦 、 出版  中公新書

 1910年、日本が韓国を併合したとき、天皇は詔書を発して「王族」、「公族」を創設した。大韓帝国皇室の人々についての身分である。これは、戦後の1947年まで存続した。
 日本が1910年に韓国を併合して以降、補助金が不要だったのは1919年の1年のみで、あとは、ずっと赤字だった。台湾は、日本の編入からわずか10年で補助金を辞退するまでに経済的に発展し、宗主国(日本)に金銭的な利益をもたらした。韓国とは、まったく対照的だ。日本の財界や言論界では、韓国併合による財政負担増を非難する声が少なくなかった。
 それでも、経済性を度外視して日本が韓国帝国を支配下に置こうとした目的は、国防にあった。危機意識があった。とくに北方にはロシアという明確な仮想敵国が存在していたので、朝鮮半島の確保は急を要する課題だと考えられていた。
 大韓帝国では、1903年ころ経済支出の43%を軍事費が占めていて、財政紊乱(びんらん)の原因となっていた。そのうえ、兵員は1万人にみたなかった。
 朝鮮貴族令が定められ、朝鮮貴族には日本の華族と同一の礼遇が保障された。ただし、朝鮮貴族のなかに、公爵になった者はいない。
 日本の皇族が朝鮮の王公族に嫁いでも、めとることはできなかった。朝鮮人の血を皇族に入れないという考えが宮内省にあった・・・。
 日本の首相として韓国併合を成立させた桂太郎が国葬にならなかったのに、併合された側の李太正が国葬になった。なぜか? この答えは単純であり、朝鮮人を懐柔するためだった。
 李太正の国葬のとき、寂寞たる国葬に比べて、内葬は盛況だった。1万5000人以上の人々が集まった。国葬の会場では、朝鮮人のほとんどがボイコットしたため、会席は空席だらけになった。国葬を押しつけたのは失敗だった。
 どこの国だって、他民族から支配されたとき、独立を目ざしてがんばるものですよね。生半可な日本の懐柔策は朝鮮の人々を完全におさえこむことは出来なかったわけです。そりゃあ、そうですよね。
 帝国日本に準皇族の身分が存続していたなんて、ちっとも知りませんでした。
(2015年3月刊。840円+税)

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2015年8月29日

禁忌

社会

(霧山昴)
著者  浜田 文人 、 出版  幻冬舎

 ハードボイルド小説です。私は、東京・銀座の夜の世界がどうなっているのかが知りたくて、読んでみました。
 今から20年以上も前のことになりますが、銀座のクラブでひとときを過ごしたことがあります。もちろん、東京の知人の弁護士がおごってくれたのです。そのとき、私が福岡出身だというと、何人かのホステスが長崎のハウステンボスには行ったことがあると言うのです。
 ハウステンボスは、愛人を連れた東京の金持ち連中の不倫旅行の格好の舞台だということを、そのとき知りました。たしかに、「ホテル・ヨーロッパ」は、そんなしゃれた雰囲気でした。HISの経営になって大衆化してからは、どうなっているのでしょうか・・・。
 銀座のクラブホステスの半分は精神を病んでいる。いつクビになるのか、ひやひやしながらの毎日だから、精神病を患うのも無理はない。
 銀座のホステスの7割は彼氏がいない。精神的に余裕がないうえに、時間の余裕もない。昼間は電話とメールで営業、深夜は強制のアフターがある。
 この10年来、東京都内の自殺者は年間2500人をこえている。1日に約7人。そのうち女性が3割。男性では50代が突出している。
 クラブのセット料金は1万5千円。それにボトル代とドリンク代を足した金額を純売上げという。これがホステスの日給の対象になる。純売上げにいろんなチャージをつけ、50%のサービス料を加算した金額が客への請求額となる。
 クラブで客に多額のお金を使わせるためには、高いシャンパン、たとえば1本35万円のドンペリや、高額ワインを注文して飲ませる。10万円のシャンパンを2本あけると、客は20万円ではなく、いろいろチャージが付加されて40万円の請求を受ける。
 一人のホステスの総売上が200万円だとすると、もろもろ差し引かれ、手取りで月80万円となる。クラブのホステスの在籍が50人として、1日の出勤者は35人。ホステスの8割はヘルプで、ヘルプは週に3日か4日、出勤する。
 月の売上げが150万円未満のホステスをヘルプという。ヘルプの平均日給は3万3000円ほどで、月の手取りは40万円。
 ヘルプのホステスがまじめに仕事をしようとしたら、貯金するのは、ます無理。ええっ、月収40万円でも貯金がたまらないのですか・・・。
銀座で年俸1000万円をこえるホステスは全体の5%未満。ホステスの平均年収は、上場企業の女性正社員と同じくらい。ところが、手取り分から、衣装を購入し、出勤前に美容室に行く。顔や身体の手入れにもおカネがかかる。
クラブでホステスしていても、客との会話が苦痛で、同僚の女性との折り合いが大変だと思う女性は、人間関係に神経をつかわないですむ性風俗店にくらがえしていく。
 東京都内には、ソープランドや、ファッションヘルス、ピンクサロン等の性風俗店で働く女性が急増し、現在では3万人をこえると推定されている。いや、十数万人になるという説もある。
 銀座の夜の世界には、もう一つ、金持ちヤクザははびこっているようです。超大銀行と暴力団との腐れ縁は昔から有名ですが、最近ではIT企業のトップなどとも暴力団はつながっているようですね。そして、そこに退職した警察官と実は現役の警察官までがからんでくるのです。まったく、いやになってしまいます。
 そんなことを考えさせてくれる警察小説でもありました。
(2015年4月刊。1600円+税)

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2015年8月30日

作家で10年生きのびる方法

社会

(霧山昴)
著者  鯨 統一郎 、 出版  光文社

 本格推理小説の第一人者が、売れる作家を10年続けてきた内幕を明らかにした体験的小説です。モノカキ志向で、今も小説に挑戦している私にとって、ヒント満載の本でもありました。
スタートは1998年(平成10年)です。
 「北方謙三のような緊迫した文章が書けるか?」
 「大沢在昌のように読者を引っぱっていくテクニックを理解しているか?」
 「若者のようなみずみしい感性はあるのか?」
 「熟練工のように人をうならせる技(わざ)はあるのか?」
 「活躍している作家たちは、みな独自の武器を持っている。これだけは、ほかの作家には負けないという武器を。それで、キミは?」
 せっかくデビューしても、半分以上の作家は1年後には消えている。毎年400人の作家がデビューしている。
 赤川次郎や西村京太郎のような流行作家は、1日に12枚ほど書いている。
 梶山秀之は、月産1200枚。1日40枚。黒岩重吾は月産1000枚。笹沢佐保は1500枚。そして松本清張は月1000枚だった。
 ミステリ小説では、冒頭に魅力的な謎を提示する。すると、読者は興味を持ち、先を読みたくなる。
 出版社は、ボランティアではない。商売だ。利益が出ると思うから作家に発注する。
なるべく読点を使わず、文章をつづるのが基本だ。読点が多いほど文章の流れが悪くなる。流れるように読んでいた文章に読点があると、そこで流れが止まる。その判断方法は声に出して読んでみること。そうすると、流れがいいかどうか、たちどろに分かる。
 インプットなくして、アウトプットなし。子どものころから読んできた膨大な小説のおかげで、文章が書ける。子どものころから親しみ、摂取してきたマンガ、テレビ、映画のおかげだ。それで摂取してきた文章、物語、ストーリーが脳に蓄積され、無意識のうちにしみ出してくる。
 取材旅行には、ノートパソコンの類は一切もっていかない。旅行は、心身ともに新鮮になる機会だから、パソコンは持っていきたくない。
 小説を書いているのは、書きたいものを書くため。すべて自分の趣味なのである。
 ぼくの趣味と一致する趣味を持つ人がいて、きっと読者になるはずだ。
 書くときには、あらかじめプロット(アラスジ)を組んで書くのだが、興が乗ると、プロットのことなど頭から消し飛び、書きながらプロットとは別の展開が頭に浮かび、それを真剣に検討する間もなく、勝手に物語を書きつづってしまうことがある。ライダーズ・ハイという。
 とても役に立った小説の書き方、ハウ・ツーものでした。
(2015年6月刊。1500円+税)

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2015年8月31日

感じて歩く

人間

(霧山昴)
著者  三宮 麻由子 、 出版  岩波書店

 シーンレスは著者の造語で、全盲という意味です。風景がないということです。
 「視覚障がい」とか「全盲」というマイナスイメージの強い言葉を使わずに、ただ目の前に視覚的な風景がないという事実だけを表現する。
 シーンレスになると、歩くと物にぶつかる現実に直面する。
 プラットホーム上では、シーンレスは極限の緊張状態にある。「欄干のない橋」とか「柵のない断崖」という表現は決して誇張ではない。
 シーンレスの3人に2人は転落経験があり、残りの3人に1人も、いつ3人に2人の側に行ってもおかしくない。鉄道、プラットホームに置いてシーンレスがさらされている命の危険が現実に恐ろしい結果となる確率は、健常者とは比較にならない次元で高い。
 シーンレスにとって、杖は命の次に大切な宝物だ。杖は世界への案内者になる。
 ときどき、道で自転車や車と接触して杖を折られることがある。杖を折られるのは、持ち主を命の危険にさらすこと。
 人より気をつけていても衝突が避けられないのがシーンレスである。白い杖は、そのことを知らせる目印である。
 白杖を折られ、地面との糸電話を断ち切られたら、シーンレスは一歩も歩けない。
 白い杖は単なる道具ではなく、使う人の身体の一部なのだ。
シーンレスにとって、曲線や斜めの角度をふくむ空間認識は歩行のなかでも最難関である。
 自立とは、自己決定できることであって、「ひとりでできる」ことではない。
全盲の女性が社会的に活躍していける時代にはなりました。しかし、シーンレスの人々にとって、やるべきことはこれからもますます多いようです。ぜひ今後とも元気にがんばってください。
(2012年6月刊。1800円+税)

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